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北海道教育大学附属札幌&旭川&函館&釧路中学校 - 暇つぶし2ch82:故・根本監督に学べ、数年後に生徒に大輪の花を咲かせるのが名教師
08/11/22 20:07:38 mAa8nxbJO
近藤唯之『プロ野球 新・監督列伝』(PHP文庫、99年8月)の中に、根本陸夫監督のことが書かれている。
例えば、昭和55年のロッテ対西武のある試合で、西武の先発投手の東尾が初回からロッテ打線に捕まり、3点を失った。

この本には、
しかし、根本(当時の西武監督)は動かない。根本の選手起用はこうだ。
「いいところを伸ばしてやろう。悪い部分はよっぽど眼にあまるところ以外は、あまりいじらない」
簡単にいえば、いいところだけ見てやろう。その逆でわるい部分はできる限り眼をつぶろう。プロ野球だけではないのだが、日本人はわるい部分を一番さきに直そうとする。そのためにかえって、いいところも潰してしまう。
と書かれている。また、
「プロ野球に入ってくる男は、こと野球にかけてはみんな天才なんだよ。指揮官はそこのそころを、きちんとわかってくれないと困るんだ」(根本陸夫)
とあるが、プロ選手ではないが、やはり、学校教育でも、生徒一人ひとりのいいところをきちんとわかっていないと困るということが言えるだろう(生徒のいいところより悪いところを意識している担任教師が一体学校に何人いるのか)。

さらに、本の中で、
この試合は最終的に5対3でロッテが勝った。もし東尾をもっと早く交替させていたら、西武は勝っていたかもしれない。
「その日の試合では負けても、5年さきを見て育てる」
という根本の思想が東尾にとっても、西武にとっても、大輪の花を咲かせた。
とある。根本監督は昭和56年で監督を辞めてフロント入りしたが、翌昭和57年には東尾を擁する広岡監督の西武が日本一になり、次の森監督の時代まで常勝・西武王国になるが、その基礎をつくりあげたのは根本監督である。
広島は、古葉監督の昭和50年に球団創設以来の初優勝を飾り、昭和50年代の赤ヘル黄金期を築くが、そのときの主力選手である山本浩二や衣笠など、その土台は根本監督が築いている。
王監督のダイエーも、前任だった根本監督が築いている。
監督としての戦績はよくなかったが、前述の(根本監督の)5年ほど先は、監督に就いたいずれの球団で優勝、そして黄金期を迎えている。

学校教育でも、「今は偏差値が低くても、5年先には学力がアップしたり、大学受験、採用・難関資格試験に合格できるような生徒」をつくれる教師が“いい先生”なのだが…


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