08/10/14 03:09:21 1LetEDKp0
学費が非常に安く、旧制公立中学よりも安かった。
何故なら、当時、京浜工業地帯で慢性的に不足していた労働者を供給する
ために設立されたのが浅野だからだ。今で言うと私設職業訓練校みたいなものだ。
浅野は所得が低い労働者の子弟が入りやすい環境にあった。
まさに労働者のための労働者養成学校。それが浅野だった。
あくまでも浅野は労働者養成学校だった。
10%いるかいないかのエリート(中学卒)を工場の現場作業に使うかよ。
実践的な英語教育を特徴として、当時は珍しい海外留学生もいたほどなのに。
浅野総一郎は教育にも熱心だったから、優秀な生徒は私費を出して留学させていた。
戦前から今まで進学校であり続けた私立は神奈川では浅野しかない。