08/02/04 21:42:11.09 C56uZtFj0 BE:301320454-PLT(15500) ポイント特典
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「残業の問題は『能力を使わず、体力をすり減らす』ことにある!」
「MOTTAINAI」のように日本独特の美徳が世界共通語になるのは嬉しいことですが、その半面あまり喜べない例もあります。
数年前から国際語になってしまったのが「KAROSHI」=「過労死」です。
かつての「HARAKIRI(腹切り)」同様、過労死が日本人独特の死に方として国際社会に認知されるのは、極めて残念なことです。
他国では切腹と同じくらい、“働き過ぎが原因で人が死ぬ”ことが奇異に感じられるのかもしれません。
日本では長時間労働を労使ともにあまり疑問に感じることなく、従ってその結果として、「残業が当たり前」の労働環境が浸透してしまっていますが、
この問題に手をつけることなく、増加する過労死の問題を解決しようとしても、無理があるのは自明の理といえます。
頭の使いすぎで死ぬ人はいない
そもそも過労死はなぜ起こるのでしょうか。それは多くの日本企業でなかなか減少しない残業が、
体力をどんどんすり減らすことと関係しているからです。
無理な残業が続けば、誰だって体力が落ちてきます。
となれば、週末はグッタリして体力を回復させることだけに終始してしまいますが、2日間でたまった疲れが完全に解消されることは難しく、
日曜の夕方には、多くの人がいわゆる「サザエさん症候群」に陥ってしまうのです。
どういうことかというと、趣味や家族との触れ合いなど、仕事以外のことで充実した週末を過ごし、
気分転換を図るのとは程遠く、気力が充実するまでもなく、後ろ向きの気持ちのまま次の週に突入し、
また残業で体力をすり減らしていくわけです。
これではいつまでたっても、個人としても、組織としても、効率的な仕事の実現などあり得ませんし、
過労死も減らないでしょう。
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能力は体力をベースに成り立っている
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