10/07/05 08:59:13 eNyQPAjF
【武市厨対処用テンプレ】書きました。
Q容堂公や吉田東洋や後藤象二郎は悪い
Aそんなことはありません。司馬遼太郎も飛ぶが如くで勤王党弾圧について「法治国家を目指す者なら当然の
こと」としていますが、勤王党が当時の法律に反して、藩政トップの吉田東洋を殺害したのは前代未聞です。
幕府大老を暗殺した「桜田門外の変」の下手人も全員死亡しています。武市は上士扱いで別格の牢屋を用意さ
れ、切腹も許されています。適正な処罰でした。また、史実では吉田東洋が武市を足蹴にしたことなどなく、
逆に藩政改革や身分制度改革の第一人者でした漁師のジョン万次郎、地下浪人の岩崎弥太郎も無償で私塾で勉
強を受け、上士にまでとりたてられます。またこの暗殺を正当化する「維新土佐勤王史」は武市の手下の「
瑞山会」の発行で信用なりません。強いていえば、後藤象二郎は叔父である吉田東洋を殺されて血気盛んに
なっていたかもしれません。
Q他の君主に仕えていれば武市さんも・・・・
A他の君主に仕えていればもっと悲惨な可能性もあります。過激な島津久光さんは、西郷が浪士と行動を共に
しただけで遠島にし、京都で志士を斬り殺そうとした人物です、藩政格を殺そうものなら「切腹」ではなく
「市中引き回しの上打ち首獄門」にされます。毛利元徳に仕えていたならば、佐幕派もやりたい放題なので殺人
を辞さない武市は真っ先に暗殺されます。現に正義派頭領の周布政之助が自刃、天誅組主将・中山忠光が暗殺、
井上馨が瀕死の重症、高杉晋作が身の危険を感じ、博多に逃亡してます。このような状況で長州に残るとすれば
暗殺に失敗しても惨殺されるでしょう。かろうじて生きても、過激な尊皇攘夷活動で幕府の討伐を受け、
切腹というのがオチでしょう。
Q武市は岡田以蔵にも優しかったの?
Aいいえ、部落民として差別をしていました。田内恵吉(武市の実弟)などの書簡から、以蔵が七軒町とい
部落出身だったことから「七以」と読んでいたことがわかっています。また実家への手紙で、「あのような安方
(あほう)は早々と死んでくれれば良いのに、おめおめと国許へ戻って来て、親がさぞかし嘆くであろう」と
以蔵のことを綴っています。また、岡田以蔵が投獄された際、毒殺しようと試みています。一応、「瑞山会
(武市の手下)」が書いた「維新土佐勤王史」では同士を守る為と弁護されています。
Q武市が本気を出せば土佐藩の体制さえ覆せた
Aそれはできません、上士側の戦力は、胡蝶隊、前衛隊、後衛隊、中衛隊、鋭衝隊、陸援隊、機勢隊、新おこぜ
組、留守居兵 総勢2500名以上。郷士側は刺衝隊と迅衝隊ですが、迅衝隊は大藩が軽格で上士も混ざっています
し、大将の板垣も上士側で総勢300前後。また、山内家は天守を持つ高知城と莫大な藩金があるので足軽の徴兵
もできます。やくざが反乱起こして警察相手に善戦しても自衛隊に一蹴されるのと同じです。
また、土佐藩は強い藩で阿部と薩摩藩が土佐の御家断絶騒動をもみ消したぐらいで、取り潰しはありえません。
容堂は徳川慶喜の重要なブレーンであり、わざわざ慶喜が味方を潰すようなまねもしません。
また武市が蜂起すると天狗党と同じ尊皇攘夷派の反乱なので、幕府自ら天狗党のときのような大軍での征討も
ありえます。朝廷も青蓮宮が平井の発言を容堂に密告したり、三条実美は容堂と密接な親族であり、孝明天皇も
容堂は忠臣だと発言されていますので、まず動くことはないでしょう。