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お返事の「減少したクジラに固執するのを止めることは、その一歩」というのは、その典型です。捕鯨とWWF日本委員会にお勤めの方たちは無関係である、だからこそ「鯨を止めるのが一歩」と簡単に言えるわけです。私は、隗より始めよ、と言っているのです。自
分に直接関係のあることから始めていただきたい、そうでなければ所詮自己満足に終わるだけだと言っているのです。具体的には、先の手紙にも書きましたが、クーラーや自家用車など、エネルギーの無駄使いや空気汚染につながるものはまず自分から止めるというこ
とです。もっとも環境保護団体にお勤めの方々は最初からクーラーや自家用車などお使いになっていないかも知れません。その場合は家族親戚・友人知人や同じビルに入っている会社のクーラーや自家用車をやめさせ、次には港区全体のクーラーと自家用車を、そして
東京都全体の、という風に都市住民の生活を叩き直すことから始めていただきたいのです。それこそが本当の「一歩」ではありませんか。自分はエネルギーを浪費して快適な暮しをしながら、農村漁村や低開発国にのみ様々な要求を突きつけるのは偽善です。それは分
かっていると口先で言うだけでは足りません。まず自分とその周囲の生活を実際に変えてこそ、農村漁村低開発国に要求を出す権利ができるのだと私は思っています。そうした意識を持たないまま弱者いじめをする自然保護論者が多すぎるのではないでしょうか。ワリ
バシをやめれば森林は保護される、というバカげた考えが一世を風靡したことがありましたが、自分が大したダメージを受けずに自然環境に貢献できるというのは欺瞞です。自分が苦しむことから始めていただきたい、そして次には、少数者の習慣を改めさせることに
よってではなく、多数者の習慣を改めさせることによって自然を保護しようと努力していただきたい。それが抑圧から最も遠い自然保護のやり方だと私は思います。あるがままの生態系を回復する、というなら、都市によって破壊された自然を当の都市住民自身が回復
する、それが「隗より始めよ」の意味です。捕鯨国が少数であることは、反捕鯨を喧伝する理由にはまったくなりません。逆に、反捕鯨の根拠を慎重に検討しなければならないことを意味します。反捕鯨に文化差別・民族差別が少なからず絡んでいること、