北海道教育大学附属札幌&旭川&函館&釧路中学校at OJYUKEN
北海道教育大学附属札幌&旭川&函館&釧路中学校 - 暇つぶし2ch96:昭和57年度、パ・リーグ小学校の西武学級の担任教師は広岡達朗先生?
08/12/09 08:48:12 L1nUFBqTO
野村克也『プロ野球 野村克也の目』朝日新聞社(83年4月)で、
当時評論家だった野村は昭和57年の広岡西武のことを「銀行野球」、大沢日本ハムのことを「富くじ(宝くじ)野球」と言っていた。

また、同年の西武と中日の日本シリーズについて(ちなみに当時の野村は中日有利を挙げていた)、この本(265ページ~)の中で、小学校の教師にたとえて、
(昭和56年の西武について)監督はいてもなにもいわないので、選手がてんでに勝手なことをしていた。ちょうど、担任の先生が休んだ小学校の教室のようなもの。無政府状態といってよいだろう。
(昭和56年秋)そこへ広岡さんがきた。小学校低学年の担任としてこれ以上の適任者はいまい、という人だ。
前の担任(根本陸夫監督のこと、野村の現役晩年の昭和54年・55年は根本西武でプレーしている)が、「野球なんて、投げて打って守って、ほかになにがある」といっていたのに対して、
この人は、「究極はそうなるとしても、そこまでになるには君たち、勉強することがいっぱいあるんだよ」と、それこそイロハや足し算からやり直させた。
生徒のほうは、それまでほとんどなにも教えられていないといっていい状態だった。先生としては、なまじおかしな教育を受けた生徒より、相手がいわば白紙状態なので、教えやすかった。
こうして西武は初のリーグ優勝を成し遂げた。広岡さんの手腕には、脱帽のほかない。
日本ハムとのプレーオフでも、生徒たちは「江夏攻略にはバントがいちばんですよ」と、先生に教えられた通り、一生懸命バントをしていた。
どんなプレーをすべきか判断するのはあくまで先生で、生徒はその教えを忠実に守る。従ってミスは犯さなくてすんだ。

など、当時の野村は本の中で述べていた。

根本西武時代の選手が勝手なことばかりしていたって、当時の西武の選手って、田淵や東尾などである。
たしかに西武学級の田淵クンや東尾クンみたいな生徒は、教室の中でてんでに勝手なことをしていただろうし、根本先生ならこういう生徒らを放任するから、近年でいう学力低下を招いてしまう。
広岡先生が、西武学級の担任(ヘッドコーチの森祇晶は副担任といったところか)に就いて、低迷していた西武組の学力をアップさせ秀才軍団に仕上げたというわけだ。

今の北海道の中学は、根本監督時代の西武のように無政府状態ですか?

97:実名攻撃大好きKITTY
08/12/10 01:29:07 PAsw5IRr0
くじ引き無くなったらかなりレベル高くなるんじゃない?

98:今の中学の先生は、三原監督の「魔術」のように放任主義の先生が多い
08/12/10 19:16:42 X7FK6NO8O
今の学校教育は、悪いことや間違ったことをしても叱ったり注意しない、いわゆる「放任」により、教師が生徒にご機嫌を取りながら授業や学級経営をしている始末である。
「学校の先生」とは教育者であり、保育士や介護士のような福祉従事者と混同していないだろうか。これでは、“魔術(マジック)”と同じである。

広岡達朗『勝者の方程式』講談社(88年4月)の中で、
「“魔術”と呼ばれた監督采配もあったが、それは、所詮、一時的な催眠術かマジックのようなものであり、選手のあり合わせの力の組み合わせの妙に過ぎず、チームと選手の力を向上させるものだはなかった」
とか
「また、かつて“魔術”といわれ、頻繁に奇襲や奇策を行った監督がいたが、こうした戦法も、そればかりにとらわれすぎると、選手が大きく育たないのは自明である」
と述べている
※広岡監督が批判する魔術采配とは、三原脩監督のことである

これを学校教育に置き換えると、
「“魔術”と呼ばれた学級経営や授業もあったが、それは、所詮、一時的な催眠術かマジックのようなものであり、生徒のあり合わせの力の組み合わせの妙に過ぎず、学級と生徒の力を向上させるものだはなかった」
「また、かつて“魔術”といわれ、頻繁に奇襲や奇策を行った教師がいたが、こうした授業も、そればかりにとらわれすぎると、生徒が大きく育たないのは自明である」
と言える。

また、本の中で、
「意識革命は監督と選手の嘘隠しのない戦争からはじまるのだといえる」 と述べているが、学校教育でも、
「意識革命は教師と生徒の嘘隠しのない戦争からはじまるのだといえる」 と思う。
意識革命とは、「これが正しい」と信じ込んでいる者に、「それは間違いだ。正しいのはこうだ」と、頭を切り換えさせる作業なのであり、人間の心の持ち方にかかわる抜本的な改革のことである。

今の女子中学生が、高校生かそれ以上の年齢の男子と恋愛をした挙げ句、彼氏に殺害されてしまうような事件にまで進展してしまうというような話は朝のワイドショーや女性週刊誌でよく目にする。
女性高校生ならいざ知らず、一昔前なら女性中学生が彼氏をつくるなどということはほとんどあり得なかった。
しかし、三原魔術のような「年上の男性と恋愛OK」と放任する中学教師が少なくないのは、教育者として「問題あり」ではないのかな?

99:権藤博のような「肩は消耗品」的な考えの先生が生徒を教育できるか?
08/12/11 06:10:21 jzydGIQwO
管理教育(平成5年頃まで)時代と違って、
今ではまるで生徒にご機嫌を取るべく、宿題や小テストも実施しない、甘くてラクな授業ばかりを提供しまくり、あまり板書をしなくなった。
だから、社会科や理科を中心に、単調でグループ学習などを取り入れたりして生徒に飽きがこない授業をするわけだが、そうなると、グループに入れない(入れてもらえない)仲間外れ(いじめ)が授業内で起きるのはなぜ?
そして、見て見ない振りをして仲間外れを放置する教師がいっぱいいる。

例えば、ロクに字も書かないラクで単調な授業は、社会性や集団組織への適応性が育つのだろうか?
漢字を覚え、書く力(作文)・読む力など国語力が育つだろうか?
行儀がよくなったり、落ち着きがある性格になるだろうか?
これが社会科などの授業の正しい在り方なのだろうか?
こんなのが“いい先生”なのだろうか?

野球のピッチャーの登板過多による投げ込みと違うのだ。ノートに字を書き過ぎたからといって肩や肘を壊したり痛めることはない。
(その割に携帯でメールをたくさん打つときやオ●ニーをするは手や指が疲れないのはなぜ?)

生徒に機嫌を取るような授業をしまくった挙げ句、修学旅行先の海外で生徒が集団犯罪をしたりするということは、生徒の社会性は育ってなく、
また、「社会科教師」などとは名ばかりで、刑事事件を隠蔽していた教師とやらも社会性がない証拠ではないだろうか?

一方で、管理教育時代は、授業が始まると教師が黒板に字を書いて、終始一貫、生徒にノートを取らせていた先生も少なくなかったし、
また、書きっぱなしだから「手が疲れる」「肘が痛い」などと考えたり不満を抱いて教師に反発する生徒もいなかった(そんなこと言ったら先生にひっぱたかれた)。
当たり前な話だが、授業で字を書き過ぎても、肩や肘を壊したり手や指を疲労骨折した生徒は誰もいなかった。勿論、携帯も普及する以前である。

教科に関わらず、先生が黒板に書いた事項をひたすらノートへ写すだけで、生徒は漢字を覚え、書く力や読む力といった国語力が身について、また行儀も学び、落ち着きとか社会性や集団組織への適応性が育っていった。だから、学校行事内で集団犯罪など起きることもなかった。

少なくても、そういう授業をしていた頃の先生のほうが、社会性がある“いい先生”ではないのか?

100:実名攻撃大好きKITTY
08/12/12 07:59:08 2qqJDIL20
いや、くじ引きの有る無しと、レベルは関係ないような・・・
くじで当たりを引いた子供が優秀層ばかりであるはずは無いし。



101:学校の後輩に苦言を述べることができる広岡達朗は、育てる能力がある
08/12/12 09:33:57 Opmes1tJO
早稲田大学教育学部卒業でもある広岡達朗は、『監督論』集英社インターナショナル(04年4月)の中で、“阪神・岡田(当時は新監督)の場合 「人は育つ」の信念を持て”という項で、

彼は4年間(98~02年)の2軍監督時代、何回かファームを優勝させている。それでいて、あの選手は岡田が仕込んで育てた選手なのだという声が聞こえてこない。
ひとりぐらいはそういう選手がいてもいいと思うのだが、いない。何をしていたのかと考えざるを得ない。(>>84参)

と書かれているが、これは学校教育も同じで、

彼は何年間か学級担任をし、その中で受験とか採用試験、検定試験などに生徒が合格している。
それでいて、あの生徒をこの先生が仕込んで育てた選手なのだという声が聞こえてこない。ひとりぐらいはそういう生徒がいてもいいと思うのだが、いない。何をしていたのかと考えざるを得ない。

と置き換えることができる。さらに、

2軍のことをファーム(農場)とは、よく言ったもので、選手を育成、耕すところと認識することだ。

あくまで基礎をしっかりとたたき込み、適性を見抜いて一人前の選手に仕上げることなのだ。岡田はどうだったのかということである。

私の経験からいえば、若手の選手は一生懸命やっても上手くなりたいのだが、どうやればいいかが分からないことが多い。だから教育が必要なのである。

などと述べ、昭和45年の広島コーチ時代の苑田の内野守備を育てた話(>>83参)に触れているいうが、これも学校教育でも同じで、

学校とは、選手を育成、耕すところと認識することだ。

あくまで基礎をしっかりとたたき込み、適性を見抜いて一人前の生徒・人間に仕上げることなのだ。この先生はどうだったのかということである。

私の経験からいえば、真面目で素直な生徒は一生懸命やっても上手くなりたいのだが、どうやればいいかが分からないことが多い。だから教育が必要なのである。

と考えることができる。

ちなみに、岡田彰布は早稲田大学出身で広岡の大学後輩に当たる。広岡は大学の後輩だろうと苦言を述べることができる。
甲子園出場歴がある道内私立高校の場合、在校生や飲酒・喫煙をした生徒、教師らに対し、広岡のように苦言を述べることができるOBが果たして何人いるだろうか?


102:実名攻撃大好きKITTY
08/12/12 11:13:32 n605p3qy0
↑これ、何の意味があるの?

103:実名攻撃大好きKITTY
08/12/12 19:14:33 e4gqm2S0O
たぶんプロ野球の監督論や哲学を学校教育に結び付けて活かせという意味なんだ

104:中学の選択国語に『野村ノート』が導入されるなら、北海道の中学でも
08/12/12 19:42:29 Opmes1tJO
野村監督の『野村ノート』、街中の本屋でも並んでいるのを目にするが、この本、中学の教科『選択国語』に導入されるらしい。そしたら、北海道の中学でも、選択国語は「野村ノート」が採用されるのかな?
中学の国語の先生は、ヤクルトや阪神の選手同様に、生徒に『野村の考え』をノートにたくさん書かせるほうがいいね。
中学のみならず、高校の国語の授業や野球部でも、「アタマ使う」野球ができるように、『選択国語』で野村ノート導入したら?
その野村監督は「勝負」の正体を突き止めようと、いろいろな書物を読んだり、人の話に耳傾けたりした。その中からヒンズー教の「考え方が変われば人間や運命が変わる」とか「念ずれば花開く」といった野球に還元できるような名言・格言を作った。
野村克也『ノムダス 勝者の資格』扶桑社(95年11月)によると、かなりの歴史的文献を読んで、それを言葉にしていることがわかる。たとえば、

金色夜叉
ああ金なりき金なりき、すべてこの世は金なりき…智者も勇者も豪傑も金の前に倒るべし

論語
故旧ハ大故ナケレバ則チ棄テズ

老子
天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧し

道は一を生ず。一はニを生ず。ニは三を生ず。三は万物を生ず

菜根譚
得意の時、便ち失意の悲しみを生ず

利休百首歌(千利休)
茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりなる本を知るべし
釜一つ持てば茶の湯はなるものを数の道具をもとむ拙なさ

孟子
終身の憂いあるも、一朝の患いなし

どうだろう。高卒のプロ野球監督すらここまで口にしているのに、学問を教える立場である学校教師(しかも仏門系など)や高校野球の監督が、こうした書物を読もうとしたり、
また授業やミーティングで喋ったりできずに板書もおろそかにしているから、試合に出ても勝てず、選手の学力は年々下がり、選手の素行も悪くなる一方なのだ。
野球部監督や学校の国語の先生は、立場的にも「古典や漢文を教えるのではなく、野村監督のように古典や漢文を使って生徒(選手)を育てる」べきだ。

105:旅行で海外に行くなら、日本より厳しい規則や禁止事項、社会性を守れ
08/12/13 08:59:23 zT22IxrWO
野村克也『ノムダス2 弱者が勝者になるために』扶桑社(98年1月)にて、

「野村再生工場」のバックボーンとも言える言葉に、中国の兵法家・呉子の「功ある者を集めるより功なき者を集めろ」あると書いてある。
学校で例えるなら、勉強もスポーツ(部活)もルックスも他の平均的生徒より劣ったりイジメを受けているような弱者的生徒などは、「功なき者」に当たるだろう。
学校教師は、大学や現場研修で教育心理学などを学んでいるはずなのに、学校にいる「功なき生徒」にそれら心理学を活かせていない。
ひどい話になると、教師が功なき生徒を授業でイジメている始末である(福岡の中学での男子生徒の自殺問題が例)。

また、教育目標によく「文武両道」などと掲げている学校は少なくないが、97年当時のプロ野球で、野村監督は、「文」教育をやっているのはヤクルトだけと述べている。

さらに、野村監督は本の中で、(平成9年当時)の西武というチームが、茶髪、ピアスであり、日本シリーズでは絶対に負けてはならないと思っていたというが、これは正しい。
同書、“なぜ茶パツはダメなのか”という項でも、西洋の日本より厳しい規則や禁止事項が存在や、南海監督時代の江本の長髪の話に触れ、
97年の日本シリーズでは西武の上層部は見てみないフリをしていた。現役最後にお世話になったとき(昭和54・55)の西武は礼儀やマナーに厳しいチームだったのに、今は茶パツあり、長髪あり。世の中に通用する秩序は失われてしまった、と書いている。

これとまったく同じ、『週刊ベースボール 創刊50周年 2008年12月8日号』の8ページにて、広岡達朗が、
岸や涌井などいいピッチャーが多いが、髪の毛が長過ぎて、ああいうところは堤義明元オーナーの意向が消えている。広岡が入る(昭和56年秋)ときは西武の伝統が残っていたが、今はない。
これは選手たちの責任ではない。球団の姿勢がなくなったということですよ。と指摘している。

なるほど、「文」教育をしない・学校の姿勢がないから、日本より厳しい規則や禁止事項が存在する西洋にて、今年、社会科の教員免許を持つ茨城県の高校野球監督(当時30)が世界遺産であるイタリアの大聖堂に油性ペンで落書きするふざけた事件を起こしたり、
修学旅行での集団万引き事件でも、上層部が見てみないフリをするのだろう。

106:実名攻撃大好きKITTY
08/12/13 19:00:03 s19xZUH7O
日本の学校の先生の世界は保守的な世界だから奇抜な教育を教壇に持ち込んでも
頭が固い老練の先生たちに一蹴されるのがオチだよ

107:実名攻撃大好きKITTY
08/12/15 09:57:12 YwIi/IpvO
これまでの学校教育とプロ野球監督論との結び付きについて、重複指摘も含め、ご覧になられた多くの人達が「学校とプロ野球って、一体何の関係があるのか?」と疑問に思ったでしょう。
しかし、プロ野球の広岡達朗氏が書いた本の『野球再生』中でも、2年前の福岡の中学での元担任がイジメ自殺を扇動した事件に触れた上で、自身の野球指導歴から「野球も学校教育も、人を育て指導する」という共通項がある」と本の中で述べています。

今も男女関わらず、授業中に教室で、体育館で、移動教室で、またはトイレなど、どこかで仲間はずれや暴力、カツアゲをされたりしている生徒、ケガや病気で満足に学校に通えない生徒はいると思います。
そうした問題を放置され、学力向上や人生の飛躍の妨げになったり、自殺や刑事事件という形にまで発展してしまうことは残念で仕方がありません。

ただ、こうした野球の本には、前述の広岡氏の本のように、イジメや採用試験や通知箋など評価への裏金問題、犯罪とか携帯などマナーやモラルの低下といった学校教育の諸問題への解決のヒントが隠されている場合が多いと思います。
もちろん、野球に限らず、サッカーでもバスケットでもスケート、音楽、歴史、経営哲学、偉人…など何でも良いのです。

学校の先生は勿論、大学の心理学や教育学の学者たちが先入観や既成概念にとらわれず、こうした本を読むことで問題解決の研究の幅を広げてほしい。
それらすべてが立場の弱い生徒への解決策にならないと思います。しかし、たとえ一人でも、飛躍や解決への土台になる可能性があると思いますし、そうした可能性を生徒と模索することが教育者の役目かと思います。

とりわけ、コンピュータや情報機器の発達に対比するような昨今の経済や雇用環境事情の悪化も踏まえ、若者に限らず、多くの人達の生きるヒントを、幾多の危機を乗り越えてきた先人たちから学ぶ姿勢は不可欠とも思います。
これは、今に生きるすべての人の共通事項ではないでしょうか。

108:実名攻撃大好きKITTY
08/12/16 20:43:39 JFCbRahp0
さあ、今週末ですよ!

109:学校教師と違い、学習塾や予備校講師に“教員免許”が必要ないのか?
08/12/18 10:08:46 2jWp/UIhO
学習塾におけるいい先生
→授業の教えかたがうまい、わかりやすい先生

学校におけるいい先生
→生徒の得意分野や目標を見付けたり、生徒の長所や潜在能力、人生など(単に学力やテストの成績を上げる以外に)を引き出せる(出した)先生。

学習塾・予備校側からみたいい生徒
→難関校の入試に合格してくれる(宣伝材料となる)生徒。

学校側からみたいい生徒
→陰でイジメをしたり、または万引きをしたり暴行などで補導されたなどの悪いことをしない生活態度のよい生徒


したがって、 難関校の入試に合格した(あるいはそれだけの学力を持っている)りクラブ活動で競技表彰される一方、陰で弱い者イジメをしたり万引きをして補導されたような生徒について、
学習塾(講師)側は「いい生徒」、学校(教師)側は「良くない生徒」と見てしまいがちだ。
ただ学習塾と違い、少なくても学校側はこのような生徒を「いい生徒」と扱ってはいけない。

また、日頃のテストの成績などはよくなく、運動神経も悪くてクラブ活動にも入っていないが、生活態度や人間性(素直)がよい生徒、
このような生徒を学習塾や学校では「良くない生徒」と見てしまいがちだ。
しかし、学校側は(前述の学力はあるが陰で悪さをしている生徒と比較した際に)こちらを「いい生徒」として扱わなければならない。

残念ながら、学校には、表面では日頃のテストの成績がよくスポーツでも活躍する一方で、陰で悪さをしている生徒を「いい生徒」と見て、
反対に、日頃のテストの成績がよくなくスポーツとかでも活躍はできないが、悪さをしない生徒を「良くない生徒」と見て、放置したり(素質や人生を引き伸ばそうとしない)、雑用を押し付けたりしている「悪い先生」が多いのだ(とくに私立は)。

授業は上手いかも知れないが、前述の“いい生徒”を放置し、眠る素質や魅力、人生を見い出さない(出せない)先生
→学習塾や予備校では“いい先生”と言えても、学校では“いい先生”ではないし、また見てはならない。

反対に、授業は上手とは言えなくても、生徒を見る目があって、前述の“いい生徒”を中心に、生徒の長所や得意分野、目標を発掘したり眠る素質を見い出せる(または見い出した)先生
→学習塾や予備校では“いい先生”にはなれないかも知れないが、学校では“いい先生”と言える。

110:附属・系列によるエスカレータ入試の推薦書など、プロモーションビデオと一緒である
08/12/19 16:35:57 jLpiAbiaO
大学の推薦入試は、スポーツ入試や英語とか漢字など資格・検定合格による一能一芸入試などを除き、
一般的な推薦入試は、通知表の各教科の評価を中心に面接や作文・小論文で合否を決めることがほとんどである。

通知表での評価は大抵5段階で表されるが、この推薦入試での各教科の評価や推薦書というのは、プロ野球でいう“プロモーションビデオ”と同じようなものである。

日本のプロ野球では、外国人選手を探すときに海外にいるブローカーに依頼することがあり、
また、ブローカーはプロモーションビデオを日本の球団に持ち込んで外国人選手を独自に売り込んでくる場合もある。
しかし、このビデオテープに収められている映像
とは、選手のいい部分(だけ)をピックアップして繋ぎ合わせて編集している内容である。
投手の場合、消化試合で好投したシーンなどを収録したりするから、これを観ると「いい投手」と勘違いしてしまうわけだ。
01年に投手陣が壊滅した巨人は、投手の緊急補強に迫られた。長嶋監督はアルモンテのプロモーションビデオを見て惚れ込み、早速アルモンテを獲得した。
しかし、実際のアルモンテの働きはビデオの映像とはまったく異なるものであった。
そう、巨人球団と長嶋はブローカーに騙されたのだ。

参考
広岡達朗『監督論』
Wikipedia ヘクター・アルモンテ

大学の一般推薦入試に話を戻すが、大学の老練教授などは「基本的に推薦入試で入ってくる学生よりも、一般入試を受けて入ってくる学生のほうが講義を真面目に受けて、大学での成績もいい」と言う。

一般入試の場合、大学独自に学力の検査基準を設けているため、採点すれば受験生の学力が判る。
しかし、推薦入試だと高校側による基準なので、推薦入試の段階では大学側としては受験生の学力の把握が難しいのだ。
これが、一能一芸での「英検2級合格」による推薦ならば、大学側も受験生の英語力を把握しやすい。
しかし、「クラスで英語1位」とか「英語の平均評価が4や5」が付いているからと言って、その受験生はけっして英語力が高いわけではなく、また大学入学後に英語の講義についていかれずに、定期試験などで単位不認定になることが少なくないのだ。
つまり、一般推薦入試で高校側が用意してくる評価や推薦書の所見というのは、プロ野球のプロモーションビデオと一緒なのである。

111:実名攻撃大好きKITTY
08/12/19 23:30:32 usDUL39I0
今も入学時に親の職業や学歴書く欄あるの?
クラス名簿に勤務先書かれている?

112:実名攻撃大好きKITTY
08/12/20 05:47:16 GmQ1uAqf0
>111

確かに、入学時の提出書類には、親の職業や学歴欄はあります。
でも、クラス名簿自体ありませんよ。
連絡網も、学校からの携帯への一斉連絡なので…。

113:実名攻撃大好きKITTY
08/12/20 10:14:05 LAWQGKfe0
今日は札幌校の入試1日目ですね。
皆さん、頑張って下さいね!

114:反骨精神がなく、反抗心ばかりで人の話を聞かないで再生や浮上は無理
08/12/22 07:20:09 rGMDgkQSO
野村監督が言う「再生できる人間の条件」は、超ハングリーであることが求められる。ハングリーの言い方を変えると「ナニクソ」だ。

12月19日(金)にNHK総合の『スポーツ大陸』にて「弱小球団を変えた男・岩村明憲」が放送されたが、岩村と言えば「何苦楚(ナニクソ)魂」である。
その「何苦楚」のパイオニアは西鉄の三原脩監督(故人)であり、当時の西鉄の看板打者で三原監督の娘婿である中西太を経て、中西が岩村へ伝授した言葉である。

この岩村の何苦楚魂は、野村再生工場のタネと同じなのである。
ヤクルトを退団した直後、当時の阪神球団の久万オーナーに三顧の礼で監督として迎えられたが、
久万オーナーは「野村君なら、簡単にチームを再生できるでしょ?」と言ったらしい。
しかし、監督にいくらハングリー精神、つまり何苦楚魂があっても、監督が野球をするわけでないのだから、選手たちに何苦楚魂がなければ沈みきったチームは浮上・再生しないのは当たり前である。

野村監督が阪神を退団してから書いたいくつかの本の中で、「とにかく、今岡など阪神の生え抜き選手の多くがハングリー精神に欠けていた」と証言している。

やはり、高校野球は勿論、学校の他のスポーツ活動も勉強も一緒だ。

まあ授業中に携帯電話でメールをしたり化粧したり居眠りしたりと、いかにも何苦楚魂のカケラも無さそうな生徒ほど、よく
「先生の授業のやり方が悪い」とか「教科書が悪い」「調子が悪い」などまるで昔の阪神の選手ばりな屁理屈を言ったり反抗心を露にする。
そこで、阪神の久万オーナーのような「わかりやすい授業をする先生なら…」と言わんばかりの発想に辿りつくわけだ。
しかし、仮にどれだけ授業がわかりやすいと評判の先生が授業をしたところで、生徒に聞く耳、つまりハングリー精神 = 何苦楚魂がなければ、わかりやすい授業をしたところで、野村阪神と同じで絶対に再生したり浮上することはできないのだ。
なぜなら、やるのは先生でないからだ。

そもそも「調子が悪い」のは野球でも勉強でも、全部自分のせいである。
つまり、イチバン悪いのは自分のオツム(自分が気がつかない)なのだ。
どの世界にも言えることだが、何苦楚魂を持たずに反抗ばかりで人のせいにしたり屁理屈を言ってる連中で、学力や人生を再生・浮上させた奴など見たことがあるか?

115:現役メジャー級プライドをひけらかす、わがままな生徒を甘やかす教師
08/12/22 07:26:56 rGMDgkQSO
96~01年頃の阪神は、来る外国人選手が使いモノにならなかった時代だった。

現役メジャーリーガーだったブロワーズ(99年阪神)やグリーンウェル(97年阪神)などは、
阪神球団自体が「メジャー」という“ブランド好き”なため、大枚はたいて彼等を口説き落としたものの、観光気分で来日するなど、とにかく日本の野球をナメていた。
最近では、05年の堀内巨人時代のミセリなどがいい例だろう。
ロクに結果も出ていないのに練習はまったくせず、「メジャーのプライド」ばかりをひけらかす。
「何がなんでも成功(復活)するんだ」というひたむきさがなければ、活躍はできない。

これは、スポーツは勿論、勉強や部活など日頃の学校生活にも共通することではないだろうか?
「学ぼう」「吸収しよう」という姿勢がなければ、野球の試合で活躍するとか、テストの成績を上げたりや、受験などで合格するなどは難しいだろう。
でも、野球の部活で“メジャー”ばりのプライドをひけらかす野球部員や、当番はしたくないなどと言うわがままなクラスメートが最低1人はいたはずだ。
つまり、試合や勉強でたいした結果も出せてないような有力者や金持ち、PTAなどの息子・娘らを、阪神球団のような“ブランド好き”の学校教師陣が甘やかすというわけだ。

一方、95年には阪神を解雇されたオマリーがヤクルトへ移籍し、「監督(中村勝広・当時)は仁丹臭い」と批判したとか「阪神では非常にわがままで手のかかる選手だった」と噂されていた。
しかし、実際に監督やコーチ陣が見ると練習はするし、試合が終わってもウエート・トレーニングをしていて、監督やコーチなどの話に耳を傾けてるなど、よく研究していたという。

当時ヤクルト投手コーチだった角三男は野村監督と
「阪神は、なんであんないい選手を出したのかな? 態度が悪いって、自分たちがそうさせたんじゃないのか」と話していたらしい。

学校でも、通知箋の所見などに「非常にわがままで手のかかる野球部員・生徒だ」などと書かれていたのが、蓋を開けると
「よく練習・勉強はするし、素直でいい生徒(学生)だ。態度が悪いって、自分(教師)たちがそうさせたんじゃないのか」
というオマリーのような部員・生徒も存在する。


参考
角三男『野村ノートの読み方』光文社(00年5月)
> Wikipedia トーマス・オマリー

116:「力を引き出してくれる先生」と出遭えると、“超二流”生徒になれる
08/12/24 10:13:08 RsnMQ+6CO
NHKドラマ『フルスイング』が23日(火)から3日間連続で再放送されている。
ドラマの中で、頑固な現代社会教師(里見浩太朗)が「教師も(野球もそうだが)人を育てる」という旨の話を主人公の高林にしている。
高林のモデルである高畠は、南海に入団するが脱臼で満足に活躍できずに現役を終えた。
そんな高畠の指導者としての素質を見い出したのは、南海時代の野村監督である(二人は後に同時にロッテに移る)。

野村監督はヤクルト時代の前評判が芳しくなかった97年に「野球は強い方が勝つとは限らない」と言って、清原、石井浩郎、ヒルマンらを集めた前評判の高い巨人に圧勝した。
通算2勝と実績がなかった田畑は、96年12勝、97年15勝を挙げたが、田畑は当時、取材で野村監督への感謝の意を答えていたようだ。
また、前年に広島を自由契約になった小早川を開幕戦で斎藤雅樹(前年まで3年連続開幕完封勝)に3連発を浴びせたが、やはり小早川も当時、野村監督へ感謝の言葉と取れるコメントをマスコミにしていたようだ。
その他、この97年は中継ぎの広田や野中らを巧みに起用し「選手の力とはこうして引き出すのだ」と言わんばかりに、この年リリーフ陣が不安定だった巨人に見せ付けた。

かつて大洋に権藤正利という左腕投手がいた。
小児マヒや左指の負傷というハンデを抱え、「通算28連敗(昭和30~32年)」という不名誉記録を抱えたほど勝てずに一時は引退も考えていたが、
三原脩が大洋監督に就くと、三原から「君の持っている力を、きっと引き出してみせる」と口説かれ、食生活改善を受けるなどして再生し、大洋日本一に貢献した。
権藤正利は阪神移籍後の昭和48年に、監督だった金田正泰に「サルでもタバコを吸うんかい」と言われた事で暴行事件を起こして選手生命が断たれた。
歴代投手のうち、権藤正利の防御率は24位で、23位が「平成の大投手」と評された前出の斎藤雅樹である。
三原監督の「超二流」という造語は、後に三原の弟子である仰木監督にも受け継がれた。

前述のドラマの現代社会教師(里見浩太朗)の言葉を借りれば、学校でも「生徒の力とはこうして引き出すのだ」「君の持っている力を引き出してみせる」という“超二流”生徒を育てる先生が重要なのだ。
ただし、生徒の側も、田畑、小早川、権藤正利のような「素直な心」と「聞く耳」は必要である。

117:反骨精神がなく、反抗心ばかりで人の話を聞かないで浮上や再生は無理
08/12/27 20:38:16 egaH8XnrO
野村監督が言う「再生できる人間の条件」は、超ハングリーであることが求められる。ハングリーの言い方を変えると「ナニクソ」だ。

12月19日(金)にNHK総合の『スポーツ大陸』にて「弱小球団を変えた男・岩村明憲」が放送されたが、岩村と言えば「何苦楚(ナニクソ)魂」である。
その「何苦楚」のパイオニアは西鉄の三原脩監督(故人)であり、当時の西鉄の看板打者で三原監督の娘婿である中西太を経て、中西が岩村へ伝授した言葉である。

この岩村の何苦楚魂は、野村再生工場のタネと同じなのである。
ヤクルトを退団した直後、当時の阪神球団の久万オーナーに三顧の礼で監督として迎えられたが、
久万オーナーは「野村君なら、簡単にチームを再生できるでしょ?」と言ったらしい。
しかし、監督にいくらハングリー精神、つまり何苦楚魂があっても、監督が野球をするわけでないのだから、選手たちに何苦楚魂がなければ沈みきったチームは浮上・再生しないのは当たり前である。

野村監督が阪神を退団してから書いたいくつかの本の中で、「とにかく、今岡など阪神の生え抜き選手の多くがハングリー精神に欠けていた」と証言している。

やはり、高校野球は勿論、学校の他のスポーツ活動も勉強も一緒だ。

まあ授業中に携帯電話でメールをしたり化粧したり居眠りしたりと、いかにも何苦楚魂のカケラも無さそうな生徒ほど、よく
「先生の授業のやり方が悪い」とか「教科書が悪い」「調子が悪い」などまるで昔の阪神の選手ばりな屁理屈を言ったり反抗心を露にする。
そこで、保護者たちは阪神の久万オーナーのような「わかりやすい授業をする先生なら…」と言わんばかりの単純な発想に辿りつくわけだ。
しかし、仮にどれだけ授業がわかりやすいと評判の先生が授業をしたところで、生徒に聞く耳、つまりハングリー精神 = 何苦楚魂がなければ、わかりやすい授業をしたところで、野村阪神と同じで絶対に再生したり浮上することはできないのだ。
なぜなら、やるのは先生でないからだ。

そもそも「調子が悪い」のは野球でも勉強でも、全部自分のせいである。
つまり、イチバン悪いのは自分のオツム(自分が気がつかない)なのだ。
どの世界にも言えることだが、何苦楚魂を持たずに反抗ばかりで人のせいにしたり屁理屈を言ってる連中で、学力や人生を再生・浮上させた奴を見たことがあるか?

118:実名攻撃大好きKITTY
08/12/31 19:39:03 0lsfhWpGO
学級のボス・ヤンキー、やかましい女子、すでに彼女や彼氏がいる奴、権力者・金持ち、PTA、教師、公務員、医者・歯医者、人気がある生徒、モンペアなどの子をニックネームや下の名前(同じ名字の子がいないのに)で呼んだり、そういう親の言いなりになる挙げ句、
体が弱かったり病気や障害があるとかでイジメられたり仲間外れにされやすく、おとなしくてとても発言できないような子(陰キャラ)を、授業でわざと難しい問題をその子に当てて(上述の有力者らの子やヤンキーには絶対に当てない)
答えられないと「こんな問題もわからんのか」「話を聞いてない」と咎めたり罰として立たせたり体罰を加えたりと陰湿に扱い、その子にカッコ悪い印象を与えて仲間外れやいじめがさらにひどくなって、その生徒を潰しまくり。
ただし、授業参観や研究授業など大人が監視している場合は、気味悪いほどニコニコ・ヘラヘラしている。

こういう教師は、よく「やる気を引き出す」「ハッパをかける」などという口実で、生徒をイジメているだけであり、勿論、これでおとなしい生徒がやる気をだしたり、イジメや仲間外れが治まるわけでもない。

こんなふざけた教師が、残念ながら学校に存在している。

もし、学校生活や人間性・将来性を潰された生徒が「○○先生にイジメられました」などと遺書に書いて自殺したとしたらどうするの?

自殺とか報復の行動にまでならなくても、学校生活を潰された側の生徒は恨みを覚えるだろう。
●年後、十数年後、数十年後などにその生徒が潰した教師(その頃には定年退職済かも)と遭遇した場合、その生徒から嫌味や皮肉の一つ二つ言われる覚悟をする必要がある。
いざ言われると、教師は「もう昔の話だから」とか「いつまで引きずってるの」と言い訳するのだろう。

しかし、生徒の学校生活や人間性を潰しておいて、卒業後も含めて、被害者の生徒に何らかの償い(金銭的なものも含めて)をするとか責任を取る(取れる)のだろうか?

今年夏に愛知県の中学で当時の担任が、18歳の卒業生に刺されたという事件が起きているのだから、潰された生徒の恨みとかは卒業後にも及ぶと考えられるが、
それだけに生徒を育てる意識に欠いてる、いわゆる“いい先生”がいないのだろう。

また、この手の教師は、高校より中学、私立より公立、女より男の学級担任に多い傾向にあるようだ。

119:高校野球はトーナメント方式でも、勉強や人生は勝率方式で考えよう
09/01/01 13:24:08 WXqgwyyKO
野村監督は、
「野球は意外性のスポーツ」
「野球は強いほうが勝つとは限らない」
と言う。

高校野球のような負けが一切許されないトーナメント方式と違って、プロ野球は勝率とか日本シリーズなどのように先に●勝したものが優勝といった方式で、長い目で見ると1敗が許される。

勉強や仕事など人生も、高校野球のトーナメント方式でなく、敗者復活戦があるプロ野球の勝率主義に似たところがある。

だから、野村監督は弱者が強者に勝つためには「アタマを使え」という。
また「超二流」の三原監督の弟子の仰木監督も、「超二流は一流よりも強い」と言っていた。
三原や仰木の魔術采配(マジック)は有名だ。

ルール違反となるサイン盗みやスパイのようなカンニング、または裏金やつけ届けといった八百長・成績改ざんなどの不正は、野球でも勉強でも許されない。

勉強において敗北を経験してきた超二流的生徒が、定期試験の成績を突然アップさせたり、難関校の入試、難関資格試験などに合格するなど「なんでアイツが」と言われるような勝利をすることもある。
たしかに、超二流生徒が不正をせずに定期テストや受験に勝ったりするのは、野村監督や三原・仰木監督のような指導者・先生と出逢ったりして超二流的生徒がIDを身に付けたりや魔術を駆使したという見方もできる。
もしくは、「人は育つ」の信念を持った広岡さんのような先生に手ほどきを受けたかも知れない。
しかし、角三男が『野村ノートの読み方』で述べたように「何がなんでも成功するんだ」という本人のひたむきさや努力がなければ、IDとか魔術を施しても超二流生徒は飛躍しない。
落合が『コーチング』という本で、新人の頃“三振”という負けを繰り返していた王に一本足打法を授けて王の打撃を開花させたた荒川コーチについて
「荒川さんに高い指導能力があったことは確かだが、荒川さんが打撃を教えても王さん自身に努力ややる気がなければ打撃を開花させることはできない」
という旨を述べている。
広島コーチ時代に超二流選手だった苑田の内野守備を鍛えた広岡さんも同様に、苑田自身が「成長したい」という意識があってこそ、広岡さんの指導が活きてくるのだ。

プロ野球や勉強・人生において「意外性」とか「強いものが勝つとは限らない」という勝率志向とは、結局はそうしたものの裏返しなのだ。

120:実名攻撃大好きKITTY
09/01/06 18:09:30 F7c+KDa+O
見た目も中身もデブス家畜女

声がデカくてよく喋る、気が強い割に陰湿で気に入らない人の悪口ばかり言っている、わがままでプライドが高い。
成人になると、ヘビースモーカー、大酒飲み、パチスロ通い、スケベかつできちゃった婚の早婚早産、下品な話、職場イジメをしたがる。

こういう女子生徒は1学級に最低1人はいるようなモノだが、このデブス家畜女を人前でガッツリと叱れるような学校教師こそが“いい先生”
逆に、こういう家畜女に嫌われたら困るからと、デブス家畜女共を中心に妙に波長を合わせたり何かと機嫌を取って、家畜女をにしてしまったような学校教師。
こういう教師は学校に結構いるが、たとえ授業が上手いとか、生徒に人気があっても、“いい先生”とは言えない。
前出のデブス家畜女の才能やら将来性とは、学校卒業後に喫煙・飲酒・ギャンブル・借金・できちゃった婚・職場イジメなど学校教育にふさわしくないことを次々と覚えたりやらかす始末。
だから、こんな才能や将来性を引き出してしまう学校教師は“いい先生”ではないのだ。
(そんなに人気が欲しい・授業が上手いを目指したいなら、年収2000万のカリスマ講師になるべく塾や予備校に行け)

デブス家畜女とは対照的に、顔つきも体つきも見た目も地味でおとなしく可愛いという印象を与え、素直で真面目な反面、勉強もスポーツ(クラブ活動を含め)もけっして上位とはいえないため、イジメるというよりイジメられやすいタイプの素朴な男の子。

デブス家畜女に甘い教師は、だいたいこの手の素朴な男子生徒に対して、「ハッパをかける」などと称して授業などで難しい問題を当てたりわからないと体罰を加えたり誹謗中傷したり雑用を押し付けるなどして何かとイジメている。
そして、この手の男子生徒の性格や将来性を萎縮させて潰す挙げ句、イジメを扇動する始末。
やはり、こんな学校教師は、生徒(デブス家畜女共を中心に)から人気があったり授業が上手くても“いい先生”とは言えない。

むしろ、“いい先生”とは、こんな素朴な男子生徒などの将来性を開花させる教師のことであり、
だいたいこういう子は真面目でおとなしいから、学校卒業(成人)後も、
喫煙、飲酒、ギャンブル、できちゃった婚による早婚、職場イジメをするようなことはあまりしない(まあ1つくらいはあるかも知れないが)だろう。


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