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略)
事件の実態はまさしく「地獄絵図」である。
事件は山崎被告が06年10月30日、自宅に鍵をかけた時から始まる。山崎被告は長男と三男の
存在を疎ましく思い、放置して餓死させることを考えた。山崎被告はチャーハンを食べさせたあと、
12月初旬まで交際相手の家に行ったままで2人を放置。1か月間以上あとに再び自宅の
鍵を開けるまで、2人の幼子は飢えのなかで苦しんでいた。幼い三男は餓死したが、長男は生の
米や生ゴミ、冷蔵庫にあったマヨネーズを食べて命をつないでいたという。
山崎被告は裁判のなかで、長男が生きていることに驚き、長男は「ママ、遅いよ」と駆け寄って
きたと証言している。その後、山崎被告は三男の遺体を交際相手の家にある物置に遺棄した。
自分を放置したにも係らず「ママ、遅いよ」と駆け寄る長男の姿はなんとも哀れだ。しかし、
生きていた長男にとっては、弟の遺体を横に生活した体験は地獄ともいえる。
毎日新聞(北海道版)では、事件後に長男が発したとされる言葉を紹介している。
「ママ怖い」「そら(青空)、動かない(編注:『そら』は三男の名前)」「口の中に虫いっぱい入ってた。
ママ取ってた」「ビニールかぶせた。口にガムテープ張った」。
長男は青空ちゃんの傷んだ遺体を愛美被告が隠そうとする様子を見ていたとみられる
事件後には山崎被告が書き込んでいたと見られる携帯サイトがネット上で話題を呼んでいた。
そこには、「あなたに逢えて、本当によかった(ハート)幸せ(ハート)愛してる(ハート)
心から本当にそう思うよ(ハート)もぅ離さないでね」と書かれていた。2人の幼子に向けたもの
ではないことだけは確かだ。(一部略)
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
バッキーの社長はちなみに懲役18年