08/12/22 08:27:50 we9j7p03
>>14
自由主義者の典型的な詭弁でありレッテルであるが、
努力神話なんかとっくに吹き飛んでる。
そしてその努力神話を吹き飛ばしたのは新自由主義を導入した自民と民主。
結果の平等と機会均等ではどちらがより努力が報われるかと言えば前者。
ところが結果の平等は悪平等である、努力が報われないと攻撃し、
才能ある人間の努力のみが報われる歪んだ社会を作った。
>>16
>この暴挙により「革新」(いつの頃からか、この言葉も使われなくなった)は国民から信をなくした。
>そして、その後の統一地方選挙により東京、大阪、京都、福岡といった革新自治体はすべて自民党の手に落ちた。
あなたねえ、少し調べれば簡単に嘘と分かるような出鱈目を書きなさんな。
>社共共闘とは、1960年代から70年代にかけて日本で、
>日本社会党と日本共産党の共闘により革新政権を目指そうとするものである。
>より幅広く「革新共闘」「革新統一」とも。
>1977年の協会規制により社会党内で右派勢力が台頭したこと、
>1979年の東京都知事選挙で、社共推薦の太田薫・総評議長が落選したこと、
>1980年の社会党と公明党との合意文書のなかで共産党を協議の対象からはずすと明言したことにより、
>社共共闘は事実上終焉したと言われる。
>社会党にとって、野党の共闘は民社党・公明党を排除するものではなく、両党を併せた全野党共闘を掲げていた。
>しかし、民社党・公明党は共産排除を求め、
>社会党が要求を呑んで1980年1月に「社公合意」が成立し、
>自社公民相乗りオール与党体制が確立した後、両者の対立は決定的となった。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
革新自治体の消滅は社共共闘の破綻が原因。