百合とにかく百合at MITEMITE
百合とにかく百合 - 暇つぶし2ch296:創る名無しに見る名無し
09/01/24 20:09:47 TWzh7hSV
ところで描写はキスくらいまでなら大丈夫なんだろうか。
タラシな女の子を書こうと思うんだけど、線引きが難しい。

297:創る名無しに見る名無し
09/01/24 20:19:30 LGd8aGGJ
キスくらい余裕でおっけーだよ

298:創る名無しに見る名無し
09/01/24 20:21:22 TpPhVGJP
目的にならなければおkだと思うけどね

299:創る名無しに見る名無し
09/01/26 19:27:36 LOLbxRag
この泥棒猫!

300:創る名無しに見る名無し
09/01/31 22:13:20 KuSL2wyj
相手の女の子が腰砕けになる程ねっとりとしたキスシーンを書いてだな……

301:創る名無しに見る名無し
09/01/31 23:15:35 ulwIv8wE
それはもはやエロの領域だと思うぞよ

302:わんこ ◆TC02kfS2Q2
09/02/02 00:49:12 cQU2mC79
はじめまして。>>296ではありませんが、投下させていただきます。
第一話ということで、よろしくおねがいしまっす。

303:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/02 00:49:55 cQU2mC79
人間、神に頼るようになったらお終いだ。と、思っていた。
神様の存在なんぞ、縁起が悪い折れた櫛のような心を持ったヤツの言い訳だ。と、思っていた。
そんな青臭く、身なりの整ったオトナが耳にしたら鼻でせせら笑うような考えを持っていたわたしは
彼女との出会いによって、ガーンと頭をぶん殴られるような痛みを感じたのである。

「ごめんね…。ここにいちゃ、迷惑ですか」
「全然」
都会の片隅にある、たった四畳半のわたしの仕事場。雪のように真っ白なケント紙、蓋の閉まったインク瓶、
剣のような鋭さを持ったままのGペン。そして、ここで数多くの物語が紡ぎだされる筈の作業机兼こたつ。に、黒ずくめの少女。
居心地悪そうな潤んだ瞳を光らせて、控えめのボブショートを揺らしお茶をすすり、申し訳なさそうに彼女はこたつに入っている。
その対面にわたし。昨日今日出会ったばかりの少女に目を合わせるのが恥ずかしく、ずっとこたつの台の模様ばかり眺めている自分は
本当に人見知りが激しいヤツなんだと思い知らされる。実際、この少女にかけた言葉は「どうぞ」や「どうしたの」という社交辞令と、
そして、先ほどの「全然」という素っ気無い言葉。深い沈黙だけが、わたしたちをあざ笑う。
こんなネクラで人間嫌いのわたしに人を楽しませることなんかできやしない、と気付いたのは
そびえるだけの山と荒れた畑しかない田舎から飛び出して、漫画描きという生業を都会で始めた頃だったから本当にわたしはバカだ。

「見つからないの?」
「うん。見つからない」
彼女との見た目の印象はわたしにそっくり、ということ。
唯一の違いはメガネを掛けているかどうか。子どもっぽい口調と大人びた身なりの少女はこくりと頷く。
メガネのつるを摘みながら、静かに彼女が頷いた後にわたしも頷く。
こたつの中で折り曲げていたわたしの脚を伸ばすと、彼女の冷たい足にふっと触れ、
汚れを知らぬ滑らかなふくらはぎが荒んだわたしの心を戒める、感じがした。
外は夜、時計は夜と囁き、テレビは人様に媚びるような猫なで声ばかり出しているのでとっくに消してしまった。
人と話すことなんか出来やしないわたしは何も話を切り出せない。
ましてや…神、死神となんぞや…。

304:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/02 00:50:29 cQU2mC79
××××××××××××
誰だって、自分のアパートの前に死神が倒れているなんて想像出来るだろうか。
誰だって、自分の世話さえ手一杯のヤツが人の世話をしなきゃいけなくなるって想像出来るだろうか。
わたしだって最初は自分のメガネを疑ったものだ。しかし、現実ってヤツはわたしが描くマンガよりもキャッチーで
不可解なことを引き起こしやがる。物書きの端くれとしては相当悔しい思いだった。
だって…死神ですよ。誰の家の前で倒れているもんですか。わたしだって小市民の端くれなので、そのままにしておくわけにはいかないと思い、
一応声は掛けてみる。本当の所は関わりたくない。黒ずくめの少女はか細い声でわたしにすがりつく。
「…見ませんでしたか?わたしの…チョーカー」
知るもんか。しかし、そんな短剣のような言葉をこの子に突きつけるわけにはいかないので、やんわりと否定する。
それがそもそもの始まりであった。

彼女の名は『ミミ子』と言う。身分は彼女が付けているしろがねのブレスレットで明かしてくれた。
「これは…死神の証です」
そうなんだ。初めて知ったよ。聞き分けのよいオトナの振りをするのは心苦しい。
だが思った。わたしが乾き切った都会で出て初めてまともに話した相手は彼女かもしれない。この街に来てから喋った言葉は
「どうですか?わたしのマンガ」という編集者への挑戦状と、コンビニ店員へ「お弁当温めますか」の答えである「ハイ」ぐらいだからだ。

編集者で思い出した。アイツは悪魔だ。わたしの時間と小さな野望を奪う心なき悪魔だ。
先週。身と金を削り、必死の思いで描き上げたわたしの原稿を悪魔に身売りしてみたのだ。原稿をぱらぱらっと捲っただけでそんな悪魔に「これ、つまんねえよ」と冷ややかな目で見下されたことは一生忘れない。
それ以来、アイツとは気持ちも血も通うことのない上っ面の話ばかりしている。そう、アイツなんか話なんぞ出来ない。
殺伐と乾ききり、人を信じられなくなったわたしに出会ったのが…そう。ミミ子だ。そのミミ子はか細い声で上目遣いをして話しかける。

「あの…。お水を…下さい」
カルキ臭い水ぐらいは分けてあげる。こんな人でなしのわたしが出来ることはこんなことだけ。

305:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/02 00:51:02 cQU2mC79
そういえば、こんな言葉を何かの本で読んだ気がする。
『浪速の食い倒れ、京の着倒れ、奈良の寝倒れ』という話。
浪速、京は説明するまでもないお話だが、奈良の寝倒れとは何ぞやということだ。
奈良では鹿が神の使いであり、街に沢山住み着いているのは周知の通り。朝起きて、その神の使いが家の前で倒れているのを見られると
鹿殺しの嫌疑がかかってしまう。その為、街が起き出す前にこっそりよその家に鹿の亡骸をよその家の前に運んでしまうらしい。
こっそり門前に亡骸を置かれた家は迷惑千万。他のヤツらが起き出す前にさらによその家の門前に運んでしまうのだ。
で、最終的にネボスケの家の前に鹿の亡骸がぽーんと置かれてしまって、ジ・エンド。お縄頂戴だ。神になんてことをするのだと。
もしかして、その『ネボスケ』はわたしだったのかもしれない。なんせ神ですからね、ミミ子は。もっとも死んではいない。
その「神の使い」を家に上げる。初めてよその子が自分の家に入った。
蛇口をひねると、バカ正直に透明な水がコップ一杯に湛え始める。ミミ子は黙ってその光景を見ていた。
「はい、どうぞ」
「…ありがとうございます」
わたしのもやつく心をどう思っているのか知らないが、ミミ子はごくごくとカルキ臭い水を飲み干す。

「おいしいですか」
「…うん」
ミミ子はウソツキだ。こんなクスリの香り漂う都会の水を「おいしい」と言う。
ウソツキなミミ子のことがちょっと好きになった。ウソツキは素敵さ、誰をも傷付けないから。
しかし、たった一晩会っただけで彼女のことを『気の置けないヤツ』にすることは出来るだろうか。
いや、できるもんか。人を信じることは自分の全てを誰かに託すことと等しく、そんな無防備な軽はずみはわたしには信じられない。
しかし、そんなわたしの心の内を踏みにじるかのようにミミ子は美味しそうに水を飲む。

「……」
「どうしたんですか」
「…どうしたらいいんですか、わたし」
知るか、と言いたい所だが…そこまでわたしは落ちていない。人間の魂だけは捨てたくない。
それを自分で証明したいが為に彼女をウチに泊めてあげることにした。

306:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/02 00:51:35 cQU2mC79
「そういえば…、死神って言ってましたね」
「はい」
「具体的に…何するんですか?」
わたしがこんなにものを喋ったことはそうはない。ましてや、相手への興味のことなんぞ。
無論、ミミ子への興味が募ったということは確かなのだが、わたしの方から歩み寄ることは滅多にないので
この発言の後、少し後悔のような後ずさりできない思いをしているのは否定できないのだ。
そう思いつつ、わたしの足が彼女の滑らかな脚の上をなぞる。

「地上で暮らす者たちと、天界で暮らす者たちと二種類の世界があるのはご存知ですよね」
「いや、知らないです」
「…ごめんなさい」
ミミ子は少し煮詰まった顔をする。わたしが困らせてしまったせいか、わたしは小さな責任を感じた。
実家から送られてきたミカンをそっとミミ子に差し出すと、小さな声で話を続け出す。
「わたしたち、天界の者の糧は地上の者の…」
「者の?」
「…命です」
申し訳なさそうなミミ子の声はわたしにははっきりと聞こえた。その言葉はわたしが描くマンガなんかよりも印象深い。

「それじゃ、一方的に『天界』の人たちは『地上』の人たちの命を取っちゃうんですか?」
「……」
ミミ子の沈黙する顔が想像できる。何故なら、わたしは人と目を合わせられないからだ。ずっと、ミミ子の首筋ばかりを眺めていた。
おそらく、わたしが真っ白の原稿用紙の前にいるときのような顔をしているのだろう。それならば、想像するのは容易なことだ。
だが、いきなり真っ白な原稿用紙が隅々まで描かれた立派なマンガ原稿のように変身させるミミ子。
「地上の者は天界の者の命を糧にしている者も…います」
「そうなんですね…。それじゃ、その『地上』の人って『天界』の人から見たら」
「死神です。しかも…それは無自覚に…」
地上で運のいい人がいれば、天界で運のない人もいる。地上で長生きする人もいれば、天界で若く命を失うものもいる。立派な理屈だ。
かのようなことをいきなりミミ子は立て板に水のように話していた。
そして最後に一言彼女は付け加えた。
「わたしは…、運のない死神です」

307:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/02 00:52:16 cQU2mC79
運がないのは人間だけではなかったのだ。
神と名乗るヤツが「運がない」なんて言う言葉をはいているところを聞くと、少し親近感のようなものが芽生え出す。
だって…神がですよ…。こんなお話はちょっと聞いたことはない。
「人事をつくして天命を待つ」「困ったときの神頼り」「触らぬ神に祟りなし」
「神」にまつわることわざ、慣用句を原稿用紙に上げだしたらきりがない。
いにしえの人々は神を人間の力の及ばぬ『絶対的なもの』のように表現してきた。
実際、神々のことを直接的な表現を避けて『それ』、つまり『It』と表現する言語も存在する。そんな神が弱音を吐いている。
「わたし…どうしよう」
失くし物をした迷いネコのような死神が愛しい。

もしかして、この子とは友達になれるかもしれない。
もしかして、この子はわたしのことを分ってくれるかもしれない。
もしかして…。
いや、彼女は「死神」と申したな。わたしの命を奪いに来たのかもしれない。
油断ならないのは変わらない。なのに、彼女は呑気にごくごくとカルキ臭い水を口にしていた。
とうとうわたしもここで果ててしまうのか、しかし煮詰まってしまったわたしの人生なんか誰かの役に立てば御の字だ。
黙って、この死神とやらに命を差し出してやろうか…と、自分の髪の毛先で遊んでいるとミミ子が打ち明ける。
「あれがないと…怒られちゃうんです…。どうしよう」
煮詰まっているのはお互い様のようであると思うと、少し気が晴れる。

「…姉さまから怒られてしまうんです」
「姉さま?誰ですか、それ。上司?」
「みたいなものです」
姉さまとはミミ子ら若い死神のまとめ役。何か不祥事があればヤツから物凄く怒られる、とミミ子は話す。

308:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/02 00:52:46 cQU2mC79
卑屈に暮らしている人もいれば、えらぶりっ子してる人もいる。
怒られる人がいれば、怒っている人もいる。
原稿がつまらなかったときのわたしと同じだ。わたしのお世話になっている(と言うか、迷惑を掛けている)編集者は
彼氏なし、酒好き、男好き、スタイル抜群というわたしをまっ逆さまにしたような、今年三十路にお邪魔した姐御さま。
何度かソイツから見たこともないフランス料理をご馳走になったこともある。コンビニ弁当が主食のわたしにとっては
ガキンチョから見たお子様ランチクラスの高級料理である。そんな贅沢品を惜しげもなく奢ってくれる姐御さまだ。
ソイツの期待を裏切ってばかりいるわたしを疎ましいと思っているんだろうな、と常々思いながら一人暗い夜中の四畳半、
80年代の暗いフォーク曲を聴きながらわたしはソイツの凶事を願う毎日であった。
ミミ子はそんなわたしのことを分ってくれるだろうか。

「威張ってるヤツって…別の生き物みたいですよね」
「…そうですね」
「うん」
ミミ子の返事を返したわたしに、ミミ子はミカンをひと房分けてくれた。
ぽんと口に放り込んだミカンはいつもよりか甘酸っぱい気がする。きっとミミ子のせいだろうか。
不思議とミミ子はわたしの気持ちを分ってくれると解釈してしまう。そんなミミ子にさりげなく残酷なことを聞いてみる。

「もしかして…、失くし物が見つからなかったら?」
「……」
「……ごめんね」
この沈黙で分った。ミミ子が死神として動けなくなると、糧を得る手段がなくなるらしい。
彼女を見ていると、こんなわたしでも死神を追い詰めることはできない。すると空気を読んだのか蛍光灯がチカチカと点滅を始める。
この部屋に来てから金がなくて『かえたこと』がなかったからだ。
もう、時計は二つの針を合わせる時間をとっくに過ぎている。

309:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/02 00:53:19 cQU2mC79
「寝よう…か?寝ますか」
「…いいんですか」
「いいよ…。いいですよ」
生憎布団は一人分。始めミミ子は布団を拒んだが、わたしのような何も出来ないマンガ描きの為より布団の存在価値は
ミミ子の方にあると思い、わたしは遠慮した。だが、ミミ子があんまり悲しそうな顔をするので…。

「二人で寝ると暖かいね。ここに来てから、誰かを泊めたのって初めてなんだよ」
「そうなんですか」
「くっつく?」
いつの間にか、わたしはミミ子のことを受け入れていた。
ミミ子は死神、わたしはしがないマンガ描き。境遇も違うわたしたちを結ぶのは薄っぺらい掛け布団であった。

どうして知らない子を泊めているんだろう。
どうして…と考え出すと、きりがないのは分りきっている。そのせいか、なかなか眠りの園に陥ることが出来ない。
今頃、あの編集者は何処かの酒場で飲んだくれているのだろうか。きっとそうだ。

ささやかな幸せを感じながら床に入るわたしたちに、土足で割り込むヤツがいる。
ソイツの名前は携帯電話。わたしの生命線でもあり、小憎たらしい悪戯小僧でもある。
最悪なことにその発信元はあの『悪魔』の編集者だと電話の小窓は伝えていた。
「なんだか…呼んでますよ…」
「いいよ。寝よっか?」
「……」
留守番電話に録音される声がわたしにつんざく。
そして、わたしはミミ子にいつのまにか友達のような言葉遣いをしていた。

『おーい!咲たーん!!今、いい所だからきんしゃいよ!えっと…新宿の…』
これ以上酔っ払ったバカ声を聞きたくないので、携帯電話を遠くに放り投げてやった。
部屋の隅に置いてある、くまのぬいぐるみにボディーブローした携帯電話は力なく畳に崩れ落ちた。



310:わんこ ◆TC02kfS2Q2
09/02/02 00:54:10 cQU2mC79
今回はここまでです。近いうちにつづく…。

311: [―{}@{}@{}-] 創る名無しに見る名無し
09/02/02 03:47:10 irSagh1d
わぁお

312:創る名無しに見る名無し
09/02/02 05:39:33 /t4z9Sst
>>302-310
乙。続きは百合分多めで頼むよ

313:創る名無しに見る名無し
09/02/02 13:19:26 gYPk1x+I
投下きてたー
続きwktk

314:創る名無しに見る名無し
09/02/03 12:37:12 szqnEjnI
wktk

315:創る名無しに見る名無し
09/02/03 20:23:21 o/+4asZV
かわいいのう

316:創る名無しに見る名無し
09/02/04 23:31:36 20D1JYr+
おっ!投下来てた!続きが気になりますなあ、GJ!


どこで吐き出せばいいんだかわからなくて書くんだが、今更カレイドスターにはまった。
すごい百合サイトってすごいよな・・・もう俺の脳内レイそら一色。

317: ◆YURIxto...
09/02/07 12:32:21 FOhhgHAY
―私はきっと、寂しかったんだ
  私より先を行く背中にずっと、振り向いてほしかったんだ

この気持ちに気付くまで、遠かった。とても長い時間が、かかった。

下駄箱の前で小百合を待ちながら、私は情けなくひざを抱いていた。
校門の前の時計は四時半を指そうとしている。
いつもなら二人で駅へ向かっているはずの時間だ。
「美月先輩に用があるから、今日は先に帰っていて」
授業が終わって、小百合に帰ろうと声をかけた瞬間、返された言葉。
美月先輩とは、小百合がお気に入りにしている三年生の事だ。
私にはわからないが、周りのクラスメイトには皆それぞれ“お気に入り”と呼べる先輩がいた。
短い高校生活の貴重な二年間を、擬似的な色事で潰してしまうのは勿体無いと思わないのか
彼女達の気持ちが理解出来ない私は、冷淡にもそんな事を考えていた。
その素気なさは、美月という上級生への無自覚な嫉妬から生じたのかもしれない。
小百合が先輩の事ばかり話すようになったのはいつからだったろう。
その度に私は心の中で剥れて、拗ねた気持ちを胸に隠してきた。
小百合が何を口にしても、いつもと変わらない笑顔で通してみせた。
楽しげに先輩の話をする小百合の笑顔を、壊したくなかったからだ。
友達が楽しそうにしていると自分も嬉しい、私の思考は友情に忠実であったと言える。
それは、誰かには誉めてもらえる事なのだろうか?
けれど私は素晴らしい友人だと称えられる為に、自分の気持ちを抑えてきたわけじゃない。
この気持ちが何によって生まれるものなのか、わからないほど幼くて
それを打ち明けた後に訪れる未来が、想像も出来ないほど恐ろしくて
本当にただ、幼稚なだけだった。

318: ◆YURIxto...
09/02/07 12:33:14 FOhhgHAY
そういう自分に気付いたのは、今日の放課後。ついさっきの出来事。
小百合の顔を見て、わかった。
“先輩に用があるから”と言ったその表情は、凛とした強い眼差しで
でもどこか頼りなげに頬は赤らんで、この先に待ち受ける運命に挑むような
私にはそんなふうに見えた。
そして実際、その通りに違いなかった。

―告白する気だ

小百合のその瞳を見るまで、私は小百合が本気で先輩に恋しているなんて思いもしなかった。
それに気付かないほど、私は幼かった。
そんな私の幼さを知っているからこそ小百合は、先輩を想ってどんなに切ないかも
今日の決意についても“親友”である私に打ち明けたりしなかったのだ。

自分自身の頼りなさにまた、寂しさを覚えた。苛立ちも、少し。
今、無断で小百合を待ち続けているのは“鈍感な親友”の汚名を返上する為だろうか?
わからない、ただ小百合がどんな未来を歩むとしても
それを一番に見送るのは自分でありたいと望んでいた。
私にはそう望む事しか、術が残されていなかった。
三年生の階へ向かう小百合の背中を見上げながら
“行かないで”と心の内で何度も呼びかけた。
“私以外のものにならないで”そう何度も。
けれどだめだった。声にならない想いが伝わる事はない。
それがわかっているからこそ小百合は、先輩に想いを告げる決意を固めたのだろう。
私のずっと先を行く小百合を、引き止める術はもうない。
後は私の手の届かないゴールを行く小百合を、後ろから見届けるだけだ。
この時既に、私の頭の中では“小百合と先輩は恋人同士になるもの”だと思い込んでいた。
私は本当に、幼稚だ。

319: ◆YURIxto...
09/02/07 12:34:03 FOhhgHAY
「藍、どうしたの?」
小百合の声が、私の背中に向かって呼びかける。
ここでこうしていたのは十分やそこら。こんなに早く小百合が降りて来るとは思っていなかった。
本当はもう少し経ってから他の学年の下駄箱に身を潜めて
小百合と先輩が帰っていくところを、こっそり覗き見ようと考えていたのだ。
けれど小百合は今、一人で私の目の前に立っている。
「さ、小百合…あれ、先輩は?」
私の問いに、小百合の視線が少し泳いでいた。
「あぁうん、用事は終わったよ」
語尾が力ない。私は何故小百合がこんなにも寂しそうな顔をしているのか、理解できなかった。
「どうしてそんな顔してるの?」
直接尋ねるしか、この疑問を解く方法はなかった。
小百合は私の無神経さに怒りもせず、ただ一筋、涙をこぼした。
「フラれ、ちゃった…から…」
私が尋ねなければきっと、小百合は笑い顔だけ見せて私と家路までの道のりを共にしてくれただろう。
そんな小百合の強情さが悲しくて、気付けば小百合の事を抱きしめていた。

320: ◆YURIxto...
09/02/07 12:36:04 FOhhgHAY
「小百合がフラれるなんて信じられない」
カウンターの窓越しに流れる人々を眺めながら、私は語気を強めて言い放った。
「どうしてそんな事、言えるのよ」
完全に乾いた瞳で、飽きれながら小百合は言葉を返す。その声はまだ湿っぽい。
下駄箱で散々に泣きはらした小百合は、私の手を引いて駅前のこの場所まで目指した。
入学してから二人が通っている古びた喫茶店だ。
少し暗めの店内に、テーブルが五つと、賑やかな交差点に面したカウンターが七席。
外を行く人々と視線が重ならない右端の二席が、私達の指定席で
学校や家では上がらない話題も、この場所だと深く話し込む事がよくあった。
「だって小百合みたいな人に好きになってもらえたら、誰でも嬉しいと思う」
小百合は笑った。
笑ってから、母親みたいな顔をして、私に語りかけてくれた。
「あのねぇ、好きって気持ちは一つしかないんだよ
 好きになってもらえて嬉しい人も、本当の意味では一人しかいないの」
言い終えて、小百合は瞳を伏せる。
その一つを失った心の傷は、今はまだ生々しい。
「じゃあ小百合には先輩一人だけなの?」
もしそうなら、それはとても寂しい事だった。
小百合の中の、たった一人を謳われる先輩が、妬ましかった。
「そうだね、今日まではそうかな
 でももうフラれちゃったから、今日でおしまい
 明日からは好きな人、じゃなくて普通の先輩後輩に戻らなきゃ」
例えすぐに気持ちを打ち消す事が出来なくても
“戻らなきゃ”と言い切る事の出来る小百合を、私はすごいと思った。

321: ◆YURIxto...
09/02/07 12:37:20 FOhhgHAY
「焦りすぎ、ちゃったかなぁ」
落ち着いた声で、小百合は振り返る。
「こうしてフラれてみると、先輩の事考えたり、遠くから見つめたりして
 きゃーってなってるだけで幸せだったかもしれない
 特別にしてほしい、なんて欲を張るからこういう事になるんだよね」
「それは欲張りなこと、なの?」
好きな人に自分を好きになってもらいたいと願う事は、きっと自然な事だ。
昨日まではわからなくても、今日の私にはそれが理解出来る。
「だって本当は、楽しい事いっぱいあるんだよ
 クラスで騒いだり、友達と…藍とこんなふうに喋ったりね
 好きな人を恋人にするだけが、幸福じゃないんだから」
失敗したなぁ、と小百合は頭を掻いた。
失恋という深刻な悩みなのに、乗り換えに失敗したみたいに
あっさりと愚痴に零す小百合が可笑しくて、私は笑った。
「でもきっと、今日の事も楽しくなるよ」
笑ってそう口にした私は、やはり無神経だったかもしれない。
告白や失恋の経験もない私が言うべき事ではなかったかもしれない。
でも小百合に楽しくなってもらいたいという気持ちは、誰よりも本物だ。
きっと先輩にも、負けやしない。
「そうだね」
告白という一大事があった今日は小百合にとって朝から緊張したものだったんだろう。
小百合は私の言葉に頷くと、今日一番の笑顔を私に見せてくれた。

322: ◆YURIxto...
09/02/07 12:38:13 FOhhgHAY
その日は、小百合が生まれて初めて失恋を経験した日となった。
きっとしばらくは忘れ難い日となって、小百合の胸を痛ませるのだと思う。
けれどもし、今日という日が小百合にとって大人への階段の一つに過ぎないのだとしたら
いつか想い出だけ残って、日にちなんて過去の暦だけを頼りに思い返すものへと変わる。

だけど私は一生忘れないだろう。
この世で一番大切な親友に、想いを抱いたこの日を。
いつかこの気持ちを、素直に伝えられる日が来るのだろうか?
わかるのは、二人が友情で結ばれている間にも
見つけ出せる幸せが、この先も数多く介在しているだろうって事くらいだ。
それらの多くを手にするまで、小百合と想いを通わせる事は、きっとない。
けれど年甲斐もなく未だ幼稚でいる私は
小百合の隣りに寄り添える今を、今生の幸せのように感じているのだった。

323: ◆YURIxto...
09/02/07 12:40:14 FOhhgHAY
創作って難しいですね…
スレ汚し失礼しました

324:創る名無しに見る名無し
09/02/07 14:34:07 zfSkULBV
いい酉ですね
藍の思考がかわいいよー、そしてちょっと切ない

325:創る名無しに見る名無し
09/02/07 19:17:51 16VOJHJ2
味があって面白かったよー
この先、藍が今回の出来事と照らしてみて
小百合に告白するのかどうかがすごい気になる
いい話なんだけど、そこはかとなく切ないねぇ…

326:創る名無しに見る名無し
09/02/07 19:31:51 g4bren21
いいねいいねー
こういう切なさが百合の醍醐味だと思ってるよ

327:わんこ ◆TC02kfS2Q2
09/02/07 20:28:16 zzft+5xZ
いいなあ、こういうの。お手本にしたいです。

続きが出来上がりましたので投下します。
全3話になりそうです。

328:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/07 20:29:06 zzft+5xZ
翌日、わたしたちが目を覚ましたのは世間さまが午前の仕事を終わらせる頃だった。
お日様も高く天に上り、わたしたち二人だけが世間さまに歯向かうような、はみ出しているような、
そんな贅沢でもあり、わたしたちが世間さまからいらない子のような気分がしてきたが、それはそれでいつものこと。
怖いことは何一つない。ただ違うのはわたしの側にミミ子がぴょこんとすわっていることであった。

そういえば、きょうの午後はあの編集者に会わなければならない。気持ちの良い青空だというのに気が滅入ってきた。
とにかく、朝ご飯とも昼ご飯とも言えない目玉焼きを作る為に、フライパンを火にかける。
手のひらで温もりを確認したあと、なけなしのバターをぽんと熱い鉄の上に放り込んだ。くるくる回りながら踊るバターを
視線で追いかけてくんくんとお昼の匂いをかぎながら、布団の上で正座するミミ子に事情を話す。
「あのですね…。今からわたし、出かけたいのですが」
「それでは…わたし…どうしましょうか」
一宿一飯を共にした子とはいえ、わたしとミミ子は他人同士。
この子をウチに置いて行く訳にはいかないと考えると、ミミ子にとっては残酷かもしれない。と言うものも、出て行ってくれと言う勇気もない。
「どうしましょう?」
「どうしましょう」
「どうしましょうって…言われても」
「そうですね…どうしましょう?」
オウム返しにされても困る。
二人で困っている間にフライパンの上のバターは姿を消し、焦げ付いた匂いで四畳半の部屋は満ち溢れていた。

――ささやかなご飯をとった後、わたしは出支度の為に洗面台の鏡を覗き込む。
と、あることに気付いた。今更なのだが…、そっくりなのである。誰がって、わたしたち二人である。
メガネを除けば地味な髪形といい、悪い目つきといい自分でもどっちがどっちかよく分からなくなった。というのは言いすぎであろうか。
でも、かすかな瞬間そう思ったことは確かなこと。『もう一人のわたし』寄り添うようにわたしの腕に絡み付く。
試しにメガネを外してミミ子と並ぶが生憎何も見えない。メガネをかけ直しながらミミ子に訳を話す。
「わたしですね…極度の近視で良く見えな…」
の、後の言葉が止まった。雀の声がよく聞こえる。

329:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/07 20:29:42 zzft+5xZ
「どうしました?」
「あの…わたした、ち?」
鏡がわたしに真実を映さないのか。ミミ子の姿が鏡に存在しないのである。
確かにわたしの横にはミミ子がいる。暖かい温もりも、生きとし吐息も感じると言うのに。
ますますこの子のことが分らない子になったが、わたしと別世界のものなんだと再認識させられる出来事であった。

「あの…わたしだったら外に出かけてきますよ。でも…また今夜も泊めてくださいね」
「そう…じゃあ、夕方6時にここで」
そういえば、ミミ子は探しものの途中だったのだ。例え見つけても、見つけなくてもここに帰ってくるとミミ子は言う。
死神とはいえ、ミミ子は義理堅い。ミミ子の帰宅を許可するとにこりと笑うミミ子。わたしが笑えば同じような顔をするんだろうか。

玄関先で、わたしたちは出かける準備をする。相変わらずミミ子は黒ずくめの服であった。
一方、古着に身を包んだわたしはこれから出版社に向かうのだ。行きたくもないが、行かなければお仕事が回ってこない。
いわゆる『営業』ってやつだ。人と話すことが極端に苦手なわたしにとって最も不向きな仕事。
生きる為にはしょうがないのだが、嫌な場所に乗り込む前なので頭が少し痛い。
「では…。いってきます」
「いってきますね」
ミミ子の手がわたしの髪を撫でる。

初めて親以外の人物から、髪を撫でられた。
わたしの毛先で遊ぶミミ子の笑った顔はあどけない。そのまま指先はわたしの耳をなぞっていくと、
背筋に感じたことのない電気のような感覚が走り、今まで痛かった頭は真上の青空と同じようにすっきりと晴れやかになったのだ。
その上、何だか身体が軽くなったようにも感じる。ミミ子は物足りなさそうな顔をしてわたしの顎に人差し指をのせたが、
わたしの不安そうな顔を見るとやめてしまった。おふざけはおしまい。これからは現実と戦わなければ。

「じゃあ、午後6時に」
「午後6時に」
「会いましょう」
「お会いしましょうね」

330:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/07 20:30:21 zzft+5xZ
――出版社の廊下では古着に身を包んだわたしが、その場の時間から抜き出たようにぼさっと立っていた。
エリートコースまっしぐらに進む同い年位の若人が、時計の針に追われるように横をすり抜けてゆく。

そいつらの人生を否定するわけではないが、何だか悔しい。
マンガを描く人、マンガを読む人。
人を使う人、人から使われる人。
ダメ出しする人、ダメ出しされる人。
わたしだって身なりを整えれば立派な社会人になれるはず。なのに、身と魂を削るばっかりのマンガ家を選んだのは
どうしてだろうか、と時たま考える。ペンは剣より強いが、剣より強いペンで自分自身を傷付けている。

「いらっしゃい、咲ちゃん。ここばうるさかけん、喫茶店にでも行こうか?」
大人の色香漂わせパンプスの音を鳴らしながらやって来た、九州訛りのスーツ女はわたしの担当編集者である。
昨晩の電話のことはすっかり忘れているのだろうか、からっとした明るさでわたしを取り囲むだめだめオーラを吹き飛ばしていく。
「ぜひお願いします」と慇懃に返事をするとこの女に連れられて、小さな大衆的な喫茶店に入った。

席に二人対面で座ると、いきなりこの女は姐御ぶって耳を塞ぎたくなるような話を始める。
彼女はまるで世話役ことが法律であるのかのように、自分のグラスのストローをくるくると回しながら、目線をわたしに合わせるのだ。
「咲ちゃんね。男ぐらい見つけないと、マンガがだんだんだめになるんじゃなかと?」
「いえ、わたし…いりません」
「だめだめ!咲ちゃん、乾ききってるよ!!」
男の人なんかだめだ。
男は獣、男は野生。

331:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/07 20:30:57 zzft+5xZ
わたしだって男の子と付き合ったりしたことはある。でも、アイツらはわたしのことを大事にしてくれやしない。
なので殆ど長続きもしないし、記憶にも記録にも残らない。わたしの言語から『男子』を消し去ってやりたいほどだ。
しかし、この女はそんな男のことをまるで天使か神かのごとく、わたしにその『男子』の『すばらしさ』らしきことを説き伏せ続けている。
「男の数だけ、女の子は光るんだよね。わかる?」
そんなヤツとバンバン付き合えと言うのか、この女は。
女の子のことは女の子に任せておけ。男の子なんか、欲だけで生きるバカモノだ。
「咲ちゃんはね、いいもの持ってると思うんだけどね…ばってん、男嫌いがねえ…」
悪かったね。男嫌いで。わたしのジュースだけがぐんぐんと嵩を減らしてゆく。
いざとなったら、頼りになる。男の子は稼いでナンボだの…よくまあ、薄っぺらいことをつらつらと語り続ける。
そんな女郎によく大企業は言の葉を扱う仕事を任せたもんだ。逆に考えれば、嘘っぱちでも
数を重ねれば真実味を増してくるから、一歩間違えればインチキな商売であるからこの女にはぴったりか。

わたしはこの場にいることがいたたまれなくなり、そそくさと席を外そうとする。しかし、この編集者はわたしを引きとめようと必死だった。
頼むから、一人にしてくれ。人間なんぞ大っ嫌いだ。
この女に会いに来たのは他でもない。ただ、わたしの売名行為をするだけなので長居は無用。
「あの…。わたし…」
「ん?いいアイディアでも生まれた?」
「はい」

飲み物を飲み終えると慇懃無礼にお辞儀をし、一目散にわたしは編集者から逃げ出した。マンガのネタが出来たという、嘘っぱちをついて。
わたしの人嫌いもここまでくると、流石のわたしでもおかしいのではないかと思う。
「頼むから、一人にしてくれ」
呪文のように、しの突く雨降る漆黒の夜のような独り言を呟きながら、心地よいお日様の照りつくす街を駆ける。
お日様なんか、嫌いだ。何もかも見えてしまうから。

332:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/07 20:31:27 zzft+5xZ
そういえば、ミミ子はどうしているのだろう。
寂しそうにしているのではないか、という自分勝手な想像がわたしを囲む。わたしもミミ子も同じような瞳をしているということは
きっと世間を見る目同じように見えるんだろうか。でも、そんなことは誰も知らない。
と、脳の端くれでミミ子のことを思い出している時のことだった。不運はいきなりやって来る。あの編集者のように。
「うっ!!」
思いもよらない激痛がわたしの丸い頭を襲う。痛い、とても痛い。
膝を付き、折角のスカートをアスファルトで汚し頭を抱えていると、名もなき通行人が声をかけずに通り過ぎる。
いや、誰かが声をかけたのかもしれない。しかし、わたしにはそんな善意溢れるさえずりは鼓膜を通り過ぎていっているようだ。

「とにかく、帰らなきゃ」
その目的は…ミミ子に会う為。唯一つ。

――脇目も振らずに病み続けた頭を抱えて、街を走り続けたわたしはいつの間にか
わたしの住むぼろっちいアパートに着いていた。
夕方には程遠い昼間のこと。もちろん、ミミ子の姿はない。
人嫌いなはずなわたしのクセに、ミミ子の帰りだけはしっかりと待つなんてわたしは卑怯者かもしれない。
頭の考えるまま動くなんて、男の子のすることと同じじゃないか…と自問自答を繰り返していても仕方がない。
残り少ない冷蔵庫の中から卵を取り出し、プレーンオムレツでも作ることにする。もちろん二人前。
まだまだお日様は天を巡る。

333:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/07 20:32:04 zzft+5xZ
日が沈む前に、ミミ子は帰ってきた。
持ち物は出かける前と同じ。しかし、ひどく落ち込んでいる様子ではなく、むしろここに帰ってきた喜びさえ感じる。
「ただいまかえりました…」
振り向くと静かにわたしにミミ子は近づいていた。
くんくんとバターのこげる香りを楽しむかのように、わたしの肩越しにフライパンを覗き込むミミ子。

わたしがこの子に気を許しているのはこの子が『人間じゃないから』なのだろうか。
しかし、理屈なんか捏ねる必要はない。その証拠にミミ子はわたしの話を何でも聞いてくれる。
否定も肯定もせず、昨晩共に過ごしたときに感じたこの子の柔らかな肢体のように受け止めてくれるのだ。
今日あったあの編集者のこと、今までのどうにもならなくつまらない憤り…などなどをミミ子にぶちまけた。
「そうね…、うん」
「そう思ってくれてありがとね」
短い言葉のやりとりはお喋りなヤツからしたら、イライラするだろう。しかし、わたしたちには十分な長さだ。
たったこれだけの言葉なのに、あっけなく救われるなんてわたしは単純な女だ。
単純すぎてわたしの目頭が熱くなる。

「どうしたんですか…」
「いや、何でもないの」
わたしの瞳から零れ落ちる何かをハンカチで拭こうと、わたしがメガネをそっと外した瞬間、唇に甘く柔らかい瑞々しい感覚がした。
メガネを外すとわたしには何も見えないことをいいことに、ミミ子はわたしの唇をほしいままにしていたのだ。
ほんの数秒、一日にしてほんの瞬き。
あの編集者の押し付けがましい話も、わたしには薄暗く見える太陽の光りもこの甘いミミ子の誘いでふっと忘れてしまった。

「ごめん…」
ミミ子はわたしのメガネを奪って、わたしにまだ話しかけたことのない言葉で過ちを詫びる。
タメ口だ。何気ない言葉の力は素晴らしい。

――春に近づくこの晩も二人で布団に入った。
日が昇ると、わたしはたまにマンガを描き、ミミ子は探し物に出かけ、日が沈むと二人で布団に入る日々。
そして、次の日も、あくる日も…。これが日常の風景と化すまで日にちがかかることは長くなかったのだ。
すっかりこの日々に慣れ切ったわたしはミミ子の正体のことを一時期忘れていた。
しかし、ミミ子のさりげない言葉でミミ子の正体が蘇る。

334:わたしの死神さま ◆TC02kfS2Q2
09/02/07 20:32:33 zzft+5xZ
ある日、何気なくマンガを描こうと原稿用紙とにらめっこを続けていると、私自身のことを思い悩むようになったのだ。
白い原稿用紙とは裏腹に、わたしの身体中は黒く濁り混沌としているのが自分でもわかる。
本当にわたしは世間さまに足を向けて寝ていていいのだろうかと。
マンガを描き続けていいのだろうかと。
いわゆる煮詰まっている状態なのだ。嫌なことばかりしか思い浮かばないわたしは人を楽しませることが出来ない。
「誰かの為にならないって…寂しいね」
「大丈夫、わたしは咲さんがいてくれて…うれしいです」
愚痴とも取れる台詞でさえ、ミミ子は受け止めてくれた。すぐに目頭が熱くなるのはわたしの悪いクセ。
涙を拭こうと洗面台に駆け寄ると、後ろからミミ子が付いてくる。
「恥ずかしいな…見ないでよ」
「…わたしに拭かせてくれませんか?」
鏡にはわたしの後ろで笑っているミミ子が映っていた。

ちょっと待て。この間、ミミ子とここで並んだ時にはミミ子は鏡に映っていなかった。
どうして今日はミミ子が映っている。
にこにこと嬉しそうなミミ子に聞くことさえ出来ないわたしは臆病者の極み。
ところがミミ子は鏡越しにわたしに感謝の意を伝える。はたしてそれは世間さまから聞いて感謝と言っていいのかわからない。
何故なら、その言葉は
「咲さんのお陰で長生きできそうです」

以前、ミミ子は話していた。
「わたしたち、天界の者の糧は地上の者の…命です」
その言葉の意味と、先ほどのミミ子の言葉の意味を理解するには時間はかからないだろう。
そんな状況を知らない携帯電話はわたしを呼ぶ。留守電モードの電話からは編集者の女の声が飛びぬける。
「咲ちゃん?大ニュース!!連載、決まったばい!!」

もろ手を挙げて喜んでいい状況なのに、わたしはどうでもよくなった。
連載なんか消えてしまえ。『よい』『悪い』で考えるより、『好き』『嫌い』で考えろ。
ミミ子を喜ばせているほうが、わたしは好きだ。

335:わんこ ◆TC02kfS2Q2
09/02/07 20:33:22 zzft+5xZ
今回はここまでです。
次回でおしまいにしたいと思います。

投下終了。

336:創る名無しに見る名無し
09/02/07 23:04:01 zfSkULBV
命のやりとりってどことなくエロいよね

337:創る名無しに見る名無し
09/02/08 00:12:03 XoNkETVy
おおおおおおお!?
なんかラッシュキター

338:創る名無しに見る名無し
09/02/08 00:19:10 uDzoKxil
死神さま一気に読んだ
続き期待してまー

339: ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 00:42:11 wDDNjtEt
ラッシュということなので、どさくさに紛れて>>272の続きを投下・・・

340:月の舞・夜の椿(13) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 00:44:49 wDDNjtEt
修学旅行から帰り、舞は憂鬱な日々をつばきと共に過ごしていた。
確かに、つばきは良き友人だし、悩みを包み隠さず語り合える親しい仲間だが
いくらお互いの事を認め合えたからといえ、舞は自分でもあと一歩の勇気を踏み出せずに
友情より踏み込んだ関係に戸惑いを隠せないのが現実。
2人で手をつないで歩くのも、クラスメイトの目の届かない通学途中などにこっそりとやっているし
学校の中でもつねに一緒に居るものの、傍から見ればせいぜい「とても仲のいい友達」
その程度に取られる身の振舞い方をしようと、少なくとも舞は努力していた。
そんな舞を見て、つばきはたまに「そんな遠慮しなくてもいいのに」という顔をするが
どうしても素直になれない舞は素っ気無い態度を取ってしまうこともあった。

舞は、もしつばきさんも私と友情以上の関係を望んでいるなら、
むしろこの関係をクラスメイトなどに自慢したと思っている。
機嫌しだいであっちにいったりこっちにいったりする
最近の女の子の軽い友情関係に、舞は少しうんざりしていた。
そう思っていたから、舞の周りにはあまり「友達」と呼べる人が居なかったのだ。
でも、つばきさんは違う。舞の事を本当に心配してくれているし、舞もつばきの事を
もしできるなら命を賭けてでも守ってあげたいと思っている。

だから、「友情」という枠を越えて「恋愛」という篭の中に落ち着きたいと感じていたのは事実。
舞はもう一度つばきの本当の気持ちを直接聞きたかった。
修学旅行で行った札幌の公園で知った彼女の悲しい過去。
そして、自分を追って転校してきたという事実と、「舞がいるから生きていける」という一言。
彼女本人は友情というつもりでその言葉を使ったのに、
舞がまた違った意味でその言葉を受け取ってしまっていたら、もしかしたら彼女に嫌われるかもしれない。
修学旅行から帰ってきてからもその一言をずっと頭の中で繰り返してはみたものの、
どういう意味かは結局理解できず、舞は歯がゆい思いをして辛かった。
このままでは自分までダメになってしまう。

そこで、舞は行動を起こすことにした。

341:月の舞・夜の椿(14) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 00:45:56 wDDNjtEt
静かにゆっくりと時間が流れる、ある日の昼休み。
つばきとの何気ない会話の中で、舞はそれとなくチャンスを窺っていた。

考えに考えた挙句、つばきを「夕日が綺麗なのよ」という理由で
屋上に連れ出し、そこで2人きりになった所で彼女に自分の気持ちをぶつけ
彼女の本当の気持ちを聞きだすという計画を立てたのだ。

自分でも無理があると思った、この「屋上へお誘い作戦」

この高校の屋上は、一応生徒が立ち入ってもいいスペースだが
ヒューヒューと寒い風が吹き荒れる年末という時期柄、殆ど人の出入の無い場所だった。
春や秋などの風が気持ちいい季節には、男の子と女の子が告白しあったり、2人きりのお弁当を楽しんだり
時には喧嘩の現場にもなったりする、生徒達がここぞという時に使うとっておきの場所となっているが
流石にこの時期になると、とっておきの場所は学校の外の暖かい場所へ移るようで
ちょうど訪れた偶然のタイミングに舞は全てを賭けたのである。
だけど、言うまでも無く学校の屋上でデートや告白の経験もないし
長年その場所とは無縁の生活を送ってきた舞は、屋上から夕日を見たことなんて無い。
夕日がきれいという情報も、だいぶ前にクラスメイト達が話していた会話が漏れ聞こえてきたというだけのこと。
綺麗な夕日が屋上から見えるかどうかは全くわからないが、幸い今日は朝から雲ひとつ無い快晴で
もしかしたら真っ赤で綺麗な夕日が見えるかもしれない。

でも、いくら綺麗な夕日が屋上から見えても、つばきさんは自分の誘いに乗ってくれるのかが心配だ。
それなりに深い関係の舞とつばきといえど、突然親友から「屋上で夕日を見ない?」なんて誘われたら
少し戸惑うかもしれない。

ふとそこで、少し前につばきのお家へお邪魔した時の一こまを、舞は思い出した。

─確か、つばきさんが例の「札幌の公園」をおススメした時も
突然の提案に戸惑う私を必死に説得して自由行動でその公園に行くことになったんだっけ。

342:月の舞・夜の椿(15) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 00:47:39 wDDNjtEt
高校生活の中でも一番重要で、一番大切な時間である修学旅行というイベントで
観光地という選択肢を捨てて個人的に思い入れのある公園に大切な人を連れ出すという行為は
相当勇気が必要な決断だっただろう。つばきさんだって勇気を振り絞って私を誘ったのだから
私だって誘えないわけがない。舞は徐々に決心を固めつつあった。

―待っててね、つばきさん。私も自分の気持ちを伝えたいの。

ふと、会話の間が空いたとき、舞は勇気を振り絞って精一杯のアクションを起こした。

「あ、あの、つばきさんっ。屋上から見る夕日って…すっごく素敵なのよ。
 それで、もしつばきさんさえ良ければなんだけど、今日の夕方、一緒に見に行けたらな…って。」

気がつくと、あまりの緊張に舞の小さな体は雨に打たれた子犬のようにふるふると震えていた。
幸いつばきさんには気づかれていないようだが、この言葉を発した後に
自分でも「ああ、もう取り返しがつかない所まで来たな」という事まで悟ってしまったぐらい
今までつばきに誘われるがまま一緒に行動し、自分からあまり提案したことのなかった舞が
このたった一言を伝えられたのはとても大きなことだった。

つばきがどう出るか、固唾をのんでその返事を待っていると
さっきまでのにこやかな表情のまま、彼女はさらりとこう返してきた

「あら、それは素敵ね。今日は何も予定は無いし、私も舞と一緒にその夕日を眺めたいわ」

あまりにも普通な返答にに拍子抜けしてしまい、全身の力がすーっと抜けてしまった舞。
座っていた椅子からするするとずり落ちそうなってしまった。

「だ、大丈夫?どこか具合でも悪くて?」

さっきのふるふる震える様子は気づかなかったようだが、流石にこれはつばきも気づいたようだ。

343:月の舞・夜の椿(16) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 00:49:28 wDDNjtEt
「いや、なんでもないよ。少し寝不足みたいで…やっぱりちゃんと睡眠は取らなくちゃね。」

なんとかその場を取り繕っている内に午後の授業が始まった。

そこからの数時間、午後の授業はまったくと言っていいほど手がつかなかったのは言うまでもない。
ひとまず誰も居ない屋上へ誘うことには成功したものの
実際問題、何を話そうかという点については残念ながら何も考えていなかった。
いっそのこと、単刀直入にこう尋ねようか。

―つばきさん、私たちの関係って、友達じゃなくて"恋人"だよね?

いや、だめだ。
そんな恐ろしいこと私にはできない。
もしつばきさんの考えている事と私が考えている事が180度食い違っていて、つばきさんに嫌われたらどうしよう。
舞は徐々に屋上でつばきに本当の気持ちを聞くという決断が間違いだと思い始めていた。

―舞ったら、私のことをそんな風に思っていたの?女性同士でそんな関係になるなんて…ありえないわ。
もう私のそばに近寄らないでちょうだい。

舞の想像の中のつばきが、舞を軽蔑するような視線でそう吐き捨てる。

―ごめんなさい、つばきさんっ…!

泣き叫びながら許しを請う舞。舞の人生の中で、身内の不幸を除けば一番恐ろしい光景だ。
想像するだけでも、辛い。

気がつくと、授業中なのに目に涙を浮かべる舞。
すぐ隣の席で真面目に授業を聞いているつばきに気づかれないように、そっと涙をふく。
そこで舞は悟った。
やっぱり屋上に行くのはやめにしよう。

344:月の舞・夜の椿(17) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 00:50:59 wDDNjtEt
つばきさんに嫌われるリスクを犯すより、このままやんわりと友達以上、恋人未満の関係を続ければいい。
そうだ、このまま天気が悪くなれば、自分が企画したこの「行事」も小学校の時の遠足のように
やむなく中止となるだろう。そうなれば断る口実を考えなくてもいいので都合がいい。
気がつくと、舞は祈っていた。

―おねがい、どうか少しでもいいから雨よ降って・・・

誰に願いをかけているのかは自分でも分からなかったが、とにかく今は誰でもいい。
よく考えれば、たとえ屋上に行ってもその類の話をせずに、普段通りの楽しい会話だけを済まし帰ってくればいいのだが
さっきの想像の中での光景があまりにもショッキングな光景だったせいもあり
とにかくその舞台となった屋上には行きたくないという気持ちが強かった。

じわじわと迫る放課後、しかし舞の気持ちとは裏腹に天気は雲ひとつ無い青空のまま過ぎていく。

そうこうしているうちに、運命の放課後がやってきた。
鳴り響くチャイム。今日も一日何かをやりとげたという表情で各自の清掃場所へ散っていくクラスメイト達。
「舞、何をボーっとしているの?早く清掃場所へ行くわよ」
つばきさんにそう促されるまで、舞はつばきの話していることが一言も頭の中に入っておらず、上の空といった感じだった。

清掃場所では、舞は教室をほうきで掃く係だったが、同じ場所を何回も何回も掃きつつづける舞に
他のクラスメイトも「朝霧さん、今日はなにか様子が変だね…」と心配している様子。
でも、そんな心配すら気づかないほど舞は何かに囚われていた。
もしかしたら、ここまで緊張するのはつばきさんと出会った時以来かもしれない。
ただ「放課後、屋上に行くのはやめにしよう」と伝えたいだけなのに、舞の緊張はピークに達していた。

気がつくと、清掃も一通り終わり、舞とつばき以外のクラスメイト達は清掃用具を片付け
各自思い思いの場所へ解散しようとしている。
もう、ここで言うしかない。

「そういえば、さっき屋上へ行くって言ったけど、やっぱり…」

345: [―{}@{}@{}-] 創る名無しに見る名無し
09/02/08 00:52:18 AF7fV2Ia
  

346:月の舞・夜の椿(18) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 00:54:21 wDDNjtEt
舞がそこまで言いかけた途端、つばきさんは嬉しそうな顔でこう言った。

「あら、そうね。早く行きましょう。」

つばきのニコニコしている顔を見た舞は、自分からは断れないことを痛感した。
とりあえず、屋上に行って他愛もない話でやり過ごせばいいんだ。
ゆっくりと、階段を登りながら屋上へと上がるつばきと舞。
つばきにとっては、足取りも軽く昇る階段だったのかもしれないが、
舞にとってはその階段は異常に長く感じられた。
もしかしたら、これが「天国への階段」なのかもしれない…この場に及んでも舞の妄想は止まらない。
そして、舞にとっては長かった階段もようやく終わり、屋上へと通じるドアが見えてくる。

「んっ、ちょっとこのドア固いわね…」

つばきの愚痴と共に、舞台のドアは開かれた。

ついにたどり着いた屋上。冬独特の北風がピューピューと吹き荒れている。
舞も、正直こんなに風が強かったのかと後悔するほどの状況なので
言うまでもなくつばきと舞以外は誰一人として屋上で過ごしている生徒は居なかった。

「ちょっと寒いけど、まあ晴れているから気持ちいいぐらいだわ」

そう呟くつばき。

毎度の事ながら、つばきのプライドはとても高い。
決して弱音を吐かず、じっと我慢しつづける。でも、その我慢も限界に近づいた頃に
舞と言う自分の気持ちを正直に伝えられる「心の拠り所」ができたので、彼女は輝き始めた。
現に今だって、彼女は微笑んでいる。
何気ないつばきの表情の変化を感じ取るのも舞の楽しみの一つだ。
だけど、舞自身は先ほどの教室での出来事のように考えすぎてしまう所があり、どうしてもポジティブ思考にはなれなかった。

347:月の舞・夜の椿(19) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 00:56:50 wDDNjtEt
屋上からは、フェンス越しに大きな夕日が見えていた。
目の前で今まさに沈もうとしている真っ赤な夕日は、まるで舞とつばき2人だけのために
存在しているのかの如く輝いている。

「まあ…! 毎日通っている自分の学校で、こんな綺麗な夕日が見られる場所があったのね」

つばきは、意外な事実を発見した事の感動を必死に舞に伝えようとしている。
だが、隣に居る舞だってつばきと同じ景色を見ているのだから、同じことを感じているはずだ。

―つばきさんったら、あんなに興奮しちゃって。小さい頃のつばきさんもああいう感じだったのかな。

そんな事を思っているうちに、いつの間にか2人は夕日が良く見える
貯水タンクの下のちょっとしたスペースに腰掛けていた。

特に何を話すでもなく、ただ座って夕日を眺める2人。
ここに来て、この場所に座ってからどれぐらいの時間が経っただろうか。
10分、いや、20分かな?もしかしたら1時間かも…
舞は、そろそろ黙っているのが辛くなってきた。

私からつばきさんに何か話しかけるしかないのだろうか。
舞が決心を固めようとしていたその時、突然つばきが口を開いた。

「そういえば、この夕日って、私が小さい頃にこの近くの河原で見た夕日にそっくりよ」

突拍子も無いことを話し出したつばきに舞は少し驚いたが
つばきさんの方からこの微妙な空気を破ってくれたので、舞は正直安心した。
「この近くの河原」というのは、学校から30分ほど歩いたところにある大きな川の河川敷の事だろう。
その川には、普段あまり水が流れておらず、川沿いに遊歩道が整備されている。
街の中の遊び場が減った昨今、あの近辺では子供達がのびのびと遊べる唯一の場所だ。

348: [―{}@{}@{}-] 創る名無しに見る名無し
09/02/08 00:57:22 AF7fV2Ia
  

349:月の舞・夜の椿(20) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 00:59:38 wDDNjtEt
「ふーん、つばきさん程のお金持ちも、小さい頃は普通に河原とか外で遊んでたんだ。
 てっきり家の中でお稽古事とかに追われてるのかと思ってた。」

「あら、失礼ね。確かに習い事には追われていたけど、時間を見つけては外に遊びに行ったりもしていたのよ」

流石はつばきさん。小さい頃から時間の管理もちゃんとできていたんだ。
妙な所に感心する舞。

「ふふふ、つばきさんだって小さい頃は私と同じ、普通の女の子だったんだね」

「当たり前じゃない。もしかして、私が貴族のような生活を送っていたとでも?」

つばきは、笑いを堪えきれない様子だった。
いつもの通りのつばきさんとの楽しい会話。
この調子なら、舞が思っていたことをつばきに探られる心配もないだろう。
せっかく苦労して誘ったのに本末転倒な感じもするが、結局勢いだけで計画してしまった
この「屋上でつばきさんの本当の気持ちを聞き出そう」作戦は
「やむなく作戦変更」という結末で無事終わりそうだ。
作戦の幕引きは、そつなくスムーズに。

「寒いし、そろそろ帰ろうか。つばきさん。」

舞がそう言おうと、口を開きかけたと同時につばきの口からも同じタイミングで何やら言葉が出てきた。
まったく同じタイミングだったので、どちらに発言権があるかは微妙なラインだったが
つばきの声がわずかに大きく、なおかつ張りのある声だったので、
どうやら今回の発言権は彼女にあるようだ。言いかけた一言を途中でのどの奥にしまいこみ、
つばきの言おうとすることに耳を傾ける。

「ねえ、舞。私を産んだ母がまだ生きていた頃に、あの河原には何度も連れて行ってもらったの。
 そこで母から色々な事を教えてもらったわ。生きることや人を愛することの素晴らしさ。
 それに、辛い事があった時の乗り越え方。だからこそ、母を尊敬しているし、心から母の事を愛していたの。」

350:月の舞・夜の椿(21) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 01:01:07 wDDNjtEt
ここで、つばきが自分の実の母の話をするとは、舞にとっても予想外の展開だった。
つばきの複雑な家庭事情は、修学旅行でのあの出来事で大体は知っていたが
亡くなってしまった実の母親の人間像までは舞もイメージを掴みかねていた。
とりあえずこの一言で分かった事は、つばきの実の母親はどうやら
彼女の事を大切にしていただけではなく、彼女にとってのよき母親、そしてよき先生として
人生を行きぬくうえでの知恵を授けていたらしい。

「つばきさんのお母さんって、とっても素敵な人だったんだね。」

実際には会ったこともない、今は亡きつばきの母親を想像して思いを馳せる舞。

「母は私に多くの言葉を残してくれたけど、今でもいちばん気に入っている言葉があるわ」

彼女が気に入っている言葉とは何なのか。舞は固唾を飲んでその時を待つ。
そしてつばきは、ゆっくりと口を開いた。

―自分が本当に守りたいと思った人を、心から愛しなさい。

その言葉を聞いて、舞の心臓の鼓動は一気に速くなる。
舞のつばきに対する気持ちが、この短い一言にうまく表れていたのだ。
まさか、つばきさんのお母さんの言葉が私の気持ちを代弁してくれるなんて。
舞の心の中は、感動と驚きが入り混じった複雑な気分で一杯になった。

「いい言葉だね、つばきさん。」

そこから先が続かない。自分が言いたいこと、ぶつけたい想いは沢山あるのに
なぜか言葉に出して伝える勇気が足りないのだ。でも、勇気は使うためにある。

こんな状況なら、いっその事つばきさんに自分の気持ちを伝えよう。
悩んでいる時間なんかない。いつも最悪のシナリオを想像してしまい、一歩が踏み出せない臆病な舞にとっては
屋上へつばきを誘う事の10倍、いや100倍勇気が必要な決断だったのかもしれない。

351:月の舞・夜の椿(22) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 01:01:30 wDDNjtEt
舞が決心を固めようとしている間にも、その気配を察したのか
つばきも自分が喋ることを中断し、舞がしゃべりだすのをじっと待っている。
その表情は、まるで小さい子供が何かを伝えたそうにしている際に
その子供の母親が聞き役に徹して笑顔で待っている、その様子にそっくりだった。
舞の言いたい事を聞き逃すまいと、舞の表情を読み取るのに全神経を集中させるつばき。

決意を固めた舞は、大きく深呼吸を1回し、つばきに自分の想いを伝えた。

―つばきさん、私がんばるよ。

「ねえ、つばきさん。
 私、つばきさんの事は前からずっと大切な親友だと思ってるよ。
 でもね、今日はその事についてひと言伝えておきたいことがあるの。
つばきさんが転校してきたあの日、つばきさんが初めて教室に入ってきた瞬間
 私は他の女の子とは違う何かを感じたの。同性の私から見ても、すごく魅力的で
 美しくて、優しそうで…だから、初めて話しかけられた時は、すごくドキドキしたよ。
 私みたいな地味な女の子と友達になってくれるなんて信じられなかったしね。
 それで、修学旅行でつばきさんの辛い過去を知った時に、
 私は “この人を一生かけても守らなきゃ〝 と本気で思ったの。
 その頃から、つばきさんの事を “友達” としてではなく “恋人” として意識するようになって…
 ごめんなさいっ、つばきさん。こんな事言ってつばきさんは私の事軽蔑するよね。
 私の事嫌いなら、嫌いってはっきり言っていいよ。」

一気に、それでいて簡潔に自分の想いをぶつけた舞。

―ごめんなさい。これがお別れの挨拶になるかも…

罵倒される事すら覚悟していた。
もし彼女に嫌われたら、この場で屋上から飛び降りて
天国で彼女が来るのを待とうと本気で思うほど、舞の考えは悲観的だった。
だが、つばきから帰ってきた答えは意外なものだった。

352: [―{}@{}@{}-] 創る名無しに見る名無し
09/02/08 01:01:37 AF7fV2Ia
 

353:創る名無しに見る名無し
09/02/08 01:02:03 uDzoKxil
支援

354:月の舞・夜の椿(23) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 01:02:09 wDDNjtEt
「…ありがとう。よくがんばったわね。
自分の気持ちを素直に伝えることができなくて、さぞかし辛かったでしょう。
 あなたがそう思うなら、今までのような友達としてではなく、
ちゃんとした “恋人同士” としてお付き合いしてもいいのよ。
 私もあなたの事を友達以上の関係だと思っていたわ。でも、あなたの気持ちがよく分からなかったの。
 恋人という関係を求めて、あなたに嫌われたら私もすごく悲しいし、
もしかしたらこの先、生きていけないかもしれない。
 だから、あなたから自分の気持ちを表に出してくれて、私…すごく嬉しいわ。
 同じ性別という壁はあるけれど、その壁だって舞となら乗り越えられると思う。
舞だってそう思っているわよね?」

―つばきさんも、私の事を愛していてくれたんだ

うれしい。
この感情のやり場をどこにぶつければいいか舞は分からなかった。

「つばきさんっ、私、私……!」

目から大粒の涙を流しながら、つばきの元へと飛び込む舞。

「もう心配しなくていいのよ、私はずっとここに居るわ」

つばきの胸の中は、温かかった。
まるで母のようなぬくもりで、舞を迎えてくれたつばき。
舞はようやく、落ち着くことができるゆりかごを見つけたのだ。

舞がつばきの胸の中で抱かれて泣いていると、突然つばき本人の腕で胸から引き剥がされてしまった。
さっきまで恋人だと言ってくれていた人の突然の行動に、戸惑いを隠せない舞。

「恋人、でしょ。」

355: [―{}@{}@{}-] 創る名無しに見る名無し
09/02/08 01:02:44 AF7fV2Ia
   


356:月の舞・夜の椿(24) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 01:02:46 wDDNjtEt
つばきは、自分の顔をゆっくりと舞の前まで近づけた。
2人とも、お互いのすべてを受け入れる関係。
もう何も怖いものはない。

くちづけを交わす舞とつばき。
つばきとの初めてのキスの味は、涙が混ざった、少ししょっぱくてほろ苦い味。

つばきの唇はやわらかく、そしてやはり胸の中と同じように温かい。

今までの関係では感じることのできなかった、つばきの本当の愛を
つばきと一番近い場所に居られるこの状態で舞は噛み締めていた。

「行きましょう、舞」

「うん!」

仲良く手をつなぎ、沈みかけた夕日の中へ消えていくつばきと舞。
昨日までの2人と違い、その姿は堂々としていた。

2人の世界は、まだ始まったばかりだ。

357:月の舞・夜の椿(24) ◆hPUJOtxtvk
09/02/08 01:03:20 wDDNjtEt
以上です。異常なまでの長文で申し訳ない。
文章を短くまとめる力って大事ですね。

358:創る名無しに見る名無し
09/02/08 01:05:04 uDzoKxil

いい空気感だったのぜー

359:創る名無しに見る名無し
09/02/08 14:15:51 nalqDV3o
乙乙
ふたりが結ばれてよかった

360: ◆YURIxto...
09/02/10 01:07:18 Egq9GWdx
「なっ…」
夕陽の射し込むドアの前に立った瞬間、私の呼吸は止まる。
「あぁ、水谷さん」
穏やかな声に呼びかけられた時、私はもうその人物に背を向けて駆け出していた。
―なにしてんのこいつら!
私が見たのは部室の机で仰向けに横たわっている名前も知らない後輩と
その身体に覆いかぶさる五十嵐さんの姿。
視界に入ったのは数秒足らずで、うろ覚えだけれど
五十嵐さんの手が後輩の制服の下にもぐり込んでいたような気がする。
―意味が解らない
いくら校舎の隅の、一番閑散とした場所だからって、ドアも閉めずにあんな事しているなんて。
いいや、そんな事よりあんな行為をしている事自体が非常識だ。
身体を重ねているのが何才の女だとか、男だとか、そんな事は関係ない。
私の視界で、あんな目の前で、他人の情事を目撃してしまった事が耐えられない。
さっきまで皆が呼吸をしていた空間で、あんな行為に及んでいた事が信じられない。
求め合う二人だけに耐えられる空気を、一緒に吸い込んでしまったようで
私の胸は、全速力で駆けて高鳴る鼓動の痛みとは別に、吐き気のようなものを感じていた。
―それもよりによって、五十嵐さんだなんて
誰かが問題ではないといっても
一番見てはいけない人物の、その現場を見てしまった気がした。
あの場から離れるほどに、見たくなんてなかったという思いが胸に込み上げた。

361: ◆YURIxto...
09/02/10 01:08:35 Egq9GWdx
長い廊下を駆け終わり、校舎から駅までの道のりを駆ける間
どうして忘れ物なんか取りに行ったんだろう、と何度も自問した。
部室のロッカーに置いてきた水筒なんて、一日そのままにしておいても
中の飲み物が傷むだけで、次の日家から注いで来れないだけの話だ。
私はわざわざ門の外から取りに戻った自分自身を呪った。

結局、電車に揺られて家に帰り着いてからも
放課後に目撃してしまった光景は瞼の裏に貼り付いたまま消えず
夜ベッドにもぐり込んでからも、私の安眠をかき乱し続けた。
そして瞼に再現される衝撃の現場よりも、更に強烈だったのは
あぁ水谷さん、という不自然なほど落ち着いた彼女の声。
この一晩で私は何度五十嵐さんの声を再生したかわからない。
あの現場に不釣合いな彼女の柔らかな声に、私はやたら苛立ちを覚えていた。

ほとんど熟睡する事が出来ずに目覚める朝ほど辛いものはない。
何より辛いのは、一晩悩ませた煩いが次の日も悩ませ続けるという事だ。
―どんな顔で会えばいいやら
重い身体を引きずって登校した私は、いつもなら顔を合わせる事のない
校門や下駄箱、階段、廊下の数ある箇所を、注意を払いながら歩いていた。
五十嵐さんとも、他の誰とも目を合わせないように顔を伏せながら
知らずに目の前や横に近付いている事がないよう、神経を尖らせていた。

362: ◆YURIxto...
09/02/10 01:09:53 Egq9GWdx
私と五十嵐さんは、同じ学年でも、ほとんど口を利いた事がなかった。
クラスが離れていたので、部活以外で見かける事もほとんどなかったし
部室で顔を合わせても話す理由はない。
私達の間には同じ文芸部の、部員同士だという以外、何も接点はなかった。

文芸部は、私が人生で初めて入った部活だ。
中学までは帰宅部だったけれど、私の入った高校は全員入部が校則として義務付けられていた。
入学式でそれを知らされた時、私はしくじったように舌を打ち付けた。
と言っても、生徒全員が部活動に精励すべしなんていう校則があるはずもなく
やる気のない生徒は文芸部やイラスト部に所属だけして幽霊部員となるのが常だった。
私も同様の理由で文芸部に入ったくちだ。
けれど高校に入ってから、クラスメイトとの会話を億劫に感じ始めるようになった私は
休み時間が至極退屈なものへと変わってしまった。
そんな理由から、常に本を傍らに置くようになる。
本を読んでいれば、話しかけられる事もないし
もし話しかけられたとしても、その会話が長く続く事もない。
本が好きというより、外界から自分自身を断絶してくれる便利な道具として私は利用していた。
そしてどうせ利用するなら面白味のあるものがいいだろうと自然に考えた。
そんな訳で幽霊部員になるつもりで入った文芸部に
頻繁に顔を出すようになったのは今からちょうど一年ぐらい前の事だ。
ここには興味深い本が多く積まれてある。
三年生の先輩や、ほとんど顔を出さない顧問が時々本を入れ替えているようだが
私が手に取った限り、ほとんど外れがなかった。
部員どころか部活動それ自体がやる気のないように見られがちの文芸部だが
文芸、と名乗るだけあって、自分で話を書いている部員も何人か所属している。
そういう人達で作った小冊子を読むのも、ここへ顔を出す一つの理由になっていた。
稚拙な書き出しに失笑する事もあったが、私の求めている面白味は確かに健在していた。

幽霊部員でなくなったと言っても、私は熱心に活動している部員とは明らかに違った。
放課後に顔を出しても、部員の誰とも口を利かずに私は一人本を選び読み耽っている。
次の日の休み時間に読む分の本を選び終えると
それを鞄に入れて、さっさと部室を後にする、それが私の日課だった。

363: ◆YURIxto...
09/02/10 01:11:07 Egq9GWdx
私が、部員の誰一人に関心を示さない中で、クラスも違う彼女の名前だけ知っていたのは
彼女の書いた作品を読んだ事があったからだ。
部員の人達が書いた物を読む時、私は一々誰が書いたかなんて意識したりはしない。
別に彼女の書いた作品だけ、ずば抜けて特別に感じられたからでも何でもない。
私が部室で小冊子に目を落としていると、開いたページを後ろから覗き見た彼女が
私の背中に語りかけてきたのだ。
「それ、私が書いたんだぁ」
振り返った時に見た彼女の顔は、今でもはっきりと思い出せる。
既成の言葉では言い表せない、誇らしさと恥じらいを持ち合わせたような表情。
こんなふうに笑う事の出来る人を、私はいいなと思った。
羨むような、憧れるような、ほんの少し温かさを持った、そういう気持ちだ。
この学校に入って初めて出逢った、そんなふうに思える人
それが五十嵐さんだった。
あの時読んだ“子供達が動物園を占拠して戦争を始める”という話は
しばらく私の夢に出て来ては、私の安眠を妨害してくれた。

そんなふうに彼女は、私の意識の隅に住みついて離れないままの存在であったが
それ以降、彼女と親しくなる機会も、親しくなろうという気概も
私の持ち合わせているものでは決してなかった。
彼女と口を利いたのはその時一回きりで、ただの部員同士である関係に何も変化は起きなかった。

そんな中で、私の日課は続いていた。
昨日の放課後も、そんな毎日の一つに過ぎなかった。何ら変わるところはないはずだった。
違ったのは、本を読んだり選んだりしている内に
いつもより帰る時間が遅くなってしまった事と、いつもならするはずのない忘れ物をしてしまった事だ。
いつも忘れるような性格をしていたら、きっと取りに戻る事もなかったんだろう。
帰る時間がもう少し早ければ、あんな場面に居合わせる事もきっとなかった。
でもまさか私が帰る時、最後に残っていた二人があんな事になっているなんて
想像出来るはずがない。最初から想像出来るような思考を持ちたくもない。

364: ◆YURIxto...
09/02/10 01:12:21 Egq9GWdx
憂鬱な朝の幕がチャイムごとに開いて
あっというまに午前は午後と入れ替わり、昼休みの時間となった。
午前中、一番安全な教室から一歩も出ずにトイレを我慢してきたがそうもいかない。
祈るように顔を伏せたまま女子トイレに向かい、そして出てくると
待ち構えていたかのように五十嵐さんが、私の前を歩いてきた。
思わず足がすくんでしまった。
トイレの入り口で呆然と突っ立っている事しか出来なくなった私に向かって
彼女は肩を揺らした。
「こんにちは、水谷さん」
今まで部室で顔を合わせても、挨拶などして来なかったはずの人が
今日は私に気付いた途端、柔らかく声をかけて、目の前を通り過ぎていく。
昨日の事なんて意に介さないその微笑みに
私は一晩煮えたぐらせた苛立ちに再び火をかける思いがした。
あの微笑みだ、と確信した。
昨日、私の名前を呼びかけてきた時の彼女の顔が、この視界に入る事はなかったけれど
今見た微笑みがそれと同じものである事に確信が持てた。
その事がまた燃料となって、苛立ちは火を噴くかの如く募り出す。
さすがに同じ事で繰り返し怒りを保てるほど、私は熱い人間なんかじゃない。
放課後にもなると、昨日の事はもういいかと、不思議なほど寛大な気分となって
昨日までと変わりなく、部室へと足を運ぼうとしている自分がいた。

365: ◆YURIxto...
09/02/10 01:13:38 Egq9GWdx
昨日のあの時間より、まだ少し夕陽が高い位置にある頃
私は旧校舎の一番隅にある部室の前まで辿り着いた。
廊下を歩いている時から響いていた、何人かのはしゃぐ声に安心した。
もしも昨日と同じ静かな雰囲気の部室だったら
私は中に入る事も出来ずに引き返していたかもしれない。
そして永遠に水筒を取りに行けなくなるのか、と
例え話の簡潔なバッドエンドに、一人笑いを堪えながら室内に足を踏み入れた。

私が来た事に誰も気付かないほど賑やかな室内で
私に向けて来る二人分の視線を、私は皮膚で感じていた。
五十嵐さんのものと、そのお相手である後輩の女の子のものだ。
無視すれば良かったはずなのに、私は後輩の方へじっと視線を重ねてしまっていた。
足先から頭の天辺まで食い入るように眺めていると、彼女の方から視線を外してきた。
そして居た堪れなくなったのか、鞄を抱えるとそそくさと部室から出て行ってしまう。
背中まで伸びた後ろ髪を見つめながら
私は自分が彼女を追い出したような気になって、罪の意識を僅かに感じていた。
しかしそんな罪悪感より胸に蟠ったのは
この場を後にする彼女に対して、五十嵐さんが目もくれていなかった事だ。
「高橋さんもう帰るの?」
廊下ですれ違った部員に、そう話しかけられている声が室内まで届いて
昨日五十嵐さんの下で仰向けになっていた後輩の名が知れる。
人の名前を覚えるのが苦手な私は、すぐにだって忘れる事が出来るはずだった。
なのに頭の中では「五十嵐さんと高橋さん、五十嵐さんと高橋さん…」と
何度も繰り返し、二人の名前が読み上げられてしまっていた。

366: ◆YURIxto...
09/02/10 01:14:55 Egq9GWdx
やがて室内の賑わいは一層増していく。
人が増えたのではなく、部員達で何か計画を立てているようだった。
「よーし!今日は月一のお茶会の日に決定だー!」
まるで大人のする飲み会のように、その場にいるほとんどが拳を掲げていた。
あのハイテンションについていけない私は
きっと大人になっても同じように遠巻きで眺める事になるんだろう。
私以外の席についていた全員が、次々に立ち上がり鞄を肩にかけていく。
そんな光景の中、一人だけ帰り支度始めない人影があった。
「五十嵐も来るでしょー」
鞄を置いたままの彼女に、気の強そうな先輩が声をかける。
「先輩、私今日中に読みたい本があるんで、残ります」
「なんだよつれないなー」
そう言って先輩の一人が五十嵐さんの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫で回す。
はしゃいだように笑っている彼女。
彼女の部室での過ごし方は、熱心に読書や執筆をする時もあれば
部員達とだらだら喋り明ける時もあった。
誰にも囚われず、その日自分の好きな事をして、笑いたい時に笑う彼女は
誰の目から見ても皆に愛されている人そのものだった。
先輩達に名残惜しまれる彼女を見つめながら
囚われていなくても人と打ち解ける事の出来る彼女へ、羨望の思いを募らせていた。
この学校で、友達を作れない事を寂しいと思った事はないのに、不自然な望みだ。
はしゃぎ合う部員達の姿をぼんやり眺めていると
程なくして室内に流れ込んだ静寂の重さに私はようやく気付いた。
その場は思いもかけない事態となっていた。
先輩達のお茶会を断ったのは五十嵐さん一人で
それに参加しないのが当然となっているのも私一人。
という事は、私達が二人きりになるのは必然に違いなかった。
廊下まで先輩を見送った彼女が部室に戻る前にこの場を出なければと思ったが
私が立ち上がる前に、この部室の空気は私達二人の物になってしまっていた。
こんなところで呆然と腰かけていないで
部室を出ていく人々の群れに紛れて、私も帰ってしまえば良かったんだ
そう思っても後の祭りだった。

367: ◆YURIxto...
09/02/10 01:16:11 Egq9GWdx
「今日も何か読んで帰るの?」
腰かけたまま動けずにいる私に向かって、五十嵐さんは親しげに声をかけてきた。
「えーっと」
正直、今すぐに帰りたかった。
昨日の、あの現場であるこの場所で、二人で空気を共有し合う自信がなかった。
「とりあえず…これを返そうかな」
「見せて」
鞄から取り出した地味な表紙の書籍を、私の手から取り上げると
彼女は隣りの席に腰掛けて、その本をぺらぺらとめくり始めた。
私が何も口に出来ずにいるように、彼女も無言で本に目を通していた。
耳に響いて来るのは、この窓際とは反対側に面しているグラウンドからの
あまりに遠い掛け声と、ページをめくる紙の摩擦音。
時折私達の座っている古い木製の椅子が、きしきしと微かな悲鳴を上げている。
やがてそれらより音量を上げてきたのは私自身の心臓の音だった。
何か口にしなければならない、そう急き立てられていた。
「ご…ご…」
「ん?」
彼女が瞳を上げた時、私はようやく言葉を並べられた。
「ごめん…私のせいで“彼女”帰っちゃったみたいで」
「彼女?」
「た、高橋さん」
「あぁ」
そういえば、といった態度で五十嵐さんは頷いていた。
「別に水谷さんが気にする事じゃないと思うよ」
一番気にすべき本人が、いかにも気にしてなさそうな口調で語りかけてきた。
視線は本に落としたままで“どうでもよく思っているの”を
身体のライン一つ一つから表現しているように感じられた。
昨日目撃された事は五十嵐さんにとって、本気で大した事ではなかったのだ。
そういう神経に、疑念を抱かずにはいられなかったが
目の前の彼女が頬を染めて狼狽えている姿を見たかったかと問われれば、そうじゃないと思う。
あんなに苛立ちを感じていた昨日の声も、昼間の態度も
今私の目の前で平気そうに座っている彼女の姿も
一番しっくり来るというか、他の人とは違う自然な態度というものがこの人にはあるように感じた。
さっきまで逆立っていた自分があまりに間抜けに思えて、私は肩を落とした。

368: ◆YURIxto...
09/02/10 01:17:53 Egq9GWdx
この時、自分から持ち出した話題を、すぐに逸らしていれば良かった。
目の前にいる彼女が本を閉じ、次の言葉を口にした瞬間、私は語気を強めて遮った。
「昨日はさ」
「あの!高橋さんと付き合ってることは誰にも言わないから!」
五十嵐さんの口から、昨日の事について触れられるのがなんだかとても怖くなって
自分から宣言して、この件を終了させようと思った。
けれど五十嵐さんから出てきた返事は、話を落着させるどころか
私の中で渦巻いている雑念を一層かき乱すものだった。
「付き合ってる…?」
思いもよらない言葉をかけられたように、目を見開いていた。
そしてその驚きが収まると静かに、けれど心から可笑しそうに、笑い声をたてた。
「水谷さん、誤解してるよ」
誤解とはどういう事か。あんな真っ最中な現場を見て、そんな言葉を鵜呑みに出来るはずがない。
それとも本当に、何か事情があって、二人あの体勢でいたのか。
制服の下から胸に触れる事情が、卑猥な理由以外に何があるのか、私には思いつかなかった。
「誤解ってなに」
嫌でもまた頭の中で再生されてしまう昨日の二人の光景。
高橋さんの腕は確かに、五十嵐さんの首に絡みついていた。
あれを想いを寄せ合う二人の光景じゃないとしたら、何と説明を付けるつもりか。
「私、誰とも付き合った事ないよ」
―意味が解らない
昨日と全く同じ言葉を胸で唱えていた。
誰とも交際した事がないのは私も同じだから別に不思議とは思わない。
おかしいのは誰とも付き合った事ないという言葉が
高橋さんとも付き合っていないという意味に繋がるからだ。
「付き合ってもないのにあんな事するの?」
驚きを隠せずにいる私の前で、五十嵐さんも少し意外そうな顔をする。
「昨日のあれは、高橋さんが好きだって言ってきたから、触っただけだよ」
「触ったって…五十嵐さんの方は好きじゃないんでしょ?」
「うん、でも嫌いでもないし」
ここまで言い切られてしまえば、驚くのも馬鹿らしくなる。
五十嵐さんとはそういう人なのだ。
そう認識し直してみると、不思議なほど心が落ち着きを取り戻してきた。

369: ◆YURIxto...
09/02/10 01:19:07 Egq9GWdx
部室の両端の机に、山のように積まれた本を二人で物色しながら、会話は続いた。
「高橋さんも、五十嵐さんと同じ考えの人なのね」
想いが叶わない上に押し倒される女の子の心境は、私が考えるところによると絶望そのもので
それを愛しそうに受け入れていた高橋さんも、私にとっては“奇怪な人”に違いなかった。
「さぁね、でも大抵の人はそれで納得してくれるよ
 やる事さえやってしまえば、恋心も熱を失っちゃうもんだよ」
その台詞に似合いの、冷めた笑い浮かべて口にしていた。
大抵の人って、物心ついてから十年ちょっとの間、彼女は一体何人の女に告白されたというんだ。
彼女の顎のラインに沿って揺れている短めの髪は、確かに“格好いい”と表現しても申し分ない。
けれど顔立ちは美麗さと愛らしさを兼ねたような、明らかに“女顔”だ。
女性から黄色い悲鳴を浴びる女性は、決まってボーイッシュな人であると思い込んでいたし
良き後輩、良き先輩として、部員皆の人気者という立場の彼女が
同時に女性から恋愛的な意味で言い寄られてばかりというのは解せなかった。
「そんな単純なものなの」
「十代の恋愛なんて、そこに至るまでのひと悶着が主じゃない?」
この歳になっても恋という気持ちに出会った事のない私には「さぁ」としか答えようがなかった。
わずか十六歳、いや彼女の誕生日を知らないので、もしかしたら十七歳かもしれないが
十代の内に“十代なんて”と言い切れる彼女の気概に、少し感心する。
今日まで一体どういう人生を送ってきたのか、五十嵐さんに対して漠然とした興味が湧いてきた。
そんな思いから、自然と口をついて出た言葉がきっかけとなってしまった。
「五十嵐さんって、この部室そのものみたい」
「え?」
「色んな本を貯め込んで、人に読ませて、また新しい本を取り入れて」
さすがにここに置いてある本の数ほど経験はないんだろうけど、と
彼女に向かって私は笑って付け加えた。
冗談を言ったつもりでいた私は、五十嵐さんも笑っているだろうと勝手に思い込んでいた。
私の身体は机にもたれかけたまま、無防備に背を向け、本の背表紙を眺め続けている。

370:360-369
09/02/10 01:27:06 7wwKpZm2
連稿規制待ちの為一時間ほど失礼しますm(_ _)m

371: [―{}@{}@{}-] 創る名無しに見る名無し
09/02/10 01:31:51 A2nYR4ba
アト三十分でいけるよ
支援入れるね

372: ◆YURIxto...
09/02/10 02:05:56 Egq9GWdx
近い本へ手を伸ばそうと向き直った時、息がかかるほど近くに五十嵐さんの身体があった。
掴まれた腕に呆気にとられ、今度は顔まで寄せてきて、私の顔に直接語りかけてきた。
「19人」
「は?」
「私が今まで女の子に触れてきた数」
その言葉と、寄せられた顔を見て、私はようやく悟った。
この人は“来るもの拒まず”なんじゃない。“先手必勝”の精神を持った人なんだと。
「記念すべき20人目は、水谷さんだったら嬉しいなぁ」
そう言って、彼女は私を机に押し倒してきた。
あの夕暮れに、後輩の女の子の身体へ被さっていたのと全く同じように。
昨日より高く、明るさを持った夕陽に照らされて、彼女の亜麻色に近い髪が金色に染められていた。
私はそれをとても、とても綺麗だと思った。
ずっと見ていたいと思うほどに、とても。
「五十嵐さん…」
自分でも驚くほど落ち着いた声で、私は彼女の名前を呼んだ。
その声に答えるかのように、顔を寄せてくる彼女。

373: ◆YURIxto...
09/02/10 02:07:49 Egq9GWdx
パーン、というには少し鈍い音が響き渡る。
「いたた…」
顔を近付けられた瞬間、私は彼女の頬へ平手を力一杯打ちつけていた。
殴るほど強い平手打ちは、あまり乾いた音を鳴らさない。
じんわりと腫れた頬を左手で押さえながら、彼女の身体はゆっくりと私から離れていった。
そしてさっきまで座っていた場所にもう一度座り直すと、改まった顔で言い放つ。
「拒まれたの、初めてだよ」
この学校の女の子は結構寛大なのになぁ、なんて口にしている。
うちの学校の女どもは全員、色情狂か。
私はまさか毎日顔を並べている同じクラスの女子達も
その19人の中に含まれているのではないかと頭に過ぎって、思わずぞっとした。
けれどそれを確かめる気にもなれない。
19人目である高橋という後輩と抱き合っていた現場を見ただけで私にはお腹一杯だ。
溜息をつきながら、私も五十嵐さんと同じように座り直すと
真隣りの彼女は、傷めた頬をさすりながら、笑いかけてきた。
「水谷さんて、変わってるよね
 この学校で一人だけ違う感じ」
あけらかんとした口調だが、特にばかにされているという気はしなかった。
それでも私はつい、冷たい言葉を放ってしまう。
「しらみつぶしに当たれば私以外にもまだ何人か
 あなたを拒む人がいるはずだよ」
「うーん、そういうところだけじゃなくて」
私の受け答えに噴き出してから、頬へ伸ばした手をあごに当てると、考える仕草を見せていた。
「例えば、迫ってきた私の前に今もこうして座っているところとか」
確かに、と心の中で頷いてしまった。

374: ◆YURIxto...
09/02/10 02:09:31 Egq9GWdx
「陳腐だけど、こういう時女の子って
 『もういや!顔も見たくない!』とか泣いて駆け出していきそうなものなのに」
五十嵐さんは自分の腕を抱いたまま大袈裟に上半身を左右に揺らすと
“襲われかけた少女”の真似をした。
終始笑っているところが人を小ばかにしているように見えるのも確かだ。
もし私が本当にそういう反応を見せていたとしても、同じように笑って済まされるんだろうか。
そう考えると、醜態を見せなくて良かったという安堵感が込み上げてきた。
もちろんそういう態度というのは条件反射に出てしまうもので
私には同い年の女に迫られたぐらいで
泣き出してしまうような神経は洟から持ち合わせていなかった。
迫られる事自体が初めてなので“ぐらいで”と言い切れるかどうかは確信を持てないけれど。
「あんなに強く打った上に逃げ出しでもしたら
 私の方が悪者みたいじゃない」
「ふふ…じゃあこれでおあいこかな?」
喧嘩をしたのとも違ったはずだけれど、私に向かって手を差し出し、握手を求めて来る五十嵐さん。
「私も謝らないから、水谷さんも謝らなくていいよ」
時間が経つほどに腫れていく彼女の左頬を見ながら、私の方こそ謝るべきかとも思ったが
そう言い切る彼女に甘えて、私は黙って頷いてから、握手に応じた。
そんな私を見て、五十嵐さんは満足げな表情を浮かべる。
しばらく沈黙が流れていたが、彼女は笑顔のままだった。
釣られて私まで笑みが込み上げてくる。
引きつったものではなくて、自分でも不思議なほど自然にこぼれてきた笑みだ。
私の隣りにいる事を楽しんでくれているかのような
そんな空気が慣れなくてこそばゆいけれど、私はこの空気を好きだと思ってしまった。

375: [―{}@{}@{}-] 創る名無しに見る名無し
09/02/10 02:09:49 A2nYR4ba
   

376: [―{}@{}@{}-] 創る名無しに見る名無し
09/02/10 02:10:41 A2nYR4ba
  

377: [―{}@{}@{}-] 創る名無しに見る名無し
09/02/10 02:11:33 A2nYR4ba
 

378: ◆YURIxto...
09/02/10 02:13:30 Egq9GWdx
>371ありがとうございました

中途半端なとこですが、前半です
後半は今週中に上げます

379:創る名無しに見る名無し
09/02/10 02:20:45 WsqF9yoJ
支援出遅れたぜ
水谷さんカッコイイな

380: [―{}@{}@{}-] 創る名無しに見る名無し
09/02/10 02:22:57 A2nYR4ba
投下乙~ぅ

381: ◆KazZxBP5Rc
09/02/10 22:54:32 WsqF9yoJ
投下します

382:お姉ちゃんとは違うもんっ! 1/2 ◆KazZxBP5Rc
09/02/10 22:55:22 WsqF9yoJ
「うーん、今日もいいおっぱいですねぇ。」
「きゃぁっ!」
背筋に寒気が走る。でも、もう慣れてしまった。
「もう、お姉ちゃんっ!」
「油断してるから狙われるんだぞ。」
それは我が家ではよくある朝の光景。
姉のモモはレズビアンで、いままで何人もの女の人と夜を共にしてきた。
私は違う。
私は、ただの普通の女の子。

「ふふっ、アイちゃんったらまた逃げてきたの?」
この子は幼馴染のルイ。ふわふわした感じの性格でなんだか危なっかしい。
「あの悪魔~、いつか絶対復讐してやる!」
「私はいい人だと思うけどなあ。」
それは猫被ってるだけだよ。
「そういえばさっきモモさんから電話掛かってきてね。」
「なっ、なんて?」
「明日の日曜日、お茶でも飲みに行きませんかって。」
あの悪魔、ついに幼馴染にまで手を出すとは。こんな無垢な子を毒牙にかけるなんて。
「だめっ、絶対だめ!」
「心配しすぎだよ、アイちゃん。」
「だってあいつは!」
「知ってるよ、幼馴染だもん。大丈夫、何かされそうになったらすぐ帰ってくるから。」
そうじゃない。
あいつはこれだと決めた人は絶対に落とす。それだけのテクニックを持っている。
だから最初から誘いに乗ってはいけない。
「心配しなくていいよ。」
ルイ、笑って受け流しているけど、あんただから余計心配なんだよ。

結局、ルイを止めることはできなかった。
そしてさらに悪いことに、私は翌日寝坊してしまった。
既にあいつは家にいない。
急いで服を着て、髪だけまとめてノーメイクで家を飛び出す。
どうか間に合って。

383:お姉ちゃんとは違うもんっ! 2/2 ◆KazZxBP5Rc
09/02/10 22:56:48 WsqF9yoJ
駅前のオープンテラスのカフェで二人を見つけた。
遠くからで会話はよく聞こえないが、ルイは深刻な顔で何か話している。
多分お悩み相談でもしているんだろう。
もう。そういうところから隙を付かれやすいんだから。
少しの間物陰から様子をうかがっていたけど、もう耐え切れない。

途中で私に気付いて驚くルイ。一方、あいつはこっちをちらっと見ただけで、そのままジュースをすすっている。
「お姉ちゃん、今すぐルイを放して。」
「アイちゃん、違うの。これは……。」
もう手遅れだったの? そんな奴をかばう必要なんか無い。何が違うもんか。
ストローから口を離すと、あいつは無茶苦茶な条件を私に叩きつけてきた。
「いいよー。そのかわりアイがルイとちゅーしたらね。」
「モ、モモさん!」
慌てふためくルイ。そりゃそうだ、こんな場所で女同士でキスなんて。自分と同じ基準で考えないで欲しい。
と思っていたのに、いつの間にかルイはすっかり落ち着きを取り戻していた。
「分かりました。」
そう言うとルイは目をつぶって私の前に顔を突き出してきた。
えっと……。
「ちょ、ちょっと待って、何なのよこれ?」
「あんたも素直になりなさいよ。」
「素直にって、私は……。」
言葉に詰まる。迫るルイの唇。ああ、もう、分かった分かった!

ちゅ。

触れ合ったのは一瞬。でもなんだか甘い感触がして、危うくそのまま飲み込まれてしまいそうだった。
「おめでとう。」
あいつが楽しそうに笑って拍手を送る。そしてルイは頬を染める。
「私ね、ずっと前からアイちゃんのことが好きだったの。」
さっきの反応はそういうことだったのか。意外な事実なのに頭は割と冷静だった。
「さっきそれ聞かされて相談に乗ってたのよ。」
「で、何て言ったの?」
「アイもルイのこといつも気にかけてるみたいだから、きっと大丈夫よって。それに、私の妹だしね。」
「わ、私は、お姉ちゃんとは違うもんっ!」
「いい加減認めたら?」
不意にルイと視線が合う。「アイちゃんは私のこと嫌いなの?」って目だ。違う、そうじゃなくって……。
私はルイの手を握って、叫んだ。
「私は、お姉ちゃんとは違って純情なんですっ!」

384: ◆KazZxBP5Rc
09/02/10 22:57:33 WsqF9yoJ
おわり

385: [―{}@{}@{}-] 創る名無しに見る名無し
09/02/10 23:01:22 A2nYR4ba
純情…そっちかあ

386:創る名無しに見る名無し
09/02/11 01:27:31 zj66WJFo
>>378
元々百合っ気が無かった人(ここでいう水谷さん)が、
段々と百合色に染まっていくような話、個人的には好きです。
とにかく、水谷さんと五十嵐さんがくっつくのか、くっつかないのかが気になって・・・
続きをwktkしてお待ちしてます。

>>382
「ちゅ」に萌えてしまったw


387: ◆YURIxto...
09/02/11 02:36:03 FGvdoH0i
後編行きます
21レス分あるので、二回ぐらい止まるかもしれないです
すみませんm(_ _)m

388: ◆YURIxto...
09/02/11 02:37:31 FGvdoH0i
その日私達はもう、本に手を伸ばす事もせずに
お互いに向かい合ったまま、話を続けていた。
高校に入って、この部活に入って、初めてこんなふうに過ごす放課後だった。
教室でクラスメイトとこんなふうに長い時間話した事もない。
慣れなくて、気も張ったが、私の中で蟠っていたものが流れていくような
そんな時間だった。


その次の日からだ、彼女が廊下ですれ違っただけでも私に話しかけてくるようになったのは。
最初、他の人が近くにいる前で彼女と話をする事にたじろいだが
それも少しずつ慣れてくるようになった。
部活の時も、五十嵐さんは先輩や他の部員達と話をする一方で
時々私のいる隅の席にやってきては、声をかけてくるのだった。
事の発端の当事者である高橋さんは、私と視線が合うだけで帰る事はなくなったが
私が五十嵐さんと話をしているのを見て、すごい剣幕で睨んでいる時があった。
気にも留めない五十嵐さんの態度が伝染ったのか、やがて私も気にしなくなっていた。
それでも、例え彼女と話しをする事に慣れてきても
他の人も聞いているようなところで、私は私の核心に近い言葉を発する事が出来なかった。
それは五十嵐さんも同じであるような気がして、近しい人のように感じていた。

私達は偶然すれ違ったり、部室で居合わせた時位しか話す機会がなかった。
わざわざお互いの教室に訪れたり、一緒に下校するという事もなかった。
私が五十嵐さんと二人きりで話をしたのはこの前の一度きりで
偶然に任せるには、次があるのかさえ検討もつかない。
それでもその機会は、意外とあっさり訪れた。

389: ◆YURIxto...
09/02/11 02:38:52 FGvdoH0i
その日もいつもと同じように部室へ足を向けると
閑散とした室内に五十嵐さんの姿だけがあった。
「あ…」
一人座っている背中に声をかけようとすると
その前に彼女は私の姿に気付いて、同時に立ち上がった。
「あぁ良かった、来て」
ドアの前で立ったままでいる私の前までかけてきて、彼女は嬉しそうに笑いかけてくる。
彼女のこんな笑顔を見たのはこの前、話した時以来のような気がした。
「どうしたの一人で…他の人は?」
「うん、今日は部室でぷちお茶会だからって
 ついさっき買出しに出かけたんだ
 私は部室荒らしが来ないようにお留守番犬」
そっか、と頷きながら彼女が座っていた隣りの席に鞄を置いた。
この前と同じように隣り合わせで二人は腰を下ろした。
「珍しいね、五十嵐さんが留守番なんて」
「うん…まぁね」
部員の皆が買い出しに行くのはよくある事で
そこで五十嵐さんが留守番しているところは見た事がない。
いつもは他の部員の人が、遠慮がちに私まで声をかけて頼んでくるか
毎回私に頼むのに申し訳なく感じた時に、大人気ある先輩が代表して残ったりするのだ。
五十嵐さんは、そういう時に一緒になってはしゃいで買物に行くタイプだった。
こないだみたいに読みたい本でもあったのだろうか。
そう思い至ったところで、この前二人で過ごした時間を振り返った。
一緒になって本を物色したりはしたけれど、五十嵐さんはぱらぱらとページをめくるだけで
結局は二人で話をするだけの時間に終わっていた。
―わざと、残ったの?
そんな疑問を持っても、本人に尋ねられるはずもない。

390: ◆YURIxto...
09/02/11 02:40:05 FGvdoH0i
五十嵐さんとの会話を続けたまま、この前と同じように今日読んでいた本を鞄から取り出す。
積まれた場所に戻そうとすると、彼女もまた同じように
私の手からそれを取り上げるのだった。
「水谷さんはさ、本が好きなの?」
ぱらぱらと中身をめくりながら、五十嵐さんは尋ねてくる。
その質問は、不自然なものだった。
文芸部に所属していて毎日、本を読み漁りに来ている私に
そんな事を尋ねてくるのは、きっと五十嵐さんをおいて他にいない。
そしてそれを尋ねてきた彼女は
きっと私が“好きだ”と当たり前みたいに口にしない事を理解している。
たった一言の質問で、五十嵐さんがどこまで私という人間を把握してるか、わかり得た気がした。
「好きとはいえないね
 他にする事がないから、読んでるだけだし」
「そっかぁ」
私の情けない返答に、彼女は表情も変えずに頷いた。
なんだかそれに、とても心が安らいだ。
「よかった」
「なにが?」
「それなら、私が話しかけても読書のじゃまにはならないかなって思って」
意外な事に、五十嵐さんは私に声をかけながら自分が
私のしている事の妨げになっていないか心配しているようだった。
あまりに見当違いな気遣いだ。
「それは…」
「違う?」
「いや、じゃまだなんて思ってないよ」
それは確かだった。
けれど私が本に目を落としている時に、五十嵐さん以外の人に声をかけられたとしたらどうか。
私はそういう人との会話を避ける為に、本を盾に利用しているのだ。
そうした、さっき口にした事より更に情けない話を口にしかけて、慌てて仕舞い込んだ。
聞かされても何にもならない話だし
その上“なぜ彼女だけ特別なのか”という疑問に辿りつくだけだった。
自分でもわからない疑問を、他人にぶつけるわけにはいかなかった。

391: ◆YURIxto...
09/02/11 02:41:27 FGvdoH0i
「ねぇ、水谷さんはなりたいものってないの?」
途端に話題を変えてくる。これはあまりに唐突な質問だった。
「…考えたこともないな」
本当に、考えた事がなかった。
今五十嵐さんが尋ねて来なければ
その疑問を頭に思い浮かべる事なく一生を終えてたかもしれない。
二年生の二学期の今、受験の準備期を迎えようとしている時に言うには大袈裟な表現だけれど。
「水谷さんはね、司書がきっと似合う」
「ししょ?」
「図書館で本の整理をする人」
「…悪くないかも」
でしょー、と言って嬉しそうに笑っている。
釣られるように私も笑いながら、本当に悪くないと思った。
どうやってなれるものなのかは知らないけれど
この先他になりたいものが見つからない場合は、本気で目指すようになるかもしれない。
「でも水谷さんが司書になっても、私の本は置いてもらえないかな」
「五十嵐さんの本?」
聞き返しながら、五十嵐さんが作家を志している事に、その時気が付いた。
文芸部で小説を書いている部員は、皆趣味として書いていると思い込んでいた私は
それを夢に持つ彼女に驚くと同時に、どこか眩しく見えるような気がした。
しかし五十嵐さんの口から返ってきたのは、更に驚くべきものだった。

392: ◆YURIxto...
09/02/11 02:42:40 FGvdoH0i
「私はねぇ、官能作家になりたいんだ」
「かん、のう…?」
「エロ小説家だよ」
そんな下劣な響きに言い換えなくても意味はわかる。
私はそれを夢だと答える五十嵐さんに怯んで、言い返しただけだ。
「この間読んだのは、すごく子供らしい話だったけど」
私は五十嵐さんの書いた話を読んだ日の事を思い出した。
「そりゃあ、部活で出す本にえっちなものは載せられないよ~」
肩を竦めて笑う。私も少し噴き出してしまった。
つまり五十嵐さんは、家で密かにそういったものを執筆しているという事だった。
「水谷さんが読んだ話の通り、私すごく子供なんだよね
 子供心にそういった事を知り尽くしたいって思ってる」
動物園で動物を従えて戦争を始める子供達、という話の過激さと
そういった行為の過激さは、自分にとって同じものだと、五十嵐さんは語った。
もしかしてこの校内を戦場に換えて見ているのか、と私の頭には過ぎった。

393: ◆YURIxto...
09/02/11 02:43:54 FGvdoH0i
「だから…19人と」
「そう」
私の簡潔な一言に、彼女は笑って頷く。
悪びれもしない、その顔を見ていると
本当に悪い事ではないかのように感じられてくるから不思議だ。
五十嵐さんが何をどんなふうに描きたいかは私の理解に及ばないけれど
この歳で、将来を見据えて真剣に勉強している、そういう真面目な面として見る事も出来た。
毎晩塾へ通い、参考書を紐解き続ける受験生とは全く違う勉強だけれど。
「でも普通、それなら男と寝ようとするものじゃないの」
「普通って?」
「いや…ごめん、普通って私にはわかんないけど、なんとなくイメージで」
聞き返されて焦った。“普通”なんて、私が語るにはあまりに遠すぎる言葉だ。
普通の男女の色事なんて、想像にもし難い私は、世間で言う普通からきっとずれている。
自分のそういう部分を鋭く見抜かれた気がして、私は焦っていた。
「私はね、女性の身体を表現したいんだよねぇ
 胸のやわらかさとか、ラインのしなやかさとか」
自分にあるものでも、女性の身体は不思議なことでいっぱいだ
そう、自由研究にでも没頭する小学生のように神妙な顔で述べていた。
「私、女の子が好きなのかな」
今更のように言っている。照れた笑いを見せながら。
私は呆れると同時に、心臓が掴まれたような刺激をわずかに感じていた。

394: ◆YURIxto...
09/02/11 02:45:10 FGvdoH0i
「あのね、そういう夢とか、趣味とか、私は悪い事とは思わないけれど
 学校で手を出すのはもうやめなよ
 もし先生に見つかりでもしたら、退学になってしまうかもしれないじゃない」
「心配してくれるんだ」
五十嵐さんは呑気にからかってくる。
純粋に女性の身体について学びたいだけの彼女が
猿の如く場所も弁えずに発情するだらしのない若者として見られるのは
何だか納得がいかない気もした。
五十嵐さんの欲望と理性の割合は、間違いなく理性が圧倒してるのだと
今までの会話で勝手に解釈していた。
けれどそんな心遣いや理解を本人に伝える理由はない。
「私は平穏に日常を送りたいだけ
 人の、そういうとこ目撃するなんて二度とごめんなの」
私の返した言葉に、首を傾ける。その表情から、がっかりしてしまったように見えた。
「水谷さんは、厳しい事言うなぁ」
「悪い?」
「いいや、処女は好きだよ」
途端にカッとなった。恥ずかしさからではなく、胸をついた怒りが脳に達して顔が熱くなった。
この赤面を“うぶな女の子”と捉えられたらたまらなくて、私は黙ってその場から立ち去ろうとした。
鞄を肩にかけたところで、五十嵐さんは事態に気付いたように顔を上げた。
「間違ったこと言った?」
悪びれもしない声が私の背中に響いてくる。
例え振り返っても、彼女に浴びせる言葉が見つからなかった。
自分でもどうしてこんなに怒りが込み上げてくるのかわからなかった。

私は怒りを表した表情を隠したまま、その場を後にするしかなく
彼女も決して追っては来なかった。

395: ◆YURIxto...
09/02/11 02:47:00 FGvdoH0i
―処女は好きだよ
あの一言が胸から離れない。
ずっと忘れられずに、怒りに火を灯している。

何故こんなにも苛立ちが収まらないのか
自分でもわからないほど、その日一晩、頭は沸騰し切ってしまった。
新しい朝を迎えて、眉を顰める事がなくなっても
不快な気持ちは、いつまでも胸に侵食し続けている。
心から嫌だった事は、きっといつまでも記憶に残り続けるのだと思った。
誰かの言葉で、こんなに嫌な思いをしたのは初めてだった。

言葉なんて、嫌いな響きのものであったとしても
ただ浴びせられただけで、こんなにも不快になる事はない。
“処女”という言葉は、それだけで人を呼びつけでもしたら
きっと失礼に違いないけれど、私は彼女の無礼さに頭に来たわけじゃない。
あけらかんとした彼女の空気を、心地いいとまで思っていた。
どんな言葉も、あの空気の中で言われてしまえば、ただの笑い事に変わったかもしれない。
でもこの言葉は違う。
あの彼女が、私に向かってそう呼んだのは、明らかに私にとっての侮辱だ。
私は五十嵐さんの中で、数ある女性の中の一人として
自分が格付けされてしまったように感じていた。

女性が好きな五十嵐さんにとって、きっと女性は全て道具だ。
官能作家になる為の、道具でしかない。
その中で処女役の一人として、私が彼女の道具の一つに見られるなんて死んでも嫌だった。
死んでも嫌、だなんて本当に死ぬ事がないから言える事だけれど
死ぬほど嫌なこと、以上に嫌だと表現するにはこの言葉しかない。
私はこの先どう惑わされる事があっても“彼女の道具”になる事だけは避けなければと
「死んでも嫌」という言葉を、未来の自分自身にまで、繰り返し言い聞かせていた。

396: ◆YURIxto...
09/02/11 02:48:36 FGvdoH0i
五十嵐さんの声に答えないまま、黙って帰った日から
私の毎日は、彼女を避け続ける日々に変わった。
放課後に部室へ寄る事もなくなり、休み時間に本に目を落とす事もなくなった。
部室でなくとも図書室に行けば休み時間を潰す為の本はいくらでも手にする事が出来たが
ページを開いても物語の世界に入る余地なんかなく、私の頭は既に一杯一杯だった。
私があんなにもたくさんの本を飽きもせず読み続ける事が出来たのは
きっと頭の中がいつも空っぽだったからなのだと、この時初めて気付く事が出来た。

避けている間にも、廊下で五十嵐さんとすれ違う事はあった。
ほとんど話をした事がなかった頃には、クラスの遠い彼女とすれ違ったりなんてなかった。
わざわざ私と会う機会を作る為に、こちら側の水道やトイレを使うようになったのか。
そんな自惚れが正解だったのかはわからない。
怒りに火のついた次の日、廊下で挨拶をされても
私は会釈だけして彼女の前を通り過ぎていた。
その日の放課後、部室へ行かなくなってから、もう彼女と廊下ですれ違う事はなくなった。
彼女の方からも私を避けるようになったのか、そう気にかける余裕もなかった。
このまま会わずにいる事でどうなるのか、それすらもわからずに
ただ一日を過ごすので精一杯だった。

397: ◆YURIxto...
09/02/11 03:03:30 FGvdoH0i
そんな毎日が続いた、ある日の放課後。
帰りのホームルームが終わり、真っ先に下駄箱に向かうという
新たな日課に勤しむ中、展開は訪れる。
「一週間待ったんだけどさ」
下駄箱で革靴に足を収めようとした時、背中から声をかけられた。
振り向かなくてもその声の主が誰かなんてすぐにわかる。
一晩、繰り返し再生し続けた事まであるのだから。
―五十嵐さん
一週間、という言葉を反芻する。
今日で丸一週間だという事はわかっていた。
あの日が忘れられないように、あの日から何日経ったかは一日毎に頭に刻まれている。
彼女も私と同じように、一日一日を数えていたのか。
「そろそろ怒ってる理由教えてよ」
振り向かない私の前方に回り込んで、五十嵐さんは顔を覗き込んで来る。
段差の下の、靴で歩く為の地面に上履きのまま立っているが何も構うところがない。
私より背丈の高い彼女が今は同じぐらいで、視線がごく自然に重なってしまう。
「怒ってないよ」
色のない、どこにもアクセントのつかない声で返す。
そんな声しか出せなかった。
「水谷さんなのに、嘘をつくんだね」
私なのに、という言葉がどういう意味を持つのか理解出来ない。
とりあえず上履きに足を収め直していると、五十嵐さんは段差に足を上げ
私の身体は校舎の玄関とは逆の方向へ押し込まれる。
「来て」
五十嵐さんは少し乱暴に私の手を取ると
そのまま引っ張るようにして校舎の奥へと歩き出した。
繋がれた手がやけに熱くて、私はそればかりに気を取られていた。

398:創る名無しに見る名無し
09/02/11 03:04:02 SuhYc/yz


399: ◆YURIxto...
09/02/11 03:05:09 FGvdoH0i
旧校舎へ足を向けているので、部室に行くのかと思えば
彼女は一階に留まる事なく、一番上の階まで階段を登り続けた。
息が苦しかった。
四階分の階段なんて、少し草臥れるぐらいで済むはずだが
一週間分の胸の痛みに止めを刺すように、体力と精神力が消耗していくのを感じていた。
「ここなら誰もいない」
辿り着いたのは、今は廃部になった天文部の部室だった教室。
空き教室だけあって、他の部活の人間が荷物を置きに来る可能性があったが
文芸部の部室と同じように、廊下には誰の姿もなく、閑散としていた。

「私しか聞いてなければ、水谷さんは話をしてくれるんだよね?」
話をするようになった日々の中で、彼女が友達と歩いていたところで声をかけてきた時に
私が会釈だけして視線を合わせなかった事を、彼女は自惚れのように捉えていた。
その自惚れが、何ら間違いのないところが癪に障る。
「話すことなんてない」
彼女が握ったままの手をはらうと、私は彼女から離れるように身を引いた。
追いかけては、来ない。
「話せないだけでしょ」
その言葉に顔が熱くなる。何故この人は的を得た事を言うのだろう。
逃げるように離れたのに、遠い視線がやけに痛い。
「何に怒ってるかわかんないけど
 水谷さん私の事で気に病んで、ずっと困ってるんでしょ?」
「自惚れないで!」
自分でも驚くほど張り上げた声を出していた。
「自惚れじゃないもん」
拗ねたような顔をして、五十嵐さんは反論した。
「本当の事じゃん」
その通りだった。その通りすぎて、こちらから出すべき言葉が見つからない。

400:創る名無しに見る名無し
09/02/11 03:05:38 SuhYc/yz


401: ◆YURIxto...
09/02/11 03:06:18 FGvdoH0i
「あのさ、今私の顔見るのも嫌なのかもしれないけど
 私と会わずに済めば解決する事なの?
 そうじゃないなら、荒療治でも私に解決させてよ」
荒療治ってなによ、と胸の中で呟く。この人は本当に、変な事を言う人だった。
変な言葉ばかりを並べる人。だけれど、その通りの事を言う人。
私の問題を解決出来るのは確かに彼女しかいなかった。
「大体、私が消えて解決する問題でも困る」
切羽詰った声に顔を上げると、本当に困った顔をしている五十嵐さんがいた。
「私は水谷さんと一緒にいたいのに」
「…なんで」
「理由なんて…いないとやだからに決まってるじゃん」
私が知りたかったのは、そういう気持ちが、どういう意味から生まれるものなのかという事だった。
自分でもわからずにいる事を、相手に尋ねるのも無粋なものだ。
私のすべきは、自分の言葉で自分の気持ちを彼女に訴えかけるという事だった。
そう思っても、正確な言葉が出てこない。一週間も考えたのに、わからない。
結局また、尋ねる事しか出来ずにいる。
「他の人と…違うって言えるの?」
「え?」
「その19人と、部員の人達と、クラスの友達と…
 私が違うなんて言えるの?」
言い終えてから再び顔を伏せた。彼女がどんな顔をしているか見る事が出来なかった。
やがて流れてくる沈黙。
今までつらつらと言葉を並べていた五十嵐さんが、今は言葉に詰まっている。
もうこの場から逃げ出してしまいたい気分だった。

402:創る名無しに見る名無し
09/02/11 03:06:27 SuhYc/yz


403: ◆YURIxto...
09/02/11 03:07:22 FGvdoH0i
「水谷さんは…」
「やめて」
ようやく言葉を続けようとした五十嵐さんに向かって
私はほとんど睨みつけたような眼差しで牽制した。
彼女の言葉を聞きたくなかった。
彼女の口から私について語られるのが恐かった。
自分から尋ねておきながら、彼女に答えを出されてしまうのを絶望と感じていた。

けれど私の睨みっ面ぐらいで言葉を失う五十嵐さんではない。
私とは対称的に落ち着いた視線で語りかけてきた。
「好きなんだ」
「なに…」
あまりに突然投げかけられた言葉に、私は混乱して、色のない言葉を発する。
「水谷さんと話すのが」
続けられた言葉に、思わず肩の力が抜ける。
張り詰めた空気の中、ようやく息が吸えた気がして、救われた。
「い…五十嵐さんが勝手に喋ってるだけじゃない」
「そう、水谷さんだと自然に言葉が出てきちゃう」
自分でも不思議なんだけどさ、と付け加えながら五十嵐さんは首を傾げた。
「それに答えてくれる水谷さんの言葉も好きなんだよ
 思いもかけない言葉が返ってきても
 飾りがないっていうか、嘘がない安心感がある」
全く同じ事を、私は五十嵐さんに対して思っていた。
その言葉が自分に返って来た事に驚いて、目を丸くする事しか出来なくなる。

404:創る名無しに見る名無し
09/02/11 03:08:03 SuhYc/yz


405: ◆YURIxto...
09/02/11 03:08:32 FGvdoH0i
「だから一緒にいたいんだよ、楽しみが無くなるのは嫌だから」
勝手な言葉を、並べていた。でもそれが五十嵐さんらしかった。
この人の自然体は、他の人とは違っていて、私はそれをとても尊いものだと感じていた。
そう思うのなら、彼女の望む通りに頷くべきなんだ。
けれど彼女自身が勝手なように、私にも勝手な想いがある。
私も彼女と同じように、勝手な望みをぶつけていいのか、わからなかった。

視線を重ねたまま、ただ言い澱めていると
五十嵐さんの指が私の指先に触れてきた。
近付かないようにしていたはずなのに、気付けば私の目の前に五十嵐さんが立っている。

顔を寄せてくる五十嵐さんが怖い。
身体を近付けられる事は何も怖くない。
この前みたいに押し倒してきても、また平手を打てばいいだけの事だ。
五十嵐さんは人を押し倒す腕力はあっても、人を無理やり押さえつける神経はない。
そういう面で、信用していた。
私が恐れていたのは、五十嵐さんが今私に向けて心を近付けているのを感じたからだ。
それが誤解だったとしても怖い。
私の心は既に彼女の中にあったからだ。


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