09/07/12 22:59:50 kBRskQmF0
「誰がなんと言おうと、みんな学歴が大好きだ。もちろん東大に入るようなヤツは特別なんだけど、
決して特別に頭がいいってわけじゃない。じゃあ何が特別なのかというと、ガマンのしかたが
普通じゃないのだ。
受験勉強でもっとも重要なのはガマンである。なにしろ受験の基本は『暗記』と『反復練習』だ。
俺も本当によくガマンして勉強した。『476年、西ローマ帝国滅亡』なんていう、どう考えたって
テストの時にしか役に立たないことをよく何十個も何百個も暗記したもんだ。入試なんて、
どれだけガマンしたかを競うゲームにすぎない。
そもそも学校なんてものが、ガマンを学ばせるところなのだ。長時間同じ場所に座ってることや、
単純な繰り返しや、時間で細々と区切られた生活を叩き込むためにある。
朝礼の目的は決して校長の話を聞くことじゃなく、きれいに整った列を作って、そこにずっと
立っている訓練をすることだ。学校はそのままではフラフラ動き回ってしまう子どもをビシッと
しつけて、飼い慣らしやすい"社会人"に仕立て上げる。受験勉強はその総仕上げだ。いちばん
"体制"や"組織"に柔順で、盲目的に耐えたヤツが、いちばんいい大学に行ける。
偏差値の高い大学の学生がより就職しやすいのも、それがガマン強さの証になるからだ。
ガマン強さは会社員には絶対欠かせない資質だ。会社側も採用するんなら、ガマン強さの保証が
なくちゃ困る。だから受験勉強によりよく耐えたヤツを採用したがる。
俺が入った某大手電機メーカーなんて、東大生なら誰でも採ってたぞ。(中略)
学校と会社がこうなったってことは、もう世の中全体の基本がガマンになったってことだ。
これができないヤツは芸術家やフリーライターにでもなるしかない。ガマン社会。
その社会を維持するための学校っていう装置。東大生はその装置が作った、最高に出来のいい、
規則や命令をよく守る、耐性の強い製品みたいなもの。こう言う俺もそのひとりだった」
「無気力製造工場」鶴見済(東京大学文学部社会学科卒業)P15-16 大田出版 1994年