THE IDOLM@STER アイドルマスター part3at MITEMITE
THE IDOLM@STER アイドルマスター part3 - 暇つぶし2ch80:placebo(1/4)
09/07/24 22:28:19 F798/CqC
「プロデューサーは……軽い冗談が自分の手の届かないところで大ごとになってしまったことって、
あります?」
「……なんだって?」
 お互い別行動だった昨日、なにかがあったらしい。今朝から律子の様子がおかしかった。
 今日は幸い打ち合わせ関係ばかりでカメラに写る仕事は入っておらず、この妙にやつれたご面相
を全国に発信することにはならなかったが……いつまでもこのままではいるわけにもいくまい。
 渋る彼女をなだめたりすかしたりの挙句、今しがたのように律子が口火を切る気になったのは
もう日暮れ間近になってからだった。一服の名目で入った喫茶店、アイスティーを一口飲んで
律子が言葉を継ぐ。
「うーん、たとえば、ほんの冗談で『あなたの家が火事よ』って嘘をついたら消防車を呼ばれたとか。
『なんでも当たる占い師です』って普通のおばさんを紹介したら全国から人が集まってしまったとか」
「ふむ、プラシーボ効果ねえ」
「……それ、お医者さんから『これは血圧の薬だ』って言われて薬を渡されると、実はビタミン剤
でも高血圧の人が一時的に降圧したりするっていうのですよね。こういうことにも言うんですか?」
「拡大解釈気味だがね。あの理論のキモのひとつは『権威のある人物の言う言葉には相応の影響力
がある』という部分なんだ」
 その効果を確認する実験にしても、八百屋の親父に薬を渡されたところで信じる被験者はいまい。
白衣の研究者がもっともらしい説明とともに渡した薬だから、効能を発揮するのだ。
「そうだな、たとえば高木社長がテレビ局のお偉いさんに『この人物は信頼できる、腕の立つ
プロデューサーです』と、さっき街で出会ったばっかりの若造を紹介したとする」
「ふふ、プロデューサーの話ですよね、たとえ話じゃなくて」
ようやく笑みがこぼれるのを見て、会話の方向性はこうであったかと内心で胸をなでおろした。
「どうかな。するとその人物が思いつきで語った『理系アイドルVS文系アイドル・ディベート大合戦』
なんて企画が本当に番組になるわけだ」
「で、その後で担当することが決まった事務員兼任アイドル候補生がオーディションに駆り出される
ことになるわけですか」
「お前が候補生で本当に良かった……いや、あくまでたとえ話だぞ」
「はいはい、そういうことにしておきます」
 もちろんその番組制作に、その日プロデューサーになったばかりの俺は関与していない。実際
にはディベートではなくクイズバトルになったし、どういうわけだかプールで水着で収録されたその
番組はしかし、視聴率が取れたのでパート2が作られ、パート3の制作も決定した。後に社長から
裏話を聞いて、見出された恩を少しでも返せたかと喜んだ記憶がある。新人アイドルだったがゆえに
ねちっこいカメラアングルを拒否できなかった律子からはしばらくブツクサ言われ続けたのだが、
と、いやこれは脱線だ。律子に話題を振り返す。
「で?お前は誰に何をどう吹っかけたんだ?社長みたいに『俺が敏腕プロデューサーだ』って
ハリウッドにでも売り込んだのか?」
「私の身が滅びますよ、そんなことしたら。……んー、ええと」
 しばし目を泳がせて、たとえ話ですよ、と改めて念を押す。
「あるところに、タカラヅカ系って言うか、ぱっと見カッコいい王子様タイプの女の子がいて、女の子
らしい立ち居振る舞いに憧れているとします」
「……真がなにかやらかしたのか?」
「ち、違いますよ逆です、たとえ話って言ったじゃないですか」
「あ、そーか」
「もうっ。で、その子が『女の子らしさを勉強したい』って相談に来たので、アイドル事務所を紹介したら」
「オーディションで落とされて、その子がふさぎこんだ?」
「社長が即採用しちゃったんです……女の子なのに、男性アイドルとして」
「あちゃあ」

81:placebo(2/4)
09/07/24 22:29:09 F798/CqC
 現在の芸能界は少々のことはすべて話題性や個性と受け取る風潮がある。もと男性の女性タレント
がいたり、逆の事例があったり、この業界では男か女かといったことは、八重歯のあるなし程度の
個性にしか過ぎないのだ。もっとも、真剣に悩んだ結果この世界に救いを見出した、という者も
存在するので全てを悪と切って捨てることは出来ないが……。
「……こうなるはずじゃなかった、って感じなのか。律子にとって」
「その場の状況から結末は読めたんですけど、ここまでとんとん拍子に進むとは思ってなくて
……あの、あくまでたとえ話ですよ?」
「わかってるって。エッセンスはこうだ、『お前はちょっとノリ過ぎた』、そうだろ?」
 実際の経緯がどうあれ、その過程で律子は誰かを巻き込んでしまったのだろう。普段なら冗談は
冗談で済むよう手回しできる彼女が、場に流されて収拾をつけられなかったということなのだ。
「その子は本意でない仕事をさせられて困ってるんだな。で、お前はそれを気に病んでゆうべは
一睡もできなかったと」
「……あはは、バレてましたか」
「アイドルが目の下にクマってのはいただけないな。そんなに深刻なのか?」
「まあ、私としては少々戸惑ってます」
 ことの軽重を度外視するなら、こういう事は実はよくある話だ。うっかり吹いた自慢話に食いつかれたり、
誰も聞いていないと思った愚痴を広められてしまったり。プラスの影響もあるのが噂話の侮れない
ところだが、彼女はそのマイナス部分を相当シリアスに受け取っている。具体的になにが起きたか
は示されていないが、人に笑顔を与える人気者商売は心配事を抱えたままやっていけるものではない。
「リアルな話をするが、損害賠償とか訴訟に発展しそうか?」
「いえ、まだそういうレベルでは」
「なら、全部ぶちまけて、謝ってすっきりするべきではないか?俺が足しになるんなら一緒に頭を
下げるが」
「それができれば、一番いいんでしょうね」
「……できないってことか?」
「はぁ」
テーブルに目を落とした律子が、上目遣いで俺を見る。
「本人が……やる気になっちゃいまして」
「ハイ?」
「私、その子を励ましちゃったんです。意にそぐわない正反対の仕事にこそ真実がある、って」
「……問題点を整理したいのだが、いいか?」
 つまり、このたとえ話の内容は、こういうことだ。
 1.女らしさを身に付けたい女の子が律子を頼ってきたが、律子が紹介した事務所はその子を
男性アイドルとして評価した。
 2.事務所の社長は『律子の紹介なら』とその子を採用したが、律子の思惑とは裏腹に彼女を
男性アイドルとして売り出すことにしてしまった。
 3.女の子は『話が違う』と律子に抗議したが、成り行き上律子は『男の子を演じることで男の子の
理想像をつかむことができる』と説得し、女の子も『律子がそう言うなら』ととりあえず男性アイドルの
トップを目指す気になってしまった。
「……こんなところ?」
「はい」
「つまり律子先生は今回、ニセ薬を合計二人に処方したってわけか?」
「そう、なりますかね」
「登場人物の誰一人として困っていないようなのだが」
「私が困ってるんですっ!」
「あー了解」
 律子としては、自分のプラシーボがここまで有効に作用して、今さら引っ込みがつかないのだ。
このままその子が挫折すれば律子のせい、どこかで秘密がバレても律子のせいになる。逆にこの
プロジェクトが成功しても、真実を話せない律子に手柄は届くまい。

82:placebo(3/4)
09/07/24 22:30:15 F798/CqC
「でもアレだぞ?この話の中で悪いのは事実をネジ曲げた事務所社長だぞ?お前は知らんふりか、
なんならその子の側に立って被害者を演じる事だってできる」
「でもあの子には」
「最終的に決断したのは本人だ。たとえ律子の説得でも、本当に嫌なら断われたはずだ」
「でも……でもっ」
 いつもなら、整然と論理を詰めるのは律子で、感情論で立ち向かうのは俺だ。義理人情で問題を
ややこしくするのは俺で、損得を計算して冷静にことに当たるのは律子だ。それがどうしたことか、
今日だけは立場が逆だった。
 手元のコーヒーを飲み干し、俺は言った。
「よし、わかった」
 本当はなにもわかってなどいない。たとえ話の応酬で始まった会話は、組み合わさっていない
ピースをいじるだけの成果のない遊びになっていた。しかし、その中にもゆるぎない事実がある。
 いま、律子が困っている、ということだ。
「ならばこうだ。律子、お前も根性を決めろ」
 そして、彼女が困っているのなら、俺はどんなことをしても彼女を助けるのだ。
 律子はさっき『違いますよ、逆です』と言った。ということは、たとえ話は全くの絵空事ではないのだ
ろう。ある点では彼女の話したとおりのことが起きているのだ。
「この話の最大の問題は、お前の手から離れたところでものごとが進んでいるという点だ。なら
これを解決するのにベストの手段がある。律子、お前が事態を掌握するんだ」
「え、だ、だって」
「お前のたとえ話で二つ確かなことがあった。事務所社長と女の子が、お前を信頼しているという
ことだ。ここに間違いはないな?」
「は、はい」
「それなら話は簡単だ。お前はその両方に食い下がれ」
 秋月律子という人物の長所はその企画立案能力で、短所はその硬直性だ。計算が思い通りに
いった時の効果は抜群だが、想定外の事態に対処できない。今回はその想定外の事態が
起きているのだ。
「その子の事務所に割って入って、その子に有利なプロモーションを奪い取れ。そしてその子を
指導して事実を隠蔽する能力を磨き、男とか女とかじゃない人間としての魅力を高めてやるんだ」
「で、でもよその事務所―」
「紹介したのは律子だろう、いわば保護者で後見人だ。お前にはその権利も義務もある」
「あの子にだって自分の考えが―」
「アイドルでいく道を選んだのは本人だ、その分野ではお前がはるかに先輩だろう?お前の知識と
経験から可愛い後輩にもっとも効率的な方法を指導してやるのは、むしろお前の使命じゃないのか?」
 そしてその想定外の事態に対処するのがいつもの俺の役割だった。彼女が昨日、どこかで
やらかした計算違いを、いま俺が補ってやるのだ。
「もちろん、おおっぴらにやったらカドが立つ。そいつを密やかにスムースに行なうのが、お前の
プロデュース能力の発揮しどころだぞ」
「私の……プロデュース能力?」
「そうだよ、アイドル兼プロデューサー見習い・秋月律子どの。いまからお前は、その子の影の
プロデューサーだ」
 律子の目標はトップアイドルではなく、プロデューサーだ。その子にしても、わざわざ律子を
頼ってきたのは彼女のことを心得ているからにほかならない。それに、律子が全てをご破算に
するのをためらう理由のひとつも、きっとここにある。
「お前には、その子をこの世界に誘った責任がある。その子に決意を固めさせた責任がある。
違うか?」

83:placebo(4/4)
09/07/24 22:31:02 F798/CqC
「……違っては、いないと思います」
「よし。ならば責任を果たすべきだ」
 本人が意識しているか否かは置いて、律子は自分の手でアイドルをプロデュースしたいと思って
いるのだ。
「律子、お前は今日からアイドル・秋月律子であると同時にプロデューサー・秋月律子だ。俺と
一緒にアイドルとしてのトップを目指し、そしてその子をトップアイドルにすべく導いてやるんだ」
 律子の動きが止まっていた。躊躇しているのではない。テーブルを見つめる視線に迷いがない
のがわかる。俺の説明をシミュレートし始めているのだ。
「うわー、これは……まいりましたね」
「大変だぞ。俺はもちろんお前のプロデュースの手を抜く気はないし、お前がトップを目指せない
のならその子への説得力にならない」
「個人的な電話、かける時間くらいはいただけますか?」
「お前の心がけ次第だけどな。できるか?」
「……できます。やります」
 再びこちらを見つめた視線にはもう迷いはない。『まいった』なんて嘘っぱちだ。楽しくてしょうが
ないという表情になっている。
「あの子に関しては確信があります。絶対いいアイドルになる。あとは私の方ですけど……確かに、
ちゃんとやらなきゃ示しがつきませんからね」
「嬉しいね。ともかく、お前がアイドル頑張る気になったのが」
「なに言ってるんですか。これまでだって頑張ってましたよ」
 飲みさしの紅茶をぐっとあおって、律子は立ち上がった。
「さて、そうなるとこんなところで油売ってるわけには行かないか。今日は上がりでよかったですよね?」
「ああ」
「お先に失礼します。二、三連絡をしておきたいので」
「お疲れさん。勘定はやっておく」
「すみません。でも経費清算は早くお願いしますよ?」
「はいはい」
 律子を見送り、俺も荷物をまとめた。彼女だけでなく、俺も当然やることがある。これから事務所に
戻るつもりだった。
「……まるで医者の不養生だな。正確にはニセ医者だが」
 『プラシーボ効果のキモ』にはもうひとつの側面がある。潜在能力の発露だ。
 的確なアドバイスとともに与えられたビタミン剤は、その人物が本来持っている自己治癒力を
呼び覚まし、たとえば高血圧治療や、場合によっては腫瘍すら小さくしてしまう。病気に限ったこと
ではない。記憶力や体力、あるいは……プロデュース能力にもこのニセ薬は有効なのだ。
 誰かを指導する素質も能力もある律子だが、苦手なこともある。それは自分を鼓舞することだ。
 人の才能を見抜いて的確なアドバイスができるくせに、自分に関してはコンプレックスの塊。そんな
彼女にプラシーボを処方できるのが、俺の数少ない取り柄だった。
 これからはきっと忙しくなる。アイドルのプロデュースにプロデューサー見習いの指導。その
どちらもトップレベルを要求されるに違いない。事務所に戻ったら、スケジュールの再調整をして
みるつもりだった。
 しかしそれで律子が満足するなら、俺には本望だろう。達成感に満ちた彼女の笑顔は今度は、
俺のやる気への特効薬になる。
「……これまたプラシーボだけどな、へっへっへ」
 先の楽しみを想像しながら、俺は店をあとにした。





おわり

84:placebo(あとがき)
09/07/24 22:35:51 F798/CqC
以上でございます。ありがとうございました。

情報が出始めた頃、律ちゃんスレで「律子は涼に女装を共用した悪人だ」的な
論調があって、いやいや律ちゃんそんなアタマ回らないよ実際、って思っていた
のですが、最近のレスの具合を見ると落ち着いてきていますね。
まあその辺のいろいろを書いてみたかったのと、涼自身はこの経緯をどういう
ふうに受け止めているんだろう、ってな部分を織り込んだ連作でございました。

あとひびまこダンスバトルもお目汚しすいませんでした。あそこまで書いた時点で
俺の盛り上げテクが底をついた、というのが執筆座礁の主因です。
みなさんのあたたかいお焚き上げ、目に沁みましてございます。

ではまた。

85: ◆DqcSfilCKg
09/07/25 00:50:11 G2sC6Mcd
涼ちんショックが未だ冷めやらぬようですが、投下いたします。島原薫です。
題名は「青春ミンミキミキ」。使用レスは5レス。
一部、ガールズサイド(男体化)キャラがおりますのでご注意ください。
投下後、終了宣言+前作レスへのお返しです。

86:青春ミンミキミキミキ ◆DqcSfilCKg
09/07/25 00:51:04 G2sC6Mcd

人の惚気話ほどつまらないものはない、とはよく言われるもので。
「それでね。ミキが抱きつくと、千早さん顔真っ赤にして。だからカッワイーって言ったらね」
おまけにそれが好きな、というか気になる人間からの話だったらなおのこと。
キーボードを叩く指が僅かに強くなっていくのを、冬月律自身も気づいてないようだった。
「それでそれでー」
うるさいっ!
面と向かってそう言えたらなんと楽なことか。
コロコロと楽しそうに表情を変える星井美希に律はそっぽを向くことしか出来ない。
この意気地なしめっ。
そっぽを向いた先、窓に映る自分の顔はお世辞にも良いものじゃなかった。

恋には何種類もある、ということを冬月青年は理解してるつもりだった。
それこそ音無小鳥嬢が趣味の一環として楽しんでいるアレやソレも、性倒錯とは古来より人間、特に日本人は寛容に接してきたわけで云々。とまあ何とも面倒くさいプロセスを踏んで解釈してるつもりだった。だったとも。
だけども割り切れないのが人の情。
実際に星井美希が如月千早にひっきりなしに絡んでいるのを見ていると、思春期特有の感情と思考のせめぎあいがあるわけで。
なにより不幸なのはこの青年にそういった経験が無いに等しい点。
自身もアイドルとして活動していること、流行りの眼鏡なんちゃらであることを一切合財有効活用してこなかったツケを今ここで払わされているのだ。のだ。のだ。
と、これまた何とも面倒くさいプロセスを経て律はそう結論づける。
一切の矛盾点など無いかのように、証明を終えた数学者然としている彼に奄美ハルは頭を抱えた。
相談があると、普段は鉄仮面とも言うべき仏頂面を僅かに曇らせる律を見てついに俺が頼られる時代。
ハル君は頼れる子! なんて息巻いたのも一時間前。というか一時間も経ってたんだと、ハルはあらためて肩を落とした。
要は一方通行な三角関係なんですね、とまとめると律はどこか不服そうながらも頷く。
そんな中学生じゃあるまいし。言いかける口をつぐみ、その三角形を思い浮かべる。
なによりハルにも無関係な三角形ではないのだ。だからこそ律も相談してきた。
りっくんはミキミキが好き。ミキミキはちーちゃんが好き。あとハルクンもちーちゃんが好き。
歪な四角形の終点は一体どこなのだろう。
沈黙の時間が続くかと思われたが、社長室から顔を出した高木順子女史に促がされて男二人の相談会はお開きとなった。
時計は十時を回ろうとしていた。


87:青春ミンミキミキミキ 2/5 ◆DqcSfilCKg
09/07/25 00:52:03 G2sC6Mcd

翌日、午前中をレッスンに費やした律は自分のデスクで船を漕いでいた。
ランクアップに伴い、どうしても詰まっていく時間が彼を削っていく。
事務員としての業務を減らせば、という小鳥の申し出を断ったことは立派かもしれないが、根性だけでどうにかなるラインを超えていることは明白だった。
もんのすごく眠い。けど仕事は放り出せない。
本能と理性がせめぎあう中、律は白昼夢を見る。
事務所のアイドルが全員、女の子だったら。
すぐ怠けようとする美希を何だかんだで面倒見ている自分。
恋とか愛とか嫉妬とか、そんな面倒くさい事象を挟まない友情。
ああ羨ましい羨ましい。
そんな絵空事が羨ましいなんてよっぽどだ、と締めくくり、最後に女の自分を見てそのエビフライはねえよと、律はまどろみの中へと沈んでいった。
起きると、律は自分の斜向かいにある壁時計を見上げた。
軽く二周はしてるであろう短針に肩を落とすと、「あ、起きた?」とその言葉をそっくりそのまま返してやりたい美希がこちらに向かってくる。
覚醒直後のあの独特なけだるさというか空気感は美希にピッタリで、眠い目をこするだけのその動作にも律はドキリとしてしまう。
「律が寝てたから美希も寝ちゃったの。あふぅ」
「人が寝てたから自分も寝ることっていう法律があるって初めて知ったよ。あと、さんを」
「律のこと待ってたんだよ」
あふぅ、とまだまだ眠そうな美希。けど、律はそれどころじゃない。え? なに? 俺を待ってた? なして?
純情な中学生よろしく土器をムネムネさせる律に美希は眠い目を細めたまま、椅子に座っている彼に正面から抱きつく。
図らずも美希の胸に埋まる形になった律は、純情な高校生よろしく頭と体をフリーズ。
あんまりにもタイミングがアレ過ぎてコレもソレにならなくて、と律自身もよく分からなくなってきた。
ただ、頭上から「千早さんがね」と聞いただけでその全てが通常運転まで冷めていくのを感じていた。
「ミキが何回も一緒に遊ぼうって言っても、ミキは違う事務所だからって聞いてくれないんだよ? そりゃそうだけど、ちょっと冷たい気がするな。ねえ、律もそうお」
「事実なんだから仕方ないだろ。お前は違う事務所の人間なんだから」
「ひっどーい。律までそう言うんだ。ふーん」
別に親から言われたワケでも何でもないが、女の子に暴力はいけないと肝に銘じていた。
そういう礼儀のような暗黙のルールは時に弊害を生むが、それは人としての美徳だと律は認識していた。
だから、左頬を抑えてポロポロと宝石のような涙をこぼす美希を見たときに、やっと自分の過ちと認識の誤解を理解した。
停止したような時間が過ぎるかと思われたが、左頬に衝撃がはしり、目の前の景色がグルンと回って律は我にかえる。
残ったのは惨めというにはあまりに格好悪い何かと、ドアから出て行く美希に目を白黒させている小鳥だけだった。


88:青春ミンミキミキミキ 3/5 ◆DqcSfilCKg
09/07/25 00:54:18 G2sC6Mcd

それを私に言ってどうするの?
手につかない事務作業を全て小鳥に奪われたところで千早と雪之丞が戻ってきた。
先ほどまでの事情も知らず、珍しくソファで雪之丞の淹れたお茶を飲み始めた千早のもとにズカズカと近づく。
何か言ってやらないと気がすまない。ああ言ってやるともさ。言ってやるともさ。
雪之丞の方が怯え始めたところで立ち止まり、涼しげな視線を送ってくる彼女と対峙したところでりっくんのコンピュータが勝手に計算結果をはじき出す。
八つ当たりじゃね?
ぐっ、と言いよどむ律に可愛らしく首をかしげる雪之丞。って、お前の方かよ。
「なに?」
律の渾身のツッコミもつゆ知らず、まっすぐな視線は彼の心中ごと貫くように鋭い。
それでも、と律は千早をにらみ返す。
もとより敵を作りやすい性格の千早だが律とはウマが合うのか、たいした諍いもないままやってこれた。
その分、ぶつかったらどうなるか、という緊張感が周囲にも伝播し始める。
爆心地に近い雪之丞は既に意識を半分飛ばしているくらいだ。
「だから、なに?」
明らかに苛立ちが混ざり始めた声に、律もまたイライラと、先ほどまでの威勢が戻りつつあった。
なんでまたアイツはコイツにアレなんだろうか。
大きく息を吸って、吐いて。なんとか脳みそだけをクールダウンさせると、美希とのやり取りを説明した。
「それで、私にどうして欲しいの?」
ほらね。分かってたさ。ああ分かってたさ。
喋っている最中もひっきりなしに小さい自分が揚げ足取りに躍起になっていたんだもの。そりゃあねえ。
「もう少し美希に優しくしてやれって話だよ」
「それなら律にも言えることじゃないかしら」
きっぱりとばっさりと。
律がその場で少しのけぞる位のセリフを千早は淀みなく言い切った。
言い切って、「じゃあ私、レッスンあるから」と、お決まりのコースへと行こうとしているところを律は彼女の肩を掴んで引き止める。
「もうちょっと美希の気持ちってのもあるだろっ」
「私の気持ちは一切無視して?」
正論が通用しないなんて場面は往々にしてよくあることで、千早の言い分も時と場合によっては乱暴なお節介に叩き潰される。
それでも、それでもその不条理に抗しよう。
千早の目は常にそれぐらい切羽詰っており、子供のままの乱暴な純粋さはある意味で貴重なものかもしれない。
誰かが好きだという気持ちが、そこまで尊重されるものなの?
部屋から出て行く際に千早が放った言葉は、まるで彼女自身に言っているように聞こえた。


89:青春ミンミキミキミキ 4/5 ◆DqcSfilCKg
09/07/25 00:55:34 G2sC6Mcd

入れ違いで事務所に来たハルが目を丸くしていたのはもはやお約束といえよう。
「あー、そりゃ怒るよねー」
事の顛末を聞いてアッハッハフヘヘと笑った彼は、ジロリと睨む律の視線にも動じない。
変なところで肝の据わっているハルは、苦笑したまま雪之丞の出したお茶を口に運んだ。
「うん、美味しい」という彼の言葉にやっと雪之丞も安心した表情を見せる。
「千早ちゃんは人に好かれたり、人を好きになるのに凄く慎重なんだよ。その……色々あって、それでも頑張ってる最中だからさ」
「随分と千早のことを理解してるんだな」
 律の言葉にもフヘヘ、と半端な笑顔を返すだけ。
近いようで遠いようで。
以前、ハルと千早の距離をそう評した小鳥の言葉を今になって律は思い出した。
凄いな、と正直に思ったことを律は口に出すと、「結局、好きなんだよ」と、ハルは笑った。

それから二週間、当然のように美希が来なかったことは、地味に冬月青年をヘコませていた。
ああそうですとも俺が悪うござんした、だけども美希だって云々。
そんな感じにうらぶれるのも最初のうちで、今では美希に会ったらまずこの頭を地面に擦りつけるぐらいしか考えられなかった。
周囲も微妙に腫れ物に触るような態度が鼻につくし、とりあえず何か起これっ、となんとも他力本願なへっぽこぶり。
大抵はそんなヘタレに大勝利の女神様は微笑まないのが常だけれどそれはそれ。
誰もいない深夜の事務所に一人、美希がずぶ濡れで佇んでいるところに遭遇した律は、そこでやっと色んな覚悟を完了した。
「どうした?」
騒がしいくらいの美希が無言であるだけで、なんて世界はつまらないものになるのだろう。
それを再認識するだけでも精一杯なのに、律の姿を捉えたとたん、彼の胸の中へと飛び込んでくる美希に、再び頭がシャットダウンする。
え? なにこれ? おいしいの? なにが?
「千早さんに……千早さんにも……ミキ、マチガッテるのかな」
彼女から伝わる熱は殆ど無いのに、垣間見た彼女の頬が僅かに赤くなっていたことを律は見逃していなかった。
それがけして、満面の笑みを浮かべたときに頬を差す紅でないことくらいすぐに分かった。
すぐに分かるくらい、ずっと見てた。


90:青春ミンミキミキミキ 5/5 ◆DqcSfilCKg
09/07/25 00:56:50 G2sC6Mcd

「こんなに好きだって言ってるのに。好きなのに分かってくれない……ミキ、もう分かんなないよ」
事務所であんなに跳ね回っている元気な体は、こうして包み込むとすごくちっちゃい。
力を入れれば折れてしまいそうなくらい細くて、だから大事にしたいと思った。思うくらい好きだった。
「けど、だからね……こうやって千早さんからキョヒされて、やっと律にしてきたこと分かったの。ミキ、律にひどいことしてたの」
こちらを見上げる瞳はずっと見ていたいくらいとても綺麗。だからずっと見てきた。ずっと好きだった。
ワガママでマイペースなところが凄く好きだった。何度イライラさせられても好きだった。事務所が移っても好きだった。
「律、ミキのこと、まだ好きかな?」
だから、自分に逃げようとする今の美希は嫌いだ。

「ねえ? 律?」
「……逃げるなよ」
「え?」
「ただ嫌われるよりも、逃げだして好きって言われる方がよっぽど堪えんだよ」

その後は律もよく覚えていなかった。
いつの間にか朝になっていたこと、赤く腫れている頬は確かなことで、小鳥から強制帰宅の命を貰ったところでやっと自分がやっちまったことをジワジワと思い出す。
事務所のソファの上で一回、家に帰って一回、シャワーを浴びて更に一回。
合計三バタバタも、過ぎてしまえばどうしようもないこと。
もういっそのこと事務所を辞めてしまおうか。
けど、ここで辞めたらモロ振られたことを引きずってるみたいだしっていうかそうなんだけどあーもー。
自宅のベッドの上で散々暴れまわった律がまどろみの中へ落ちていくのに時間はいらなかった。

彼が瞼を閉じた後、彼の携帯がメールの着信を報せる。
彼がそのメールの内容を知るのは八時間後なのだが、内容からしてどういう反応をするか、日の目を見るより明らかであろう。

ミキ、あきらめないことにしたよ。だから、リツさんもあきらめないでくれますか?


91: ◆DqcSfilCKg
09/07/25 00:58:13 G2sC6Mcd
以上で投下終了です。
まさか公式がガールズサイド的なものをヤッチマッタナーで抵抗も少なく書けました。
以下、前作レスへのお返しです。

>>24
レスありがとうございます。
邦画に描かれるような夏の雰囲気を目指して書いてみました。どこまでも青くて広くて切なくて、そういう空気を感じていただけたら幸いです。

>>26
槇原と見抜けるとは相当ですね。ファンなので嬉しいです。あずささんについては、アイマスの中の彼女と実際年齢の彼女のバランスを取ったつもりだったのですが、もう少し、千早に対してお姉さんしてても良かったですね。次回に生かしていきたいと思います。

>>33
ご意見ありがとうございます。彼女と期待したい部分と、それでもまだ彼女も。という部分を表現したかったのですが、物足りない結果になってしまったところは反省しております。

>>34
ありがとうございます。どうしてもアイマスキャラの中では大人側に収めてしまいがちなので、たまにはあらあらうふふとすっとぼけさせたいな、とも思っております。

>>46
確かに何かが始まるような雰囲気ではございますが、私の筆力ではここまでとなっております。ごめんちゃい。次回作もよろしくお願いします。

長々と失礼しました。
次回もよろしくお願いします。

92:創る名無しに見る名無し
09/07/25 04:28:17 AgMPJo7J
・・・なんにしろこのスレ、一度走り出すとなかなか止まらないのな。
なんかあれ以来お休み続いてるなーと思うと、いざ投下がはじまるとえらい勢いでドカドカと
示し合わせて書き貯めでもしてたような連続投下。
もしや競作・オーディションバトルの流れ!?とか見に来るまでちょっとだけ思ってたりw

>>76
甘え響はどっちかっていうと「でっかい亜美真美」みたいな感じかなというイメージが
定着しつつあるような。個人的には
真の身体能力と
伊織の根拠なき自信と
やよいのおつむと
亜美真美のガキっぽさと
雪歩の泣き虫と
春香の行動力及びドジと
その辺りを面白い位置に併せ持つ弱点ハイブリッド娘説、まあ中には弱点じゃないモノも
混じってるわけですが、この辺りがちょっと気に入ってたり。

あと個人的には。無防備過ぎる仕草を注意・・・の下りの直後に
にまーっといぢわるな笑い浮かべ「あーっ、見たな見たなー?・・・ヘンタイ」とか
微妙に楽しそうに囃し立ててくるなんてのも、それはそれでいっかなー、なんて思ってみたり。

>>84
・・・なんとなく、どっちかはレシPの仕業だと思ったw

悪人だ、とは言わないけども、自分の身内をずいぶん危ない立場に追いやっちゃったな、
ちょっと考え無しすぎ、下手すると人生メチャメチャだよ?とはやっぱり思ってしまうわけで
その辺りについては気にしないも含めて落とし所は公式の回答待ちだけども、それ以外の
部分も含めて、今ひとつあれを積極支持する気になれないなー、という気分も多少・・・
ティンクル×2アイドルスターもバーコードファイターも大丈夫だったから多分ポイントは
そこじゃないんだろうなー、と思うけど、なんかこの件はモヤモヤが抜けず。
それこそ>>79が示してるとおり、創作ネタとしては面白い設定だとは思うけど
受け入れられない人の気持ちもそれはそれでわかる、という印象を残さざるを得ず
まあ、あまり難しく考えすぎず楽しむのが一番でしょうけども。なんだろね。
・・・この辺りは理屈で納得しても感覚がなんか違う言ってる感じ

こういう落とし所を考える話になると、毎度の事ながらレシPのオトナッぷりが際立ちます。
プラセボはつまり、ハッタリは武器!wというわけで、案外場の勢いでいい加減なこと言って
引っ込みつかなくなるのは律っちゃんらしさでもあるような気が。そつがないようで、
案外肝心なとこでドジデスヨ、この人w
プロデューサーもフォローおつかれさま、というか、プロデューサーのプロデューサー
って感じで非常にややこしく、しかも実態を知らないなかなかこれまた微妙な立場w
これはこれで続きを想像すると楽しげな気配

んー、個人的には涼くんは「男の娘だと公表された女性部門のアイドル」としてプロデュース
とかいう展開だったら、自分の中ではありなのかもなあ。着替え済みの状態で
「では、期待たっぷりファンもがっぽりな、アイドルランク報告だ!」
(ルーキーズを勝った直後なので、ドドンと+30000人!)
「よ、世の中いろいろまちがってますよ、絶対!」
とかいう展開だったら、わりとけらけら笑ってられるのかもしらん。

93:創る名無しに見る名無し
09/07/25 04:29:17 AgMPJo7J
>>91
・・・デンデケデケデケ?
こうなると、律っちゃんをリツくんに会わせてみたい気が多少w
なんだろう、なんとなく島原式ガールズサイド仕様は、どことなくここはグリーンウッド
とかと同じような匂いがするw

ついでにこの世界の萩原家からは歌舞伎役者とかの気配がする。子どもの頃から修練は
積んでいたものの、進路を自分で選ぶことを許されて何故か家を離れてアイドル志願とか

話によって性別も含めた組み合わせはいろいろになりそうですが、なかなか妄想を刺激する
一撃ではあります。
そして、実はこれ全て小鳥さんの脳内だったんだよ!! な、なんだって(ry

ついでに>>22の続きは、勝手にいつか書かれると信じて楽しみにしておきますさw
なに、結局書かれない話を想うも、それはそれで楽しいものですよ。
・・・E.G.ファイナルとか革命とか白猿神とかorz

94:創る名無しに見る名無し
09/07/25 09:52:42 vyGNzcAC
>>84
お疲れさまでした。3つとも各スレで読ませていただきました。
何となくこのお話を読むと自分の中にあったモヤモヤがうまくまとまってくれた気がします。

各々の要素をうまくまとめる力が凄いですね。
やはりここの胆は律子が悪い事をしたわけではないけど、成り行きで事を進めすぎていた点ですね。
その律子の悪い点をうまく捉えて、プラシーボ効果という点でうまく逆転させたのは凄い発想だと思います。

こういう生き生きとした律子を見ると元気が出てきますね。
また次回作も期待しております。

95:創る名無しに見る名無し
09/07/25 10:24:22 dgOkg8bG
絵師募集スレとかあるけど、此処にもいつか来てくれんかなー。
それにはまず絵になるSSを書け? 頑張りますよ、こそこそと……w

>>84
レシPが書くPは毎度カッコエエなw
アイドル達から一歩線を引いて見守る、出来る大人って感じ。
構成もブレたりしないし……自分なんか、やりたい事だけやって(書いて)、
最後はいいからとにかくラヴラヴさせてまえー!な話しか作れんw

涼に纏わる話は、蓋を開けてみればわからないね……。
>>92の言うような、男だというのを大っぴらにやってくなら面白そうw

それにしても、新作出す度既存キャラに波紋が……(ぁ

>>91
恋愛物とかを書く場合、アイドル達の年齢とPの年齢が離れてるから、
なかなかこういう青春すとれーと!て感じのは書けない(少なくとも自分は)。
そこを思い切って男性化……面白かったです。
こういうのは、動画とかじゃ出来ない、創発ならではの作品かも。GJ!

>>92
確かに、止まってるなーと思ってたら一気に進んでるw
急発進、急ブレーキを繰り返してるみたいな。
作品の投下は他の職人の刺激になるから、そういう事が起きるのかも。

>弱点ハイブリッド娘
だから可愛くて仕方ない。

96:創る名無しに見る名無し
09/07/25 20:44:47 lNyEevQX
はじめまして。ssを投下させていただきます。4分割です。

97:1/4
09/07/25 20:45:54 lNyEevQX
「また泊まったんですか?」
「え、ええ」彼はばつが悪そうに、音無小鳥の質問に答えた。クリーニングから帰っ
てきたばかりで、ぴしっと折り目のついたスラックスを穿き、糊の効いたワイシャツ
を無頓着に腕まくりして着ている姿は、いつもの彼そのものだった。起きたばかりと
はいえ、靴下をはかずに素足にスリッパというのが、ずぼらな彼らしくもあった。
 だが、バイタリティ溢れるその見かけとはうらはらに、どこか青年らしさを欠いた
疲労の色があるのを小鳥は感じていた。無理もない。アイドルを数人抱えているにも
かかわらず、この会社には彼しかプロデューサーがいないのだ。若いエネルギーに
だって限界はある。
「会社は宿泊所じゃありませんよ。ちゃんとご自分の部屋へ帰って、きちんと睡眠を
とってください。日中だって、それほど休憩時間があるわけじゃないでしょう。そん
なことをしていると、いつか入院なんてことになっちゃいます」最初は規律を守りな
さい、というようなきびしいものだった小鳥の表情は、だんだんと悲しそうなものに
変わっていた。
「すいません、部屋へ帰る時間が惜しくて、つい…」心配そうな小鳥の顔を見て、さ
すがに悪いと思ったのだろう、彼も神妙な顔つきになった。
「この間なんか、私が出社してきたとき、イスに座って寝てましたよね。あれじゃ体
も痛くなりますし、健康にもよくありません。面倒だとか言わないで、帰れる時はき
ちんと帰ってくださいね。約束ですよ」
 いつもの優しい小鳥の口調に戻って、彼はほっとした。小鳥を悲しませるというこ
とは、彼女のことを秘かに想っている彼にとって、最大級の苦難といっていい。ほっ
として気が緩んだ彼は、小鳥への気持ちを控え目に発言した。
「でも、ここなら朝イチで小鳥さんに起こしてもらえますから」
「もう、何を言ってるんですか」小鳥は怒ったような口調とはうらはらに、うれしそ
うにそわそわした。「自分のおうち、って大事なんですよ。安心して眠れる場所なん
ですから」小鳥は机の上にあった、彼のネクタイを手に取り、結んであげようかどう
しようか迷っているように、小さな輪をくるくるといくつも作った。
「まあ、ホントはそうなのかも知れませんけど。これが帰ったら『おかえりなさい』
とか言ってくれる人でもいれば別ですけどね。帰ったってメシ…ご飯ができてるわけ
でもないですし、時間を節約しようと思ったら、ここにいた方が便利ですし、第一通
勤しなくていいから、気楽といえば気楽ですよ」彼は手を差し出し、小鳥からネクタ
イを受け取ると、しゅるしゅると首に巻いて、器用に細い結び目を作った。
 小鳥は半分冗談のような彼の言葉の中に、一抹のさみしさを見つけた。本当は彼
だって、大切な人が待つ暖かい部屋があったら、会社に泊まったりはしないに違いな
い。疲れた体を癒やしてくれる、自分だけの大事な場所に必ず帰るはず。小鳥は、そ
の待っている人の役を自分がしてあげられたら、と思わずにはいられなかった。だ
が、彼とは単なる会社の同僚でしかない今の自分には、まだその資格はない。それで
も、その暖かさの何分の一かでも彼にあげることができないだろうか…そう小鳥は
思った。彼が仕事へ出かけた後も、彼女はそのことをずっと考えていた。

98:2/4
09/07/25 20:46:35 lNyEevQX
 小鳥は何日かして、大きめの紙袋を持って出社した。ゆうべも泊まっていたらしい
彼が「おはようございます、小鳥さん。なんです、それ?」とだらしなく頭をぼりぼ
り掻きながら、まだ眠そうな声で訊いた。
「ないしょです」珍しく彼の社泊をとがめず、小鳥は紙袋を後ろ手に持つと、笑顔で
更衣室へ消えた。
 彼がその日のスケジュールを全て消化し、明日の打ち合わせに使う資料を引き取り
にスタジオに寄って、ようやく会社へ戻ってきたのは夜の8時をまわったころだっ
た。今日は残務整理もないし、久しぶりに早く帰って自分の布団で寝ようか…また会
社に泊まったりしたら、小鳥さんに心配かけちゃうだろうし…彼がそんなことを考え
ながらビルを見上げると、会社のフロアにはまだ灯りがついていた。
「…社長が残ってるのかな」そう思いながら、彼は入り口のドアを開けた。中から
「おかえりなさい」と声がした。彼は驚いてその場で固まってしまった。小鳥が事務
服の上からエプロンをかけ、にっこり笑って立っていたからだ。
「こ、小鳥さん…どうしたんです?」
「うふふ、いつもお部屋へ帰らない人のために、ちょっとサービスしてみました」
 たっぷり10秒はかかって、彼は夢から覚めたように、ようやく普段の意識を取り
戻した。同時に、部屋全体にとてもいい匂いが充満しているのに気づいた。
「ご飯の支度、できてますよ」
「え、ご飯?」
「といっても、私が作った料理を持ってきて、ここで暖め直したりしただけですけ
ど」小鳥はそう言って、窓際の机をおおっていた、デパートの包み紙を持ち上げた。
茄子の炒め物、鶏の唐揚げ、ほうれんそうの胡麻和え、コンソメスープ、ピラフ…料
理の盛られた皿が、所狭しと並んでいた。恐らく彼女は前々から社長たちのスケ
ジュールをきちんと把握して、彼が会社に帰ってきても、自分しか残っていないとい
う日を選んだのだろう。彼は、帰社は何時になるのか、と、今日に限って何度も小鳥
に訊かれたことを思い出した。
「どうかしましたか?ご飯まだなんでしょ?…あ、わかった」小鳥は一人で合点をす
ると、コホン、と一つ小さなせきばらいをした。
「お、おかえりなさい、あなた。ご飯にします?お風呂にします?それとも…」
「こ、こ、小鳥さん、それって…」彼ののどは知らずにグイッ、と音を立てたが、小
鳥は平然と言葉を続けた。
「それとも、し、ご、と?」
「え?」
「ふふふ」小鳥は口に右手を当てて照れ笑いをしている。
「そ、そうですよね、そんな、あはははは…」
 二人は照れ隠しにおたがい笑った。
「でも、小鳥さん、ずっと待っててくれてたんですか?」
「え?ええ、ちょっと私も仕事が残っていたので、ついでに…」ついでなんかでは絶
対ないのは明らかだったが、彼は小鳥の優しさに水をささないでおこうと、「そうで
すか」としか言わなかった。

99:3/4
09/07/25 20:48:02 lNyEevQX
「それより、さめちゃいますよ。一緒に食べましょ」小鳥は彼をイスにかけさせ、箸
を渡した。
「いただきます」
「どうぞどうぞ」
 一口食べた彼は、びっくりして小鳥の顔をじっと見た。「おいしい!こっちもおい
しい!凄いです小鳥さん!」
「そんな、ただの作り置きですから、そんなにいちいち反応しないで、どんどん食べ
てください」
 はい、とうなずいて食べ始めた彼の箸は、最後までただの一瞬も止まらなかった。
「ああ…すごく満足しました…」彼はイスの背もたれに体重を思い切りかけ、声を出
しながら深呼吸した。
「すごおい、全部食べちゃったんですね」二人で食べる分としてはちょっと多かった
かな、と小鳥は思っていたのだが、それでも彼は楽々と食べ切った。彼女が作った料
理を食べ残すなど、彼にとってはありえない話だったのだろう。
「満足って言っても、なんていうか、量とか、そんなんじゃなくて、自分がいつも食
べてたコンビニの弁当って、やっぱり味気ないんだなあ、って今さらながらに思い知
りましたよ」
「コンビニのお弁当は、それはそれで楽しかったりするんですけどね」
「まあ、毎日じゃなければ。あーあ、今日はとっても満足ですけど、明日からはもう
コンビニの弁当が食べられそうにないですよ…」
 それなら、私が毎日…と小鳥は言いかけたが、どうしてもその言葉を口から出せな
かった。
「自分の家があって、待っててくれる人がいれば、こんな幸せが手に入るんですね
…」彼は小鳥を見つめ、胸とお腹を右手で満足そうにさすった。
「あれ、それだと、ご飯のために家庭を持ちたいように聞こえますよ」自分の気持ち
をうまく口にできなかった小鳥は、逆にちょっぴり意地悪をした。
「まさか、そんなんじゃないですよ。ご飯もそうですけど、さっき小鳥さんが『おか
えりなさい』って言ってくれたのが、すごくうれしかったんです」
「私、毎日みんなが会社へ帰ってくるたびに言ってますよ」小鳥は笑った。
「でも、さっきのは、社員が帰ってきた時の『おかえりなさい』じゃなくて、その
…」
「え、ええ、そうですね。そうかもしれませんね」小鳥は自分でその解答を口にする
のが恥ずかしく、言葉をにごした。
 それから小鳥はお茶を淹れ、二人は楽しく話を続けた。小鳥は彼によろこんでもら
うことができて、とても満足していた。胸がぽかぽかと暖かく、自分に話しかけてく
れる、彼の声もいつも以上に心地よかった。彼も、小鳥と二人きりで食事ができて、
まるでここが自分の家だと錯覚しそうなくらい、幸せな気持ちに浸っていた。彼は
『小鳥さん、もう帰らないといけないんじゃないですか』と言わなくてはいけないと
思いながら、その話を避け、小鳥も『明日もお仕事なんですから、今日はちゃんと
帰って自分のベッドでおやすみになって下さい』と言わなければいけないはずなの
に、それができなかった。二人だけで食事をし、二人だけでお茶を飲んで話をする、
そんな時間が訪れるのは、忙しい毎日が続く限り、めったにないのを二人とも判って
いたからだ。彼と小鳥は、あと10分、あと5分と、帰る時間を延ばし延ばしにし、
二人だけの時間を楽しんだ。

100:4/4
09/07/25 21:00:15 KTsVdn7D
 二人はこうやって食事をして話をしているだけで、自分の気持ちが相手に伝われば
いいのに、とおたがい思っていた。もちろん、伝わっていた。会社の同僚に対する親
愛の情としてだけは。彼は小鳥を親切な先輩と思っていたし、小鳥は彼を誰にでも優
しい人だと思っていた。それは彼が入社してからずっと変わっていない。あるいは、
ひょっとしたら、もしかして、相手は自分のことを好きなのでは?二人は今まさにお
互いそう思っていたのだが、どうしてもそれを相手に正面切って確認することができ
なかった。
 本当ならこんなシチュエーションがあれば、好き合っているもの同士の関係が変化
しないわけはないのだが、この二人に限っては、そういうことはなかったし、残念な
がらこれからも恐らくないだろう。相手の親切を自分への好意だと確信することさえ
できず、おたがい口に出せないまま遠慮ばかりしている、どちらかといえば恋愛に臆
病な二人では、いくら好き合っていたとしても、なんとなく同僚として付き合ってい
るうちに、定年退職になってしまう、なんてことにもなりかねない。この二人の仲が
めざましく進展するには、たとえば、車にひかれそうになった小鳥を彼が救って自分
は骨折してしまい、入院先で彼女がずっと看病してくれるとか、階段からころげおち
そうになる小鳥を彼が受けとめ、勢いあまって二人の唇が触れてしまうとか、時なら
ぬ雷に小鳥が驚いて彼に抱きつき、もうキスするまで1、2センチというところまで
顔が近づくとか、そんな神仏の助けみたいなことでもない限り、絶対に―
「あれ?」彼が窓の外を見た。
「どうしました?」
「雨が降ってきましたよ。まいったな、置き傘が一本もない日に限って…」
「あ、それなら私が余分に持ってますから、よろしければお貸ししま…」
 ぴかっ。ばりばりばりばり!
「きゃあっ!」
「こ、小鳥さん?」
 どうやら神様は二人の味方らしい。



end.

101:創る名無しに見る名無し
09/07/25 22:01:04 KMHNwI5r
改行の仕方が中途半端で読みにくい印象を与えていると思います。
句読点で区切ったり、一文を短くするといいと思います。

内容はほんわかした雰囲気でとても好みなのですが、幾分読みにくいので改行を注意していただけるともっと印象がよくなると思います。
投下乙です。

102:創る名無しに見る名無し
09/07/25 23:15:05 dgOkg8bG
>>96
めんそーれ! そしてGJ!

「御飯にします? お風呂にします? それとも……」
ココでスイッチが入らない辺り、これはキレイな小鳥さんw

>>101に同意で。
文章に問題は無く、スラスラ読めるレベルだけど、
投下時の改行の方法で、ちょっと読み難いと感じました。
この辺は自分も、未だココにマッチする方法を模索中。

話の方は、最後の、

>どうやら神様は二人の味方らしい。

ここの部分の描写が足りないかなぁと。
読み手に想像させるようにあえて削ったのだとしても、
読後の余韻に繋がるモノが無くて、あっさりし過ぎてる。

無論、素人の感想なんで『こういう意見もある』程度に。

次回も期待してますん。

103:創る名無しに見る名無し
09/07/25 23:29:16 JOJD6JTK
携帯からだから改行なんて気にならないぜ!
久しぶりに俺の求めていたまともな小鳥さんに出会えた気がする…すばらしい
GJ!

104:創る名無しに見る名無し
09/07/25 23:31:15 DPJgS4/D
>>96-100
いらっしゃいませ。そして投下乙でした。こいつぁ綺麗な(そして平和な)小鳥さんだ!
情景描写多めで、ある意味で少女マンガのような雰囲気が始終いい感じでした。
改行次第によってはもっともっと化けるような気がします。
なんか良さげな雰囲気だったんでレスってみた。また投下しに来てね兄(c)!



ああ、職人が職人を呼んでくるこの雰囲気がたまらなく贅沢で良いなあ…

105:創る名無しに見る名無し
09/07/26 00:39:13 ga6yc7jl
>>100


PCでぱっと見て読みにくかったんで携帯から。
文章自体は読みやすくてさらに貴重な綺麗な小鳥さんで大満足

最後の神様云々は自分は今ので十分だと思う
敢えていえば続き書いてくれ!w

エロパロでもここでもいいので続き待ってます!

106:創る名無しに見る名無し
09/07/26 00:41:10 xZZQMcGW
珍しい、可愛くて綺麗な小鳥さんだ!

>>96-100
お話の流れが好き。
そしてキョドらない小鳥さんが千早バースデーCDあたりを思い出した。
いいね、これはナイス小鳥さんだ。

改行あたりは2chのスレに投下の場合、難しいんよね。
生テキストファイルをブラウザでみるのとも違うし、htmlやcssで好きにレイアウトするのとも違う。
このあたりは、2chビューアのプレビューなどを使うと事前に確認しやすい。
このスレはまとめ化されないので、テキストうp&リンクだと多少面倒なことになるのがトホホです。

また書いたらうpしてくださいましまし

107:創る名無しに見る名無し
09/07/26 01:25:32 LFbS3h9Y
>>96
さて、ここでラストシーンに、家を飛び出してきて事務所のドアに手を掛けたところで
中の声に気が付いてしまい、事務所のドアにしばらく寄りかかった後で、とぼとぼと
螺旋階段を降りていくちーちゃんの姿を想像してなにをするうわやめqあwせdrftgyふじこ
・・・はい、ネタにしてもちと悪趣味すぎましたね。

「どうやら神様は二人の味方らしい。」の一文で締め、 というラスト自体は私はわりと好きです。
ただ、そこに至るまでの地の文による心情解説がやや淡々として突き放し気味なので、
なんとなーくせっかくこういう状態のお二人さんのどきどきそわそわが伝わりにくいかな、と
その辺りのもどかしさというか「全部かき集めてナントカすらべし!」感というか
そういうなにかを深めればかなり化けると思うのですよ

改行が一定文字数を守っていること自体も悪くないのですが、掲示板上での読みやすさ
という意味では複数の指摘を受けている点も。
個人的には、むしろもう少し段落分けを細かくしたり、場所によっては行間を空けたりして
全体を整理するとこまで手を入れてみても良いかもとも思います。

まあ、いろいろ言ってしまいましたが、次を楽しみにしたいひとがまたひとりふえましたな
きれいな小鳥さんかわいいよかわいいよきれいなピヨちゃん。
創発ではわりとピヨちゃんが普通に可愛い恋するおねえさんしてるのが多くて、
これもまたここの一つの特徴かもw

>>95
DSの方ではバレるバレないの話になるのがまあ当然だろうなとは思いますが
まあ続編でプロデュース可能になった場合を想像すると、その方が個人的にはいいなあ、と

で、ライブ営業とかで「コレみんなわかっててファンやってる人たちなんですよね・・・」
「そう考えると空恐ろしいものがあるな」なんて会話が交わされたりする、と
・・・ないだろうな、とは思いますけども

ついでに響は、能力的にはライバルという立場上ダンスで真に、ボーカルで千早に
一目置かれるという能力描写的には破格待遇な分、性格面での弱点を多く抱えたのが
案外うまくハマってて「良い意味で隙のある」造型になってると思うのです

>>104
書き手が増えたり、しかも妙にレベルが高かったり、さらに書いてるうちに
レベルアップしてたり、刺激に対する反応が明敏だったりで
いかにも読んでて贅沢ですよね、ここ
時々読んでて感想が追いつかなくなるなんてどんだけかと


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