10/07/02 22:49:54 Quzh/bCy
実際に西郷と坂本龍馬が初めてあったのは
海軍操錬所が閉鎖になるよりずっと前の1864年の8月だ。
その後9月に勝と西郷が会談している。
勝と西郷の会談の内容は、長州征伐について、
西郷はこのドラマの通り、長州を徹底的に叩かないといかんという姿勢で臨んだが
勝海舟が理路整然と幕府の統治能力の限界も織り交ぜながら雄藩連合で共和政治を進めよと
説いたのにすっかりかぶとをぬいで以降西郷の征長方針は寛大論に変化し
第一次長州征伐は戦闘を交えることなく終わった。
ドラマではこの事実と全く異なり、海軍操練所閉鎖が決まった後つまり
1865年の時点でもなお薩摩藩が一番大事で長州叩くべしというスタンスでほくそ笑む西郷。
これはこれから先の薩摩や西郷の描き方を暗に示唆するものではないのか…
と案じられて不安がっているわけです。