10/07/06 09:14:58 mkph9nRo
>>773
龍馬の生涯を描く場合、大事なのは時間でなくて活動の質と量だから
福田も司馬も原則最後の二年間に後半分(福田は三部と四部、司馬小説は四巻分)使ってる。
福田の場合、普通の少年が龍になるまでを描くと言うことなので
二部は操練所の仲間との切磋琢磨が中心に成長ぶりが描かれるかと思いきや、
後半は仲間を救おうするが徒労に終わる龍馬、土佐のうんざりする惨劇の絵を毎回繰り返し
さらに回を増やして、同じことを土佐でやってしまってるのがこの終盤。
これは心理的に「長いよ」「またかよ」と思わせるための手口をわざわざ選んだような展開だ。
773のように「好意的に解釈する」人もいるだろうが、テレビドラマというのは娯楽だし
努力して理解してあげるというものではない。一般のお客さんが「ここ長げえよ」「この流れまたかよ」
と思ったらそこまでだし、スタッフもそういうことはよく考えて作っているはずなのに疑問が残る。
ドラマや小説も大事なのは時間や頁の量ではなく描き方や内容の質と言うことだ。
全48回中、20回が龍馬最期の二年に充てられていればけして短いわけではないが
二部が長すぎると感じた人がこれだけいることは、スタッフは真摯に受け止めるべきだと思う。