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ファイナル・ステージ
その日春香は、いつもより早く目が覚めた。恐らく緊張からだろう。無理もない、今日は
彼女にとって、今までの総決算となるべき大事な日なのだ。ずっとずっと追いかけてきた
自分の夢が、今日、ようやく一大イベントとして実を結ぼうとしている。
春香は、ベッドの上で起きあがったまま、ぼんやりと今までのことを考えた。アイドルとして
デビューしたあの日が、もう遠い遠い昔のことのように思えた。それから、今日これから
大勢の人の前でなすべきこと、終わった後のこと、そして明日からのことを考えた。
昼過ぎになると、プロデューサーが彼女を車で迎えに来た。本当は、春香も自宅から
両親たちと一緒にタクシーで向かい、プロデューサーと現場で合流するという予定のはずだった。
「いくら私の家が遠いからって、わざわざ迎えに来るだなんて…」春香は笑った。
確かにこんなのは破格の始まり方だ。だが、プロデューサーは、どうしても春香を
連れて行っておきたい場所があると言う。
予定外のできごとでびっくり顔の春香の両親に、くれぐれもよろしくお願いしますと
頭を下げられ、プロデューサーは恐縮してしまった。
「それはこちらのセリフです。オレ…いや、ぼくの方こそ、ずっと彼女に助けられて
きたんですから」プロデューサーはそう言って、両親以上に深々と頭を下げた。
車に乗った春香は、緊張が続いていたのか、言葉少なだった。プロデューサーも、無理に
話をしようとせず、ただ黙って運転していた。やがて車は都心に入り、野外音楽堂のある
大きな公園のそばで停まった。
「春香、おぼえてるか、ここ」
「はい、もちろんですよ」
そこは、二人が新米プロデューサーと新米アイドルとして出会った最初の場所だ。
この場所で二人が会ったから、今があると言ってもいい。プロデューサーは春香に、
「ちょっと歌ってみないか」と言った。春香はにっこり笑って、あのときと同じように、
発声練習をした。力強く、澄んだ声がホールに反射し、空気の中へ融けていった。
プロデューサーは一人、拍手をした。
「春香はあのころから比べると、ずいぶん変わったなあ」
「そ、そうですか?私、今でもあのときのままだと思ってるんですけど…」
「いや、こんなに成長したんだ、変わったよ」プロデューサーは、春香の肩に手を載せた。
「…いい意味、ですよね?」
「もちろんだ。ドジでおっちょこちょいはそのままだけどな」
「ひ、ひどいです…」
「ははは」
「えへへ」