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世界2005.7 「戦争で死ぬということ」
各島々で山岳地帯への退却行が始まる。食糧はつき、補給はなく、兵士たちは雑草を食べ、
蛇やトカゲを食べ、虫を食べた。マラリア、潰瘍、チフス等の疫病が蔓延し、栄養失調と病気で
次々と倒れていった。十メートルおきに死体が転がっているような状況で、死体になるのは明日
の自分であるかもしれず、かろうじて我が身一つを保っている状況のなかでは、
他者を顧みるゆとりは失われていく。
・・・・・・<中略>・・・・・・・
赤痢と下痢とマラリアの高熱で気がおかしくなった二等兵がいた。
部隊が出発しようとしたとき、もう歩けない彼は、「そらどっこいしょ~」と江州音頭を歌いだした。中略
えい~皆様たのみます~
お見かけどおりのが若輩が~
習い覚えた一節を~
つたないながらも時間まで~・・・・・・・
部隊は歩きだした。彼は歌うのをやめて、「一緒に連れていってくれ!」と叫んだ。
誰も振り返らない。
彼は何度も叫んだ。しかし誰も振り返らない。部隊は進み、
彼の声は背後のジャングルに消えていった。
60年がたっても、そのことを語るとき堀池の声には深い悲しみがにじみでる。
・・・・・・<中略>・・・・・・・
フィリピンという異国で、日本軍の将兵約五十万人が
戦闘と病気と栄養失調で死んでいった。
それ以外に民間の残留邦人も多く死んだ。
フィリピン人の犠牲はさらに多く、フィリピン政府の
発表によれば、住民への虐殺を含めて
(マニラ市内における虐殺、ルソン島リパ
における虐殺などが知られている)、
日本占領期の死傷者は約百万人にのぼる。