08/06/05 07:01:43 Fd5Kj+8f
明治政府が竹島を島根県に編入するまえに、韓国は竹島が韓国領でないことを
公言していた証拠。
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265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 03:27:03 ID:v6FHF6cg0
これまで、韓国政府は、大韓帝国は1900年勅令41号で「江原道の鬱島郡の所管の島は鬱陵島と竹島
(チクトウ=現在の竹嶼)と石島」としたことをもって、領有宣言とし、そして「石島は現在名の独島のことだから、
よって石島(=独島であれば)は独島は韓国領」と主張していた。
だが、かの勅令は、同時にその「江原道の鬱陵郡」の行政管区を「東西六十里、南北四十里」と限定していた。
韓国の1里は0.4kmだ。つまり、鬱陵島を中心にした東西24キロ、南北16キロの範囲の鬱陵郡には、
どうやっても、90kmも離れている松島(現・竹島)は、その範囲には入れようがない。
このように韓国名の「石島」(は、おそらく鬱陵島の北に近接する小島、昔は「観音島」とか「小于島」とか呼ばれた島)
が竹島でありえないことは、1906年7月13日、皇城新聞の勅令の記事から明らかである。
韓国領有の法的根拠(石島=独島)は、嘘がバレて完全に破綻した。
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