09/01/06 15:41:21 2JkU9N5I
第2時大戦後にIWCが設立されて後、南氷洋などにおける捕獲枠の設定はBWUによって行われていた(BWU自身は戦前から用いられていた)。これは、ナガスクジラ(Fin Whales)は2頭、ザトウクジラ(Humpback Whales)は2.5頭、イワシクジラ
(Sei Whales)は6頭を、それぞれシロナガククジラ1頭の捕獲に等しいとするもので、鯨油の生産が目的であった西欧諸国が生産調整のために導入した方式である(戦前の換算ではイワシクジラは5頭であった)。例えば、捕獲枠が1500BWUの
場合、シロナガスクジラだけを捕った場合には1500頭の捕獲ができ、ナガスクジラだけを捕れば3000頭捕獲でき、あるいはシロナガスクジラを1000頭にナガスクジラを1000頭捕る事も可能である。、このように、鯨の種類ごとに捕獲枠を設定
するわけではないので、競って効率の良い大きい鯨種が狙われる事となり、大きい鯨種から順次資源状態が悪くなる事態を招いた。科学委員会ではすでに60年代から、南氷洋で鯨種別の捕獲枠を設定するように主張していたが、本会議レベルで
廃止が決まったのは70年代に入ってからで、1972/73シーズンからは捕獲枠が鯨種別に設定されるようになった(北太平洋では1960年代終りから鯨種別に捕獲枠が設定されていた)。
NMP(New Management Procedure - 新管理方式)1974年のオーストラリアの提案に基づいて、同年12月に科学委員会で細部が検討され、翌75年の会議で正式に採択されてさっそく適用されたもので、MSY理論の一種であるペラ・トムリンソン
(Pella-Tomlinson)モデルに基づいている。これによって、鯨の資源状態は以下の3種類に分類された。
初期管理資源(Initial Management Stocks)資源量がMSYレベルを基準にしてそれより20%以上のあるもの。捕獲限度はMSYの90%とする。
維持管理資源(Sustained Management Stocks)資源量がMSYレベルを基準に、マイナス10%からプラス20%の範囲にあるもの。捕獲限度は、ゼロからMSYの90%まで資源量に応じて決める。
保護資源(Protection Stocks)資源量がMSYレベルを基準に、それより10%以下のもの。捕獲限度はゼロ。 なお、MSYレベルは初期資源の60%に設定されたので、実質上の分類としては、初期管理資源は資源量が捕獲開始前の72%(72=60+20x0.6)
347:名無しさん@3周年
09/01/06 15:46:00 2JkU9N5I
初期管理資源の捕獲限度をMSYの90%としたのは、資源量など各種の推定値に伴う誤差を考慮に入れた安全措置だったようである。さて、このNMPでは初期資源量、現在の資源量、MSYの3つが判っていないと捕獲枠を設定できないが、これらを精度良く推定するのは難しい。
何がなんでも捕鯨を禁止したい勢力からすれば、初期資源量を大きめに推定したり、現在の資源量を少なく推定すれば、対象の鯨種を保護資源に分類させて捕獲をストップさせる事も可能となる。例えば、以前ミンククジラの資源量で取り上げた、反捕鯨派の科学者シド
ニー・ホルト(Sidney J. Holt)によるあまりにも低い資源量の推定値(1978年に2万頭説を唱えた)なども、こういう政治的意図に基づいている疑いが強いし、反捕鯨派科学者が少ない資源推定量を出すためにインチキ計算をした例もいくつか指摘されている。また、
使用した理論的モデルも鯨に適用して妥当だという裏付けがあった訳でなく、捕鯨側、反捕鯨側の間で使用するパラメーターの値をめぐって論争が続いた。 RMP(Revised Management Procedure - 改訂管理方式)NMPをめぐる上記のような背景から、1986年に、このよ
うな欠陥を改善して少ない知識で捕獲枠を算定できる新しい方式を開発する事が決められ、翌1987年にはNMPにとって替わる新しい方式の目標として以下の3つが採用されている。 捕獲限度枠が年によって大きく変動しない(捕鯨業のスムーズな進行のため)。
資源量がある一定の危険なレベル以下に枯渇しない。なるべく高い持続的な捕獲限度を与える。このような状況のもと、様々な科学者によって、NMPにとって替わる新しい管理方式が提案されたが、提案者の名前をとって以下のように呼ばれる。
de la Mareの方式(dlM Procedure) Cookeの方式(C Procedure)PuntとButterworthの方式(PB Procedure) SakuramotoとTanakaの方式(ST Procedure)MagnussonとStefanssonの方式(MS Procedure)最初の3つはNMPで用いられたのと同じMSY理論のモデルを用いる
ので、モデル依存型とよばれ、後の2つはそのようなモデルを仮定しないので、モデル独立型と呼ばれる。
348:名無しさん@3周年
09/01/06 15:48:29 2JkU9N5I
ただし、科学委員会と違ってIWC本会議は政治的動機が強く入って来る
場であり、「何が何でも捕鯨を再開させたくない」勢力が幅を利かせていたから、正式に本会議で採択されたのは1994年である。専門家が長年苦心して開発してきたRMPが本会議で採用されないのに抗議して、1993年の会議後に当時の科学委員会の議長であったフィリップ・ハ
モンド(Phillip Hammond)は辞任しているが、一方、この年のアメリカ政府代表であったマイケル・ティルマン(Michael Tillmann)は、RMP採択を阻止したとして翌年に反捕鯨団体の動物福祉協会(Animal Welfare Institute)からシュヴァイツアー賞(Albert Schweitzer
Medal)を授与され「感動し心から喜んでいる」と述べている。さて、ミンククジラの資源の頑健さが既に包括的資源評価によって確認され、捕獲枠算定方式も完成されたとあっては、商業捕鯨が再開されかねないので、反捕鯨国側は1992年にRMS(Revised Management Scheme
- 改訂管理制度)という監視・取締制度が完成するまで商業捕鯨を再開しない事を提案し、多数決で採択された。国際監視員制度などはすでに70年代から適用されており、その他の操業管理上の細目などは通常の漁業交渉などでは数時間の討議で決まる類のもので、本来数年
を要する代物ではないのだが、「鯨のような大きくて美しい動物を食べる必要はない」(1991年、オーストラリア政府代表のピーター・ブリッジウォーター(Peter Bridgewater))とか「捕鯨を禁止させる科学的な理由はもうないから倫理的な理由で反対していく」(1991年、
アメリカ政府代表のジョン・クナウス(John Knauss))という、条約目的とは異なった文化帝国主義的な動機で政策を決めている国が多数いるのがIWCの現状であるから、反捕鯨側はRMSの審議を遅らせる戦略によって商業捕鯨の再開を阻もうとしている。さらに南氷洋を鯨の
サンクチュアリー(聖域)にする事によって捕鯨再開を阻む事を企て、サンクチュアリーの設定には科学的認定に基づく、というIWCの条約第5条第2項を無視して科学委員会の勧告もないまま強引に多数決でもって1994年に成立させている。
349:名無しさん@3周年
09/01/06 15:54:12 2JkU9N5I
さて、ミンククジラの資源の頑健さが既に包括的資源評価によって確認され、捕獲枠算定方式も完成されたとあっては、商業捕鯨が再開されかねないので、反捕鯨国側は1992年にRMS(Revised Management Scheme - 改訂管理制度)という監視・取締制度が完成するまで商業捕鯨
を再開しない事を提案し、多数決で採択された。国際監視員制度などはすでに70年代から適用されており、その他の操業管理上の細目などは通常の漁業交渉などでは数時間の討議で決まる類のもので、本来数年を要する代物ではないのだが、「鯨のような大きくて美しい動物を食
べる必要はない」(1991年、オーストラリア政府代表のピーター・ブリッジウォーター(Peter Bridgewater))とか「捕鯨を禁止させる科学的な理由はもうないから倫理的な理由で反対していく」(1991年、アメリカ政府代表のジョン・クナウス(John Knauss))という、条約
目的とは異なった文化帝国主義的な動機で政策を決めている国が多数いるのがIWCの現状であるから、反捕鯨側はRMSの審議を遅らせる戦略によって商業捕鯨の再開を阻もうとしている。さらに南氷洋を鯨のサンクチュアリー(聖域)にする事によって捕鯨再開を阻む事を企て、サ
ンクチュアリーの設定には科学的認定に基づく、というIWCの条約第5条第2項を無視して科学委員会の勧告もないまま強引に多数決でもって1994年に成立させている。なお、RMPの明細はNMPに比べて複雑なので、詳細は専門家による解説などにまかせるが(例えば、自身も新しい
方式を提唱した田中昌一博士による解説 - 1 、 2 )、簡単に言えば捕獲データに加えて5年に一度義務付けられる資源推定調査の結果をフィードバックさせて、徐々に理想的な捕獲枠に近づけていこうとするもの、ということになるだろうか。また、系統群についての知識の誤
りなどが悪影響を与えないように、様々な安全措置が施されている。実際、RMPが与える捕獲限度が非常に控え目であるため、同種の手法が他の漁業にも適用されるとほとんどの漁業が商業的に成り立たなくなるという事が、1995年4月にIWCの事務局長を呼んで行われたEUの特別公
聴会における質疑で話題になっている。無論「100%安全」であるなどと保証はできないが、そのような事を求めるのは例えて言えば「交通事故がこの世からなくなるまで子供が外出するのを禁止しましょう」というのと同レベルの発想である。「100%安全とは保証できない」のは
350:名無しさん@3周年
09/01/06 16:04:31 2JkU9N5I
反捕鯨国でも行われている他の漁業や狩猟における管理手法、果ては他の分野の様々な事柄でも同じであり、捕鯨に関してだけ特別に厳しい基準を要求するのは、鯨可愛さに目がくらんで上での世界中の誰にも殺させたくないという
愛好家心理の隠れ蓑としてか、あるいは今世紀中頃までの捕鯨の知識から受けた心理的トラウマ(例えていえば、一度水に溺れた人間が水泳を拒否し続けるような)や、捕鯨に関して嘘と誇張を交えたプロパガンダ情報だけに接して
きて自分で各種文献を当たった事がない事からくる思い込み、あるいは捕鯨だけにスポットを当てて他の人間の活動と客観的に比較した事がないというバランスに欠いた思考回路、といったものからであろう。 なお、今現在のRMPの
対象はヒゲ鯨類であり、雄が複数の雌とハーレムを形成するなど特異な集団構成を持つマッコウクジラをはじめ歯鯨類は対象外である。20世紀最後のIWC総会は去る7月3日から6日まで行われた。開催地はアメリカなどよりも強硬な反
捕鯨国であるオーストラリアで、しかもロバート・ヒル(Robert Hill)環境大臣の選挙区内のアデレード市であった。ヒル環境大臣といえば1997年9月に、全世界の海で永久的に捕鯨を禁止するグローバル・ホエール・サンクチュア
リー構想を明らかにした事で知られ、今回の南太平洋サンクチュアリー案はその第一歩とも見られる。部外者としては会議のなりゆきが気になったが、捕鯨の当事国である日本では全国紙での取り上げは簡単で、あまり詳細は伝わっ
てこない。各種投票結果などは、例えば農水省のプレスリリースページにある 結果の概要 にあり、表に現れる投票結果などでは従来から目立った進展はなかったが、ネット上での海外のニュースで注意をひいた点をいくつか書き留
めておく。 - ワシントン条約事務局長からIWCへの手紙 -今年は4月に、ワシントン条約(CITES)の締約国会議が開かれ、日本とノルウェーが提案していたミンククジラのダウンリスティング案は否決された。これまでのIWCに
よる公式の資源評価からみると、ミンククジラは全世界で100万頭に迫る数が生息していると見られ、とてもではないが、現在分類されているような「絶滅に瀕している種」ではない。当初はワシントン条約の事務局でも、現状は絶滅
に瀕した種と認定するための科学的基準に合わないとして、
351:名無しさん@3周年
09/01/06 16:06:11 2JkU9N5I
提案どおりミンククジラを付属書Iから付属書IIへ移す事を勧告していたが、反捕鯨勢力の圧力を受けたのか撤回し、事務局のお墨付きを失った格好になった提案は浮動票を集めきれず否決された。ただ、商業捕鯨のモラトリアム後の資
改訂管理制度を完成させるよう、催促の手紙を書いたのだが、その文面は反捕鯨国などの反発もあって、マスコミなどには非公開となった。ただ、中立系の国が、IWCの現状がその国際的信用を落とす事を恐れ、2001年2月までに改訂管理
制度の完成に向けた会合を開く事などを提案して合意された。
- ドミニカ騒動 -カリブ海には中部に「ドミニカ共和国」(Dominican Republic)という比較的大きな島国と、東部に「ドミニカ国」(Commonwealth of Dominica、あるいは単にDominica)という奄美大島より少し大きくて人口が7
万人程度の島国があるが、後者はIWCの加盟国であり、そこを舞台にひと騒動があった。以下、現地紙の「The Chronicle」をはじめ、この騒動を報じた複数の記事やネット上の情報、IWCの資料などからまとめてみる。
ドミニカでは今年1月の総選挙を受けて、連立内閣が誕生したが、自身は出馬しなかったものの通商産業協会の推薦を受けて農業・環境・企画大臣に就任していたAtherton Martin氏は、ドミニカがIWC総会でオーストラリアなどが提案し
た南太平洋のサンクチュアリー(聖域)案に反対票を投じたのに抗議して、「これは海外援助にからんで日本が圧力をかけたためだ」として、抗議のために辞任すると本国での記者会見で発表した。会見の席でMartin大臣は「内閣はIWC
におけるすべての投票で棄権する事を決めていた」と主張し、また彼自身がRoosevelt Douglas首相に対して、IWCへのドミニカ政府代表であるLloyd Pascal氏を召還するよう要請していたが、却下されたとも述べた。ドミニカではホエ
ール・ウォッチングが比較的盛んであり、Martin大臣はこれら観光産業の利益も主張している。
352:名無しさん@3周年
09/01/06 16:08:48 2JkU9N5I
大臣に就任するまでMartin氏はドミニカの反捕鯨団体であるドミニカ自然保護協会(Dominica Conservation Association - DCA)の会長だったが、後述する外国NGOとの関係を考慮してか、捕鯨問題に関する管轄はIWC開催前に外務省へと移管されていた。
Martin大臣の言い分に対し、Douglas首相は「代表団に対しては、現地で得られるすべての情報をもとに独自の裁量で投票するように指示してあった」と反論、「オーストラリアなどのサンクチュアリー案は(条約第5条で規定されているような)科学的
裏付けが得られていなかった」とも指摘し、7月10日にMartin大臣の辞任は受理された。 Douglas首相と同じドミニカ労働党に属するPascalコミッショナーも「Martin氏は海外の反捕鯨団体の影響下にある人物だ」とコメントし、またサンクチュアリーにつ
いてはIWCの長年の懸案である改定管理制度(RMS)が完成しても豊富な鯨種の捕獲を不可能にするもので、原則にそぐわないとの認識を示した。Martin氏の政治キャンペーンが、反捕鯨団体である国際動物福祉基金(International Fund for Animal Welfa
re - IFAW)のテレビ広告を活用して行われていた事から、DCAはIFAWの傀儡であると見る現地筋もあり、金銭関係も指摘されている。連立内閣においてMartin氏は自身の諸政策に対する他の閣僚の支持をとりつけるのに失敗してきていたという。 DCAは反捕
鯨団体としては日本ではなじみが薄いが、IWC総会には1995年から参加している。 1998年のIWC総会においては、IWCと同じ略称を持つ国際野生連合(International Wildlife Coalition)というNGOと共に、「日本はカリブ海諸国への経済援助と引き替えにI
WCでの支持を受けている」という今回同様の主張をはじめ脅迫めいた言説を含む開会声明を発表して日本とカリブ海諸国の猛反発を買い、結局IWC議長の働きかけにより国際野生連合の声明はIWCのドキュメントから削除されるという騒動があった。
東部カリブ海諸国(Antigua & Barbuda、St. Lucia、St. Vincent & Grenadines、St. Kitts & Nevis、Grenada、Dominica)は1970年代終りまでの植民地時代のバナナ・プランテーション的経済状態、すなわちバナナの輸出や観光で得た金で外国から安い肉
を買うといった状態から脱却して周囲の豊富な漁業資源を自分達で活用するために漁の加工や保存などで日本の技術援助を受けている。
353:名無しさん@3周年
09/01/06 16:13:18 2JkU9N5I
ドミニカについて言えば、従来のバナナ農業はハリケーンなどの気候の影響のために収穫が不安定であり、砂浜が少なく入り組んだ海岸線と国際空港の不在から観光産業の発展も難航していて、政府は海の利用に活路を求める政策を推し進めている。東部カリブ海諸国の多くは当初、
独立して間もない頃に欧米の反捕鯨団体の資金援助のもとにIWCに加盟したと言われ、事実、モラトリアム採択時には外国人の反捕鯨活動家が政府代表として投票していた国すらあった事は以前ふれた。その後は「科学的根拠に基づいて利用可能な海洋資源は合理的・持続的に利用す
る」という、考えてみればごく当たり前の立場に変わり、条約の範囲外である倫理的理由をかざして捕鯨に反対する欧米諸国とは一線を画していて、小国ながら雄弁な様子はIWCの議長報告書からもうかがえる。日本からの海外援助に関した反捕鯨NGOの宣伝に対しても「我々は日本
よりもEUからより多くの援助を受けているが、もし我々がEU諸国と同じ投票をしたら、カリブ海諸国はEUに買収されていると言うのですか?」と反論している。
なお、Martin大臣は会見で「今回の投票によってドミニカの観光産業は大打撃を受けるであろう」と述べていたが、IWCにおいて条約の規定を満たさない提案に反対票を投じた事が観光客の心理に重大な影響を与えると考えるのは誇大妄想というものではないだろうか。
21世紀最初のIWC総会は去る7月23日から27日までロンドンで開催された。近年共通の主要議題については、例年と大差ない議論が展開され、概要は 本家IWCのプレスリリース や 水産庁のプレスリリース を見ていただきたい。
- アイスランドの加盟問題 -
今年の諸議題のうち、過去に例を見ない揉め方をしたのがアイスランドの再加盟問題であったので、以下、この点をまとめてみる。 アイスランドは、北大西洋にポッカリと浮かぶ島国で、デンマーク領グリーンランド、イギリス、ノルウェーの間に位置する。面積は10万3000平方
キロで人口は28万弱(1999年)である、といってもピンとこないであろうから、少しわかりやすく書くと、北海道より2割ほど広い島国に、函館市と同程度の人口が住んでいることになる。日本同様の火山国で、氷河、火山、オーロラなどが観光客を引き寄せる源となっている。
354:名無しさん@3周年
09/01/06 16:16:14 2JkU9N5I
農耕には向かない地理的環境で漁業が盛んであり、輸出の7割を依存している。漁業政策上の理由により、EUには未加盟である。 IWCには設立当初から加盟しており、自国の近海でナガスクジラ、イワシクジラ、ミンククジラ、マッコウクジラなどを捕獲していた。
1982年にIWCでモラトリアムが採択された後、捕鯨国であった日本、ノルウェーは条約に定められた意義申し立てをした。 IWCの科学委員会が、ミンククジラなど資源量が豊富な鯨種がいる以上、全ての鯨種の捕獲を禁止する包括的モラトリウムに科学的根拠なしとする中で、
鯨を特別視する風潮にすっかり染まった大多数の加盟国が、条約第5条の「科学的認定」を無視してモラトリアムを可決した状況は、とうてい受け入れ難かったのである。日本は当時、アメリカには弱いことで定評があった中曽根総理の政権下であり、アメリカの水域内での
日本漁船への漁獲割り当てへの削減で脅されて、モラトリアムへの異議申し立てを撤回してしまう。やがて、異議申し立ての撤回によって守りぬいたと思った、アメリカの水域での漁獲割り当ても、先方からの一方的通告で失い、禍根を残す結果となった。
ノルウェーは、異議申し立てをしたまま、商業捕鯨は自主的に停止していたが、1990年代に入って再開し、今日に至っている。さて、捕鯨国であるアイスランドはモラトリアムへの異議申し立てはしなかった。モラトリアムの条文には「遅くとも1990年までに鯨資源の包括的
評価を行なって見直す」とあったので、見直しに備えて調査捕鯨でデータを集める路線を最初から選択した(1986年からの4年間の調査で捕獲した合計は、ナガスクジラが292頭、イワシクジラが70頭)。調査捕鯨に際しては、反捕鯨団体のシーシェパードに研究施設を破壊さ
れたり捕鯨船を沈められるという被害にも会っている。科学的に鯨資源の状況を示せば、モラトリアムは解除されると見込んでいたようだが、1990年にはIWCの科学委員会が鯨資源の包括的評価をしてもモラトリアムが解除されない中、1991年に自国で開催されたIWCの会議の
場で 脱退を表明 する。IWCから脱退すればもはやモラトリアムに拘束されることなく捕鯨はできるのだが、捕鯨再開の意思を国会決議で示すことはあっても、実際に行なうことはなかった。ただ、1992年に結成されたNAMMCO(North Atlantic Marine Mammal Commission、北大
西洋海産哺乳類委員会)には加盟している。
355:名無しさん@3周年
09/01/06 16:23:15 2JkU9N5I
IWC脱退後は、様々な国から再加盟するように要請されたが、そのような中、今年6月についに加盟の手続きをした。ただし、「モラトリアムには異議申し立てをする」という条件付きであった。これは、再加盟した後も、モラトリアムに束縛されることなく、ノルウェーのように
商業捕鯨を再開できることを意味する。過去にも、こういう「条件付き加盟」の例はあった。例えば、ペルーやチリが1979年に加盟した際、自国の200カイリ以内の水域では国際捕鯨取締条約の制約は受けない旨の注釈付きであった。エクアドルも同様の条件付きで加盟している。
IWCの国際捕鯨取締条約の条文には加盟については、「この条約に署名しなかった政府は、この条約が効力を生じた後、アメリカ合衆国政府に対する通告書によってこの条約に加入することができる。」(条約第10条2項)とあるだけで、IWCの既存の措置について意義を申し立て
たままでの加盟の可否については全く既定がない。そこで、国際条約や協定について定めた「ウィーン条約法条約(Vienna Convention on the Law of Treaties)」に照らし合わせると、「異議申し立てをした状態での加盟をIWCの国際捕鯨取締条約が禁止していない以上、国際法
的に問題なし」となる。個々の加盟国が、アイスランドとの2国間レベルで異議を唱えるのは勝手だが、条約機関であるIWCが組織として加盟を拒否できる問題ではないのである。 むろん、反捕鯨国にとっては異議申し立てをしたまま加盟されて捕鯨を再開される事態は容認できる
はずはないから、さっそく会議初日に「異議申し立て状態での加盟は認めない」という動議を出した。これに対し捕鯨国側が、国際法的にIWCはこの問題を扱う権限がないと反対したが、賛成19、反対18、棄権1で、この問題を扱うことが認められた。さらに「アイスランドを
投票権のないオブザーバーとする」動議が、賛成18、反対16、棄権3で採択された。「棄権3」は、「この件で投票すること自体が国際法的に根拠なし」という立場を表明していた、スイス、フランス、オーストリアである。 この結果に反対する捕鯨国側は、以後すべての議
案の投票において、アイスランドの票をカウントした分を正当なものと見なす旨のコメントを付け加えるという、前代未聞の会議となったのであった。2002年のIWC年次会議は、
356:名無しさん@3周年
09/01/06 16:27:50 2JkU9N5I
1993年の京都以来9年ぶりに日本での開催であり、捕鯨基地としての役割を果たしてきた山口県の下関市での開催であった。会議前に6カ国が新規加盟したため、今年の会議で懸案になると思われた日本の北西太平洋の調査捕鯨における捕獲鯨種の拡大に対する
反対決議案などでの採択に影響が出るかどうかが、例年と違う点だろうと予想していたが、原住民生存捕鯨をめぐる思わぬ展開に会議が振り回され、議題を全部消化することなく時間切れで閉幕という前代未聞の終わり方をした。ここで、IWCの原住民生存捕鯨
について簡単に記しておく。対象となっているのは、デンマーク領グリーンランドの原住民(ナガス鯨とミンク鯨)、ロシアのシベリア東部のチュコト半島のチュクチ族(コククジラとホッキョク鯨)、アラスカのエスキモー(ホッキョク鯨)、アメリカのワシ
ントン州のインディアンであるマカー族(コククジラ)、カリブ海のセント・ヴィンセントの原住民(ザトウ鯨)。捕獲枠は毎年決められるものではなく、数年に一度、「この地域のこの鯨種は、何年から何年の間に何頭」という「ブロック・クォータ」で決め
られる。地域によって、捕獲枠の更新年は違うが、今年は久しぶりに全部の原住民生存捕鯨の新捕獲枠が検討される年だった。捕獲枠は条約の附表に記載されるので、条約に沿えば本来はコンセンサスではなく4分の3の多数決で決められるべきだが、近年は投
票なしのコンセンサスで決定してきた。さて、日本は鮎川など捕鯨の伝統が文化に深く根付いた地域に対しても、原住民生存捕鯨と同等な特殊な扱いが認められるべきだと主張してきたし、これを裏付ける内外の文化人類学者の研究も数多くあるが、50頭のミ
ンク鯨をこれら捕鯨に縁のある地域に対する救済枠として認めるように求めた提案は過去十数年、反捕鯨勢力によって日の目を見なかった。そこで今年は、資源量が9000頭程度で毎年50頭前後捕られてきているホッキョク鯨の分について、多数決で決める
ことを日本が主張し、投票の結果、ホッキョク鯨の原住民生存捕鯨枠の案は拒否された。この背景には、商業捕鯨のための捕獲枠算定方式であるRMP(改定管理方式)を適用するならばホッキョク鯨の資源量は30年間は捕獲禁止措置になるほどの低さなのに対
し、
357:名無しさん@3周年
09/01/06 16:31:08 2JkU9N5I
原住民生存捕鯨のための捕獲枠算定方式であるSLA (命中枠算定法)では年間60頭の捕獲が認められるという事態に見られる「科学の2重基準」に対する日本側の反発もあったようだ。なお、ホッキョク鯨よりは資源量の多い他の鯨種の原住民生存捕鯨の捕獲枠はすべて通った。
一部の人は、現代とはかなり違った状況下での今世紀半ばまでの捕鯨を例にとって「商業=悪」のような図式で捕鯨問題を考えがちだが、IWCの違反委員会の記録を見ればわかるように、原住民生存捕鯨でも違反はけっこう報告されているのであり(この点は再開して10年ほど
になるノルウェーの商業捕鯨と対照的である)、資源量が少ない種においては原住民生存捕鯨だからといって、5年間のブロック・クォータを安直に設定する事態に疑問が起きても不思議ではないと思う。ここで、事情を知らない人は、ロシアとアラスカの原住民が飢えるので
はないかと思うだろうが(事実、反捕鯨団体は一般の知識不足につけこんで、そのような宣伝をしているが)、現実はそんな単純なものではない。まず、近年の 捕獲統計 を見ればわかるが、ロシアのチュクチ族は今回捕獲が認められたコククジラを年平均100頭以上捕って
いるのに対し、ホッキョク鯨は1頭そこそこであった(捕獲枠としては年平均5頭まで捕れたが)。彼らはIWCの管轄外である小型鯨類も捕獲しており、ホッキョク鯨が捕れなくなったからといって餓死することは考えられない。ただし、彼らの文化においてはコククジラを捕る
よりはホッキョク鯨を捕る方が重要らしい。一方、アラスカの町バーロウでホッキョク鯨を捕っているエスキモーはどうであろうか?以下は現地を訪れた方の描写である。
もし貴方が豊かであれば、民族はその食生活を転換出来ると安易に考えているのならば、私は北米大陸の北端にあるアラスカ州のバーロウの町を訪れることをお勧めしたい。バーロウでは、世界でも最も枯渇の水準が心配されている鯨種である北極セミ鯨(英語で Bowheadと呼
ぶ)を住民が捕獲することをIWCが許可しており、それは、これらの住民が豊かでないからではない。いや、むしろ豊かであるからこそ、捕鯨が催事として許可されているのである。町の公共施設は完備し、住民の多くはセントラルヒーティングのある広い住宅に住む。町のスー
パーマーケットには、牛肉から日本の白菜まで、あらゆる食品が揃っている。
358:名無しさん@3周年
09/01/06 16:34:49 2JkU9N5I
ビデオショップには、最新のハリウッド映画のビデオが揃っており、明け方まで、暴走族めいたスノーモービルやバギーカーの騒音でゆっくりと眠る時間もない。若者達は、私の訪問した9月の末の長い日照時間をフルにエンジョイしていた。バーロウで捕鯨のキャプテンの
地位を保持するのは、単に人望があるだけではなく、資産が必要であると私は何度も聞かされた。なぜならば、ここの捕鯨は原住民/生存捕鯨としてIWCが認定しており、その為には、金銀による鯨肉の取り引きが出来ないからである。捕鯨を続ける為には、近代化されたモー
ターボート(秋に氷が接岸していない時期に行う捕鯨には、非伝統的なモーターボートが必需品である)をはじめとし、ガソリン代、気象状況モニターの為に欠かす事の出来ないコンピュターや、高性能の無線機、モリ撃ちの銃、一隻に五人は要するクルーの日当、(時には、
一ケ月もの日数がかかる)など莫大な経費が必要であるからである。町は石油や天然ガスなどの資源開発に伴って、財政が豊かであり、財テクの専門家も郡役所に配置されている。 この豊かさをもって、住民は、米国本土から野性生物研究の科学者を雇用し、ワシントンには
弁護士を置き、連邦政府の内務省に人権問題であると訴え、その結果枯渇した北極セミ鯨の捕獲をIWCに認めさせたのである。 IWCの科学小委員会は、今でも、この北極セミ鯨の系統群が十分な資源状態にあるという意見はもってはいない。バーロウの町の統計には、鯨肉は住
民の 蛋白源のわずか8%程度であり、主食としての役割を果たしてはいないことが判る。・・・三崎滋子「ゲームの名は捕鯨問題 」、1994年、より」
もし、彼らが本当にホッキョク鯨の捕獲なしで窮状に陥るのなら、他国の人権事情に口出しするのが大好きなアメリカ政府のことだから、国際捕鯨取締条約に従って「異議申し立て」をした上で自国民に捕獲させるなどわけないことであり、ロシアとアラスカにおいて、今回の
騒動の果てにひもじい思いをする原住民は一人も出ないことは断言して良いだろう。 特別会合 この、ホッキョク鯨の捕獲枠設定の否決という事態を受けて、10月14日からイギリスのケンブリッジで特別会議が開催され、再度討議された。その結果、IWC科学委員会による
ホッキョク鯨の資源量評価の結果によっては捕獲量を修正するという条件のもとで、投票にかけずに合意のもとに捕獲枠は承認された。
359:名無しさん@3周年
09/01/06 16:39:15 2JkU9N5I
捕獲枠は、「2003年から2007までの5年間で280頭以内(年平均にして、アメリカが51頭、ロシアは5頭)、ただし、ある1年における捕獲は67頭を超えてはいけない」という、従来の数字と同じである。また、この特別会議において、アイスランドが商業捕鯨モラト
リアムへの異議申し立てをした状態で加盟する件も再度討議され、19対18の一票差で正式加盟が認められた。アイスランド政府は2006年までは捕鯨を再開しない旨言明しており、また、再開する際にはIWCが認める捕獲枠に従ってミンククジラ、ナガスクジラ、イワシ
クジラを捕ることになるだろうという。更に、日本が過去十数年求めながらも否決され続けてきた、伝統的な沿岸捕鯨地域での50頭のミンククジラの捕獲要求は投票にかけられたものの16対19(棄権2)で否決されたが、ホッキョク鯨の件が無事一件落着したアメ
リカとロシアは賛成票だった。特に過去と打って変わったアメリカの賛成票は目を引く。
捕鯨問題とは関係のない話題だが、今世紀半ばに活躍したオランダの著名な鯨類学者 E.J. シュライパー (E.J. Slijper)博士の著書「鯨」に以下のような記述がある
"イルカは昔からたまたま海岸に近づいたところを捕らえられた(図 15)。散発的に獲られたこともあり、あるいは規則的にしかも1つの産業といっていいほど多数獲られたこともある。たとえば、11世紀にノルマンディーの海岸で盛んに獲られ、1098年には法律による捕
獲制限が行なわれたくらいである。イルカの油はとも燈火用に使われ、肉は人間の食糧となった。イルカの肉は当時大変美味なものと考えられ、1426年の年代記によれば、英国のヘンリー6世はこれをとても好んだという。かれの後継者であるヘンリー7世の戴冠式の正餐
にもイルカの肉はいろいろに調理して、メインコースあるいはパイとして供せられたという。伝統的な国民ではあるが、イギリス人は今日ではイルカの肉を食べない。ただし宮廷では17世紀の終り頃までイルカの肉を食べる習慣があった。(細川宏・神谷敏郎訳、東京大
出版会、1984、42頁)日頃から、日本におけるイルカ肉の扱われ方に違和感があったので、中世からルネサンス期のヨーロッパにおけるイルカ料理について少し調べてみた。
360:名無しさん@3周年
09/01/06 17:11:51 2JkU9N5I
まず、上のヘンリー6世についての記述は若干疑問が残る。というのは、彼の生年は1421年であり、父のヘンリー5世が若くして死んだために生後9ヶ月で即位したものの、「年代記」の書かれた1426年には5歳前後で、いくら王とはいえ、子供の食事上の好みに
年代記が言及するだろうかという気はする。年代記の執筆年が誤りか、あるいは父のヘンリー5世の誤りである可能性はあると思う。なお、時代で言えば、ヘンリー6世はフランスとの間の百年戦争末期から、王室の後継争いのバラ戦争初期の王であり、代表的
なパブリック・スクールであるイートン校(Eton College)やケンブリッジ大学のキングス・カレッジ(King's College)は彼が創立した。また些細な事だが、上の引用部でヘンリー7世がヘンリー6世の「後継者」となっているが、実際には赤バラを紋章とす
るランカスター家のヘンリー6世の後は、白バラを紋章とするヨーク家のエドワード4世、エドワード5世、リチャード3世が即位し、バラ戦争の勝利者ヘンリー7世は、新たなテューダー朝の創始者であって、直接の後継者ではない点を注意しておく。
さて、当時のヨーロッパではキリスト教の力は強大であり、復活祭の前の40日間にわたる四旬節(Lent)や断食日(fast day)といった、肉食禁止の日が設けられていた。ただし、昔の日本と同様、イルカや鯨は魚類と見なされて、これらの日にも食べる事は
認められていた。例えば、ヘンリー6世の父であるヘンリー5世はフランスから迎えた妻キャサリンの王妃としての戴冠式を1421年の2月に行なっているが、この時期は四旬節の最中であったので、式典で供された食事は、30種類以上に及ぶシーフードが主であり
、イルカも含まれていた。イルカが哺乳類である事は、すでに古代ギリシャのアリストテレスが見抜いていたはずだが、こういう哲学とは無縁の業績は中世までには忘れ去られていたのだろうか。なお、食感が魚類よりは陸上の動物の肉に近いという点は鯨類
の肉が当時好まれた理由の1つのようである。 14世紀のミラノの医者 Maino de' Maineriが著した本で海産種で良いものとして挙げられているのはイルカ類、サメ、タラなどで、ヒメジ、ホウボウ、ツノガレイ、シタビラメなどがそれに続くという。
361:名無しさん@3周年
09/01/06 17:12:37 2JkU9N5I
ところで、英語ではイルカ類のうち、口がとがったものをドルフィン(dolphin)、そうでないものをポーパス(porpoise)というが、当時の料理を調べると後者の方をよく見かける。ヘンリー5世の上の儀式でもそうであり、また彼が開いた他の宴会のメニューには
「ロースト・ポーパス」(Roasted Porpoise)という料理も見られる。たぶん、イギリス南西部沿岸やノルマンディーで捕られたネズミイルカ(Harbor porpoise)ではないかと思う。なお、シイラ(dorado)という魚もdolphinと呼ばれることがあり、しかも料理さ
れるので、"dolphin"をキーワードに検索する際には要注意である。15世紀前半の家庭向けのメニューを集めた"John Russell's Boke of Nurture"にもイルカは登場するし、イングランド東部の町イプスウィッチ(Ipswich)の記録でも、魚市場でも、サケ、チョウザ
メ、ニシンなどと並んで鯨肉とイルカが並び、イルカやサケなどは一種の贅沢品として、その取引自体に料金が課せられた、とある。ロンドン市長の食卓にも鯨やイルカは並び、鯨については串に刺してローストしたり、ボイルされたものが豆と一緒に出され、舌と
尾の身が好まれた。イルカはまるごと調理されてナイフで切り分けてマスタードを付けて食べた、とある。 時代が変ってテューダー朝の時代に入っても宮廷では食べられ、ヘンリー8世やその娘であるエリザベス1世の時代にも、ごく普通に食べられていた。また、
イングランドのみならずスコットランドの宮廷でもイルカは食べられていたことが、女王メアリー・スチュアートの時代の16世紀半ばの記録にうかがえる。冒頭に引用したシュライパー博士の「宮廷では17世紀の終り頃までイルカの肉を食べる習慣があった」という
言葉からすると、スチュアート朝の末期の名誉革命に際して、国王ジェームズ2世の娘婿のオランダ総督がウィリアム3世として即位したあたりが、宮廷からイルカ料理が消えた頃、という事になるが、宮廷内の人的変化が原因というよりも、イギリス社会における畜
産の発展や、大航海時代に入って海外からもたらされる産物などによる食生活の変化によって、17世紀末に向けて徐々にすたれていったのではないかと想像する。
362:名無しさん@3周年
09/01/06 17:16:42 2JkU9N5I
なお、今日のイギリス料理の味に対する評価を考えると「イルカの肉は当時大変美味なものと考えられ」という記述に疑念をいだく人も多いであろうが、フランスのアンジュー伯がイギリスのヘンリー2世となった12世紀半ば以降、百年戦争に敗北するまでは、イングランド王は
フランスにも領地を持っていて宮廷にもフランスからの人間は大勢いたようだから、料理をめぐる文化的状況は近代国家成立後とは違ったであろうと思う。フランスでもイルカや鯨肉は中世の市場で売られてきており、著名なレストランのトゥール・ダルジャン(Tour d'Argent)
が16世紀のパリにオープンした際にもメニューにはイルカのパイ(Porpoise pie)があった。と、ここまで書いてくると、当時のイルカ料理はどのようなものだったのか知りたくなるのだが、中世やルネサンス期の料理を紹介し、そのレシピも書いてある本やホームページはいく
つかあるものの、イルカのように今日のヨーロッパ圏では食卓から消えた食材を扱ったものは、取り上げられるのが稀なようである。今回ネット上を検索していて見つかったのは、以下に挙げるイルカのプディング(Pudding of porpoise)くらいである。
イルカのプディング イルカの血と脂を取り出し、オートミールと混ぜて、塩、胡椒、ショウガで味を付け、イルカの腸(Gut)につめる。お湯に入れて、強火でゆでた後に火を弱める。お湯から取り出して、よく水分を切り、表面がパリパリになるまで火であぶり、出来上がり。
ただ、古語を直訳した文と現代文による解説を比較してみると、「腸」と訳した言葉(大文字で始まる"Gut")は内蔵を取り除いた体全体、という意味かもしれない( URLリンク(www.godecookery.com) 参照 )。つまりイルカの体全体に詰め物をした、というわ
けで、先にでてきたイルカをまるごと調理したものが、この料理かも知れない。いったいどのような味がするのか興味をかき立てられる。さて、現代の日本に話を戻すと、商業捕鯨のモラトリアム以後、鯨肉の代用品としてイルカの捕獲量が増大し、イシイルカ(Dall's porpois
e)を中心に年間2万頭ほど捕られているが、「イルカ肉」ではなく「鯨肉」のラベルを貼られて店頭に並ぶ事は珍しくない。日本では様々な食材が料理されているが、伝統的な材料においても、様々な手法によって新しい料理が創られている。
363:名無しさん@3周年
09/01/06 17:22:08 2JkU9N5I
その事をふまえて、上に挙げた、日本ではまだ試された事がないであろうイルカ料理の事を考えると、単に鯨の代用品として風味の異なるイルカを扱うのは、何かもったいないように思う。「鯨肉」とラベルを貼られ、買って食べた消費者から「昔食べた味と違うなあ」と
思われるのでは、死んだイルカも哀れではないだろうか。鯨類は、とかく伝統的な料理にスポットが当られがちで、イルカについても一部の地方に伝統料理はあるのだが、今日では、昔と比べて様々な調味料があり、様々な調理器具があるのである。ならば、積極的にそれ
らを駆使して、今日の日本で調理しうる美味しいイルカ料理とはどのようなものか、挑戦して創り上げる料理人がいても良いように思うのだが。
シロナガスクジラは海獣類(海産哺乳類)のみならず、これまで地球上に生息した動物の中では最大の体長を持ち(植物の中にはもっと大きな物はあるが)、平均して25m程度にまで成長する(亜種のピグミー・シロナガスでは20m程度)が過去に捕獲された例では30mを越
える個体もあったという。「シロナガス」と言うものの、鈴木その子のように白いわけではなく、青と灰色の中間のような色に薄い斑点状の模様が散らばっている。ヒゲクジラ亜目のナガスクジラ科に属するが、体の背中側が黒くて腹が白っぽいというナガスクジラ科の他
の種と違って、腹部の側も白くない。多くの人にとって本物を見る機会はないだろうが、東京・上野の国立科学博物館の敷地には専門家の助言のもとに作られた、実物大の模型がある。なお、肉質はピンク色で脂がのっているというが、IWCが禁漁にしたのが1960年代半ば
であるから、極めて残念ながら食べた事はない。 同じヒゲ鯨でも脂肪が豊富で太ったセミクジラなどとは違い、スマートで泳ぐ速度が速く、死ぬと短時間で沈んでしまうシロナガスクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラなどは、昔の捕鯨技術ではなかなか捕獲が難しい種
であり、本格的に捕られ始めたのは、ノルウェーのスヴェン・フォイン(Svend Foyn)が、ロープの付いた銛を高速の船に載せた捕鯨砲から撃つ方法を導入した19世紀後半以降である。 南氷洋における捕獲開始前のシロナガスクジラ資源量は20万頭程度と推定されている。
余談だが、今世紀初めに南氷洋がいかに鯨が多い海であったかという逸話を記しておこう。
364:名無しさん@3周年
09/01/06 17:28:10 2JkU9N5I
1912年に日本人として初めて南極探検を行なった白瀬中尉の記録である。
「ロス海に突入して一つの湾に船を寄せようとすると、まるで算盤の玉を並べた様に大きな丘が海中一面にある。調べてみると皆鯨だから驚いた。隊員の中には、この鯨の大群の中をどうして通り抜けることが出来るだろうかと心配した者さえあった。構わずどんどん進んでい
くと、流石に鯨も船には恐れたのか、通り路だけは開けてくれたので、やっと安心したが、一時はどうなるだろうかと少々不安に思った。これが即ち鯨湾である。」(板橋守邦著「南氷洋捕鯨史」、1987年、中公新書 842) 南氷洋のシロナガスクジラはほとんどオキアミだけを
たべるという極端な偏食である。同じ南氷洋でもミンククジラやナガスクジラなどはオキアミ以外にもカイアシ類などの他の動物プランクトンや小魚も状況に応じて食べるのとは違っている。これは、オキアミにありつけなくなると、やがて集団の繁殖にも支障をきたす事態に
なる事を暗示しているが、事実、南氷洋でシロナガスクジラが減ったためにミンククジラやカニクイアザラシなどが大量の余剰オキアミを得て増える一方、それが長年捕獲が禁止されたシロナガスの回復を阻害しているという、何人かの科学者による説と整合する。このシロナ
ガスクジラの空白を埋めるように、それまで高緯度海域ではあまり見かけなかったイワシクジラも索餌域が南下してきたといわれている。さて南氷洋における今世紀前半の 捕獲統計 を見ると、すさまじい量の鯨が捕獲されている。シロナガスクジラでいえば、1930/31漁期には
3万頭にせまる頭数が捕られ、その後も1930年代半ばには毎シーズン1万5千頭以上も捕獲されていて、現代どころか捕鯨問題が世間の注目を浴び出した1970年代初頭の資源管理でも考えられない量である。 1930年代終りに捕鯨操業を管理するための国際捕鯨協定は作られたが、
捕獲枠などは設定していなく、また間もなく第2次大戦に突入して南氷洋での捕鯨は2シーズン中断した。第2次大戦が終りかかる1944年、7ヵ国が会議を開いて捕獲枠を戦前の捕獲実績の2/3程度に当たる16000BWUに抑える取り決めを交し、1946年に新たに作られた国際捕鯨取締条
約のもとでIWCが捕鯨を管理するようになってからもこのレベルの捕獲は続くが、当時はまだ、国際的な鯨の資源調査が行なわれていない時代であり、
365:名無しさん@3周年
09/01/06 17:31:49 2JkU9N5I
また、各国の科学者が自国の操業海域のデータをもとに、シロナガスなどの資源の減少を警告しても、南氷洋全域でデータをまとめた研究がないなど、業界の利益優先の風潮を覆すには説得力が欠け、さらに捕獲枠は鯨種ごとではなく BWU制 で決められている時代であった。ま
た、例えば10万頭いる鯨の集団から仮に3000頭捕獲するにしても、この集団における年齢構成が違えば捕獲の影響は全く違うが(たとえば年寄が多くて若い鯨が少ない集団と、その逆の構成の集団では、捕獲がその後の繁殖に与える影響は異なる)、ヒゲ鯨の年齢査定法をイギリ
スのパーヴェス(P.E. Purves)が見いだしたのは1955年になってからと遅い。当時と今では鯨の資源量の解析手法やデータの質と量、鯨に対する需要、管理手法など何もかも違うのであるが、こうした昔と今の違いなど無視して、商業捕鯨を再開すると当時のような乱獲が再び
始まると宣伝しているのが内外の反捕鯨団体である。さて、表題の「3人委員会」であるが、このように、科学委員会が業界を説得しきれずに、過剰と確信される捕獲枠が設定され続ける状況を打開するために、資源統計や解析に明るい外部の科学者に委託して、各国の長年のデ
ータをまとめて解析して捕獲枠への助言を行なうために、1960年のIWC年次会議においてその設置が決められた。任命されたのはFAO(国連食糧農業機関)のホルト(Sidney J. Holt), ワシントン大学のチャップマン(Douglas G. Chapman)、ニュージーランド水産局のアレン
(Kay Radway Allen)であり、遅くとも1964年7月末までには彼らの結果に従った捕獲枠を設定する事になっていた。 1963年には任期の1年延長に伴って英国水産研究所のガランド(John A. Gulland)も加わって4人委員会になり、1964年に彼らの任期が終わった後の数年間はFAO
が資源評価の作業を引き継いだ。3人委員会の解析の結果は1963年6月の第15回年次会議に報告された。シロナガスクジラとザトウクジラは資源の回復に50年以上見込まれるためただちに捕獲を禁止するよう勧告され、またナガスクジラは年間の捕獲量を7000頭以下に減らす事が勧
告された。各国のデータを総合して当時の最先端の手法で分析した勧告がようやく出たわけである。なお、資源評価の継続やこれまでIWC内部でも検討されたBWU制の廃止も勧告されたが、後者が実現したのは70年代に入ってからである。
366:名無しさん@3周年
09/01/06 17:34:08 2JkU9N5I
さっそくザトウクジラとシロナガスクジラは1963/64シーズンから捕獲禁止になり(ただし、捕獲歴史の浅い亜種のピグミー・シロナガスは1963/64には捕獲が認められた)、総捕獲枠は前年の15,000BWUから10,000BWUへと削減された。南氷洋のシロナガスクジラはついに安息の時
を得たというわけである(なお、北大西洋のシロナガスクジラはすでに戦前から保護されており、北太平洋では1966年から保護された)。翌年の1964年の会議は4人委員会の結果に従った捕獲枠を設定する期限であった。前シーズンの捕獲量を考慮に入れて4人委員会が出した勧告
はナガスクジラは4000頭、まだ情報の少ないイワシクジラについては2400から8000の間という範囲内での低めの数字が推奨された。会議では合意がまとまらず、結局会議後に捕鯨国が自主的に8000BWUに決めて落ち着いたが、鯨種別の捕獲枠ではないために実際の操業では捕鯨各国
によるナガスクジラの総捕獲は7000頭以上に達した。これがBWU制の怖い点である。もっとも、以後BWU捕獲枠は年々コンスタントに削減され、60年代後半には安全を見込んでナガスクジラとイワシクジラの推定持続生産量の合計よりも低めの捕獲枠を設定するなど、遅まきながら
削減傾向は定着していった。第2次大戦後に14,500BWUから16,000BWUの間で変動していた捕獲枠は、1971/72シーズンには2,300BWUまでに削減され、これを最後にBWU捕獲枠制度は廃止され、鯨種ごとに捕獲枠が設定されるようになった。 こうした時期、すなわち1970年代初頭にア
メリカのニクソン政権が捕鯨に関する管轄を商務省から大統領府に移し、当時の代表的な反捕鯨団体プロジェクト・ヨナなど連携して反捕鯨政策を大々的に開始し、別の機会に述べようと思うが、1972年の国連人間環境会議において「IWCのもとで商業捕鯨の10年間のモラトリアム
を実施するように求める」決議を通らせたものの、直後に開催されたIWCの年次会議ではアメリカのチャップマンが議長を務める科学委員会において、鯨種ごとの資源状態が違うにもかかわらずすべての鯨種の捕鯨モラトリアムを実施する事は科学的に必要性なし、として全会一致
で退けられ、総会でも否決された。余談になるが、この1972年のIWCでの敗北の後、アメリカ政府はIWCへ送り込む科学者を大幅に入れ替えるなど、いかにもニクソン政権らしい行動に出た。また、ホルトのように反捕鯨団体に取り込まれた科学者も出てきて、
367:名無しさん@3周年
09/01/06 17:39:29 2JkU9N5I
科学委員会の様相も変る。かつての3人委員会のメンバーは反捕鯨派に変貌した上に(4人目のガランドだけは別で、例えば後年FAOのオブザーバーとして1982年のモラトリアム採択に際しても、それを批判する声明を出している)、反捕鯨団体の資金援助を受けたり縁の深い科学
者が続々と科学委員会に登場する。よく目にする名前は、 Jutine G. Cooke (IUCN)、 John R. Beddington (イギリス)、 William K. de la Mare (オーストラリア)、 J.G. van Beek (オランダ)、 K. Lankester (オランダ)、 Elisabeth Slooten(ニュージーランド)
、 C.S.Baker(ニュージーランド) といった面々である。すでに最近のIWCには登場していない顔触れもあるが、逆にここには載っていない名前もまだまだある。彼らの特徴は、自分でデータを収集して科学的な真実を追求するというよりは、もっぱら捕鯨国側の科学者が出した
データを基にいかに反捕鯨に有利な結論や仮説に導いたり、捕鯨国側の科学者の見解にケチをつけるかという、政治的動機で動いている点にあるといえる。比較的近年では、日本が北太平洋でミンククジラの調査捕鯨を開始するキッカケになった系統群分類の仮説などが、そのほ
んの一例である。科学委員会のレポートを読んでいて「大多数のメンバーの見解では○○××だが、何人かのメンバーは××△△であると主張した」というような記述があって、その「××△△」がいかにも反捕鯨側に都合の良いような場合は、この「何人か」というのが、これ
らの面々であると見て大体間違いない。そして、科学委員会内部では少数であった彼らの意見が、英語圏のメディアによって大多数の見解のように宣伝されたり、それらに沿った措置が本会議では反捕鯨国の数的優位によって採決されるというのが、70年代半ば以降の捕鯨問題に
おける一つのパターンである。例えば、手もとにあるイギリスのガーディアン紙の記事(1989年1月31日付)には、南氷洋のミンククジラの資源量について「(捕鯨開始前の)半分に減ったと推定されている」とあるが、科学委員会がこのような見解で合意したためしはない。それ
どころか、全会一致の合意ではないものの、シロナガス鯨の激減による餌の余剰によってミンククジラは増加したというのが大方の見方であり、従って捕獲が本格的に開始した1970年代初頭の資源量は初期資源量とは見なせないために、 MSY(最大持続生産量)
368:名無しさん@3周年
09/01/06 17:43:35 2JkU9N5I
の代わりに毎年の加入量の推定を基に捕獲枠を決めていたはずである。また、この記事には日本での鯨肉の消費について「大部分は60歳以上の人間によって特別な機会に食べられている」とあるが、「大部分」の消費がこのような「特別な機会」に限られたものなら、全国の鯨料理店
はとっくに店じまいを余儀なくされていたであろう。大御所のホルトは、かつてミンククジラを資源が大幅に減少した保護資源に分類すべく、2万頭説を提唱して逆に科学委員会で失笑を買ったが、グリーンピース・イタリアの設立に関わったり、イタリアがIWCに加盟する前年の1997
年のIWC総会ではイタリア人ではない彼がイタリア代表団の「通訳」として本会議に参加するなど、もはや活動分野は科学者としてのそれから遊離しているようだが、まだまだ後継者には不足していないようである。
Q1: 鯨は何種類いますか。
鯨は大きく分けてヒゲクジラと歯クジラの2種類に分かれます。ヒゲクジラは主として沖アミや小さな魚を海水と共に口の中に入れ、ヒゲでこして呑み込みます。シロナガスクジラやミンククジラなど10数種類がいます。歯クジラはイカや魚を歯でとらえて呑み込みます。マッコウ
クジラやイルカ類など70種類にのぼります。鯨には80種類程度のものが知られていますが、このうち伝統的に捕鯨の対象となったのは、シロナガスクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラ、マッコウクジラ、ミンククジラなどです。
Q2: 鯨はすべて絶滅に瀕しているのではないですか。
捕鯨の対象でないカワイルカなど、少数の種類を除けば、本当に絶滅に瀕している鯨はいません。一口に鯨といっても大きいものは体長30メートルに達するシロナガスクジラから、小さいものは1メートルそこそこのコビトイルカまで多様です。普通4メートルより大きいものをク
ジラ、これより小さいものをイルカと呼んでいます。かつての鯨乱獲時代に大型の鯨であるシロナガスクジラ、ナガスクジラ、セミクジラなどはきわめて低い水準にまで減少しました。しかし、これらの鯨類は完全に保護されています。一方、南氷洋や北西大平洋および北大西洋のミ
ンククジラ、あるいは北西太平洋のニタリクジラのように、捕獲の対象にできるほど資源状態のよい種類もあります。
369:名無しさん@3周年
09/01/06 17:46:54 2JkU9N5I
Q3: しかし、それでも国際捕鯨委員会(以下IWCと略称)は72年以降、ナガスクジラ、イワシクジラ、マッコウクジラ等の資源を、保護資源に指定しています。乱獲は、1982年の商業捕鯨モラトリアム(一時中止)の成立まで続いたのではないですか。
票の上で圧倒的な力を持つ反捕鯨勢力が乱獲を許すわけがありません。ただ、国連人間環境会議が開催された1972年以降、科学委員会に大きな変化が生まれました。その直後に開催されたIWCの科学委員会が、国連人間環境会議が採択した「捕鯨の10年禁止決議には
正当な科学的根拠がない」と全会一致で結論したからです。このため翌年から米、英などの反捕鯨国は、自国の科学者の総入れ替えに近いことを行い、保護主義的色彩の濃い科学者、反捕鯨団体のリーダーたちを科学委員会に大量に送りこみました。その結果、73年以降の
科学委員会では、以前のように答申を一本化しようとする努力は行われなくなり、反捕鯨の立場に立つ学者は、むしろ自己の意見をそのまま答申の中に独立した提案として盛り込み、本会議では、票の力で、これを採択し、次々と自分たちに都合のよい結論を押しつけたので
す。しかし、それにもかかわらず、「捕鯨モラトリアムには科学的正当性や必要性がない」とする科学委員会の判断には、最後まで彼らもチャレンジできませんでした。 (わずかでも捕獲すれば、生態系が乱されるなどという主張が、科学的に成立するわけがないのは当然です)
Q4: くどいようですが、76年の南氷洋のナガスクジラの保護資源指定 -- 禁猟など一連の禁猟決定は、例え、保護主義の色彩の強い学者の発言でも、それなりの科学的根拠があったのではないですか。
IWCが定義する保護資源には、75年以降とそれ以前では、本質的な差があります。1960年代前半までに、英国、オランダが採算上の理由から、南氷洋捕鯨から撤退すると、IWCは急に規制の強化に乗り出し、70年代に入って、シロナガスクジラ等、乱獲によりいため
られた資源を保護資源に指定しました。遅すぎた保護といってもよいと思います。しかし、75年以後の禁猟措置をこれと同列に置くことはできません。新しい資源管理のルールが採択され、保護資源にまったく新しい定義が導入されたからです。前にも触れましたが、
370:名無しさん@3周年
09/01/06 18:26:11 2JkU9N5I
前にも触れましたが、IWCの科学委員会は、1972、73年の会議で再度にわたり、「捕鯨モラトリアムには科学的正当性も必要性もない」と全会一致で答申しました。このため1975年、ついに米国はオーストラリアなどと図り、捕鯨モラトリアムに代わる措置として、
新しい資源管理方式を提案し、これが翌年採択されました。この方式は、捕鯨の対象を資源状態が極めて良いものに限定し、もし、その資源が最大持続的生産量を実現する水準(MSYレベル)以下と判定されれば、これを保護資源に指定するというシステムです。以前の保護
資源の定義が、絶滅の危険のある水準を念頭においたものとすれば、新しい定義は、資源の年々の増加が最大になる水準を基準に考え、捕鯨の対象をこの水準を超えた豊かな資源に限定したのです。しかし、この新しい定義には、当時、日本の学者が指摘していたように学問的
にいろいろ困難があります。具体的にどこにその水準を設定するのか、いろいろな仮定を置く必要があります。保護主義の立場に立つ学者は、これをうまく利用しました。例えば、彼らは処女資源水準(資源が開発される以前の水準)を不当に高く推定する一方、現在の資源水
準を非常識と思われるほどの低いレベルに推定することによって、できるだけ多くの鯨種を保護資源におとす提案をし、票の力をもって本会議で採択させるという手段をとったのです。しかし、そうした彼らのやり方をもってしても、南氷洋のミンククジラや北西太平洋のニタ
リクジラなどについては、最後まで新しい定義による保護資源に分類することはできなかったのです。
Q5: IWC科学委員会では、世界の鯨資源量をどの程度に推定しているのですか。
IWC科学委員会が推定している主要鯨種の資源量は次のとおりです。
種類 海域 生息頭数 ミンククジラ 南氷洋北太平洋西系北大西洋全体 760、300 (d)28、000 (e)74、700 ー 145、200 (d) ニタリクジラ 全海域北太平洋西系 90、000 (a)22、600 (c) マッコウクジラ 全海域 1、950、000
371:名無しさん@3周年
09/01/06 18:31:58 2JkU9N5I
(a) ホッキョククジラ アラスカ系 7、800 (a) セミクジラ 南半球 3、000 (a) コククジラ カリフォルニア系 24、400 (g) ザトウクジラ 北大西洋西系 5、800 (b) シロナガスクジラ 全海域 14、000 (a) ナガスクジラ 全海域 120、
000 (a) イワシクジラ 全海域 54、000 (a) ツチクジラ 日本沿岸 4、220 (f) 注: (a) Oceanus 32(1): 12 - 3 (1989)(b) Rep. int. Whal. Commn 34:54 (1984)(c) Rep. int. Whal. Commn 36:249 - 55 (1986)(d) Rep. int. Whal. Commn 41:(in press) (19
91)(e) Rep. int. Whal. Commn 32:283 - 6 (1982)(f) Rep. int. Whal. Commn 39:117 (1989)(g) IWC/SC/44/PS1 (1992)
Q1: IWCで商業捕鯨中止が採択されたあとも、世界の各地で捕鯨が行われていますが、なぜですか。
現在、世界で行われている捕鯨は次の3つのタイプです。
(イ) IWCがみとめている原住民生存捕鯨 アラスカでのホッキョククジラ、ロシア・極東地方でのコククジラ、デンマーク(グリーンランド)でのナガスクジラとミンククジラ、セントビンセントでのザトウクジラなどが、原住民の生存のための捕鯨として認められています。
(ロ) IWCの管轄外にある小型鯨類の捕獲 IWCは大型鯨種だけを管轄しており、イルカ類などの小型鯨類は管轄の対象にしておりません。日本の沿岸では昔からツチクジラ、ゴンドウクジラ、イルカなどの小型鯨種を捕獲しており、日本政府の監督下で行われています。もち
ろん、資源量に見合った捕獲枠も設けられています。日本以外でも、デンマーク(フェロー諸島)などがゴンドウクジラなどの小型鯨類を少量捕獲しています。
(ハ) IWC非加盟国による捕獲 カナダのホッキョククジラ、インドネシアのマッコウクジラ・ニタリクジラ、スリランカのマッコウクジラ、南太平洋諸国のザトウクジラなどが捕獲されています。 これらの国は、IWCに加盟していないため、IWCの規制を受けません。
Q2: 伝統的な捕鯨国である、アイスランドとノルウェーは、現在捕鯨をしているのですか。
捕鯨を重要な産業としているアイスランドは1992年にIWCを脱退しました。
372:名無しさん@3周年
09/01/06 18:34:11 2JkU9N5I
前にも触れましたが、IWCの科学委員会は、1972、73年の会議で再度にわたり、「捕鯨モラトリアムには科学的正当性も必要性もない」と全会一致で答申しました。このため1975年、ついに米国はオーストラリアなどと図り、捕鯨モラトリアムに代わる措置として、
新しい資源管理方式を提案し、これが翌年採択されました。この方式は、捕鯨の対象を資源状態が極めて良いものに限定し、もし、その資源が最大持続的生産量を実現する水準(MSYレベル)以下と判定されれば、これを保護資源に指定するというシステムです。以前の保護
資源の定義が、絶滅の危険のある水準を念頭においたものとすれば、新しい定義は、資源の年々の増加が最大になる水準を基準に考え、捕鯨の対象をこの水準を超えた豊かな資源に限定したのです。しかし、この新しい定義には、当時、日本の学者が指摘していたように学問的
にいろいろ困難があります。具体的にどこにその水準を設定するのか、いろいろな仮定を置く必要があります。保護主義の立場に立つ学者は、これをうまく利用しました。例えば、彼らは処女資源水準(資源が開発される以前の水準)を不当に高く推定する一方、現在の資源水
準を非常識と思われるほどの低いレベルに推定することによって、できるだけ多くの鯨種を保護資源におとす提案をし、票の力をもって本会議で採択させるという手段をとったのです。しかし、そうした彼らのやり方をもってしても、南氷洋のミンククジラや北西太平洋のニタ
リクジラなどについては、最後まで新しい定義による保護資源に分類することはできなかったのです。
Q5: IWC科学委員会では、世界の鯨資源量をどの程度に推定しているのですか。
IWC科学委員会が推定している主要鯨種の資源量は次のとおりです。
種類 海域 生息頭数 ミンククジラ 南氷洋北太平洋西系北大西洋全体 760、300 (d)28、000 (e)74、700 ー 145、200 (d) ニタリクジラ 全海域北太平洋西系 90、000 (a)22、600 (c) マッコウクジラ 全海域 1、950、000
373:名無しさん@3周年
09/01/06 18:36:52 2JkU9N5I
Q4: そんなに費用がかかるのにどうして毎年実施するのですか。2 - 3年に1度でもよいと思いますが。
南氷洋は広大な海域です。採取標本数は限られており、また1回で調査できる範囲は限られています。ですから毎年、調査を実施する必要があります。また、鯨資源の管理に必要なデータは、時系列的なものでなければなりません。継続的な標本採取は資源調査の精度を高める
ことに不可欠です。
Q5: 鯨を殺さないで、皮膚の1部だけをとってDNA等を調べれば十分という声もありますが。
日本鯨類研究所はバイオプシーという、皮膚を採取して検査するための皮膚採取銃を開発して、すでにこの種の鯨の非致死調査を行っています。しかし、皮膚のDNAからは、性別、親子関係など、ごく限られた情報しか得られません。このため捕獲調査によってしか得られな
い耳こう栓や、卵巣などの標本を取り、年齢構成、妊娠状態や妊娠歴などを調べています。
Q1: 捕鯨論争はいまや資源などの科学面を超えて、鯨に対する動物観の違いに移っているようです。欧米諸国のほとんどが捕鯨に反対しているのであれば、日本も国際協調の精神から捕鯨を放棄したほうがプラスになるのではないですか・・・。
そうは思いません。動物観の違いは民族の文化そのもので、お互いが干渉したり、非難したりすべきものではありません。反捕鯨国は鯨を聖獣視し、「人道的捕殺がなされていない」「捕鯨は倫理に反する」ということを言います。それでは昔、欧米の実施していた捕鯨は人道
的捕殺をし、倫理にも反さなかったのでしょうか。この反論に対し欧米人は「だから捕鯨を止めた」と言うでしょう。
しかし、それは詭弁です。欧米の捕鯨は昔の帆船式捕鯨や近代捕鯨でも採油が目的でした。石油や他の食用油が出回り、産業として成り立たなくなったため、自然に消滅したのです。一方、日本は肉を主体に丸ごと利用し、鯨肉に対する強い嗜好があるため、依然として産業と
して立派に成り立つのです。
374:名無しさん@3周年
09/01/06 18:42:44 2JkU9N5I
欧米では、反捕鯨の風潮が強いのは確かですが、決して100%ではありません。アングロサクソン系の国は一般に反捕鯨ですが、アイスランド、ノルウェー、デンマークなどの国は鯨を食料の対象と見ています。またアングロサクソン系の国でも極端な反捕鯨運動に疑問を呈する
声は上がっています。例えば92年6月30日付け英国のタイムス紙は「動物の福祉という問題を国際協定によってしばるのは適切でない」と指摘し、資源が大きいミンククジラの捕獲禁止は条約の主旨からみて、もはや適当ではないと結論しています。私たちは捕鯨の是非をあく
までも資源を中心にした科学論に基づくべきとの考えを持っています。それがもっともフェアーな論拠だと考えます。
Q2: 公海の鯨は世界人類共通の資源であり、日本人だけが獲るのは許されない、との声が上がっていますが・・・。
短絡的な、偏った意見です。1982年の国連海洋法条約は、海の資源をすべて人類共有の資源という見方から、その存続と合理的利用の責任と義務を、200カイリ内については当該沿岸国に、200カイリの外の公海部分については、国際社会に負託することとしています。
国際捕鯨取締条約は、1948年に発効した古い条約ですが、その点ではさらに一歩進め、対象資源が領海内にあっても、これを人類共有の資源とみなし、その保存と合理的利用を締約国の合意、つまり国際社会に負託することとしています。また、わが国だけが独占的に、また特
権的に利用することを主張しているわけではありません。資源のごく一部、経済でいえば、年々資本から生ずる利子の一部を利用するというのが、わが国の基本的立場です。その立場は、沿岸であろうと、公海であろうと、基本的には変わる所はありません。一方、いろいろな思惑
から捕鯨に限らず公海での漁業を禁止したり、極端に制限したりする動きがあることも事実です。しかし、こうした考え方は、海洋資源の合理的利用に有害なだけではなく、結局は海洋分割につながる思想です。不健全なエゴイズムという外はありません。
Q3: 南氷洋は鯨類の最後の宝庫です。ここを鯨のサンクチュアリ(禁猟区)とすることは世界の人にロマンと安堵感を与えます。日本は自国の200カイリ内だけで捕鯨を続けるべきでないですか。
375:名無しさん@3周年
09/01/06 18:45:47 2JkU9N5I
この提案は、昨年のIWC会議に突如提案されてきたもので、何が何でも捕鯨を阻止したいとする反捕鯨国の最後のあがきであることは明白です。また南氷洋を含め、すべての水域に合理的な鯨類の保存と利用に関するシステムを作りたいと願うわが国と、それより自国沿岸での
捕鯨の再開を願うノルウェー、アイスランド、デンマーク等との間を分断したいとの狙いであり、せめて南氷洋にだけ、捕鯨の禁止を実現したいと考えての提案に違いありません。しかし、76万頭以上も生息する南氷洋のミンククジラについて、科学者の認める量の捕鯨も認めず、
10万頭の北大西洋ミンククジラについて、これを認めるというのも、科学的にみて納得のいかない話です。 サンクチュアリ提案には、実は、伏線もありました。92年6月、リオ・デ・ジャネイロで開かれた国連環境開発会議にニュージーランドが捕鯨の10年禁止を提案した
ことです。提案の中で、同国政府は「IWCで改定管理法式が完成すれば、捕鯨の再開は阻止できない」と述べています。反捕鯨側は、科学を葬るための最後の切り札としてサンクチュアリを出してきたのです。1992年のIWCでは、本格審議に至らなかったため、93年に改め
て議題にのぼることになっています。なお、92年のIWCでは、改定管理法式によって南氷洋ミンククジラの捕獲枠を試算したところ、年間2000頭という数字が出てきました。わが国はこれを根拠に商業捕鯨の設定を強く主張する方針です。南氷洋をサンクチュアリへとするこ
とは、決して健全な生態系を取り戻すことにはなりません。生態系の一部、とくに、その頂点にある生物を完全保護することは、それが、低水準にあるときを除けば、かえって生態系のバランスを損ない、また、ひいては当該保護資源の不安定化をも招くというのが常識です。また、
IWC科学委員会が提案している改定管理方式は、大きな資源からわずかな量を、しかも広い海域から薄く捕獲させるというもので、これが生態系に対する不安定要因になりうるなどとは、冗談以外の何ものでもありません。
Q4: ツチクジラ、ゴンドウクジラ、イルカなどの小型鯨類はなぜIWCが管理していないのですか。当然IWCが一括して管理すべきだと思いますが・・・。
IWC条約は、条約の中で規制対象鯨種を限定しており、ツチクジラなどの小型鯨類は、この中に入っていません。
376:名無しさん@3周年
09/01/06 18:48:08 2JkU9N5I
これらの小型鯨類は沿岸性であり、世界単一の資源ではなく、狭い海域ごとに系統群が分かれています。このような鯨種については、沿岸の漁業資源との関連があるので、IWCで一括して管理するより各国、あるいは関係地域の漁業機関で管理する方が適切な措置が取れます。
また、実際問題としても関係国は内陸国を除くすべての沿岸国になりますから、100カ国を超えることになり、とてもIWCで管理するなど現実的ではありません。IWC加盟国の多くも、小型鯨類の管理は、それぞれの国に任せるべきであると考えています。日本近海の小型
鯨類については、水産庁が資源調査に基づいて毎年の捕獲枠を決めています。
Q5: 反捕鯨の主張の中には、鯨類の頭脳の高さが強調されています。どの程度頭がいいのでしょう。
鯨の知能が高いと主張する人たちは、その根拠として、鯨の脳が大きいことをあげています。大きな頭部を持つ鯨の脳が他の動物の脳より大きなことは当然です。動物の脳の大きさを比較する場合は、単に重さだけでなく、体重比で見るべきです。シロナガスクジラの脳の体重比
は平均0.007%で、人間の場合は1.93%です。鯨類でもっとも高いのはネズミイルカの0.85%です。それでは、ネズミイルカは人間の半分ぐらい知能が高く、シロナガスクジラはネズミイルカの100分の1以下の知能しかないかというと、決してそうではありませ
ん。脳重の体重比率で、知能の高低を判定することはできないのです。鯨の世界的権威の故シュライパー博士は「鯨のように主に尻尾を振って運動する動物が、手足を巧みに使うサルより、高度に分化した脳を必要とするのか理解できない」といっています。
また、英国ケンブリッジ大学の教授であり、IUCN(国際自然保護連合)の種生存委員会の委員長であるマーガレット・クリノウスカ博士は、「大多数の鯨の脳は特に大きくもなく、複雑でもない」と断じた後、「鯨類の行動様態にも、牛とか鹿の群れ以上の複雑性は認められ
ない」と述べています。
377:名無しさん@3周年
09/01/06 18:50:43 2JkU9N5I
Q1: IWCの加盟国数と補鯨国、反捕鯨国、中立国の内訳は。
IWCは1946年に締結された国際捕鯨取締条約によって1948年に設立されました。当初は捕鯨国とかつての捕鯨国15カ国で発足しましたが、鯨の乱獲により採算が取れなくなったオランダ、英国が、捕鯨をやめた1960年代からは鯨の保護に力を入れるようになり
ました。1970年代後半からは捕鯨禁止をめざす国の加盟が目立ち、1982年には多数決で商業捕鯨のモラトリアムを採択しました。現在の加盟国は38カ国。捕鯨再開を強く主張する国は日本、ノルウェー、デンマーク、ロシアなど少数です。中立国としては中国、韓国、
セントルシア、セントビンセント、ドミニカ連邦などがあり、あとは反捕鯨国です。この中でもっとも強硬な反捕鯨国はニュージーランド、豪州、イギリス、アメリカなどアングロサクソン系の国々です。
Q2: 国際捕鯨取締条約の目的は何ですか。
同条約の目的として (イ)鯨類の保存と適切な利用、(ロ)捕鯨産業の健全な育成などが、前文に明記されています。しかし、反捕鯨NGO(非政府機関)をバックにした多数の反捕鯨国に思うままに運営されたIWCは、条約の目的から逸脱した規則を次々と打ち出してきま
した。条約違反のもっとも顕著な例が、商業捕鯨モラトリアムの採択です(1982年)。条約によると、すべての資源保存措置は科学的根拠に基づかなければならないとなっています。一方IWCの科学委員会は過去に一度もモラトリアムを勧告していません。グリーンピース
などのNGOが捕鯨と全く関係のない国々をIWCに加盟させ、本会議で多数の力を持ってモラトリアムを採択したのです。この条約は1946年に締結されていますが、締約国がこのように、条約の目的や規定を公然と無視することは、単にIWC条約の違反だけでなく、条約
の忠実な実行を求めるウィーン条約の違反でもあり、許さるべきことではありません。
378:名無しさん@3周年
09/01/06 18:58:30 2JkU9N5I
捕鯨問題をめぐる往復書簡 世界自然保護基金(WWF)日本委員会 / 三浦 淳(”nemo”第2号、1995より。
三浦 淳 (新潟大学人文学部)
1.1993年5月5日付朝日新聞に掲載されたWWFの意見広告 2.三浦淳よりWWFへ
前略
5月5日付朝日新聞に載った貴委員会の意見広告に対して質問を致したく存じます。お答いただければ幸いです。
(一)WWFの使命の(2)に「自然資源の持続的利用の推進」という項がありますが、これはその後で述べられている「クジラは人類と調和して共存する自然の一部として位置づけ、みだりに人間が手を加えるべきでない」と矛盾しているように思われます。
この論理的矛盾をご説明願います。
(二)(一)に関連することですが、鯨を捕るべきでない理由として「一部の人間の嗜好品として利用されている」からだとあります。私は、何を必要と感じるか贅沢と感じるかはみだりに他者から規定されるべき問題ではないと考えます。また鯨利用者が
少数であることを理由とする鯨保護論は、少数者の文化の圧殺につながりかねないと思います。WWFはこの点についてどうお考えでしょうか。
(三)鯨の資源量に関して、「現在南氷洋のヒゲクジラ(ミンククジラを含む)の生体容量は、商業捕鯨開始以前の約8%まで激減してしまった」と述べられています。しかし現在日本が要求している捕鯨の対象はミンク鯨であり、ヒゲ鯨なら何でも捕らせ
よと主張しているわけではありません。ヒゲ鯨を一緒くたにして現在の生体容量を掲げるのはおかしいのではないでしょうか。少なくとも、当面捕鯨対象にすべきかどうか議論になっているミンク鯨については独立して生体容量を掲げるべきではない
でしょうか。
379:名無しさん@3周年
09/01/06 19:05:17 2JkU9N5I
(四)クジラは回遊性が高い生物であるため(…)容易に『増えている』と判断すべきでない」とあるのは、IWC科学委員会のミンク鯨に関する資源量の議論に疑問を投げかけられているわけです。そうでありながら、ASOCの鯨生体容量の報告に信頼がおけるとお考えに
なるのはどういう理由からでしょうか。
(五)最初のところで、WWFは「クジラだから」ではなく「クジラについても」保護を求めている、と書かれています。これは大事なことで、私の意見では、絶滅の危機にある全ての生物に関して保護を訴える人は信用できますが、捕鯨に関してのみ反対意見を表明する人は
人種差別主義者の疑いが濃厚だからです。そこで、WWFが鯨だけではなく種の危機にある他のあらゆる生物のために平等に活動している証拠をお示しいただきたいのです。例えば、新潟県に生息しているトキは絶滅の危機に瀕しています。その危機の度合は、鯨につい
て3分の2ページの広告を一度出すならトキについては全ページの広告を毎日出さねばならないほどでしょう。トキに限らず鯨などよりはるかに絶滅の危機にある生物は数多く存在します。それらの生物のために鯨に劣らぬ精力と資金が費やされているのかどうか、お教え
いただきたいと思います。以上の疑問に対する回答を、今月末までにお寄せいただければ幸甚に存じます。
1993年5月6日 三浦 淳
WWF JAPAN 御中
3.WWFより三浦淳へ 1993年7月30日 三浦 淳 様
(財)世界自然保護基金日本委員会 S〔個人名省略〕
前略
さて、5月に当会が新聞に掲載いたしましたクジラ保護に関する意見広告に対してご質問やご意見をいただきましたが、お返事が遅れましたことをお詫び申し上げます。本来ならば、個々にお返事すべきところですが、たくさんのお問い合わせをいただきましたので、
WWFの考え方をご説明し、代表的なご質問にお答えする形で、お返事させていただきたく存じます。WWFの自然保護の理念とクジラ保護の考え方に関して皆さまのご理解をいただくことができれば幸いです。
380:名無しさん@3周年
09/01/06 19:10:32 2JkU9N5I
なお、WWF Japanが今年のIWC会議に向けて作成いたしましたパンフレットを同封いたしますので、合わせてご一読ください。
● はじめにWWF Japanが商業捕鯨に反対する根拠についてご説明いたします。
WWFは、「WWFミッション(*1)」と「Caring for the Earth(CFE)・かけがえのない地球を大切に(*2)」を基に、長期的展望に立って地球の将来を考え、自然保護の戦略をたて実践しています。これまで人類は「自然資源は人間のために存在し、利用できるものは
あくまで利用する」という考えのもとに、時には一部の人間の欲を満たすため必要以上に自然を搾取し続けてきました。そしてこの傾向は、人類が高度の技術をもつようになった20世紀以降に加速され、多くの野生動物が絶滅の危機にひんしているのはご存知のことと思います。
先進国における現在の生活態度(資源やエネルギーの浪費など)は、従来の考え方に根ざしたものでCFEの精神からかけ離れています。人類が存続するには、すみやかに、過去のあやまちを認識して生活態度を改めること、資源の持続的利用を図ることが必要です。資源(自
然資源)の持続的利用を考えるとき、その利用は生存に必要最低限を満たすレベルで行うことが必要となります。現在、世界中から大量の食糧を集め、浪費している日本の自然資源に対する姿勢は問い直す必要があるのではないでしょうか。先進国は世界の環境保全に積極的に
責任を負うべきであり、もはや文化や習慣をふりかざしてのわがままは許されない時代になっています。過去の自然資源の利用のあやまちを反省せずに、日本が世界から食糧を集めているその一方で、途上国では環境破壊や資源の乱獲が起きていることを私たちはもっと認識す
る必要があるでしょう。クジラ保護は、海洋生態系の保護を図る上で重要な課題です。WWFは世界中で20に及ぶクジラの生態研究および保護プロジェクトを行っており、今後とも力を入れて行きたいと考えています。(*1)WWFミッション:WWFが1990年に策定した活
動指針。人類が自然と調和して共存するような未来の実現を図ることを目標として、(1)生物の多様性を守る(2)自然資源の持続的利用の推進(3)資源エネルギーの浪費の防止の3つを使命としている。(*2)CFE:WWFが1991年にIUCNとUNEPと共同で策定・刊行
した。
381:名無しさん@3周年
09/01/06 19:15:38 2JkU9N5I
持続可能な生活様式実現のための9つの基本原則と13の行動様式を提言している。● とくに多くの方からいただきましたご質問2つにお答えいたします。
◆ クジラが絶滅しそうなら捕るべきではないが、どうして76万頭まで増えたという科学的データのある南氷洋のミンククジラまで保護しようとするのか
ミンククジラの個体数についてはまだ正確にわかっていません。ミンククジラの数が76万頭(政府広報・水産庁)とは、91年のIWCに提出された数値を、加算したものです。(表(1)参照)。ただし、データを加算することをIWCで認めているわけではありません。
個体数調査は南氷洋を6海区に分けて、毎年1海区ずつ調査していますが、回遊経路などクジラの生態が分からない時点で、年度の違ったデータを加算することの有効性が認められないのは当然でしょう。ちなみに今年のIWCでは、新たなデータ(87~92年)が提出さ
れ、それを加算すれば45万頭という数値がでてきます(表(2)参照)。しかしこれについてのマスコミの報道はほとんどありませんでした。
(1)クジラは広域を回遊し、その行動もはっきりわかっていない(2)ミンククジラが増加しているかどうかを知るには、長期間にわたる調査が必要である、などの点からも個体数を推定するには限界があります。少なくとも現段階では毎年減った増えたといった議
論を科学的にすることはできないのです。WWFは、クジラの保護が海洋生態系の保護を図る上で重要な課題であると考えています。たとえ現在個体数が安定している種であっても、海洋環境の悪化などで将来的には楽観できないため、クジラを脅かす要因である捕鯨
再開には反対しています。
◆クジラも家畜も同じ生き物なのに、クジラを食べるのは「ダメ」で家畜は「OK」なのはおかしいではないか。
これは非常に難しい問題を含んでいるように思います。「無用な殺生はしないこと」には洋の東西を問わず異論はありませんが、日本人の多くは「家畜でもクジラでも殺生に変わりはない」と考え、欧米人の多くは「家畜は神が人間に与えたもの」として、一般野生生
物とは区別するようです。繁殖をはじめとして生存のほとんどすべてを人間によってコントロールされている家畜と、大自然の営みの中で生きる野生生物のクジラを区別して考える必要があるのではないでしょうか。
382:名無しさん@3周年
09/01/06 19:24:03 2JkU9N5I
たとえば、アフリカゾウの生息数は、生息環境の破壊や密猟により、1979年の130万頭から1989年には60万頭まで減ってしまいました。 60万頭といえども、アフリカゾウの種の存続の上で決して安心できる数ではありません。
野生動物の商業的利用を持続可能なレベルで維持させることは非常に困難で、失敗したら取り返しがつきません。そのためWWFは、野生 生物の利用は必要最小限にとどめるべきだと考えています。
●その他ご質問いただきましたことについてお答えいたします。
◆クジラを食べることは日本人の伝統食文化であるのに、それを否定するのか。また、かつてはクジラは日常食であり、高価な嗜好品となったのは、捕鯨が禁止されたためではないか。
鯨肉を食べることは日本の文化のひとつといえるかもしれません。しかし、南氷洋でおこなわれた列国による近代捕鯨は歴史も浅く、日本の伝統的な沿岸捕鯨とはほど遠いばかりでなく、大量捕獲によりクジラを激減させてしまいました。
そのため、クジラ肉はもはや日常食ではありえず、希少で高価なものとなりました。ちなみに、クジラが日本では昔から広く食されていたように説明されることがありますが、鯨食を、日本人全体の伝統食といいきることはできないでしょう。
鯨肉が全国的に大量に食されたのは、戦後、日本人が蛋白資源に喘いだ食糧難の時代のみです。
◆WWFの意見広告などで使われている「クジラのバイオマス(生体容量)が商業捕鯨開始以前の約8%までに激減した(ASOCによる)」はどのようなデータに基づくのか。
ASOC(南極と南極海連合)は、南氷洋のヒゲクジラのバイオマスが、南氷洋で今世紀はじめに捕鯨が開始された時は5,000万トン、現在は400万トン(8%)という算出をしました。試算はIWC科学委員会に提出されたデータを利用しています。
バイオマスがこれほどまでに劇的に減っているのは、重量の大きなものが減っているためです(例 シロナガスクジラ 20万頭 -> 700 ~ 数千頭、ナガスクジラ 40万頭 -> 1万頭)。 ただしすでに述べた通り、クジラの個体数の推定を正確に行うこ
とはきわめて困難なので、「8%」とはあくまで目安となる数値です。 以上、WWFのクジラに関する考え方を述べさせていただきました。今後とも私どもの自然保護活動に温かいご理解とご支援を賜りますようお願いいたします。
383:名無しさん@3周年
09/01/06 19:26:52 2JkU9N5I
4.三浦淳よりWWFへ 拝復
先に貴会の捕鯨問題に関する広告に対し質問状を送付いたしましたが、この度お答えをいただきありがとうございました。じつのところ返事がなかなか来ないので、WWFとはいい加減な団体なのだろうと思いかけていたところでしたが、そうでないと分かったのは幸いなことで
した。印刷物の形でお答えいただいたので必ずしも私の質問に添っていない部分もあるのですが、貴会のお答えを尊重し、この文書に関して改めて捕鯨問題について貴会のお考えを質したいと思います。
まず「はじめ」の部分に関してですが、先進国の生活態度を改めるべきだという下りまでは異論はありません。しかしその後の「自然資源の持続的利用を考えるとき、その利用は生存に必要最低限を満たすレベルで行うことが必要になります」とあるのは、一見もっともらしく見
えてじつは論理的に整合していません。生存に最低必要な量だけ利用しても自然資源が減少することもあれば、そうでない量を利用しても自然資源が減少しないこともあるからです。ですから真に必要なのは、自然資源はどれだけ使えば持続的に将来に渡って利用していけるかを
厳密に調査することなのではないでしょうか。とくに最近の自然保護運動では、自分の利害に直接関係ない自然のみを保護せよと声高に訴える傾向がある(この点については最後に述べます)だけに、情緒に流されて何でも保護せよと主張するのではなく、冷静に自然資源の分析
をすることが肝腎であると思います。次に、世界中から食糧を集め浪費している日本という下りですが、日本が貿易立国を国是としている以上、そして面積が狭く山が多い土地柄からして農牧業での食糧自給に多くを期待できない以上、外国から食糧を大量に輸入するのは当然で
はないでしょうか。それともWWFは自由貿易体制に反対で、江戸時代のように食糧の自給自足を訴えることをモットーにしているのでしょうか。もしそうお考えでしたら、はっきりパンフレットなどにそう書いた方がいいと思います。ただし私は、先進国が中進国以下に比べて
食糧・エネルギーなどを贅沢に使っているのは確かだと思います。日本の食糧の嗜好が他の食糧輸出国の自然環境を破壊する場合があることも知っております。ここで必要なのはしかしまたしても冷静な調査と議論です。
384:名無しさん@3周年
09/01/06 19:32:15 2JkU9N5I
日本に食糧を輸出するおかげで自然環境が破壊される場合もあれば、そうではなくその国の経済がうるおう場合もあるはずです。無論破壊とうるおいが共存している場合もあるでしょう。ですから日本向けの食糧輸出に伴う他国の産業構造の変化とそれに付随する自然環境
との関連を洗いだして、害があるケースは個々に指摘していけばいいのです。WWFで積極的にそうした調査を行ってはいかがですか。問題をひとくくりにして「日本は世界中から食糧を集め浪費し…」というようなセンセーショナルな表現をするのは赤新聞同然で有害無
益でしょう。さて次ですが、「クジラ保護は、海洋生態系の保護を図る上で重要な課題です」とあります。鯨の保護が重要でないとは私は言いませんが、海洋生態系と言うとき、そこには海に生息する全ての生物が含まれているはずです。特にWWFミッションに「生物の
多様性を守る」とあるからには、鯨のような哺乳動物だけではなく、魚類、貝類、甲殻類、海草類、そのほか虫やアメーバに至るまで保護の対象になるはずです。言うまでもありませんが、哺乳類は他の生物に依存して生命を保っています。生命のリングを考えるとき、別
段哺乳類は特権的な立場にはなく、むしろ下等生物ほど保護の必要性があるとも考えられるのです。(例えば、人類が滅んでも植物は困りませんが、植物が滅んだら人類は生きていけません。)話を戻しましょう。海洋資源とは鯨ばかりではありません。一般に食糧として
広く用いられている魚介類全部がそうです。したがって海洋生態系の保護を図ろうと言うのなら、海に生きる生物全部の保護が重要だと言わなければおかしいではありませんか。WWFの姿勢に疑問を感じる大きな理由の一つがここにあります。いったい何を基準に重要な
ものとそうでないものを識別しているのでしょうか。(何でも重要だと考えているとお答えでしょうか? WWFは例えばハタハタや越前蟹や日本海のニシンの保護のために広告を出したことがあったでしょうか?)次にミンク鯨の資源量の問題ですが、海区ごとの資源量
の合算が認められないというのは明らかにおかしいと思います。南氷洋の広さからしていちどきに調査するのが困難である以上、年ごとに海区別の調査を行いそれを合算するのは、最上とは言いませんが資源量を推定する有力な方法と言うべきでしょう。
385:名無しさん@3周年
09/01/06 19:36:25 2JkU9N5I
無論単純な合算をそのまま用いるべきかどうかには問題があるでしょうが、資源量を推測する重要な基礎になることは確かです。もしそうでないというなら、海区ごとの資源量調査はいっさい無駄だということになってしまいます。反捕鯨派の常套手段は「分からない、
分からない」と言うことですが、 もしそうなら例えばシロナガス鯨の資源量がこの鯨の捕獲が禁止された後も一向に増えていないことはどうして分かるのでしょうか。データが信用できないと言いながら、絶滅の恐れがある鯨については提示された数量を利用し、資源
量が豊富な鯨についてのみ「分からない、分からない」というのは矛盾しています。 無論用心のために数量は少な目に見ておいた方がよいということはあるでしょう。ですからミンク鯨の資源量が45万頭でも、或いは一の位を切り捨てて40万頭でもいいと思います。
ミンク鯨が76万頭いてRMS(改訂管理制度)による捕獲可能数が二千頭という数字が誤りなら、40万頭いて捕獲可能なのは千頭でも構いますまい。それで日本が捕鯨をやると言えばやらせ、千頭では採算が合わないから止めると言えば止めるに任せればいいではあり
ませんか。ところが実際にはIWC科学委員会の勧告したRMSは総会で否決されているのです(そのために英国人の科学委員長は辞任したということです)。これは鯨資源を冷静に調査した上で捕獲可能な範囲内で利用するという「持続的利用」をIWCが考えてい
ない証拠です。IWCは鯨資源の「不利用」をしか考えていないのです。とすると「持続的利用」をうたっているWWFの方針とはあいいれないと思いますが、どうお考えでしょうか。
さて、ミンク鯨の問題を続けましょう。南氷洋で長年の捕鯨により鯨種のバランスがもともとのものより大きくズレていることは誰も否定できないでしょう。そのためむしろミンク鯨をある程度捕獲した方が、餌の競合するシロナガス鯨の増加に役立つという説があり
ます。これが正しいかどうかについては議論があるようですが、少なくともシロナガス鯨が激減して以来、ミンク鯨の成長が早くなっているというデータがあることは(桜本・加藤・田中編『鯨類資源の研究と管理』96頁)知っておいていいと思います。現在の南極海
はミンク鯨にとって(のみ)繁殖に有利な条件が揃っているわけです。
386:名無しさん@3周年
09/01/06 19:44:12 2JkU9N5I
ちなみにこの説は「ニューズウィーク」誌のWWF批判記事でも取り上げられています(日本版、本年5月13日号)。或る海域の餌の量が一定で、それが生息動物の成長に影響していることは、例
えば最近日本の河川に戻ってくる鮭が小型化しているという点からも明らかでしょう。これは日本で鮭の稚魚の放流が盛んになり過ぎて、餌場のオホーツク海で鮭一匹当たりの餌の量が減ったためと推測されています。
自然は放っておいて保たれる場合もあれば、そうでない場合もあります。例えば地球の砂漠化を食い止め植林を行おうというのは人為的な企てです。あくまで自然のままがいいなら砂漠が広がっていくのを黙って見ているしかないことになります。自然を放っておく方
がいいのか、人が手を出した方がいいのかはケース・バイ・ケースです。南氷洋を聖域にというのは、この点を無視した無責任な考え方と言わねばなりません。すでに南氷洋には沢山の人の手が加わっているからです。鯨ごとのバランスは捕鯨開始前と比較して大きく
崩れています。それを前提とした上で何が最善かを考えるべきで、ただ放っておけというのは一見自然を尊重するように見えて、じつは自分が何もせずにイイカッコができるスタンドプレーに過ぎません。この提案をしたフランスは、実際は鯨資源の調査にろくな貢献
をしていないからです。金を出さず、自分の利害関係のない部分でスタンドプレーをする国が信用できるはずがありましょうか。そしてそういう国の提案を支持する団体も信用に値しません。本当に鯨が大事だと考えるなら、例えばすでに聖域化されているインド洋の
鯨資源調査をフランスやWWFは行うべきでしょう。捕鯨がなくとも「海洋環境の悪化などで楽観できない」とお考えならなおさらのことです。そういう種類の鯨がどのくらいインド洋にいるのか、将来に渡っての資源量の見通しはどうなのか、金をかけて調査しては
いかがですか。 過去の鯨資源管理が失敗の連続であったことは事実です。その点で日本は他の捕鯨国(現在反捕鯨国に転じている国も含め)とならび大きな責任を負っています。ただし過去に失敗したから今後も失敗すると考えるのはおかしいと思います。少なくと
も現在の情勢からして種を滅ぼすような捕鯨がどの国にもなし得ないのは明白ですし、
387:名無しさん@3周年
09/01/06 19:46:19 2JkU9N5I
過去においても(現在種の保存が危ぶまれているシロナガス鯨を除けば)南氷洋の鯨は絶滅に至ったものはありませんでした。そして捕鯨が鯨資源の減少というマイナス面を持っていたことは勿論ですが、同時に鯨研究の進歩というプラス面を持っていたことも見逃し
てはなりません。進化論を教えるのが禁じられているそうですから、WWFのアメリカ委員会なら「家畜は神が与えた」と真面目に言うかも知れませんが、まさか日本委員会はそれに同調しますまいね?その意味で、ミンク鯨のような明らかに資源量の豊富な鯨につい
ては捕鯨を認め、その代わり捕鯨国には鯨研究面での貢献を義務づけるというのが賢明な方策ではないでしょうか。例えば日本に年間一定量の捕鯨を認め、その代わり他国の鯨学研究者や留学生の受け入れをさせるといったやり方は、日本にとっても外国にとってもプ
ラス面が大きいはずです。何でも危ないと言って騒ぐのは決して生産的ではなく、むしろ文化も習慣も異なる国々や人々の対立を激化させ、また現在のIWCのような偏向や無理な押し付けを容認してしまう態度につながります。WWFもその点で冷静な議論や態度表
明を心がけて欲しいものです。 さて、次になぜ鯨を食べるのは駄目で、家畜ならよいのか、という問題に入りましょう。私は、鯨の資源量の問題に関しては過去の日本にも少なからぬ責任があった、ただ捕鯨全面禁止は行き過ぎだという考えですが、こと「なぜ鯨だけ
は駄目なのか」という問題については、反捕鯨国側に百パーセント非があると思っています。そしてこの点についての日本の反捕鯨論者や団体はまったく赤子同然の意見しか持っていないと考えています。ただ、変な言い方ですが、貴会の今回のこの点についての回答
にはある種の歯切れの悪さがあり、それが一抹の誠実さを感じさせないでもなかった、と言っておきましょう。まずお訊きしたいことがあります。WWF日本委員会の性格です。日本委員会は―
(一)世界のどこかにある本部の決定や指令に忠実に従って仕事をする団体で、本部からの指令には逆らわない。
(二)本部で決まったことは一応尊重するが、場合によっては異議を唱え、内部論争や対立も辞さない。
388:名無しさん@3周年
09/01/06 19:52:04 2JkU9N5I
―以上のうちどちらなのでしょうか?これまた変な比喩ですが、各国共産党の性格のような問題です。ソ連共産党の指示に無条件で従うのか、場合によっては喧嘩もし絶縁も辞さないのか……。
もし(一)だとすれば、要するにロボットと同じですからこうした意見交換をしても無駄だということになります。(二)であって欲しいものですが、とりあえず先に行きましょう。
まず「欧米人は家畜は神が人間に与えたものと考えている」とありますが、WWFは非科学的な前近代主義を容認する団体なのでしょうか?家畜は神が与えたものではなく、人類が野生動物に改良を加えたものであることは明白だと私は思いますが、 WWFはそうは思
わないのでしょうか?私は宗教上の信念云々を言っているのではありません。科学的な常識を問題にしているのです。そもそもの初めから「野生動物」と「家畜」を峻別する思考はどう見てもおかしいのです。また家畜にしても工業生産物ではないのですから完全に人
間の手でコントロールできるわけではありません。生産性には限界がありますし、疫病で全滅する可能性だってあるのです。要するに野生動物と家畜の違いは程度の違いなのであり、本質的な違いではないということです。もっとも、アメリカの一部の州ではいまだに
進化論を教えるのが禁じられているそうですから、WWFのアメリカ委員会なら「家畜は神が与えた」と真面目に言うかも知れませんが、まさか日本委員会はそれに同調しますまいね?また、水産資源ということに限っていえば、そのほとんどは「野生」です。魚介類
で養殖可能なものはごく僅かにすぎません。大部分の魚介類の生態は、WWF得意の台詞を借りて言えば、「正確に分かっていない」のです。とすると、WWFは大部分の魚介類について「持続可能なレベル」で維持できるかどうか分からないから世界中の漁業に反対
であるという態度なのでしょうか。もしそうならそうはっきり言うべきでしょう。これは嫌みではなく、本当にそう思うのです。その方がむしろ首尾一貫しているではありませんか。水産資源の中で鯨だけを声高に保護せよと叫ぶのは、一種の動物差別主義で、それは
容易に民族差別主義に転じるからです。
389:名無しさん@3周年
09/01/06 20:17:06 2JkU9N5I
この差別ということについて、日本の反捕鯨論者や団体が恐ろしく鈍感なのに私はいつも驚いています。
お答えの文書には書かれていませんが、同封の「クジラと私たち」というパンフ(以下パンフと略記)のQ&Aの項に「欧米の一部の動物愛護団体は『クジラは知能が高いから、殺すのはかわいそうだ』『クジラを殺すのは残酷で、クジラを食べるなんて野蛮である』
といった感情的な理由で捕鯨に反対している人たちもいます」とあります。
しかしこの認識は甘いでしょう。私の考えでは、こういう理由で捕鯨に反対している欧米人は「一部」ではなく相当沢山います。無論ある種の動物保護団体のようにテロリストまがいの行動をとる人間は少数ですが、多数の欧米人はテロリスト的な行為でもそれが外国
人や他民族に向けられる限りは黙認しているのです。これは明確な民族差別ではないでしょうか?いったいWWF日本委員会は民族差別的な反捕鯨運動に同調するのでしょうか?例えばかつて「中央公論」誌で(1986年4月号~8月号)小松錬平氏と捕鯨論争を行ったロ
ビン・ギル氏は、アメリカの反捕鯨運動は鯨は知能が高いから起こったのだとはっきり述べています。そのギル氏も自らの論拠づけに利用しているかの有名な宇宙学者のカール・セイガンは、日本にも翻訳されている著作の中で反捕鯨運動を扇動するような言辞を弄し
ています。私の友人でもアメリカに留学して「鯨は知能が高いから捕っちゃいけないと言われたよ」と苦笑した男がいます。またニュージーランドに旅行して「日本人は鯨を食べるのか」といかにも気味が悪そうに言われた学生もいますし(日本大学生協連発行「読書
のいずみ」本年3月)、「鯨は可愛い」は「一部の」動物愛護団体ではなく、例えばドイツの大部数を誇る週刊誌の記事にも堂々と書かれています(「Stern」本年5月19日号)。 こういった事情をWWF日本委員会は認識していないのでしょうか?だとすれば無知のそ
しりを免れないでしょう」だと書いています。そうかもしれません。だとすれば、しかし、人間は植物を食べることも禁じられねばならないはずでしょう。
390:名無しさん@3周年
09/01/06 20:24:47 2JkU9N5I
「鯨は可愛い」が単なる価値観や伝統の問題であることは明白ですが、欧米人(ノルウェー、アイスランドなどを除く)はこういった価値観を他民族に押し付けて恥じないのです。また「知能」の問題について言えば、かつて鯨は知能が高いから人間とコミュニケーシ
ョンが可能だという説は一部の学者により唱えられましたが、いまだに実証されていないのです。にもかかわらずカール・セイガンは『コスモス』『宇宙との連帯』といった著作で反捕鯨を堂々主張しているのです。私の見るところ、セイガンは宇宙人と容易に交信で
きそうにないので、その代理品を海中に見いだそうとしているのでしょう。これがどれほど幼稚な思考法であるかは、彼の知名度に惑わされずに考えてみればすぐ分かるはずです。また「鯨と人間はコミュニケーション可能」説のリリーやスポングといった人たちは今
回日本にやってきて自説の宣伝に努めましたが、実証されてもいない学説を宣伝する彼らはもはや科学者ではなく、宗教の伝道師と呼ぶべきでしょう。私の考えでは、彼らは生物上の「異種」ということがどういうことなのか分かっていないのです。これは科学的認識
の基盤にあるべき哲学的認識の欠如を示しています(ここでの「哲学」は、難解な用語を振り回す訳の分からない代物という意味ではなく、物事の筋道通った考え方、くらいの意味です)。知能やコミュニケーションが人間の側から考えられている限りそれは人間中心
主義の産物に過ぎませんし、またそうでない場合は「知能」によって鯨を特権化する理由はなくなってしまうはずです。例えばこれまた反捕鯨派の「学者」であるライアル・ワトソンは著書『生命潮流』の中で、人間と植物は精神交流が可能だと書いています。そうか
もしれません。だとすれば、しかし、人間は植物を食べることも禁じられねばならないはずでしょう。 差別ということについてもう少し書けば、動物が人種・階級差別の根拠づけに使われる、或いは動物を可愛がっても異民族は奴隷扱いする、というのは珍しいこと
ではないように思います。日本でも江戸時代の徳川綱吉の「お犬様」は誰でも知るとおりですが、有名な『野生のエルザ』の著者アダムソンが最後に原住民に殺されたのもこういった事情があったからと推測されますし、かの悪名高きユダヤ人大量虐殺を行ったナチス
の指導者の一人ヒムラーは、
391:名無しさん@3周年
09/01/06 20:30:15 2JkU9N5I
自分はユダヤ人を虐殺しながら動物が誰かに虐待されると烈火のごとく怒ったということです(村松剛『大量殺人の思想』)。動物は単なる人間の道具ではありませんが、同時にそれは単なる「保護」や「愛玩」の対象でもありません。動物を殺すな、というのが言い
易いが故に、動物が民族差別の口実に使われ易いことを忘れないでいただきたいのです。IWCはこの点でも首尾一貫していません。最初に私が述べた通り、自然資源の中には必需品であっても利用により減少するものと、必需品でなくも一定の利用に十分耐えるもの
があります。ご存じの通り現在IWCに認められている捕鯨のうち、エスキモー(イヌイット)の捕獲しているホッキョク鯨は生体数が少なく(千頭程度)絶滅が恐れられています。にもかかわらずこれは「伝統」の名のもとに認められています。それでいて今回のI
WCは、日本近海で2万頭以上いると推測されるミンク鯨50頭を捕獲したいという日本の申し出を拒絶しているのです。南氷海は公海だから捕獲可能でも遠慮しろという論理なら幾分かは分からないでもありませんが、日本近海の資源量豊富な鯨の捕獲を認めず、絶滅
の心配があるとされるアメリカ近海の鯨捕獲を認めるIWCは明らかに偏向しています。 WWF日本はこれに対しどういう態度をとっているのか、ご教示下さい。 WWFの論理からすれば当然エスキモーの捕鯨は禁止さるべきだということになるでしょう。「文化や
習慣をふりかざしてのわがまま」はいけないと、文書の2ページにもはっきりうたってありますからね。またアメリカの経済力を持ってすればエスキモーを養うのは難しくはないでしょう。 WWF日本委員会は無論、日本が誤っていると考える場合には敢然と日本を批
判すべきです。しかし、同様に外国が日本に対して偏見を抱いていることが明白な場合は、これまた敢然と外国を批判し偏見を正すべきではないでしょうか。捕鯨問題には沢山の偏見が絡んでいます。 この偏見に何も言わずに、日本の誤った部分だけを批判するなら、
それは内弁慶の卑屈さと見られても仕方がないでしょう。次に文書5ページの伝統の問題に行きましょう。鯨資源がかつてに比べて激減していること、日本の戦後の捕鯨がいわゆる伝統捕鯨とは異なっていることはその通りだと思います。
392:名無しさん@3周年
09/01/06 20:33:46 2JkU9N5I
ただし伝統の問題に関しては、流通機構が戦後著しく進歩したことを考えれば、漁民だけが鯨を食べてよい、式の狭い考え方には反対であることを付け加えておきたいと思います(たまたま魚網にかかった鯨を流通経路に回してすら、外国から非難されることがある
のは、ご存じでしょう?)。「日常食ではなく、希少で高価」というところには少し言いたいことがあります。というのは反捕鯨論者が最近よく使う論法の一つがこれだからです。パンフのQ&Aにも似たような記述「これほど豊かな時代に日本でクジラを食べるこ
とが本当に必要でしょうか」があります。まず、鯨は贅沢品というのは本当かという点です。現段階ではそうは言えない、というのが私の意見です。無論豚肉や牛肉や魚類のように日本人の栄養源の根幹をなしてはいないと思います。しかし近所のスーパーでは現在
のところ鯨の缶詰は安いもので一缶500円程度です。確かに缶詰としてはお世辞にも安いとは言えず、またこれだけで一家何人かのタンパク質が賄えるわけではありません。しかし嗜好品としてみた場合これは決して高くはありません。時々ファミリーレストランで外
食すれば一人当たり千円以上はかかるのです。缶詰というのは毎日食べるものではありませんから、年に何回か買ってふだん食べ慣れた豚や牛や鶏とは違った味を楽しむ分にはむしろ安いのではないでしょうか。ホエール・ウォッチングに私が新潟から小笠原諸島ま
で出かければ、交通費宿泊費などで数万円はかかるのですから。次に、しかし鯨の特殊な部位は非常に高価だ、或いは将来は缶詰すらも一缶数千円になるかも知れない、と反捕鯨論者は反駁するかも知れません。私は、それでも構わない、鯨資源の管理がきちんとな
される限りは、と答えます。鯨をきちんと科学的に資源管理した結果ごくわずかしか捕れないとしましょう。そして鯨の缶詰すら異常に高くなり、私には手が届かなくなったとしましょう。別にそれでもよかろうと私は思います。自分が食べられないほど高価だから
捕鯨に反対する人がいるとすれば、それは醜悪としか言いようがありません。それは要するに嫉妬であり、取り上げるに足りますまい。非常に高価な鯨を食べられる人がいて、そのお金で漁民が生活でき、またそのお金の一部が鯨学の研究費に回されるなら、むしろ
大変結構なことではありませんか。
393:名無しさん@3周年
09/01/06 20:38:01 2JkU9N5I
鯨は贅沢品、必要最低限のものだけをという主張には、なにやら欲シガリマセン勝ツマデハ的なヒステリックないじめ(「戦時中なのにパーマをかけるのはけしからん」の類)の匂いがしますし、また文化の本質を理解していない人たちの奇妙に修道士的な生活理想
が感じられます。文化というものの一面は贅沢です。例えば西欧の例で言えば、オペラを見るのにはかなりのお金がかかります(仮に安くても政府の補助金があるためです)。オペラを見なくとも死ぬ人はいません(オペラ歌手は失業して死ぬかも知れませんが)。
それでもオペラは上演されるのです。なぜでしょうか?それが贅沢だからです。必要最低限のものだけで生きていけるなら地上に文化は生まれていないでしょうし、ということは人間は人間にならなかったでしょう。贅沢も人間には必要なのです。鯨食文化も同様で
す。鯨資源が科学的に管理される限り、鯨肉がいくら高かろうが非難すべきいわれはありません。 次に最後の「クジラの生体容量」に行きます。はっきり言って、こういう記述は読む者を惑わせるだけですから、やめるよう私は要求します。数値を使うのは結構です
が、鯨種ごとの頭数で表示すべきでしょう。まず、先の手紙にも書いたことですが、IWC科学委員会の鯨資源量推定についてミンク鯨のような資源量豊富な鯨については問題ありとしているのに、資源減少を訴える時だけそれを利用するのはどういう訳でしょうか。
態度を一貫させていただきたいと思います。IWCの数値を使うならミンク鯨の資源量についても「分からない、分からない」と言うべきではありますまい。
第二に、「生体容量」というのは馴染みにくく、頭数と容易に混同され誤解を生む概念です。いささか邪推すれば、誤解されたいために使っているのではないかと思うほどです。かつて捕鯨の限度量を決めるのにBWUという数値が使われたことはご存じでしょう
(パンフにも記載してありますね)。最も大きいシロナガス鯨を一頭、小さくなるにつれて何頭分と換算するやり方ですが、これがシロナガス鯨の激減につながる誤れる管理法であったことは今日広く知られています。なぜ誤りであったか?鯨の種類を無視して、どれ
も同じ基準で扱ったからです。そのため捕られやすい大きな鯨の生体数が減っても止められない結果に終わったのです。
394:名無しさん@3周年
09/01/06 20:42:47 2JkU9N5I
ですからその後のIWCは捕鯨の可不可を論じる際には種類別にした訳です。WWFが鯨の種類を無視していっしょくたにし、おまけに頭数ではな く「生体容量」で南氷洋の鯨資源量を表すのはBWUと同断と言えましょう。体の大きなシロナガス鯨、ナガス鯨など
が多く捕られた結果、頭数と比べて「生体容量」では全体の資源の減少が実際以上に強調され(それでいてシロナガス鯨が絶滅の危機に瀕していることは、この数値からだけでは分からない)、ミンク鯨のような小型鯨が数多くいることは容易に分からなくなるからで
す。ですから、数値はあくまで鯨種類別の頭数で表していただきたいと思います。 それによって本当に保護に取り組まねばならない鯨は(放っておくというような無責任なやり方ではなく)国際的に種の保存や資源増加の努力がなされなくてはならず、豊富な鯨は一定
量の捕鯨を認めればいいという、ごく当り前の認識が広まることでしょう。そして今本当に絶滅の危機に瀕しているのは南氷洋の鯨類ではなく、(WWFのパンフにもあった通り)一部のカワイルカであることももっと一般に知られていいと私は思うのです。長くて申
し訳ありませんが、最後にもう一つ、捕鯨だけではなく自然保護一般のあり方についてWWFの姿勢を質したいと思います。文書の中にアフリカ象の頭数を書いた箇所がありましたね(十年間に70万頭減ったというのですが、捕鯨との関連で言えば説得力には乏しいで
しょう。捕鯨国の現在の捕鯨要求は一年に1万頭を大きく下回っているのですから)。自然の保護を言うとき、資源量の科学的測定が第一であることは言うまでもありませんが、それが少数民族や少数文化や少数住民の圧殺につながらないよう用心することも、特に注
意すべき点ではないでしょうか。象牙目当てでアフリカ象が減少していることはおっしゃる通りですが、これもアフリカの国ごとに違いがあり、国によっては象の数が多くむしろ象牙などを輸出した方が財政が潤うところもあるのです。こういう国情の違いを無視して
一律に保護を叫ぶのは、先進国、特に都市住民の自己満足でしかありません。 私が特に危惧するのは、現在流行とも言えるほど人々の口に上る「自然保護」が実際には先進国・都市住民の思想であり、農村漁村や低開発国の抑圧につながりかねない点です。例えばこ
ういうことです。
395:名無しさん@3周年
09/01/06 20:50:25 2JkU9N5I
上でも引いた反捕鯨論者のロビン・ギル氏は、アメリカの反捕鯨運動のためアメリカの漁民はイルカを捕ることができなくなった、と誇らしげに語りました。アメリカの漁民がイルカを捕っていたのはイルカ自体が目的ではなく、魚類を捕るとき網にまぎれこんできた
からですが、アメリカ都市住民は魚を買うことをボイコットしてイルカを殺すなと圧力をかけたそうです。好きな魚を食べないという犠牲を払ってもイルカを守った、とギル氏は言うのですが、これは私からみると都市住民の欺瞞に過ぎません。都市住民は魚を食べな
くとも食糧には困らないからです。豚や牛や鶏など他にいくらでも食べるものがあるのですから。それに対して漁民はとった魚が売れなければ飯の食い上げです。ここに現れているのは、現場を知らない都市住民がその力にものをいわせて漁民を抑圧する構図に他なり
ません。私はこの構図が現在の「自然保護」運動の大部分につながる恐れがあるのではないかと考えています。とりわけ単に野生動物の数だけを問題にするのではなく、自然環境の汚染ということを問題にするなら、先進国・都市住民の責任は重大なはずです。それで
いて自然保護団体に幾らか寄付し、反捕鯨を叫び、毛皮や象牙は使わないと誓っていればなんとなく自然を守っている気分になる、これは変です。自分の利害に直接か関わらない部分でだけ自然保護を叫び、そうでない部分には目をつぶる―これはきわめてたちの悪
い欺瞞と言えるでしょう。自然保護のためには漁民の食いぶちを奪うのもやむを得ないと考えるなら、エネルギーを大量消費する先進国・都市住民は同程度の犠牲を払うべきでしょう。同程度とは、年一万円をWWFに寄付する程度のことではありません。電気を使わ
ぬために冷蔵庫やクーラーの使用は原則禁止し、排気ガスを減らすため自家用車の所有も禁止する。また企業の電気大量使用や煙放出を大幅に規制し、徹底的に環境汚染を防止する、このくらいのことはして然るべきではないでしょうか。そのため企業の採算が悪くな
ってサラリーマンの給料が下がったり解雇者が出てもやむを得ないでしょう。自然資源使用を厳重に規制し、漁民の収入や低開発国の外貨取得手段を奪うのが当然ならば、先進国・都市住民の収入が減ろうが失業が増えようが構わないはずでしょう。WWFはそういう
主張をする気があるのでしょうか。
396:名無しさん@3周年
09/01/06 20:51:57 2JkU9N5I
つまり、いささか意地の悪い言い方をさせていただくなら、自然保護団体に多くの金銭的貢献をしてくれる都市住民や一部の金持ちの日常生活を根本的に叩き直すことができますか? そうでなければ、「自然保護」は所詮、強者の弱い者いじめや自己満足の域を出ること
はできないでしょう。長々書いてしまい、申し訳ありません。しかしWWFは国際的にも有力な自然保護団体だそうで、その影響力も大きいと思います。それだけに行動にも慎重さが要求されるのではないでしょうか。以上の疑問へのお答えをいただければ幸いに存じます。
敬具 1993年8月24日 三浦 淳
5.WWFより三浦淳へ 1993年9月30日 三浦淳様 (財)世界自然保護基金日本委員会 自然保護室 K〔個人名省略〕
拝啓 時下ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。また、当会の捕鯨問題への姿勢に関する質問や率直な意見をいただきありがとうございました。今後の活動の参考にさせていただきます。
商業捕鯨に関する問題は非常に難しく、商業捕鯨を推進する側、クジラ類を保護しようとする側の相互理解の不足から、双方の間に深い溝ができ、お互いに不信感さえ生まれてしまいました。この返書は、三浦様のご質問に答えると共に、三浦様と同様の疑問をお持ちの
方にもWWFのポジションを理解していただけるよう作成しました。
今日の環境問題のほとんどは、先進国を中心とする人間の環境容量を無視した活動や浪費的なライフスタイルが原因となっています。