09/05/30 08:02:13 5aipMBAT
荒々しい靴音で目が覚めた。
椅子の背もたれに上体を預け、食後の昼寝と洒落こんでいた天農は、顔に被せていた少女漫画をずらして扉の
方を見やった。まるでアイマスクを着けたように、鼻から上半分を翳は隠れている。
そこは狭い部屋だった。
年季の入った事務机には、だいぶん旧型のパーソナルコンピュータ。無造作に載せられた青いミニカーが木目
に映える。
壁一面を覆う本棚には、まるで統一性のないジャンルの書籍が、滅茶苦茶に突きこまれていた。
対魔族兵器の開発に関する研究所、客員である天農にあてがわれた一室。
魔界に通じる門、エーテルポイントが地上に現れるようになって数年―。
そこを征途に地上侵略に乗り出す魔界の住人“魔族”は、災厄や疫病にも近しい、人類史上最悪の敵のひとつ
となった。
魔族との戦い方を模索する研究施設は、今や世界中に点在し、複雑なネットワークを構築している。熾烈な派
閥争いも見られるにせよ、人類は概ね一丸となって、異世界からの侵略者に立ち向かっているといえた。
ノック音が立て続けに鳴らされる。手加減なしの乱暴さに天農は嘆息を漏らした。
「天農さん! いらっしゃるんでしょう?」
金切り声は、ドア越しにも響くほど大きい。声の主の女が激昂していることは明らかだった。
「失礼しますからッ!」
返事を待たずに重たい扉が開け放たれる。そのまま壁に叩きつけんばかりの勢いに、天農は破損を心配した。
リノリウムの床を打ち抜く硬質な靴裏の響きが再開し、すぐに止んだ。
地味な色のスーツを着た女研究員が、天農の傍に仁王立ちしていた。
藤本久仁枝(ふじもと くにえ)という名前を、天農はどうにか思い出した。
平時から癇の強さの表れた顔立ちだったが、今は般若の相になっている。彼女の表情に鬼女の能面のイメージ
を重ねてしまって、天農は危うく吹き出しそうになった。
「天農さん! 毎日毎日、HWS-03に何を教えているんですか!」
「拳法」
刺々しい糾弾の響きにも、天農は平然としたものだった。このところの自らの行動を顧み、彼女の怒りの原因
を悟りながら、悪びれもせずに答える。
ここではHWS-03という型式番号で呼ばれる、無人の人型兵器。
天農は訳あってその機械仕掛けに心を宿らせようと試み、“超級人工知能”を用いてそれに成功していた。
問題は通常の電子頭脳に比べてよりデータの入力に慎重を期す必要があることで、HWS-03は現在も様々
な学習の課程にある。そのプロセスは、産まれたばかりの赤ん坊を育て上げていくのにも似ていた。
「けんぽう……?」
藤本は露骨に眉根を寄せた。ロボットについての彼女の常識にそのような概念はない。