09/02/26 18:39:23 vz6mwEIs
教室の一室で向かい合う教師と生徒、野暮ったいスーツに眼鏡をかけた男性教諭は
大きく鼻息をならすと目前にいる生徒の顔を見つめる。
肩に掛かった艶のある髪がはらりと撫で落ち、切り揃えた眉の下で机の上を見つめ
薄く目を開けている。
「国木は進路希望が”特になし”になっているけど?
実際の所どうなんだ、就職する気もないのか?」
「はい」
「何か希望する職業とか夢とか……やりたいことはないのか?」
「特にありません」
けだるい表情を浮かべ生徒がそう言い放つと、教師は困惑した様子で頭をかいた。
虚ろな目でただ机の上を見つめ、何事かを思案しているように見えるかと思えば
不意に窓の外へと目を移し、窓の外で揺れる木陰を目で追っている。
「三者面談でお母様が来られないのでは……」
「うちの母親も就職しろって言ってます」
「……母親ね」
まるで他人の親を語るかのような生徒の言葉に遮られ、教師は繋ぐ言葉を失う。
成績、素行共に平均、これと言って学力が低い訳でもない、母子家庭に生まれ
祖父母に預けられたその人生の軌跡によるものなのか、彼女は対人能力が欠如していた。
「水商売以外なら何でもいいです」
「何を言ってるんだ、国木……もういい、帰りなさい…気をつけてな」
後ろから声をかけられ、彼女は形ばかりに浅く会釈をすると、教室内から退室する。
他の生徒の姿もまばらになった校内の廊下を歩き、教室の机の前に立つと帰る支度を始める。
「……どこか…遠くに行きたい」
彼女がそう呟くと窓際に立ち、校外に見える景色を眺める。
自らの今後を想像する度に厚く積もった不快感が心を満たしていく、
つい先日、乳飲み子を祖父母に投げやり、養育費などついぞ払ったことのない母がふらりと現れ、
突然、彼女を引き取ると言い出したのだ。
アルコールで焼けた眼球に染み付いたヤニの臭い、彼女にとっては母も含め、全ての人間が不快だった。
綺麗事を並べ他人を不幸にして、自分は幸福にすがろうとする浅ましい人間。
「死ねばいいのに……あんな奴ッ!」
蹴り飛ばした椅子が勢いよく倒れると無人の教室内に床を叩く音が響く、
彼女に限って言えば好きこのんで、人間不信になったのではなく、
嫌いな人間がいるから人間不信になったのだ。
家に帰ればまたあの女が我が物顔で酒を飲み、”母親の用意した就職先”を執拗に勧めてくるだろう。
肝臓を悪くし立てなくなった母の代わりに子が働く、よくある美談に仕立て上げ
涙ながらに訴えようが滑稽な嘆願であることには代わりはない。
(あんな女に私の幸福を奪う権利なんてないんだ……)
少女は歯噛みながら教室を飛び出すと玄関先から外へと歩き出す。
そこに違和感を感じるまでの数秒、彼女には眼前の光景を目にして思考が静止する。
身の丈2mはあろうかと言う巨大な襤褸切れがただ忽然とその場に立っていたのだ。
『ならば…貴女が狩れば宜しかろう』
唸るように低く くぐもった声で何者かが彼女にそう語りかけてきた。