09/12/27 21:57:08 lugKo6a4
閔妃虐殺事件
日清戦争後、戦勝の余勢をかって高飛車な要求を朝鮮にしたが、金弘集政権はたんなる傀儡政権では
なかったため抵抗し、日本政府が、権力から排除されたため閔妃の一族がかげで妨害してると邪推
出先官憲は現職公使三浦梧楼の直接指導のもとに、駐留軍人と大陸浪人を動員して王宮に押し入った
そして、閔妃を虐殺したすえに石油をかけて焼き払ってしまうという、世界の帝国主義侵略史上にも
他に例をみない、とんでもない乱暴な事件をひきおこしてしまった
事件は、朝鮮側の軍隊内部の紛争によるもののごとく仮装されていたが、王宮侵入・閔妃虐殺の主力が
日本人、なかんずく大陸浪人であったことは当時王宮内にいた外国人にも目撃された また、のちの
当事者の自慢話により、具体的な虐殺の経過まで明らかになっている
この粗暴きわまる事件の究極の責任が侵略主義を鼓吹した日本政府にあることはいうまでもないが、
直接の計画は三浦ら出先官憲の独走であったようだ 国際世論の非難を恐れた日本政府は、三浦らを
召還して形だけは裁判にかけたが、ほとぼりをさましてのち、「証拠不十分」として全員免訴にしてしまった
のみならず、その三浦は、晩年、学習院院長という「名誉ある」地位を与えられた ここに、日本軍国主義
思想のありようが象徴的にあらわれているというべきである・・・・・