08/01/13 21:25:27.65 3ao311gl0 BE:1878055597-PLT(12123) ポイント特典
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■万能細胞とバチカン 科学に問う生命の根源
宗教と科学は対極にあると思われがち。しかし、例えばカトリック教会は科学の進歩に敏感だ。
警戒するばかりではない。京都大学の山中伸弥教授らが昨秋、人の皮膚から万能細胞を
作るのに成功した時は、ただちに歓迎のコメントを出した。その背景は奥深い。
バチカン(ローマ法王庁)生命アカデミーのスグレッチャ会長は今回の成功を
「歴史的な成果」とたたえた。同アカデミーは生命倫理についての指針を
示す機関だ。米国司教協議会も歓迎の声明を出した。
バチカンの立場は「受精の瞬間から人間」。
故ヨハネ・パウロ2世は95年の文書「いのちの福音」で「神は(中略)小さな
形のない胚芽であるときに人間を見つめ、そのような人間のうちにすでに
将来の成長した姿を認めるかたです」と述べている。受精卵を壊して作る
ES細胞を認めないのは当然なのだ。
カトリックの生命倫理に詳しい富山大学の秋葉悦子教授(刑法)は
「欧州ではキリスト教の立場を踏まえて、生命倫理をめぐる議論がなされる。
そこにどれだけの葛藤(かっとう)があることか。日本では参照する原則が
はっきりしない。人間とは何かという問題にかかわる以上、根源にさかのぼって
考える必要がある」と指摘する。
URLリンク(www.asahi.com)
欧米にはキリスト教があるから、どんなに単調でも日々の暮らしを神への栄光として
意味づけることができる。しかし日本にはそれがない。
だから「道徳の建て直し」というと教育勅語が出てくるし、死後の世界というとスピリチュアルが出てくる。
要するに倫理や規範的なものというとすぐオカルトや共同体のロマンに吸い込まれていく。
こういう社会ではすべてが「人それぞれ」の多数決、権力闘争になっていきます。
こういう社会では生命科学は進むでしょうが、国民がやる気を失いいずれは衰退して滅ぶしかないのです。