10/07/05 09:03:06 eNyQPAjF
Q武市さんが明治維新まで生きていれば土佐閥が天下を取っていた
Aそれはありえません。板垣が天職の軍人となり、自由民権運動の火は弱まりますが、武市の良くいえば信念を
貫く性質、悪くいえば柔軟さに欠く性格的に征韓論支持の姿勢を崩さないはずなので、結果的に西郷隆盛、前原
一誠、江藤新平らと同じ運命をたどります。正史よりは躍進するでしょうが最終的に長州が勝ちます。
Q武市さんは本当に男前だったんですか?
Aいいえそんなことはありません。お得意の「瑞山会(武市の手下)」発行の「土佐維新勤王史」には、背が高く
て、色が白くて男前でと書かれています。でも実際は、坂本龍馬に「顎(アギ)」と呼ばれているくらいです。
酒は飲みませんが、煙草は吸います。どうもありがとうございました。
Q容堂公が許せ半平太といって泣いていたと聞いたが本当?
Aうーん、ソースは 松岡司『武市半平太伝』p359ですが二次資料ですよね。嘘かもしれません。
それに後藤象二郎と板垣退助が武市半平太死後位階追贈の祝いでお富を訪ね、その時に「武市半平太を殺したの
は誤りだった」といったとありますが、普通、自由民権と藩閥関係で下士と上士が力を合わせる状況になって、「あ
あ、あれはあいつが悪かったから自業自得で刑死した」とはいえませんよね。そんなこといったらバツが悪いし、
死者を責めない日本人らしくないし、下士らとの関係も決裂します。リップサービスですね。