08/07/25 17:19:41.49 /ktvlIb50 BE:478500629-PLT(12025) ポイント特典
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お遺体は自宅に帰らず…ガラリ“当世”お葬式考
“地縁”から“社縁”そして個人化
高齢化社会が喧伝されて久しいが、後期高齢期→終末期の次に迎えるのは「葬式」だ。
現在約110万人の年間死亡者数は2040年の165万人まで増加一方という予測だが、葬式スタイルはこの10年余りでずいぶん様変わりした。当節の葬式を考えてみた。
終戦後まもない1951年、死亡者の83%が自宅で息を引き取った。それが2003年には、病院と診療所が82%、自宅はわずか13%で、この傾向は一段と進行している。
葬儀を行う場所も、かつては半数以上が自宅だったが、現在は2割を下回ると推定される。増えたのは「葬儀場」や「葬祭会館」だ。このことは何を意味するのか。
「かつては病院で亡くなっても“宅送”され、通夜の前に三具足(みつぐそく=香炉・燭台・花瓶)の枕飾りを供え、
僧侶があげる枕経を聞きながら遺族は、どういう葬儀にするか考える時間があった。それが今は遺体が病院から直接、葬儀場へ運ばれる。生活の中で死を認めることがなくなった。
遺族の負担が軽減したとはいえ、私には歪んだことにも思えるのです」と話すのは、隔月刊誌「SOGI」編集長の碑文谷創氏。
まさに「メメント・モリ」(ラテン語で、死を思え)が消失したわけだ。
碑文谷さんによると、戦後の葬式スタイルは次のように変遷した。
まず、戦争中は大勢が死にながらロクな葬式ができなかったため、戦後社会が安定してきて「人並みの葬式を」となった。
それが、やがて「他人より立派に送ってやりたい」と、だんだん派手になっていった。
このころまで、葬式の担い手は地域共同体、つまり“地縁”だった。しかし、高度成長期に農村社会は崩壊し、葬式も“社縁”が主流に。
総務課員や若手社員が手伝いに駆けつけた。
そんなことも今では珍しくなった。キッカケはバブルの崩壊だったという。
「経済だけでなく、価値観も変えたのです。それまでオープンなものだった葬式が急速に“個人化”していった」
(以下略)
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