08/09/11 12:23:06 lpvvwmGU
>>357
大坂で食い止めれば、五分五分に戦えたはず。
しかし、官軍と幕軍の志気の差もあったし、
なにより慶喜の方針は恭順姿勢を貫いて、再び幕府が朝廷によって政治に組み入れてもらうのを目指したと思う。
が、それば違うんだよね。
相撲で相手に戦う気をなくせば、土俵外に追い出されるだけ。
慶喜には 何としても大坂で食い止めて、江戸に火の粉はまわさん!
という気概が必要だった。
だから こそ下の者も付いてくる。
つまりは戦う前から慶喜は 幕府の権威が朝廷より下だと思っている男であり、
朝廷と渡り合い、逆に利用してきた頼朝や家康の代わりにはなれなかったということ。
当時の勉学を学びすぎたのが災いした。