08/12/24 14:57:59 inQQMbno0
俺も生粋の埼玉人(確認できて遡れるのは七代前までだけど)だけど、浦高の評価はちょっとちがう。
永遠の二番手校のような気がする。爺さんのときは東部学区だけど、浦高も春高も旧制中学で(当時一中、四中)でそんなに差はなくどちらにでも進学できたが四中に行き、親父のときは学区があり春高へ。
当時は住民票を移したりして浦高へ行く人もあるいはいたのかもしれないと言っていた。ただその時代でもある程度親が裕福で進学に熱心な場合は東京の都立日比谷ゆ戸山・新宿へ行きそのへんが無理そうだと浦高になった。
すなわち埼玉二番手組。これは浦和の住民に多く、もともと浦和はなんだかんだ言っても生粋の埼玉ではなく、明治維新後役人等で東京から移ってきた人の町なので、埼玉に愛着もなく、できれば都立有名校へ子供を入れたがった気配がある。
その点春高はやはり地元民に愛され、千葉からも今では東葛高校に行っていた層も吸収していたので、昭和25年前後までは浦高の方がよかったがそれほどの差はなかったと親父は言っている。熊高や川高にしても事情は同じだと思う。
ただ九州のように藩校を土台にした高校がないためそれほど愛着はないのか、現在埼玉県民最優秀層は東京私立に流れているので、やはり浦高は埼玉県二番手の感は否めない。
浦高意外だと、最近は埼玉上位私立とがぷり四つか負け始めてきているのは時代の趨勢かも。
大宮は俺の三十年前の時代から春高を抜くのは時間の問題と言われていたが浦高に並ぶとは。