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城北は1960年代は東大ゼロ、1970年代は入ってもゼロか1人。都立の12群や91群の滑り止めとして有名。
1970年代頃までは「都立に入れないという最悪の場合でも城北や巣鴨や駒込があるから心配するな」と口にする
中学の教師が多かった。海城は1970年代から3人程度東大合格者を出し始めていた。当時(1970年代)は桜蔭
ですら東大合格者数は4人ぐらいだったはず。お茶大附属からは15~16人程度入っていた。海城は都立の11群の
滑り止めにされていた。