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<龍馬脱藩ルート>
佐川→朽木峠→梼原→韮ヶ峠→水ヶ峠
高知県の東部、旧安田村に住む高松小埜(龍馬の長姉・千鶴の夫)が書いた
「覚・関雄之助口供之事」は、もともと同村の蒐集家、小島二郎氏の所有するものであった。
大正14年頃、奈半利村の歴史化、安岡大六氏がこれを譲り受け、
これを昭和43年4月、愛媛県大洲市出身の福井清氏が筆写した。
それを昭和62年7月、当時大洲市教育委員会に勤める筆者に示し、共同研究をもちかけ、
さらに阪本孝之氏も加えた3人が、2年間をかけて文書にある地名を確認し、
龍馬脱藩の道の全コースを解明した。
そのうちの四国路は、現在の高知市-いの市-佐川町-津野町-梼原町から
国境の韮ヶ峠を越えて愛媛県に入り、西予市から大洲市長浜町に至る170キロの道であった。
まことに龍馬脱藩の道は、日本の歴史を変える「夜明けの道」であった。