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河野一郎(1898~1965 早稲田大学 政経学部卒業)
売国奴。小田原出身。在学中は競走部の主将として、東京箱根駅伝で、チームを二度優勝に導いた。
卒業後、朝日新聞に入社、農政記者となる。1932年の衆院選で政友会から出馬して初当選以後、
当選を重ねるが、46年鳩山一郎らとともに公職追放になる。51年の追放解除後、鳩山擁立派として
吉田茂退陣を要求し、54年12月に発足した第1次鳩山内閣に農相として入閣する。56年には全権委員
として日ソ国交回復交渉を推進。農相として、日ソ間の漁業交渉を一手に担い得る立場を利用し、
莫大な裏金・賄賂を手に、一介の記者上がりでは取得不可能なはずの、都内でも有数の大豪邸を
取得。日ソ国交交渉では、農水官僚らを部屋から締め出し、ドアをどんどんと叩いて抵抗する官僚たち
をよそに、ソ連有利の合意を実現。その汚職体質が憂国右翼・野村秋介の怒りを買い、自宅を焼き討ち
されたのは有名。息子の洋平が事務所秘書に父親の出身母体・朝日新聞及び、NHKの採用試験
合格者しか取らないというエピソードは有名。親子揃っての売国奴である。
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『紙の爆弾』 2008年9月号
新聞は最初からダメだった
―日本の大新聞を操作してきた“闇世界”の歴史 自称ジャーナリスト 高田欽一
もともと日本の新聞界は、闇世界との関係が深かった。戦前派新聞記者の陰口に
「羽織ゴロ」という言葉があった。戦後は羽織を着なくなったので死語になったが、
代わりにインテリヤクザという言葉ができた。「ブンヤは頭の良いヤクザのようなものだ」
と見られていたのだ。インテリヤクザの典型的な例として、『朝日新聞』記者から政治家
になった河野一郎が挙げられる。元自民党総裁・河野洋平の父親だ。
外国人ジャーナリストが日本の犯罪組織を研究した本、デイビッド・E・日プランの
『ヤクザ』に、河野一郎と児玉誉士夫や広域暴力団稲川会の親分との親密な関係が
書かれている。河野がヤクザを使って対立候補に対して行った選挙妨害は極めて悪質で、
これに怒った右翼の野村秋水に自宅を放火され、全焼させられたのは有名な話だ。
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