09/03/11 13:35:18 wxMb+YEX
グランド・ファザーズ・クロック。
わたくしの目から見てもかなり年代物の、それは柱時計だった。
「婆殿、こちらは?」
「ん? ……ああ。
それはこの間亡くなった、さる名士の家から引き上げた時計じゃな」
この小さな古道具屋によくぞ入ったと思わせる、見上げるにも困る大きな黒塗りの体。
丸いガラス盤の中の二本の針と、円周を形成する銀色ゴシックのローマ数字。
下部の扉の中では、私の体ほどもある真鍮製の振り子が今にも動き出しそうな存在感を放っている、が。
「動くのですか?」
「……鋏めなら、わかるじゃろう?」
目線は上方を維持したまま、小さく頷く。
一目でわかっていた。わたくしの様なつくも神ならば誰だってわかるだろう。
これはもう、動かない。
「……治せない、のですか?」
「果たして職人が見つかるか。だがそれより……」
生きている道具は語りかけてくるものである。それは、長い時を経て人に愛されてきたものほど顕著だ。
この時計は―恐らく百年以上生きている筈の彼は、わたくしに話しかけてこない。
それが何よりも、終わっていた。
「……それを引き上げる時にな、古いアルバムを見せてもらったんじゃ。―そのさる名士というのも、わしの古い馴染みでな。
その家で撮った古い写真には、大抵その時計が写っておってな。そやつは、家人に愛されておったようじゃぞ。
じゃが、もう二十年ほど……二つの針は、同じ時を指し示し続けていたようであったな」
「そう、でしたか……」
言葉が詰まる。
道具は、いつか壊れる。有機物や無機物に関わらず、別れは平等なものなのだ。
この時計は、そんな別れに悔いがないのだろう。
だから、語らない。語る必要がない。
「……婆殿?」
「そんな顔をするでないわ」
「わたくしは、まだ道具であり続けたいです」
「まだまだ頼りにしておるに決まっておろうが。良い道具は、大事にすれば長く使えるものなのじゃ。
……お前の父親は、お前を丈夫に作ってくれたのじゃぞ? 感謝せい」
「はい」
いつでも閑古鳥の鳴く小さな古道具屋の片隅に、主を失った古い柱時計がある。
それはもはや動く事はないが、かわりに亡き主の最も素晴らしかった時代を、永遠に刻み続けている。