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この条約の中心人物だったアメリカの国務長官フランク・ケロッグの見解が、侵略戦争と自衛
戦争の国際的定義とみなされている。要するに侵略か自衛かは自国で決定するということだ。
そこへ例の「秘書官」が「とりあえず謝罪する」をやってのけたのだ。
これによって日本侵略論が、各国の散発的見解を超えて国際的定説化への端緒となる。後に
宮沢内閣が成立し、加藤紘一が、河野洋平が次々に謝罪を公にし、そして細川内閣において
運命の総理見解が発せられた。「侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している 」
田母神氏は、「我が国が侵略国家だったなどというのはまさに濡れ衣である」と語って物議を
醸した。しかし、正確に言うならば、それは「濡れ衣」ではない。日本を侵略国家と規定し、これ
を国際的定説としたのは、まさに日本政府そのものなのである。
外交の文法と日本文法の区別がつかぬほど我が国の政治家は退廃してしまったのか。民主
主義と他国の民主化を絶対価値と考え、その伝道者をもって任じるのがアメリカ人の独善である
ならば、自国の文法を無意識的に絶対化し、これを普遍的尺度と誤認する日本人の独善もまた
絶望的なまでに度し難い。
それは、己を知らず彼も知らぬ百戦百敗の道であり、かつては数百万の尊い人命をもって贖わ
ねばならなかった。そして今またその恐るべき歴史を繰り返そうというのか。しかし、そのような
危機の認識すら今の政府には求むべくもないのかもしれない。