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北海道教育大学附属札幌&旭川&函館&釧路中学校 - 暇つぶし2ch96:昭和57年度、パ・リーグ小学校の西武学級の担任教師は広岡達朗先生?
08/12/09 08:48:12 L1nUFBqTO
野村克也『プロ野球 野村克也の目』朝日新聞社(83年4月)で、
当時評論家だった野村は昭和57年の広岡西武のことを「銀行野球」、大沢日本ハムのことを「富くじ(宝くじ)野球」と言っていた。

また、同年の西武と中日の日本シリーズについて(ちなみに当時の野村は中日有利を挙げていた)、この本(265ページ~)の中で、小学校の教師にたとえて、
(昭和56年の西武について)監督はいてもなにもいわないので、選手がてんでに勝手なことをしていた。ちょうど、担任の先生が休んだ小学校の教室のようなもの。無政府状態といってよいだろう。
(昭和56年秋)そこへ広岡さんがきた。小学校低学年の担任としてこれ以上の適任者はいまい、という人だ。
前の担任(根本陸夫監督のこと、野村の現役晩年の昭和54年・55年は根本西武でプレーしている)が、「野球なんて、投げて打って守って、ほかになにがある」といっていたのに対して、
この人は、「究極はそうなるとしても、そこまでになるには君たち、勉強することがいっぱいあるんだよ」と、それこそイロハや足し算からやり直させた。
生徒のほうは、それまでほとんどなにも教えられていないといっていい状態だった。先生としては、なまじおかしな教育を受けた生徒より、相手がいわば白紙状態なので、教えやすかった。
こうして西武は初のリーグ優勝を成し遂げた。広岡さんの手腕には、脱帽のほかない。
日本ハムとのプレーオフでも、生徒たちは「江夏攻略にはバントがいちばんですよ」と、先生に教えられた通り、一生懸命バントをしていた。
どんなプレーをすべきか判断するのはあくまで先生で、生徒はその教えを忠実に守る。従ってミスは犯さなくてすんだ。

など、当時の野村は本の中で述べていた。

根本西武時代の選手が勝手なことばかりしていたって、当時の西武の選手って、田淵や東尾などである。
たしかに西武学級の田淵クンや東尾クンみたいな生徒は、教室の中でてんでに勝手なことをしていただろうし、根本先生ならこういう生徒らを放任するから、近年でいう学力低下を招いてしまう。
広岡先生が、西武学級の担任(ヘッドコーチの森祇晶は副担任といったところか)に就いて、低迷していた西武組の学力をアップさせ秀才軍団に仕上げたというわけだ。

今の北海道の中学は、根本監督時代の西武のように無政府状態ですか?


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