09/12/28 19:43:25 EiA7Ng7q
>>242
大前提を切っている。
清と日本は対等の条約を結んでいた。
当時の日本は、小国としか見なされてなかった。
日清が対等の条約を結んでいたから「国力の違い」など無かったし、
国力の違いが無いのだからあのシーンが、
「国力の違い」を端的に表したものでもある、
と解釈するのはおかしいと言うこと?
子規が遼東半島に上陸した二日後には、下関で日本側が主導権を握ったと言っていい形で
日清講和条約(いわゆる下関条約)が結ばれた。
これによって日清間に国力の違いがあることが決定的なものになった。
清からすれば日本はすでに対等な国、もしくは小国ではなかっただろう。
尤も列強からすれば依然として小国でしかなかったのだろうけど。
レオの場面が上陸何日後を描いたのかは分からないが、
日清間に国力の違いがあることが決定的になりつつある時、あるいは
決定的になった時を描いたのは確かだ。故にあのシーンを
「国力の違い」を端的に表したものでもある、
とするのは少なくとも誤りではないと思う。
そもそも両国間にあった対等な条約である日清修好条規は、
開戦によって失効したはず。