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戦後、陸軍省と海軍省は解体したと思い込まれていたが、
実は、第一復員省、第二復員省という名称に改称。
これが一つになって改称されたのが、厚生省の援護局。
ここにかつての省部(陸海両省と参謀本部)からの職業軍人たちが全国入れて1500人も生き残っていた。
他にも、陸軍有末機関、海軍の中村機関に大本営の参謀達が戦史研究の名のもとに生き残っていた。
特に有末機関は、米軍の謀略活動や反共活動にも従事していたとされ、中村機関ともども戦後の暗部の
一つだと言われていれつづけているが、戦後の自衛隊の生みの親と言われ、当時の吉田総理と米軍の間
を連絡員として介在していたのが、辰巳栄一元中将。この人もその機関所属。
さらに、戦後、自衛隊の将官多数もこの機関から輩出されている。
自衛隊は生まれからして米軍直隷。
それが、ここにきて田母神発言は自衛隊の質的変容とも言える大事件。