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東大脳の作り方(平凡車新書)
著者 安川佳美
1987年生まれ。自衛官の父の転勤に伴い、神奈川、岐阜、埼玉、東京の四つの公立小学校に通う。
1999年年桜蔭中学入学、2005年桜蔭高校主席卒業。同年東京大学理科Ⅲ類現役合格。2007年より
医学部医学科に進学。
~本文より抜粋~
前にも述べましたが、私の父は自衛官なので、私が中二の時に持ち家を購入するまでは定期的に転勤を繰り返していました。そのため、小一で
神奈川、小二~小四で岐阜、小五で埼玉、小六で東京と、三度の転校で四つの小学校を経験しました。
中略
それ以外の三校もそれぞれ独自のカラーを持ってはいましたが、岐阜の小学校は異色でした。一言で言えば閉鎖的、先生も生徒も見えないバリアー
で自分たちの価値観にそぐわないものを排除しているようなところがありました。その静けさにありました。それを如実に表す特徴としては、ます校則の
厳しさがあります。筆記用具は絶対に鉛筆、下敷きの色は透明と、あらゆるものに制約が課せられていました。小三ぐらいでドラクエのバトルえんぴつが
はやった時、学校へ持ってきてよいのかということについて朝の会、帰りの会を使って数週間にわたり話し合いが行われたことは今でもよく覚えています。
中略
そして最後に、授業のつまらなさ。先生のマニュアル通りに授業を進めるのは都会の小学校でもよくあることだと思いますが、岐阜の小学校の授業の
特徴は授業中に聞こえてくる音声のすべては、先生の話し声と発表している生徒の声のみ。
中略
発表の時はパー、質問の時はチョキ、意見の時はグーと、挙げる手の形が決められているのです。グーやらパーやらチョキやらの手をした子供たちが
無言で一斉に手を挙げているのは、考えてみれば恐ろしい光景です。
中略
岐阜にいた三年間は苦労が絶えませんでした。だから、埼玉への父の転勤が決まった時は寂しさ・不安などより「やっとここから抜け出せる」と
いう喜びの方が大きかったと思います。
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