09/09/22 23:35:04 Tmdps5+T
直江兼続は、中央政界の官僚である石田三成との政権構想に参加
をすることで、中央政界に欲が出てしまい、上杉家を窮地に追い
遣ったということになるのだろう。
それぞれがどのような思惑で動いていたのかを、明確に表現する
必要があったように思われる。その思惑が、徳川家康が放つ間者
により、各諸侯に刷り込まれたものであると面白いのだが。
初音は、結局、石田三成を裏切って、真田昌幸のために動いたの
だろうか。関ヶ原合戦で、徳川家忠が遅参することで、徳川家康
が手柄を独占し、後継者への手柄の配布を欠如することで、徳川
家内部の後継者闘争が先送りにされることに成功している。
結局、豊臣政権は、豊臣秀吉が存在してこそ機能する政権であり、
それを廃棄して、独裁政権から連合政権へと移行することは共通
認識としてあったのだろうが、誰がそれをするかで、権力闘争が
あったということになるのだろう。
戦争は、誰がそれをするかのために行われるものである。運不運
を占うようなものであろうか。