09/11/24 07:36:06
「戦旗派由来」説について。
ここで言う「戦旗派」とは、「日向派」=今のアクティオになっていく連中の
ことではなく、日向派・西田派・プロ戦派・国際主義派に分かれる前の
「戦旗派」のことだと理解すべきなのだろう。
この「戦旗派」は他のブント諸派から「ブント内革マル派」「第二革マル」と
呼ばれて非難されていた。それは、私の理解によると当時の「戦旗派」は
イデオロギー的に「反スタ」を掲げ、内部では黒田本を読んでいたためで
あったからではないか?
むろん「戦旗派」は革マルとの共闘などはしなかったし、川口君虐殺事件後の
「早大解放闘争」では「戦旗派」も参戦していた。
けれど「戦旗派」が「黒田哲学」に一定の評価をしていた以上、「戦旗派」の
4分裂によるどさくさのなかで、「黒田哲学」支持へと突き進み、カクマル
ないしJR総連との共闘、合流へと暴走していく部分が出現したとしても、
何も不思議はないのでは?
第一次ブント分裂後の「戦旗派」が丸ごと、黒田を当時「議長」としていた
革共同全国委員会に合流していったように…。