09/02/21 23:22:35
>>201
ああ、あなたも私たちと一緒にやりませんか?
聞くところによると「共産趣味者」という人もいまや希少な存在となってしまいました。
多くの仲間、多くの同志と一緒にこころざしを共にしませんか。
私たちはまだ若い、どんなに時間がかかろうとも会社の改革をやりとげます。
207:情報将校@共産趣味者
09/02/22 04:12:22
>>206
あいにく小生は社外の者なので、直接接触するのは難しいのですが
踏みとどまって苦闘しているみなさんのことを連日思いつつ、PCに
向かっているのですよ。
続きを応用スレでやるのは田屋一派の監視もあって難しいでしょうから
他の建コンスレ「コンサル社員は人生損してるって・・」や「地学系の
就職先」あたりでやりましょうや。
少なくともここはあんたらの居場所ではないですよ。勿論、応用の
経営陣&御用組合の正体を訴えていくことは重要でしょうけど。
協会の人たちはそもそも応用地質という会社の存在自体知らない
でしょうし。
では、住宅・建設業界板で会いましょう。
208:革命的名無しさん
09/02/22 06:58:08
>>207
そうでしたか…
社外のお人だったとは
「目から鎧」のアッチョンブリケ。
209:革命的名無しさん
09/02/22 07:03:41
>私たちはまだ若い、
こういうことを書くようになると若くない証拠なんだが・・・
210:(仮称)名無し邸新築工事
09/02/22 09:30:26
>>199、>>200、>>207
一つだけ…お願いです。(応用地質労働者です。)
「諸形態」(資本制生産に先行する諸形態・経済学批判序説)を中心に語られる唯物史観は魅力的ですが、
20世紀の歴史現実の展開との整合性についてはみんな苦労し議論百出だったように思います。
19世紀に書かれたことによる制約があるのかも知れません。そのへんはいま、どう考えられているんでしょうか?
皆さんの書込みを読んでの私見ですが、唯物史観そのものはそこで閉じられたものではなく、
その後の現実と対峙して現われてきた新しい哲学(実存主義も含め)や科学(特に物理学や生化学)の成果を取り入れて
今風に「発展」し書き換えられつつあるのかな?と・・・・感じる時があります。
ただ、私のように土日もこうして休日残業に会社に出てる人間にはそれを調べる時間も足りません。
簡潔に学説史のレビュー、現在の主流を教えていただけませんか。
これは哲学的問題ですが、私たち専従活動家を持たない労働者にとっては、現実と切り結ぶ切実な問題だとは認識しています。
211:(仮称)名無し邸新築工事
09/02/22 13:05:49
>>210 です。
あぁ、ちょっと漠然として焦点が絞れてませんでしたね。スイマセン。
とりあえず、スルーしちゃっていいっすよ、thru- thru-
急ぎませんから、あとからでもいいっす。
一応、所有と生産様式の歴史理論や共同体と国家の歴史理論に、最近どういった変更が加えられ、
それが、私たち労働者がどう闘うかについて、現代の道しるべになり得るか、ということです。
具体的には、応用地質の経営者や労働組合を見ていても、意識の根底はまだ「封建社会」のままなんじゃないかな?
どうしたらいいのかな? ということなんです。
212:革命的名無しさん
09/02/23 22:57:15
あゎゎゎ、、
みなさんはどうして政党や協会などの政治組織に属して平気でいられるんですか?
ボクも、今は、いち技術者として食っていくために会社という組織に属してはいるんですが・・・
213:(仮称)名無し邸新築工事
09/02/25 07:44:10
あ、
どうもお邪魔様のようでしたね。
失礼しました。
退場します。
214:革命的名無しさん
09/02/28 22:54:41
福島さぁん、北朝鮮のお薬頂戴!
215:革命的名無しさん
09/03/01 04:20:32
あなたのテポドンぶっ込んで、アッヘーン!
216:革命的名無しさん
09/03/01 11:50:29
発射 精 準備中
217:革命的名無しさん
09/03/01 16:33:26
北朝鮮の麻薬でアヘアヘ社民党
218:革命的名無しさん
09/03/05 22:00:42
Taepodon-2 manmanse!
219:革命的名無しさん
09/03/06 09:59:23
もっと、協会・社青同の話しを!現在の話はもちろん、昔の思い出話しや
エピソ-ドもふくめて、お願いします。
220:革命的かながわさん
09/03/06 16:54:06
今年の山梨で開催された全国青年団結集会には例年になく多くの仲間が集まったそうだ
記念講演では、関東バス労組陸川委員長が「関東バスにおける組織拡大と09春闘の青年の課題」を話した
私鉄の人間が全国でも頑張っているんだと関心!
また、神奈川では3・11米軍座間キャンプ正門前で座り込み抗議行動も展開するらしい
当日はイラク派遣で苦しんだ元米兵も抗議行動をするとのこと
平日だが神奈川座間へ結集しよう!
221:革命的名無しさん
09/03/06 16:56:25
>>220
3・11米軍座間キャンプ正門前で座り込み抗議行動って主催はどこなんですか?
222:革命的名無しさん
09/03/06 20:26:23
「労農派マルクス主義―理論・ひと・歴史」読んだ。
面白かった
223:革命的名無しさん
09/03/06 21:58:14
ただ、その労農派末裔の最大派閥が「社会主義協会(ウルトラスターリニスト)」ってのが悲劇なんだけどね。
224:革命的名無しさん
09/03/07 22:35:31
URLリンク(503.jp)
社青同の着メロサイト見つけたぞw
「社青同行進曲」って何だ?誰か歌詞教えてください。
225:革命的かながわさん
09/03/09 12:35:39
社青同行進曲 作詞:松本重延 作曲:岡田和夫
闘いのなかで 胸に火をともえ 情熱は大地焦がす
※青年の未来を築く砦 進め進め社青同 たーどー
闘いのなかで 誓い合うわれら スクラムは固く うたごえは空に響く
※青年の未来を築く砦 進め進め社青同 たーどー
闘いのなかで 結ばれるわれら 瞳は輝き 太陽はふたりを照らす
※青年の未来を築く砦 進め進め社青同 たーどー
これで間違いのではないでしょうか?
歌えはしませんが…
221 :革命的名無しさん:2009/03/06(金) 16:56:25
>>220
3・11米軍座間キャンプ正門前で座り込み抗議行動って主催はどこなんですか?
ピースサイクルだった気がします
226:革命的名無しさん
09/03/09 13:28:31
>たーどー
これは何?
227:革命的名無しさん
09/03/12 20:53:39
共産主義者の大東亜戦争責任(1/3)
URLリンク(www.youtube.com)
共産主義者の大東亜戦争責任(2/3)
URLリンク(www.youtube.com)
共産主義者の大東亜戦争責任(3/3)
URLリンク(www.youtube.com)
228:小ブル社民
09/03/20 19:08:07
>>219同志も書いているけれど、
協会はともかく、社青同の昔話がわかる書籍って少ないよね。
何年か前に東京地本がだした本のなかで、山崎さんがすこし語っていたけれど。
新左翼諸派も民青も、正史・個人史ふくめていろいろあるのに、なぜ社青同ものの歴史本てすくないのだろう。
229:革命的名無しさん
09/03/20 19:23:31
誰だって忘れたい嫌な思い出くらいあるさ。
230:革命的名無しさん
09/03/20 19:34:31
日本一の嫌われ男は?
231:革命的名無しさん
09/03/20 19:39:40
アメリカとグルになってスパイと呼ばれた男
232:革命的名無しさん
09/03/20 19:46:22
アメリカとグルになってスパイごっこすなわち国内普遍のファッショ体制作りに励んで来た乞食日本民族!
アメリカとグルになってスパイごっこすなわち国内普遍のファッショ体制作りに励んで来た乞食日本民族!
アメリカとグルになってスパイごっこすなわち国内普遍のファッショ体制作りに励んで来た乞食日本民族!
アメリカとグルになってスパイごっこすなわち国内普遍のファッショ体制作りに励んで来た乞食日本民族!
アメリカとグルになってスパイごっこすなわち国内普遍のファッショ体制作りに励んで来た乞食日本民族!
アメリカとグルになってスパイごっこすなわち国内普遍のファッショ体制作りに励んで来た乞食日本民族!
アメリカとグルになってスパイごっこすなわち国内普遍のファッショ体制作りに励んで来た乞食日本民族!
アメリカとグルになってスパイごっこすなわち国内普遍のファッショ体制作りに励んで来た乞食日本民族!
アメリカとグルになってスパイごっこすなわち国内普遍のファッショ体制作りに励んで来た乞食日本民族!
アメリカとグルになってスパイごっこすなわち国内普遍のファッショ体制作りに励んで来た乞食日本民族!
アメリカとグルになってスパイごっこすなわち国内普遍のファッショ体制作りに励んで来た乞食日本民族!!
233:革命的名無しさん
09/03/20 20:09:59
スパイごっこ=アメリカと吊るんだ乞食日本民族ファッショ統制の端緒導入部であった!
以降乞食日本民族どもの良心は極めて希薄になり遂には野獣なみのファシスト的心情を
吐露するに至り社会破壊活動の原動力となったのである!!
234:小ブル社民
09/03/28 12:04:28
マンガの話で恐縮ですが、
「モーニング」で読み切り連載として始まった『カレチ』、読んだ人いる?
国鉄が国鉄であったころの、労働者が労働者であったころの、なかなかいい話。
第1話・第2話とも、僕は泣けてしまいました。
235:革命的名無しさん
09/03/28 12:31:43
ねえ、チュチェ研の瑞穂さあ~ん、テポドンの破片が落下したらどう責任とるの?
236:革命的名無しさん
09/03/28 14:45:45
射精童、テポドン発射せよ!
どぴゅっ!
237:革命的名無しさん
09/03/28 16:50:29
青は朝鮮へ逝け
238:革命的名無しさん
09/03/28 17:19:41
青は朝鮮の巣だろ!
239:革命的名無しさん
09/03/29 08:45:36
連合系労組内の教会派って恥ずかしくないの?
240:革命的名無しさん
09/03/29 16:14:22
>>239
どこに多い?JPUにもいる?
241:革命的名無しさん
09/03/29 20:06:51
自治労・日教組・私鉄総連あたりだろ
242:革命的名無しさん
09/03/31 13:47:16
全農林とかもな。
243:革命的名無しさん
09/03/31 19:39:50
URLリンク(www.nicovideo.jp)
244:革命的名無しさん
09/03/31 20:04:18
協会から誰が入閣するかな?
又市と峰崎はいけるよね。
副大臣も含めたら入閣祭り状態に!
245:革命的名無しさん
09/03/31 22:05:50
>>244
坂牛協会は悔しくてたまらんだろうなぁ
246:革命的名無しさん
09/04/02 21:15:13
235さんへ ミズホさんは、チュチェ研ではないでしょ。
237.238さんへ 青とは解放派のことです。
239さんへ 連合発足より今年で20年、さすがにもう責められません。
242さんへ 全農林は、太田派だよね。
245さんへ 坂牛協会の人々は、気にしてないでしょ。
247:革命的名無しさん
09/04/02 22:58:32
そもそも協会の思想と主体思想とは、別物。教祖も教義も別。
同じ仏教でも日蓮宗と浄土真宗が違うように。
248:革命的名無しさん
09/04/02 23:05:46
森田健作が千葉県知事に出世したけれど、最初の選挙は連合系で出た。
連合は森田健作擁立について、自民党に移った時どのように総括したのだろう?
249:革命的名無しさん
09/04/02 23:42:41
森健が参院選に連合候補で出たとき、協会は、対応が三つにわかれた。
(92年)内田候補を取り組んだ人。マジで森健をやってたおバカ。
立場上、両方やった人。(内田をマジで、森健は、適当に)
250:革命的名無しさん
09/04/02 23:48:48
「社会主義」には内田氏応援文が掲載されてたな
251:革命的名無しさん
09/04/04 01:00:04
協会・社青同外伝なんて出ないかね。
252:革命的名無しさん
09/04/04 07:02:39
内田選挙に関わったけど、あれで協会(っていうか社会党左派)の駄目さが身に染みた。
だから社会党がダメダメになっていくのも想像がついたよ。
253:革命的名無しさん
09/04/04 12:56:39
どうダメだったのか、具体的に聞かせてくださいな。
254:革命的名無しさん
09/04/04 13:12:13
俺が森田選挙の時に目撃した光景は、連合と社・民(社民連も一応)共催の支援集会で仕込みの発言者が
協会で用意されていたことかな。ちなみに俺は社民連会員だった。
255:革命的名無しさん
09/04/04 13:28:48
ほとんどの社会党議員は小選挙区制に賛成したじゃねえか
256:革命的名無しさん
09/04/04 14:34:33
自分は、内田選挙一辺倒だったから、そういう場面にあったことがないので、
貴重な話しに感謝。たぶん創る会系か連合への雪崩込み志向グループと思われる
る。小選挙区制問題は、ただしい指摘だ。
257:革命的名無し
09/04/04 15:51:49
254の話だけど、社民連からも仕込みは入れたんだよ。田さんの所でバイトして
いた学生。こいつがいきな青春モード全開で「われわれ若者は森田候補を全力で
支持するぅ」とやった時は、俺を森田氏の選挙に振り分けたKを恨んだよ。
後日談として、仕込みの学生は後に世田谷区議に当選したが、2度目の選挙で買収
が発覚。再選後粘った末に辞職した。
258:革命的名無しさん
09/04/04 16:16:32
本来なら協会が内田を全力で支援するはずだろ、あの時国会議員で内田選挙にかかわって
いたのは田・国弘・いとう位、上哲なんてPKO国会の義面闘争でさんざんアジってたのに
選挙になるとトンズラだもんな。
259:革命的名無しさん
09/04/04 22:13:44
内田選挙を戦った人々に除名をふくむ処分が出されたが森健が背信行為
をしたので厳重注意に落としてウジャムジャにされた。都本部委員長は、
辞任という投げだしでごまかした。都本部大会は、大荒れだった。
260:革命的名無しさん
09/04/05 00:33:51
内田選挙真面目やった社会党員は、ある意味かわいそうではあったな
選挙では市民派、セクトに叩かれ・絡まれ、党内では処分もの
261:革命的名無し
09/04/05 01:37:36
森健選挙は、総評を連合に発展させてそれまでの労組の弱点でもあった企業別から職種別に移行させるべきだったのに、
山岸以下の執行部が同盟・民社の路線に乗ってしまったことを示す選挙でもあった。
本当ならば、老人の医療など福祉の充実や年金の一元化など、ソ連型社会主義から西欧型社民主義への転換が次なる課題
であったはずなのに、小沢氏主導の選挙制度改革に走ってしまった。
確か連合のブレーンは内田健三氏(お笑いネタの人物by法大の某教授)であり、特に連合幹部には「社会党解党論」なるもの
を吹き込んでいたと聞く。
森健が連合系候補として政治の世界に出て来たことと、連合の右傾化が顕著になったことが重なる背景には、
連合執行部のアタマの悪さがあった、そしてそれ故に今でも保守・革新の支持層比率が戦後さほど変わらないものなのに、
政権交代で全てオケー幻想に繋がったと思う。
良識ある連合の、協会の人たちよ、民主党のような自民党分家ではなく、新しい社会党を作り直して欲しい。自分は民主党
にも今の社民党にも飽き足らない人(少数派かな)で、白票を投じに行くことが我慢出来なくなっているのだ。
262:革命的名無しさん
09/04/05 10:01:03
260さんの言う絡まれ、叩かれていたのは、内田と森田両方やってた社党員
じゃない?立場上、両方やった人が市民派の人に「よく森田をやれますね」
て言われたといっていたもの。すっきり内田選挙で突っ走っている人に対し
絡んでもしようがないもんね。
263:革命的名無しさん
09/04/05 10:30:12
森健選挙が社会党解党への序曲だったよね。93年には総選挙惨敗→細川内閣参加
94年に自社さ政権。あれで社会党を軸にした政治ブロックが完全につぶれた
264:革命的名無しさん
09/04/05 11:11:17
社会党議員が小選挙区制を支持したのは、議員の集団自殺だ。と笑われて
いたが、民主主義自体の自殺行為だった。そのなかでも反対票投じた社会
党議員がおり、参院では、否決になったことを忘れては、いけない。とこ
ろが協会のなかにこの反対票議員を弾劾していた残念な人達がいた。それ
は北海道・東北グループだけでなく、普段教条的なことを言っている人達
のなかにも見受けられた。後に社民党で名誉回復がされたようにどっちが
正しかったか明らかであろう。
265:革命的名無しさん
09/04/05 11:41:14
当時の新左翼党派(熱田派系)は小選挙区制に反対した社会党議員と新左翼・市民派が
合流して新党を結成しようとする構想があったけど、ほとんどの議員は動かず、結局平和
市民レベルの少数分裂で終わってしまったよね。
266:革命的名無しさん
09/04/05 16:03:52
いわゆる岩井構想に熱田の一部も乗ってたが、結局バラバラに空中分解
>>262
比例区社会党・社民連問題では各地区・選対で大もめだった。
267:革命的名無し
09/04/06 00:32:30
社民党躍進スレで質問した方が良いのかもしれませんが、こちらの住民さんに親しみ
を感じているので、教えて下さい。
護憲連合が平和フォーラムに模様変えした時に、キリスト者政治連盟とか外れたグループ
があるようなのですが、どうしてなのでしょうか?
268:革命的名無しさん
09/04/06 00:52:16
全国的にはわからんが、地元ではキリスト者の活動家の人は
新社にいって、選挙にも出てたな。大惨敗だったけど。
269:革命的名無しさん
09/04/06 21:50:56
266の話し思い出した、比例区社会党は、社会党票を取るため、社民連は、
田さんへの義理だてだったと思う。でも内田さん当選には必死にだけど
なんで裏切った社会党の支持を入れるんだという人がいても当然で、てい
ねいな説明が必要だったろう。PKO反対の社会党票が広範にあるんだか
ら取りこまない手はないことに理解を求めるしかなかった。
270:革命的名無し
09/04/06 23:10:31
>>269
当時の社民連の候補者名簿は最初、議員秘書とかが大半を占めていた。後に平和市民に
乗る人たちを田さんが口説いている最中で正式に発表出来なかった。が、ある日E代表が
政界を引退して歴史小説か何かを書いていたサラリーマン新党の青木さんを、勝手に口説いて
1位に据えることにしてしまい、田さんは社民連より内田氏に軸足を移しました。
あの頃の社民連は、シリウスを新党にするかしないかを巡ってKがEを罵倒に近いことを
したり、結構中の人たちも微妙でした。私は某デザイナーがやっつけで作ってくれた「シリウス
市民クラブ」のステッカーを友人・知人に配りまくってました。
271:革命的名無しさん
09/04/06 23:49:40
広島の栗原さんみたいに闘えていたら、内田候補にも勝機があったろうに
兵庫の左派-協会みたいに東京の協会がまとまっていればと思うと残念だ。
でも内田氏が立ってくれてこれで俺たちも闘えると一緒に動いた国労組合
員も喜んでいた。その一方内田選挙を闘う仲間に食って掛かる某青年同盟
の専従者もいた。彼らはPKOも闘わないで選挙は、森田というのだから
どうしょうもない。
272:革命的名無しさん
09/04/07 00:11:09
>>269
当初から提起されてた戦術じゃなかったので、選対本部の決定に対する
手続き論的な反発もあった。また、市民選挙として捉える向きもあり、そこを
強調していた弁士もいた。社会党内部的には社会党員が引き続き内田選
挙をやる免罪符的意味もあっただろう。社会主義にも社会党への投票を呼
びかける内田候補の躍進で社会党も得票アップみたいなこと書いてあった
と思う。
>>270
社民連サイドの内田選挙というのは当時もあまり聞かなかったので、大変
興味深いです。D氏がEもKも、「あの野郎」呼ばわりしてたのを思い出しま
した。
>>271
本当に心底どうしようもないですね。協会の一本化だけでなく、反PKOが鮮
明だった上哲、外口、斉藤氏あたりもまったくでしたね。
273:革命的名無し
09/04/07 01:17:11
>>272
270です。寝る前に少し。
当時の社民連は田さん(と、たぶんNさんも)は強固なアンチ森健氏でした。
「自衛官募集のポスターモデルになり、PKOよりPKF推進を主張している
だけで失格候補だ」と言っていました。Nさんを「たぶん」としたのは、社民連
内部の思想構造が崩れていたためです。それは何かと言うと、もともと「市民派
社会主義」を掲げて市民選挙を売りにしていたのですが、連合結成時から次第に
KやEが労組側に移ってしまった。同時に解同と労組の関係もあり、Nさんの言葉
でアンチ森健は聞かれなかっただと思います。
労組側への転向は後にKが「連合は最大の市民運動」発言で確かなものになりました。
話を戻すと、社民連内での内田選挙は当初「社会党内部の選挙」でした。積極的
なのは田さんのみ。しかし、私のような脱落組は「PKOの絡みで森健はおかしい」
と思い、長良川河口堰き問題の支援に行くからとか理由を付けて田さんに名簿を流し
たものです。
257氏の話に出て来た学生くん、オバさんが区議会議員で自分が後を継ぐと意欲満々
でした。よく憶えてます。
274:革命的名無しさん
09/04/07 21:59:22
社青同は、本当にPKOを闘わなかったね。院内闘争はともかく大衆闘争
としては、まったく社会党は放棄していたから、社会党護憲派、全労協、
市民グループが共同してPKO闘争を闘かったのだけれども、社会党・
連合が闘わないから取り組めないとの姿勢だった。それに独特の反合闘争
唯一論から集中した政治的闘争は闘えないとの本音もあった。
275:革命的名無しさん
09/04/07 22:13:50
正日天皇マンセー!
276:革命的名無しさん
09/04/07 23:52:55
PKOだけでなく、70年代中頃以降、政治闘争はほとんど取り組んで
いない。政治闘争の実践運動は、党、労組、民主団体が闘うんだとの
立場だから、よく青年政治同盟と名乗れたものだ。失礼選挙だけは、取
り組むらしい。選挙をやらないと社会党から役たたづと見られるから、
これだけは、職場の運動とは別に取り組むとのことだ。むろん選挙は大
事だよ。念のため。ただし森田選挙は御免こうむるが。
277:革命的名無しさん
09/04/08 21:30:36
ようするに社青同とは青年職場実態交流会+青年選対ですね。
278:革命的名無しさん
09/04/08 21:38:06
>>273
どうも。当時参加すると社会党執行部が恫喝してくると言われた全労協・市民派系の
議面前集会にNさんも来て、田辺君には変な妥協はしないように忠告しておいたとい
うようなことを言ってましたね。Dさんといい、あの世代の反戦意識は鬼気迫るものが
ありました。
しかし、なぜ社民連関係者だけイニシャルトーク?
279:革命的名無しさん
09/04/08 22:32:34
面白い性格づけだけど不十分。社青同とは産別班協議会-職場班
が本当に機能している運動体。つまり各労組青年部フラクション
の集合体というのが正体だ。この産別班協こそ活発に活動してい
る本体である。地本-支部という基本組織は、同盟員が各産別、
各職場班にとじこもってしまわないように学習と交流をするとこ
ろ。まさに「職場実態交流会」ということになる。
280:革命的名無しさん
09/04/08 22:42:48
なんだ産別党員協の青年版か。地域組織もつまらなそうだな。
281:革命的名無しさん
09/04/08 22:49:30
今でも職場で派閥つくってるんですか?
282:革命的名無し
09/04/08 23:22:37
>>273
自分は94年まで会員で、解党と同時にもう政党とは係わるまいと決めたのです。
ただ、ここ数年の民主党政権待望論を見ていると、あの頃のKやEが全く成長して
いないのを見せられて・・つい書き込んでしまいました。
田さん以外がイニシャルなのは、Kの秘書が地元の地方議員で、地域のサークル関係
もあり会員になったけれど、結局Kのグループを離れて田さんの方に行ったことと、
解党間際のK、E、Nさんの関係が寂しかったもので。
社青同の同盟員でもないのに関係ないことばかり書き込んで、スミマセンでした。
283:革命的名無しさん
09/04/08 23:30:39
社青同が政治闘争を闘わなくなり、唯一反合闘争主義になったのは70
年代の初頭向坂派が社青同での覇権を確立してすぐ同盟の基調を改憲阻
止・反合理化より「生命と権利」に切り替えてからだ。事実上反合闘争
だけを取り組み、「生命と権利の闘い」だけをオウムがえしにくり返す
のでイノケン派とよばれていた。
284:282
09/04/08 23:48:29
アンカーを間違えました。
282の書き込みは、278さんへです。
285:革命的名無しさん
09/04/09 22:58:09
政治闘争をやらないといっても社青同は、反独占のメットをかぶって
デモをしていたではないか。
286:革命的名無しさん
09/04/09 23:23:40
反合闘争だけ論に成り果てるまでわね。
287:革命的名無しさん
09/04/10 23:49:34
72年以降は、政治闘争は学生にまかせて労働者は、イノケン闘争に明け暮
れるという路線転換をしたんじゃねえか。方針に明記はしなくても実際そ
うなっている。
288:革命的名無しさん
09/04/11 00:31:11
そもそも社青同第九回大会での向坂派の見解であるいわゆる第一見解の
なかにも危険な兆候はあったね。労組で始まり、労組で終わる、組合主義。
社青同が政治闘争を独自に取り上げて闘うことの必要性を感じているのか
疑わしい見解だった。
289:革命的名無しさん
09/04/11 23:12:14
指令第X号とか
290:革命的名無しさん
09/04/12 14:53:17
第一見解を書いたのは、清水由紀朗氏だったよね。そのあからさまな
組合主義と目玉のはずの反合闘争も思想闘争主義である点で実はおお
いに批判があったが、太田派や反戦派との激論の最中だったので大筋
賛成として第一見解派としてまとまったんだと先輩に聞かされたこと
があったのを思い出したね。
291:革命的名無しさん
09/04/12 16:28:38
安保・三池から生まれ、改憲阻止・反合理化の基調を確立し、さら
に70年安保沖縄ベトナム反戦と国鉄・全逓闘争を闘った社青同が
なぜ反合闘争だけ論にならなきゃいけないんだ。
292:革命的名無しさん
09/04/12 16:30:54
それって、チュチェの思想ですか?
293:革命的名無しさん
09/04/12 16:54:16
全然関係ない。チュチェ思想に資本主義国内での職場反合理化闘争
や反戦闘争、改憲阻止闘争のことが書いてあるわけがない。そもそ
もチュチェ思想は主体主義、向坂イズムは、客観主義まったく別物。
294:革命的名無しさん
09/04/12 17:10:28
日本では、戦後、学者・知識人が圧倒的な数で、「科学的社会主義」などという、ソビエト帝国型の考えに
集団で脳を犯されたので、「科学的」といえば「社会主義(共産主義)のことだと信じ込んで、この
「科学的社会主義」という宗教を日本国民に、各種高級学問の振りをして押し付けた。それを商売として
やったのが、岩波書店である。だから日本国民の方が、すっかりイヤ気がして、「科学」というコトバを
使わなくなった。なぜなら使ってみても、ちっとも「科学的」ではないからだ。「君の考えは科学的だね」
と友人に言ってみると、まるで、馬鹿丸出しで、「一体、オマエは何が言いたいんだ」と、相手から嘲笑
されるからである。ソビエト教の信者以外の世界では通用しない。だから、日本人の「科学」不振は物凄く
深い。そこで、私が、「哲学は科学じゃないんだよ」というと、日本人はケゲンな顔をする。何を言って
いるのか分からない。哲学というのは、日本では「文学部哲学科」だから「文学」のお友達で、これは、
絶対に「文科系」だよ、となる。そうではない。哲学は、科学の一種とは違う。神学の一族なのだ。
Philosophy is not a science!
アメリカ人やイギリス人の大卒の人に尋ねてみるとよい。彼らは、必ずこう言う。例外はない。
こんなことも知らないで日本人は、「自分達も欧米人に負けない高等学問をやっている国民なのだ」と
思いこんでいる。日本の大学生が、学制(カリキュラム)として大学で受けている講義は学問などでは
ない。あれは「土人のコトバ遊び」だ。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P171~177
295:革命的名無しさん
09/04/12 17:11:22
「816」崎谷博征(さきたに・ひろゆき) SNSI研究員 の 新刊 『グズな大脳思考 デキる内臓思考』
を紹介します。浅薄な「合理主義的思考」に代わる新しい思考法は、現実の生活にも大いに役立つ思考法です。
2006.12.24 副島隆彦が文末に加筆しました。2006・12・26
URLリンク(snsi-j.jp)
この両派の対決は、あらゆる学問の裏側に控えている。この対決軸を中心に、今のこの世界は動いている、
と言ってもよい。だから、生来的な器質的な、異常や犯罪気質は、教育や治療によっても改善できない、
とするのが、ネイティビズムである。
つまり病気は、治せない。という考えだ。治る病気は自分の力でなおる。ただし悪い部分を取り去る
外科手術は認める、という立場が、このネイティビズムである。それに対して、人間は、後天的に
改善できる、とする考えが、ビヘイビアリズムである。
この考えは、1950年代の、シカゴ学派のスキナー、ボーマンズらの「社会心理学」(ソシオ・サイコ
ロジー)としてアメリカでリベラル派の学問として再興された。この理論の上に、タルコット・
パーソンズの「構造機能分析」と呼ばれるアメリカ社会学が大成された。さらにそれと同形的
(アイソモルフィック)に、アメリカ理論経済学が花開いたのである。そして更に、それと類推的に
政治学(ポリティカル・サイエンス)も繁栄した。アメリカの、ソシアル・サイエンスは、1950年代
と1960年代には、この「行動科学」によって、ついにヨーロッパの学問を超えた、と、みんなで
祝ったのである。これはアメリカの学問的な大勝利であり、世界をこの新規の学問潮流で支配・席捲
できる、と考えた。ここでは当時のソビエトとの対決問題は無関係である。それで、世界中から優秀な
人材がアメリカに集まるようになった。
これが、アメリカの「行動科学革命(ビヘイビアラル・サイエンス ・レヴォルーションbehavioral
science revolution)」であり、即ちこれがビヘイビアリズムの運動である。
296:革命的名無しさん
09/04/12 17:12:07
私の先生の小室直樹氏は、このアメリカ行動科学の全体像を習得する運命を背負ってこの時期に、
スキナーのいたミシガン大、と、ポール・サミュエルソンのいたMITと、パーソンズのいた
ハーバード大に習いにいった。ところが、帰ってきて、その成果を丸山真男氏以下の、日本人学者
たちに伝授しようとして、嫌がられた。当時の日本にはロシア型マルクス主義という宗教しか、
近代学問としては存在しなかったからである。
この ネイティビズム「固有主義、生来主義」 と、ネイテイビズム「 行動主義 、教育改良主義」の
サイコロジーの分野から興った大きな対立が分かれば、おそらく、今の、というか、この100年間の
欧米の社会学問(ソシアル・サイエンス)の流れは、今の日本人にも、大づかみに出来るのではないか。
この事をもっと分り易く言うと、「氏より育ち」ということである。あるいは、「育ちよりも氏」か。
即ち、氏(うじ)=家柄、出身、血筋 の方が、人間(人物)の評価に置いては大切だ、というのが
ネイティビズムで、その反対に、「家柄よりも、育ち」即ち、生活環境・教育・学習行動が大切だ、
というのが、ビヘイビアリズムである。
だから、ネイティビズムは、保守主義 を表し、ビヘイビアリズムは、現代リベラル派(人権主義者)の
立場なのである。分かり易く言えばそういうことだ。
『世界覇権国アメリカの衰退が始まる』(講談社)ビヘイビアリズムVSネィティヴィズム[65ページ~72ページ]
297:革命的名無しさん
09/04/12 17:13:04
[155] 自分のPCに保存しあった小室本への私の書評文に、手を加えた。これを定番とする
投稿者:副島隆彦 投稿日:2001/11/24(Sat) 15:12:04
URLリンク(snsi-j.jp)
たとえばカール・マルクスの思想の大柱のひとつに、”疎外”がある。この疎外は、エントフレムデュンクという
ドイツ語の訳語であるが、これは、「人間疎外」とも訳されて来た。日本では社会主義者たちだけでなく、
ほとんどの知識人が、この「疎外」を、「近代社会が個々の人間に対して冷淡に振るまい人間性を疎うとんじるに
至った悪い性質のことである」と理解し、そのように何十年も教え合って来た。そして、この「人間疎外から
いかに人間性を回復するか」という考え方をして来た。このように「疎外」を、きわめて感情主義(あるいは
人文じんぶん主義)的に理解して来た。
これが日本独特のマルクス主義である「主体性理論」である。梅本克巳から吉本隆明に至るまでほとんど全ての
左翼知識人が、このように理解した。この日本の新左翼系のマルクス主義の「主体性理論」と、北朝鮮の金日成の
「主体(チュチェ)思想」と、では、その根幹において、一体どれほどの差があったといえるか。実際上、
ほとんど変らないのである。日本の左翼思想などというものは、この程度に、低レベルなのである。
298:革命的名無しさん
09/04/12 17:13:48
小室直樹は、この「疎外」こそは、まさしく「人間のつくる社会及び市場には法則がある」ということの別の
表現だ、とはっきり正確に理解していた日本では、稀有の、世界基準の学者である。「神の見えざる手」と
アダム・スムスが呼んだところの「市場」なるものが、「人間の個々の、恣意性や願望や意思などでは、
どうにもならない、自然界を貫く法則性のことだ」と、小室直樹は、はっきりと正しく理解していた。そして、
「疎外」とは、この「市場」なるものの、まさしくカール・マルクス的表現であったのだ。
そして、同時に、この考えは、西欧の全ての近代経済学者・政治学者・社会学者の採る根本的立場なのだ、
とする。この「疎外=市場=人間世界を刺し貫く法則性」のことと、同じことを、ジークムント・フロイトは
「フェティシズム(物神化)」と呼び、デュルケムは「社会的事実(フェ・ソシアール)」と呼んだのである。
この、人間の主観から独立した冷酷な経済法則の貫徹は、たとえ、王様でも、独裁者でも阻止することは
出来ないのである。それを、強力な権力を持つ支配的な人間たちの意思で、勝手に動かせると傲慢にも考えたのが、
日本の官僚たちだ、と小室直樹は、断定する。このようにして、この10年の間、経済政策(財政政策と
金融政策の両方)にことごとく失敗した日本型の統制経済が、今、死の宣言を受けつつある。
299:革命的名無しさん
09/04/12 17:16:21
カルヴァンは「キリスト教綱要」という本を書いた。この書物の中に、のちにローマン・カソリックと5百年間戦い続けても
負けないだけの、キリスト教の本質を洞察した優れたプロテスタントの思想が書かれた。それは、一言で言えば「神の予定
調和」という思想である。「神の予定調和」とは、怒った神が、「神が救済されるかされないかは、予め神が決めるのである。
全ては神が決める。神を条件づけるな。神に命令するな。神を試すな」という、旧約聖書の中の言葉によって説明される。
実は、この「予定調和」思想は、スコットランドのカルヴァン派である長老派の神学者であったアダム・スミスによって
説かれた「神の見えざる手」という思想と全く同じものなのである。「神の予定調和」思想は、そのまま「市場」という偉大な
経済思想に成長した。「市場」とは、「ここの人間の主観や願望によっては絶対に変えられないルール・掟・法則」のこと
である。たとえ国王や独裁者たちによっても動かし得ない、人類社会を貫く鉄の原理のことなのである。このアダム・スミスの
「市場」と同じものを、さらにカール・マルクスは、若い頃から「エントフレムドゥング」=疎外と呼んだのである。
すなわち「疎外」とは「個々の人間の主観や意志などによっては動かしえないもの」という意味で、「人間社会には社会を
「貫く法則性がある」ということなのである。つまり神の予定調和=市場=疎外なのだ。
300:革命的名無しさん
09/04/12 17:18:51
これをなにを勘違いしたのか、日本の馬鹿知識人たち、とりわけ左翼知識人たちは、「主体性マルクス主義」などという
後進国特有の勝手な理論を作り、この「疎外」のことを、「産業社会と資本主義の発達に伴う人間の非人間化」と考え、
「そこからの本来の人間への主体的な回復」を「主体的マルクス主義」などと呼んだ。これは、梅本克己から吉本隆明に
至る日本の左翼知識人たちすべてに、共通の理解である。左翼でない知識人も同様である。マルクスの考えた「疎外」とは
そのようなものではない。「社会を貫く冷酷な法則性」のことなのだ。だから、後年、その延長線上に彼は「資本論」を
書いたのである。さらに言うが、あのフランスの現代思想である構造主義の「構造」というのも、この「神の予定調和」と
同じものである。だから、「構造」は人間たちの意志では変えれない。変わらないから「構造」というのである。分かったか。
副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」
301:革命的名無しさん
09/04/12 17:22:32
64年の改憲阻止・反合理化の基調にも欠陥がある。解放派と協会
派の共同提案だけどそのなかで職場の改憲攻撃である合理化という
こじつけをして(関連性があるにしても)、結局改憲阻止=反合理化
というような反合闘争への流しこみがおこなわれている、協会側の
提起の部分である。(山崎耕一郎氏起草)
302:革命的名無しさん
09/04/12 17:36:43
日本国民は社会主義協会と北朝鮮の過去現在の関係について疑惑の目で見つめていますが、どうするつもりですか?
303:革命的名無しさん
09/04/12 17:45:37
疑惑には回答しないのですか?
304:革命的名無しさん
09/04/12 17:47:58
反戦闘争をめぐる論争では当時の協会派は(分裂前)「職場で反合闘争を
闘うことがベトナム人民を支援することだ。」とか「職場闘争が不十分な
のに政治闘争は闘えない」という立場だった。典型的な組合主義、経済
主義、段階論である。
305:革命的名無しさん
09/04/12 17:54:55
この数十年間で日本の政治思想・評論業界は孤絶し、かなり立ち遅れてしまった。ドイツとフランスの
古色蒼然たる百年前、二百年前の政治思想の本を。訳も分からないまま読み続けてるのが現状だ。
全くヒドいものだの一語につきる。
日本の八十年代の言論を圧倒したフランスの構造主義の大家ミシェル・フーコのような、現代もの
でも、かなり癖のある思想・哲学なのであって、本当はフーコや、ジル・ドゥールズらの思想は
「人文」である。文学あるいは文化研究なのだ。政治権力なるものを生まで扱う学問ではない。
現在のフランスやドイツの本当の最高の知識人たちとは「どうやったら、自分たちが、アメリカ
の支配から脱却できる」を本気で考えている人々だ。日本知識人は文化研究しかできない人々だ。
副島隆彦「日本の秘密」 P148~149
これ以外に下等学問としての 「人文」というのがある。この人文というのはヒューマニティーズの
日本語訳である。 ヒューマニティーズとは「人間、および記録された文学に関わること」という
意味である。 簡単に言えば現在で言う文学(部)のことである。他に歴史学があり、その内容は
古文書や石碑の文の解説などを行う。これらは、学問としては下等学問である。
これとサイエンス(学問)の区別をつけなければならない。これが日本人にはできていない。
すべてごちゃまぜなのが日本の大学制度である。国家的学問犯罪と呼んでもいい。
大欠陥学問観と呼んでもいい。日本の大学は、世界基準では高等学校程度であろう。
このヒューマニティーズとサイエンスの区別がついてる日本知識人がほとんど
いない。すべてごちゃまぜである。
副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(上)」P324
306:革命的名無しさん
09/04/12 18:00:19
北朝鮮との関係には緘黙するのですか?
307:革命的名無しさん
09/04/12 18:10:21
日本国民は、協会のことなんか忘れちまってるよ。若い人なんて
存在も知らないはず。協会と北朝鮮との関係?誰も気にもしてい
ないよ。
308:革命的名無しさん
09/04/12 18:26:26
反戦青年委員会が新左翼に主導権を握られのも社青同の政治
闘争の消極性がおおきな原因だ。そんな社青同が7O安保前
後の予想も出来ないような空前の政治闘争の盛り上がりに政
治的な闘いを取り組まざる得なくなり、白ヘル反独占のメッ
をかぶり、激しいデモで機動隊との肉弾戦や時には竹ざおで
機動隊に突き掛かるような闘いをした。映画「怒りをうたえ」
でもメットでのや座り込みの場面が写されている。
309:革命的名無しさん
09/04/12 18:43:45
「怒りをうたえ」では渋谷でのジグザクデモと座り込みの後
電車で新宿に向かったことになっているけど、当日は、68
年の10・21国際反戦デーで騒乱罪が適用されたのだが、
本当に新宿にむかったの?
310:革命的名無しさん
09/04/12 19:10:15
当時は向坂派と太田派は同じ隊列で同じメットをかぶっていたんじゃ
なかったけ。でも反戦青年委員会や全共闘、それに三里塚闘争への参
加をめぐって別行動になっていたと聞いている。
311:革命的名無しさん
09/04/12 23:46:36
結局向坂派は、71年に社青同を制覇して、全体の反戦闘争の退潮と太田
派や反戦派というライバルの衰退に乗じて向坂派指導部が本当にやりたか
ったこと-反合闘争だけの運動を推進していったということだ。
312:革命的名無しさん
09/04/13 00:00:20
向坂派は、そうすると全体的な情勢のなかでマヌ-バ-で政治闘争
を闘っていたの?やらなくてもすむならあっさり放棄するわけだ。
313:革命的名無しさん
09/04/13 00:00:40
>>311
あと学習会ねw
314:革命的名無しさん
09/04/13 09:10:16
>>247
> 同じ仏教でも日蓮宗と浄土真宗が違うように。
というか日蓮一派は
正宗と本門佛立宗などなどあるけど
180度方向が違う。
後者は天理教のごとく鐘や太鼓で踊るような勤行だし。
ひkぁくするなら同じ宗はでひかくしないと意味がないう
315:革命的名無しさん
09/04/13 21:11:55
社青同の主流というか、反合唯一主義の人達は、三池闘争は素晴しい。
それに対し60年安保闘争は市民主義的な闘いというようなことを言
っていた。どちらもすごい闘いなのにね。安保と三池でなく三池と安
保ってひっくり返して言っていた。
316:革命的名無しさん
09/04/13 22:03:17
社青同がちゃんと政治闘争をやったのは、71年の沖縄闘争までではない
のか。翌年の相模補給廠米軍戦車阻止闘争では、学生だけでなく、労働者
もハマリ込んで持続的に闘った神奈川地本が市民主義的と批判されていた
そうだ。学生は東京等からも来ていたはずだ。
317:革命的名無しさん
09/04/13 22:54:19
72年の小選挙区制反対闘争もそれなりにやったんでは。ヘルメッ
ト姿で国会前で機動隊の壁を破ったと一般紙に出ていたよ。94年
の小選挙区制ではまったく闘わなかったけど。73年の空母ミッド
ウェイとか単発はあったね。
318:革命的名無しさん
09/04/14 20:58:05
社青同のなかで政治闘争が取り組まれないことについて不満や異論は
出なかったのですか?
319:革命的名無しさん
09/04/14 22:03:09
かなり不満はくすぶっていた。七十年安保を闘った人々や学生班出身の
同盟員は、物足りなかっただろう。後に同盟内での論争で反主流派から
の批判の重要な論点となった。
320:革命的名無しさん
09/04/14 22:36:05
一時期、政治課題といったら狭山と三里塚しかないような時期が
あったじゃん。それこそイノケン派とかいう人達には、もっけの
幸いだったんじゃねえの。政治課題やらなくていいもん。
321:革命的名無しさん
09/04/14 23:17:47
「809」 副島隆彦の「ミネルバの梟(ふくろう)は夜、飛び立つ」論。
私が原著は12年前に書いた本である「決然たる政治学への道」(弓立社=ゆだちしゃ=刊、2002年)の
P.174に、「本当は学問の体系はこのようになっているの表」で、私は、はっきりと、「フィロソフィー
(×哲学と訳すのは嫌いだ。知恵の学)と数学は、神学(セオロジー、テオロジー)の下女、はしためである」
そして、「サイエンス(ヨーロッパ近代学問)と、この神学が、大きく闘うのである」と書いた。
神学(セオロジー)は日本人には分からない。「神学論争」なる言葉は、日本語になっているが、その中身を
日本人で分かる者はいないだろう。そして、その下に、初級学問=下等学問としての、ヒューマニティーズ
(人文、じんぶん、人間の文字による記録、石碑、古文書の解読、文学部の世界)があるのだ、と書いている。
「数学は、神学の下女」なのだ。これは、ヨーロッパの学問の体系の中では、はっきりしていることだ。
数学は、決して自然科学(しぜんかかく、ナチュラル・サイエンス)には、所属しないのだ。
ただ道具として多用される。私、副島隆彦がこのように書いて、まだ反論したり、何か異論を唱えることの
出来る、日本人は、誰でもいいから、名乗りを挙げて出来てください
322:革命的名無しさん
09/04/14 23:30:57
長々と関係ねえこと書き込んだり、貼り付けたりすんな。
323:革命的名無しさん
09/04/14 23:47:03
社青同の長期凋落の原因の一つは反戦派をうまく取り込まなかったこと。
二つ目に協会のセクト的支配と協会同様の分裂、再分裂、だな。
かつてのあんたらと瓜二つのことを安田中央派がやってるよ。
324:革命的名無しさん
09/04/15 21:05:27
私は、こう思います。当時の社青同同盟員で反合闘争の重要性について
異論はなかったはずです。ただみなさんがおっしゃるように職場の闘い
に集中するあまり、平和と民主主義の闘いがおろそかになっていた面も
否めません。この反省点をふまえ、今後の護憲・反リストラの闘いに生
かしていきたいと思います。
325:革命的名無しさん
09/04/15 22:51:39
あの頃そういう共通認識というか、意思一致が出来ていればなぁ。
326:革命的名無しさん
09/04/15 23:10:46
協会なんざ学者カルトや労働貴族の闘争召還路線。
社青同諸党派で一番実績残したんは、解放派だよ!
解放派が協会の挑発に乗らず、じわじわ全国社青同を制圧していたら…、と悔やまれる。
327:B75 ◆LgNBT1a0O6
09/04/16 15:35:42
URLリンク(www.nicovideo.jp)
社民党スレで無視されてんだけどさ、これどういうことよ?
これみたノンポリ系連中が社民罵倒しまくりだぞ…
328:革命的名無しさん
09/04/16 21:09:30
基礎的な知識が不足していて申し訳ないのですが、社会主義協会や社青同は、
分裂しているのですか?
329:革命的名無しさん
09/04/16 21:30:21
俺もそこらへんが疑問だ。なるほど、社会党も分裂(民主党、社民党、新社会党)、協会も分裂してるけど(坂牛協会と佐藤協会)、社青同が分裂しなかったのは何故なんだろうね。
協会と社青同の関係もいまひとつ分からないのよ。
330:革命的名無しさん
09/04/16 21:57:33
推測ですが社青同は、高齢化もあり活力を失っていたのでいわば
「中年職場活動交流会」のような実態にあったんではないでしょうか
。そこにきびしい路線論争もなく、分裂のエネルギーもなかったので
しょう。それにジリ貧の社青同が組織としてやっていくには、分裂な
どしてられないという事情もあったと思います。特に専従者には切実
だと思います。政党や協会の所属で分かれないというのも一つの知恵
ですね。かって太田派と向坂派という形で協会が分裂した時、当初は
協会の分裂を社青同に持ち込まないという約束がありましたが、じき
に破られて同盟も分裂しました。それよりもいいのか悪いのか私もな
んとも言えませんがね。
331:革命的名無しさん
09/04/16 23:31:41
協会が社青同に指導性を発揮してたのは、全盛期の七十年代までじゃねえの
その後協会は協会規制でしだいにサロン化して、社青同も労組青年部の学習
・交流会みたいになっていった。まあサロンが交流会を指導するのも変な話
しだからね。
332:革命的名無しさん
09/04/17 08:40:28
社青同が分裂しなかったのは、1990年代半ばにはすでに党支持の問題が、
多くの青年労働者にとってとくに関心の持てる問題ではなくなっていた
からではないでしょうか。
党や協会にお付き合いして社青同を分裂させても、
社青同にも労組青年部にも得にならない。
333:革命的名無しさん
09/04/17 21:29:53
社青同のなかに複数の見解や立場があるのは不思議でないし、無理に分裂
する必要がないのはそのとおりだと思う。ただ同盟員や影響下の仲間が党
支持の問題に関心をもてないというのは、ゆゆしきことである。どこの党
に所属するのか、どこを支持をするのか、選挙活動は?もし関心をもてな
いとしたら失礼ながら視野が狭いと言わざる得ない。職場第一でも結構だ
が基本的な問題には関心をもってほしいものだ。
334:革命的名無しさん
09/04/17 21:44:30
社青同って、民青みたいなおおっぴらな同盟員募集はしてないよな。
やっぱ旧総評系労組の支部役員から有望に思える者を一本釣りしてるという感じかなのかな?
官公庁職員の中でも社青同のイデオロギーに共感する奴は少ないんでは?
335:革命的名無しさん
09/04/17 22:41:32
僕の感触ではやっぱり社青同のなかで意見を言ってきた人がこの組織は
どうにもならないと嫌気がさし、ちょうど年齢的にいい年になっていた
のでそのまま卒業していったというのが影響していると思うな。残った
人は同盟中央に異論をさしはさまない人達が残ったということだ。自分
の職場とか自分の所属する組合については関心があるがやはり視野が狭
いという点は指摘せざる得ない。
336:革命的名無しさん
09/04/17 23:25:10
「あっしの仕事場についちゃあ、良くわかりやすが、ご政道向きの話
しはチョット・・・」(笑)
337:革命的名無しさん
09/04/18 10:17:01
334さんがおっしゃるように旧来の社青同のイデオロギーでは古色蒼然と
し過ぎていて、若い人達には共感できないと思う。一方で新自由主義の破綻
ということもおきている。そこのところを佐藤協会の人達は、科学的社会主
義者の社会民主主義への接近という方法で打開しようとしている。注目すべ
き動きだ。
338:革命的名無しさん
09/04/18 15:31:12
素人みたいな質問で恐縮ですが、協会派が分裂にいたるような対立の発端は
いつの話しなのですか。
339:革命的名無しさん
09/04/18 16:29:00
ウィキペディアの「社会主義協会」をググッてみてください。
340:革命的名無しさん
09/04/18 18:29:53
↑
ありがとうございました。くわしく書かれていて良くわかりました。
みなさんも参考にごらんになったらよろしいと思います。
341:革命的名無しさん
09/04/18 22:03:10
社青同内論争史も知りたいね。60年代の論争は良く書かれているけど
70年代以降は、書かれたものがないものね。
342:革命的名無しさん
09/04/19 09:11:10
「労農派マルクス主義 理論・ひと・歴史」下巻 石河康国 社会評論社に
協会の件については、くわしく出ている。
343:革命的名無しさん
09/04/19 23:24:26
社青同のことは、あまり書いてないでしょ。
344:革命的名無しさん
09/04/20 07:20:58
協会で4党合意支持派ってどっちだっけ?
345:革命的名無しさん
09/04/20 07:56:45
佐藤協会。(別名、社民協会または旧協会)
346:革命的名無しさん
09/04/20 09:52:31
石河さんの本では下巻P301に「千葉電通問題のころから協会内部で微妙
な意見のズレが生まれていた。」「反合理化派と統一戦線派などと呼ばれは
じめていた。」「人格的には反合理化派の代表格は灰原組織部長、統一戦線
派の代表格は福田豊編集長が擬せられていた。」と書かれている。
千葉電通問題とは74~5年頃のこと。灰原組織部長とは元三池労組書記長
灰原茂雄協会組織部長のこと。福田豊編集長とは「社会主義」誌編集長の福
田豊法政大学教授のことである。
347:革命的名無しさん
09/04/20 10:46:52
反合理化派は、反合研派ともよばれていなかったっけ。灰原さんが主宰する
反合理化研究会に由来する。だから灰原派とも言われていたはず。統一戦線
派も福田派と言われていたと思う。
348:革命的名無しさん
09/04/20 12:39:39
石河氏は当時社青同の専従者だった人で「反合研派」の若手理論家。これに
対し「統一戦線派」の中心人物の一人鎌倉孝夫埼玉大学教授(当時)のインタ
ビューが「現代と展望」という雑誌の84年夏号に載っていた。75年に全
電通千葉の活動家が全電通中央に造反して独自路線を強めたことに対して、
協会中央が対応できなくなった。協会としては、千葉の活動家の独自路線を
全体として採用することは出来ない。しかし、協会の職場反合闘争強化とい
う路線から言えば下部活動家の主張も正当性がある。この矛盾が労働運動の
右傾化のなかで顕在化した。独自路線派は(電通東京・豊島支部)九分会共闘
や全電通福島でも闘われたが、この流れをつくりだしているのが 灰原氏の
反合理化研究会であるという内容の話しをされている。
349:革命的名無しさん
09/04/20 19:07:43
反合理化闘争と統一戦線ということでいえば、「どちらも大事だ」というこ
とで終わってしまうけれど。反合研運動VS統一戦線運動ということになる
とどうしても路線の違いということが出てくる。
350:革命的名無しさん
09/04/21 00:12:21
射精洞、ハァ、ハァ、ハァ
351:革命的名無しさん
09/04/21 21:37:40
75年には、社会党千葉県本部の分裂騒ぎがあった。県本部大会代議員選で
協会派がある選挙区で定数33名中33名完全連記制で代議員独占をはかっ
た等協会の行き過ぎが指摘された。これも協会内でやりすぎだと議論になっ
た。(普通、総支部割り当て代議員が33名ならこれを各支部に割り振る。)
352:革命的名無しさん
09/04/21 22:30:40
千葉闘争が電通闘争の始まり。社青同も行け行けドンドンだった。
353:松山 赤○○字 病員 清 掃 商 事
09/04/22 02:04:14
職場のパワハラで再発した鬱が原因で死にたいです
愛媛県松山市です
354:革命的名無しさん
09/04/22 21:02:51
奪われる生命と権利!資本主義は人殺しだ!!
355:革命的名無しさん
09/04/22 22:35:19
75年頃の「新地平」という雑誌だったと思うけれども、当時の反戦派労働
者の座談会で全電通の反戦が「職場の協会系活動家が言うには協会にも左派と
右派がある。向坂さんが死んだら協会は分裂するのではないかと言われてい
る」というような内容の話を紹介していた。すでに外部に漏れ伝わっていた
のである。その後の事態の推移は違っていたけれど最終的には分裂という事
にあいなった次第である。
356:革命的名無しさん
09/04/22 22:53:32
ユニオンは弁護士にしか認められていない業務を引き受け、ボス交で
闇の裏金をもらい、同時にカンパという名目で報酬を受け取る「非弁活動」などを行っているから、
弁護士法違反の罪にとえるのでは?
それと「退職を条件に交渉する」のが常套手段みたいですけど、
なぜこういう手段をとるんでしょうか?
357:革命的名無しさん
09/04/23 20:44:39
全国ユニオン(鴨桃代会長)にご相談ください。
358:革命的名無しさん
09/04/23 21:54:19
協会内の対立が激しいものになったのは、77年の協会規制の頃では
ないか。党・労組での柔軟な対応を求める人々と強硬路線を貫く人々
との対立は感情的なレベルまで高まっていた。
359:革命的名無しさん
09/04/24 21:12:10
協会の左派・右派の対立が始まる頃か少し前、学者の大内秀明、新田俊三、
高木郁朗が協会を離脱しているよね。
360:革命的名無しさん
09/04/24 21:47:33
大内氏ら三教授は、自主管理社会主義から西欧型社会民主主儀に
なっていた。
361:革命的名無しさん
09/04/24 21:48:47
朝日新聞にレッテルを貼る暇があるなら勉学した前と言いたい気分だ。
スレリンク(news2板)l50
362:革命的名無しさん
09/04/24 22:18:44
朝日新聞は関係ないですね。
363:革命的名無しさん
09/04/24 22:33:30
URLリンク(mi.yomiuri.co.jp)
364:革命的名無しさん
09/04/24 22:50:39
協会の左右対立は、75年くらいに始まり77年頃に激化し、80
年代のはじめごろまでつづいたということでよろしいか。
365:革命的名無しさん
09/04/24 23:30:14
そのとおりですな。それ以降は左右両派のなかでまた分裂が起こり、
複雑に対立したり、連合したりしながら今日の二つ協会の分立へと
向かっていくわけじゃよ。
366:革命的名無しさん
09/04/25 10:25:22
日教組の各県連とか自治労の13県本部派が協会派ってこと?
367:革命的名無しさん
09/04/25 11:58:38
昔から教組や自治労は協会派が強かったからのう。ただ協会だけでなく、
共産党や反戦もおったし、太田派や社会党右派系もおった。日共系が全
労連傘下に去って行った後も協会一本でまとまっていたわけではないの
じゃよ。それに昔から協会系のなかにも強硬派と柔軟派がおって、実権
を握っているのは柔軟派じゃな。基盤の自治労、教組の協会派が柔軟派
主導だから社会主義協会本体も柔軟派主導となるのじゃ。ただ下部には
強硬派も根強く、新社会党-坂牛協会につながって行く部分もおるのよ。
社民党-佐藤協会に行った部分にも柔軟派だけでなく元強硬派もおる。
単産・単組の意向にそって動くというやつじゃな。だから丸ごと民主党
へ行くのだが派閥は佐藤協会なんていうのも県本によってありうるのじ
ゃよ。党は三つ、協会は二つに分かれたのは自治労や教組の協会も同じ
なわけだな。
368:革命的名無しさん
09/04/25 14:09:08
自治労の協会って民主党が主流じゃねえの。民主党員で社青同同盟員なんて
のも普通らしいよ。もちろん社民党員もいる。どちらも佐藤協会系だけどね。
教組は教育闘争、思想闘争の側面も重要だから自治労の協会よりやや左かな。
広島の教組、高教組が新社会党なのは、協会というより広島の解放同盟の影
響だと思うね。
369:事情通 ◆i0aKUU4bIw
09/04/25 15:05:38
自治労の役員だった知人が居るが、株にはまってる^^;言うこととやる事が違いすぎw
370:革命的名無しさん
09/04/25 15:21:26
分裂前の日教組でも協会と代々木って仲悪かったの?
371:革命的名無しさん
09/04/25 16:17:50
協力することもあったけど対立が多かったね。政党支持問題とか、教
師聖職論をめぐってとか。協会の方が教師労働者論で反合職場抵抗闘
争路線だから日共の聖職論と合うはずがない。
372:革命的名無しさん
09/04/25 19:48:52
>>367
県本というか道本では?
373:革命的名無しさん
09/04/25 22:59:22
するどい指摘じゃの。名指しにしたくなかったのでぼかしたのじゃよ。
自治労道本は、協会の拠点であるとともに柔軟派の中心じゃからの。協
会のなかで福田豊教授のグループや創る会の人々が協会を離脱した後も
北海道・東北では現実対応派が協会の主導権をとっておったから離脱せ
ず、残っておったわけじゃ。その自治労北海道が労戦問題で連合推進に
政界再編でも民主党丸ごと加入という路線をとったというわけじゃの。
そして自治労北海道は、協会では佐藤協会に関与しているのじゃ。協会
最右派として「協会は社会民主主義に徹しろ」と自治労北海道の論客が
提言しておると聞いておるがのう。
374:革命的名無しさん
09/04/26 00:04:55
僕たち外部の者にはどうも協会内対立の全貌や歴史がわかりません。差し
つかえない範囲で結構ですからお教えいただけないでしょうか。
375:革命的名無しさん
09/04/26 00:43:51
有名アーティスト要注意!!!
警察が狙う、くさなぎの次の不当逮捕!!!
<<どんどんたのスレのコピーして貼り付けてください!!
くさなぎは実は公然わいせつなどしていない!!
彼が、非常に賢い人間で、住基ネットに反対しているために
天皇の使いっ走りの赤坂署が無理やり嫌がらせするために
事件を捏造した!!
住基ネットとは2002年に政府が勝手にすべての日本人に11桁の番号を
つけたもので、天皇家だけがこれをふられていない。
米国ではこのような番号のはいった人間の人体への目に見えないくらいの
コンピューターチップの埋め込みが始まっている。
これを埋め込まれるとその人間は天皇家がコンピューターによって完全に
操作できるサイボーグになってしまう。これに反対していた、稲垣は以前
逮捕たし、草薙もやられ、木村拓哉も今後逮捕されることになっているという。
鳩山邦夫大臣も、人間サイボーグ化に反対して国立市や福島県の
矢祭市が住基ネットに参加していないことに対し国家的に脅し的な
展開をさせようと声明を出している。住基ネットは廃止しないといけない!!
今後木村拓哉、仲居、香取等を逮捕させないようにするためには
まず鳩山大臣は死んでもらう必要はある。
天皇家が主犯者だから、フアンのみんなはいっち団結してこいつらを
抹殺するように動く必要がある。
これに反して民主党の小沢一郎はこの人間サイボーグ化に反対!!
命がけに国民を守るため政権をとるために代表をつとめている!!
悪いやつらを殺せ!!
376:革命的名無しさん
09/04/26 01:21:42
>>373
民主党代表選で峰崎参議が前原に投票しちゃってましたが、協会的対応だったんでしょうか?
それとも彼個人のオリジナル対応なんでしょうか?
377:革命的名無しさん
09/04/26 10:42:58
そこまではわからんが、峰崎参議院議員は協会右派の先頭を走っておったか
らのう。社会党時代も赤松広隆らの「デモクラッツ」という政界の右翼的再
編推進グループの急先鋒だったお人じゃからな。保守派の人間と一緒の新党
を決意し推進したのが北海道の協会主流派じゃった。主流だったから協会か
ら離脱せず、影響力を行使しつづけたわけじゃ。おかげで小選挙区制初めて
の総選挙では、社民党として旧社会党系は選挙が出来なかったほどじゃた。
378:革命的名無しさん
09/04/26 12:17:53
峰崎さんは社青同の大会に今でも来賓としていらっしゃるよね
379:革命的名無しさん
09/04/26 19:12:18
佐藤協会は、会員に民主党員を含み、中島章夫氏のように自治労北海道所属
の理論家が重要な役割をしめているのだから不思議な現象ではない。むしろ
佐藤協会の中枢も社会民主主義に接近しているのが実態ではないだろうか。
380:革命的名無しさん
09/04/26 19:26:51
かつて解放派のカードル層には協会派出身が多かったというが、協会派と解放派の社会党や社青同、総評での関わりや分岐についてもいろいろ聞きたいです。
革労協スレでは初期解放派について知ってる人があまりいないみたいなんで、協会周辺のかたに伺いたい。
381:革命的名無しさん
09/04/26 19:28:37
>>379
だとしても、連合からの決別と9条改憲を訴える前原に投票するのはすごすぎる。
382:革命的名無しさん
09/04/26 19:30:55
反動に接近することで、むしろ反動勢力を骨抜きにできる
高度な政治判断だな
共産党支持者だけど、志井さんも見習って欲しい
383:革命的名無しさん
09/04/26 19:35:21
そのとおり!社民・リベラル・ハト派結集につとめるべきで、前原に
投票するとは言語道断!
384:革命的名無しさん
09/04/26 20:04:21
学生解放派は、最初から協会派とは別ですね。社青同東大班で一緒だ
った、高木郁朗氏も解放派の始祖佐々木慶明氏と話が合わなかったと
後に述べています。高木氏は一時協会幹部だった人です。学生班出身
の活動家が党や同盟の専従者になって都労連や全逓などの青年労働者
を獲得していったというところですか。佐々木氏は社青同の学対中執
になっているぐらいですから学生班協をほぼ手中にしていたわけです
ね。これに対して東京の労働者部隊は表向き協会派フラクに未分化で
結集していたわけですが、突出した職場闘争と反幹部闘争に目覚めた
青年労働者は協会の長期抵抗路線にあきたらず、密かに形成された解
放派フラクに組織されていくわけです。
385:革命的名無しさん
09/04/26 20:07:53
つーか社青同ってまだあったんだ
しかもそれなりの組織規模で
角材振り回して自爆したという印象しかなかったわ
386:革命的名無しさん
09/04/26 20:41:51
山川均亡き後の向坂理論に違和感を感じた協会メンバーの一部が、山川イズムへの原点復帰を目指す東大や早大の学生解放派の理論になびいた、というところでしょうか?
社会党佐々木派が、解放派の「都活」や「革同」を利用して、協会を牽制したそうですが、 佐々木派と解放派の仲は悪くなかったんでしょうか。
387:革命的名無しさん
09/04/26 21:49:50
385の話は解放派ですな。
386の話はむしろ高橋正雄らの離脱にあてはまる。山川亡き協会は向坂イ
ズムに染め上げられていったわけだが、高橋ら少数の人々以外違和感を感じ
てはいなかった。当時協会系といってもまだまだガチガチに固まっていたわ
けではなく、労働者部分は未分化の状態だったと聞く。当時の解放派の「学
協イデオロギー」に理論的に影響されたというよりも労働運動のあり方の違
いが労働者同盟員を分化させたと思う。
佐々木派は都本部のドン曽我書記長が解放派の学生出身者を党専従者に大勢
採用し佐々木派の手足とした。思想的繋がりというより双方の利用関係だっ
たが東京社研=佐々木派と解放派の関係は良かった。
388:革命的名無しさん
09/04/26 22:26:30
解放派の学生出身者!?
っていうのは、やはり学協解放派からなんでしょう。牛込さんなんかはそういったうちの一人なのでしょうか?
彼らと「革労協」の学生戦線では、明らかに運動スタンスは違うと思います。
解放派は「労」「学」のほかに初期解放派なども理解しないといけないのかなあ。
389:革命的名無しさん
09/04/26 22:51:11
初期の学生班と後の革労協学生活動家は明らかに雰囲気が違うでしょ
う。64年の早稲田乱闘事件では、解放派の学生の中には状況をなげ
いて涙する純真な学生もいたそうだ。後の活動家が純真じゃなかった
という気はないが、数々の暴力的な運動のなかで変質していったのも
確かだと思う。66年の東京地本大会でのテロ・リンチ事件は、協会
側にも問題があったにしても悪い意味でのルビコン川を渡った事件で
あった。
390:革命的名無しさん
09/04/26 23:09:32
「革同」や「都活」に結集した人々の大半は、「革労協」の別党コースとは分かれたと聞きますが、社会党に戻っていったのでしょうか。彼らのその後の政治スタンスにも興味があります。
391:この人、同盟員だったっけ?
09/04/27 20:16:57
■我以外皆師なり。 初めまして。まずは、お疲れ様でした。 実は、私は貴方様の対立候補であった「河村たかし」の後援会員であり、元民主党サポーターです。 貴方様の存在、誠に失礼ながら、最近まで全く存じ上げ
ませんでした。どうやら、ネット上でかなりの話題になっておられる方とのことで、こちらに行き着いた次第です。 公約については、まさに「独特の世界観」がおありだという感想を抱きましたが、政策大綱作成時には必
ず「ブレーンや民意とのすり合わせ」が必要不可欠となります。 ご自分の「好きなもの」から更に一歩進んで考えることが求められて来ると思います。 「河村たかし」は、元民社党委員長・春日一幸代議士の秘書を経て、
民主党衆院議員として「議員年金廃止」を声高に叫んで、政界・有権者の間に波乱を巻き起こし、問題提言を成して来ました。 (余談ですが、他に最近の旧民社党員出身の首長には、福岡県北九州市の北橋健治市長、千葉
県知事の森田健作氏などがいます) 公僕=パブリック・サーバントの意識を常に忘れないこと。これが河村たかしの信条であり、全ての政治家が忘れてはならないことです。 有権者の方々を「やから」などと呼んではな
りません。 貴方様に対して、厳しい意見を仰る方のことこそが何よりも尊いのです。 是非とも、敗戦から何かを学んで下さい。 「我以外皆師なり」
河村たかし後援会『ハトの会』メンバー くまがわ直貴 URLリンク(blue.ap.teacup.com)くまがわ直貴2009-04-27 18:33:41
URLリンク(ameblo.jp)
392:革命的名無しさん
09/04/27 22:41:38
>>388へ
牛込ではなく牛越さんね。
解放派OBに話を聞くと、
狭間以前と、狭間以降で、組織が大きく変わったのではないかな。
393:革命的名無しさん
09/04/27 22:42:36
そういえば、解放派出身の市長誕生!!
おめでたい限りです。
394:革命的名無しさん
09/04/27 23:07:09
旧民社党=解放派でいいのかな?いまでも解放派はありますか?すみません、教えて下さい。
395:革命的名無しさん
09/04/27 23:58:17
生い立ち
・1948年11月3日、名古屋市で出生。出生時の名前は河村隆之。
・現在は戸籍を改名した為、本名も河村たかしである。
・尾張藩士書物奉行の末裔。河村秀根(国学者、尾張藩士)は先祖。
・家業は古紙回収・卸売業の河村商事株式会社。河村入社当時従業員5名、
現在従業員50名の中小企業である。妻は河村商事株式会社取締役(国立音楽大学卒業)、
長男は河村商事株式会社代表取締役社長(一橋大学経済学部卒業)をそれぞれ務める。
・名古屋市立桜丘中学校、愛知県立旭丘高等学校を経て、1972年一橋大学商学部を卒業。
・大学卒業後は家業の古紙回収業・卸売業に従事(家業からは2002年に退き長男が継ぐ)
しながら、司法試験を9回受験するも不合格。後に民社党委員長春日一幸の秘書と
なったが、民社党を離党し除名となった。
政界入り
・河村商事株式会社専務等を経て、1990年の第39回衆議院議員総選挙に旧愛知1区から
保守系無所属・宏池会新人候補として立候補するが落選。
・1993年7月18日の第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で旧愛知1区から立候補し
初当選した(同区で春日事務所時代の同僚で同じく民社党を除名された青木宏之も初当選)。
同年8月の党役員人事で山田宏立法調整委員長(国会対策委員長に相当)
の下で立法調整副委員長に就任した。
河村たかし 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
396:革命的名無しさん
09/04/27 23:58:59
政界の渡り鳥
・1994年12月、日本新党の新進党への合流に伴い新進党入り。
新進党ではNPOパートナーズ(1995年3月)の座長を務め、新進党NPO法案作成の実質的主導者
として1998年3月19日の「特定非営利活動促進法」成立に尽力。なお、NPOの財政基盤強化のため
必要不可欠な寄付金控除を認める税制改正は、与党の反対で実現できなかった。
・1996年10月20日、第41回衆議院議員総選挙では、新進党公認で出馬し再選した。
・1998年1月6日、新進党が分党して結成された自由党に参加。同年3月19日の「特定非営利活動促進法」
成立を区切りとし、4月に離党。無所属(院内会派「無所属の会」)となった。同年12月、民主党に参加。
・2000年6月25日、第42回衆議院議員総選挙で愛知1区から民主党公認で3選。
・2002年9月の民主党代表選挙では、菅直人、鳩山由紀夫の二枚看板(いわゆる「鳩菅体制」)
に危機感を覚え、世代交代を図るため野田佳彦、前原誠司、松沢成文らと
「第二期民主党をつくる有志の会」を結成した。
・2003年10月10日、第43回衆議院議員総選挙で愛知1区で4選。
・2005年4月、名古屋市長選挙に出馬を表明したが断念した。
・2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、民主党劣勢の中、自民党候補などを大差で下し5選した。
河村たかし 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
397:395-396
09/04/28 00:12:21
>>391
まあ、それ以前に河村氏は民社を離党・除名された人だからねえ・・・・。
民社→離党・除名→官僚派閥の宏池会→日本新→新進→自由→民主
本当に変な経歴の人だわ。
ちなみにウィキには書いてないが、私の記憶違いでなければ、
河村氏は若い頃に何回か事業を起こして失敗した元実業家でもあったりする。
彼が庶民派のスタンスであるのは若い頃の挫折経験がある為。
実業家出身なのに民社に居た事自体が既におかしいし。
ちなみに県立旭丘高校ってのは愛知のトップ校です。
先祖が国学者で奉行の末裔とか色んな意味でわけがわからんw
398:革命的名無しさん
09/04/28 02:16:45
この人リベラリストだと思うよ。本当の意味で自由主義者だと思う。
盗聴法反対も、転び公妨にかんする国会質問とか、この人のリベラル性が
端的にしめされている。
399:革命的名無しさん
09/04/28 03:03:19
社民党の生んだ電波泡沫、くまがわ直貴が泡沫候補の黒田blogに書きこんでいるこの風景ですね。
400:革命的名無しさん
09/04/28 07:26:04
>>398
河村氏が自由主義者っていうのはありえんわ。
あの人は強いて言うなら庶民主義とでも言うべきもので、
タイプ的に言うと農民一揆の首謀者とかそういう類の人物。
あの人の反国家的な発想っていうのも
文字通り税金取られて苦しい庶民がお上を見上げて
国なんかなくなっちまえと言ってるのと同じ感覚でしかないし、
インテリや自由主義者のような社会的強者が自分の自由が
最大限欲しいが故に国はなくなっちまえと言うのとは全然違う。
第一自由主義は庶民の敵だしね。
401:革命的名無しさん
09/04/29 15:42:24
70年代後半から80年代初頭の協会内対立の概要
協会主流-統一戦線派(別名柔軟派)
協会・労大指導部多数派、学者・理論グループ多数派、党・労組の中央及び
地方の協会系指導部多数、協会系の自治体首長及び地方議員の多数、
党本部協会系書記局員多数、社青同反主流派
協会北海道及び東北支局、国会議員では山本政弘など
福田豊機関誌「社会主義」編集長が理論的指導者。佐藤事務局長は統一戦線
派寄りだが全体をまとめる立場に立つ。他に近江谷左馬之助、川口武彦、鎌
倉孝夫、篠藤光行など「社会主義」誌の編集権を握っている。
402:革命的名無しさん
09/04/29 16:11:48
協会反主流派-反合研派(または反合理化派)
国労及び全電通反合理化研究会、各地区反合研、協会・労大指導部及
び学者・理論グループの少数派、社青同主流派(別名イノケン派)。
党・労組指導部や各級議員の間では支持者が少ない。
灰原茂雄協会組織部長を指導者とする。学者では小林晃、塚本健など
国会議員では高沢寅男。主なメンバーは上野建一、塚本敦義、常松裕
志、山崎耕一郎等 「社会通信」が事実上の機関紙。゜
向坂代表は灰原グループに近いが、両派に乗っかる形。別格の岩井章
元総評事務局長は国労の協会派(反合研)と協力関係にあるが、協会全
体とも関係を保っている。
403:革命的名無しさん
09/04/29 16:36:39
(質問1)
統一戦線派と反合研派との構図は、それぞれ向坂側近グループ、親岩井章グループ、と理解していいものか?(質問2)
両グループが後の協会二極化-いわゆる佐藤協会と坂牛協会-に関連する点があれば注釈されたい。
404:革命的名無しさん
09/04/29 16:46:15
(質問3)
時期をほぼ重ねる「協会規制」に起因する対立か?「規制」にたいするそれぞれのスタンスについて説明されたい。
405:革命的名無しさん
09/04/29 17:20:06
協会両派は、どちらも向坂側近グループ。福田氏らの学者・理論グル
ープも灰原氏らの三池労組も向坂代表が手塩にかけて育てたもの。反
合研は灰原氏の主導でつくられたが、向坂氏も顧問的立場にある。
協会主流は、いわば協会・労大と党・労組の協会グループの実権派と
いうところか。岩井氏は国労出身だから国労の協会と特別の関係にあ
ったが、岩井氏が影響力を行使するためには、協会全体と協力関係に
なければいけないので80年前後の時期は後のような亀裂はなかった。
多数派は77年の協会規制や全電通・全逓との関係で柔軟な対応をも
とめ、少数派は強硬路線でのぞんだ。(だから主流派のことを柔軟派と
よんでいた。)
その後両グループのなかで再三分裂があり、メンバーの離脱や両派の
なかでの入れ替えクロスもあるなど紆余曲折があったが、主に労働戦
線再編に対する対応と社会党分裂に際しての対応で最終的に坂牛・佐
藤協会に分かれた。その意味で75年頃から始まる協会の左右対立が
今日の坂牛、佐藤両協会分立の原型になったといってよいだろう。
406:革命的名無しさん
09/04/29 17:48:20
(質問4)
80年代後半「労戦統一(総評の分岐)」について。
総評主流の「連合」 路線と総評左派「労研センター」路線を巡る、協会の内部の動向を伺いたい。
また、左派の国労岩井+太田となる経緯はどのようなものか?
国労や全労協の「支持政党」について解説いただきたい。
407:革命的名無しさん
09/04/29 19:44:30
協会の労戦問題の対応は、当初鈍いものがあった。岩井、太田、市川の総評
三顧問の活動で初めて国労などの反合研グループにも火がついた。いわゆる
なだれ込み論が協会右派や日教組、自治労指導部層から出ると同時に清水由
紀朗氏などの社青同主流派だった人達も潜り込み論に傾いていたからだ。ま
た社青同に特有の反合闘争だけ論の視野の狭さも労戦問題への関心を低めて
いた。そのなかで労研センターの提起は協会・社青同の重い腰をやっと上げ
させるものだった。だから国労グループのように熱心に取り組んだ人々、岩
井氏への義理で賛成した人々、北海道・東北の主流のように反対した人々に
労研センターへの対応は分かれた。
左派連合は労組だけでなく、社会党でも向坂、太田両協会で新宣言をめぐっ
て形成されたが両派とも内部に労戦再編賛成派を抱えていたうえに国労分裂
により太田派の左派としての生命がつき、左派連合は解消した。
国労、全労協は社民党と関係をもっているが新社会党の支持者も多いのでそ
ちらにも配慮している。
408:革命的名無しさん
09/04/29 19:54:56
協会の原則派は、たしかに党や労組の指導部層には支持が少なかった
かもしれませんが、(支持は千葉県本など少数)社青同やまなぶの活動
家、下部の党員、労組の末端活動家には根強い支持があったと思いま
す。
409:革命的名無しさん
09/04/29 20:22:12
協会内の対立は、反合研運動をめぐってではないかな。全電通闘争が
千葉闘争の後も続いたでしょ。やり過ぎ論や被害ばかりで何の利益も
ない、とばっちりを受けているという不満が柔軟派にあったし、社会
党の千葉だけでなく、福島も分裂し他でも対立が強まった上に、江田
離党問題の後、協会規制を招いたという批判が強硬派に対してあった
と思う。だから指導部層には強硬派への支持が少ないのだ。
410:革命的名無しさん
09/04/29 20:59:01
(質問5)
「社公民路線(現在の民主党支持)」に対抗するにあたり「左派」は、新左翼や旧反戦派の流れを汲む「労働情報」系などと大同団結して全労協として身を結ぶことになるが、日本共産党とも中道とも異なる潮流と共闘することに戸惑いはなかったか。
連合や民主党のサイドに移った協会メンバーへの心情はいかなるものか。
411:革命的名無しさん
09/04/29 22:43:34
協会の一部に根強くあったセクト主義、教条主義的な発想からは、労戦闘争
での旧反戦派との共闘は、否定的なふんいきがあった。しかし、これは闘わ
ない口実でもあった。国鉄闘争での共産党や独立左派との共闘、PKOでの
独立左派や市民派との共闘でも同じようなことがあった。
新社会党系協会(坂牛協会)の人々は民主党に行った人々や連合に積極的に移
行した人々に厳しいまなざしを向けている。これに対し社民党系協会(佐藤
協会)は民主党員も会員に含み、また連合を支持している。
412:革命的名無しさん
09/04/29 23:08:05
協会の左右対立は、協会中央だけでなく、地方や各単産でもあったん
じゃない。それこそ各地区・各職場レベルでの協会・社青同の支部や
班段階で激しい対立があったわけだ。また学生班協は、主流・反主流
で分派闘争になっていたと聞いてるね。
413:革命的名無しさん
09/04/29 23:18:09
「統一戦線派」と反合研グループとの間には、社会党や労組との対応
の他に革命理論や運動路線をめぐる見解の相違というものが存在した
のでしょうか。
414:革命的名無しさん
09/04/30 00:53:12
(質問6)
レーニン主義についての評価について。
かつての労農派マルクス主義の立場とは向坂理論は大きく乖離し、レーニン主義や前衛党を是認する立場をとったと聞く。とりわけソ連型社会主義への接近した経緯と現在の両協会としての見解を伺いたい。
また、協会じしんとしては民主集中制という組織原則を採用していたか。
415:革命的名無しさん
09/04/30 21:54:12
統一戦線派は、ソ連流の先進国革命論を採用していた。反独占統一戦線政府
による反独占民主改革を推し進めるなかで、社会主義革命へと発展させると
いう移行過程論をとる。統一戦線政府は、社会主義政権に向けた過渡的政権
と位置づける。反独占民主改革では、生産手段の民主的管理、労働者統制、
民主的国有化が行われると共に政治・社会制度の徹底的な民主化が行われる
そしてこの過渡的政権は、一種の二重権力とも言える状態と見る。
この見解はソ連が構造改革論を取り入れたものであり、ユーロコミュニズム
以外の欧米のソ連派の小さな共産党が当時採用していた理論である。
主要な論客として福田豊、近江谷左馬之助等
416:革命的名無しさん
09/04/30 22:18:17
反合研派は、古典的マルクス・レーニン主義に忠実で恐慌等の革命の
客観的条件の成熟により、一挙に社会主義革命を行うという、一挙型
・動乱型の革命論の立場にたつ。議会により統一戦線政府が成立して
も過渡的政権とか、二重権力と位置づけず、また統一戦線政府が必ず
必要とも考えない。条件が整えば一気に革命を行うべきだと考える。
また社会主義政権(ブロ独裁)でない段階の政府で国有化、労働者統制
・労働者管理が行えるはずがないという立場である。
そして統一戦線派はもとよりソ連の先進国革命論にも批判的である。
主要な論客は山藤彰(協会組織部)など
417:革命的名無しさん
09/04/30 22:51:08
統一戦線派の運動論は、文字通り、統一戦線運動である。これはソ連
が構造改革論を採用して恐慌等を革命の絶対的条件にせず、統一戦線
運動が拡大し、実際に統一戦線政府が出来れば社会主義への道が切り
開けるという見解に呼応したものである。それゆえ共産党や社会党他
派、そして労組と必要以上に対立を深めるべきでないと考える。
反合研の中心的運動は、職場反合理化闘争とそのための反合研運動で
ある。統一戦線も反合闘争を中心として考えるべきという見解である。
その目的のためには、独走も辞せず、党や労組で波風が立ってもやむ
なしと考える。また社会党内で協会路線による思想統一運動を強行し
た。これらが協会規制を招く原因となったともいえる。
418:革命的名無しさん
09/04/30 23:16:05
反合研の反合闘争を中心にした統一戦線論では、幅を狭め統一戦線形
成の妨げになるとの批判が協会主流からあった。また反合闘争をめぐ
っては、ソ連と反合研グループと論争があり、ソ連側は合理化絶対反
対ではラダイト運動になると批判した。反合研については産別反合研
だけならまだしも、地区反合研をつくることは、反主流派の派閥化、
地区での党派形成との批判があり、また社青同の反合だけ論や運動上
の作風にも主流派から批判が出た。
419:革命的名無しさん
09/04/30 23:30:32
いま書いていただいている内容から素朴に思うのですが、統一戦線派の戦略は、共産党の「民主連合政府」と相似してますね。社共共闘の延長上の発想でしょうか。
また、反合研派の論理は中核派と相通じると思いました。国労と動労千葉が激しく国鉄分割民営化反対闘争を繰り広げたのはこのような共通項もあったのからかと感じます。
420:革命的名無しさん
09/05/01 00:02:23
元々労農派のなかでも山川均はソ連に批判的で非レーニン主義の立場を
とっていたが猪俣津南雄や向坂逸郎は親ソ的でレーニン主義者だった。
山川の死後、向坂イズムで協会を統一し、日共からの流入組の働きもあ
り、マルクス・レーニン主義の立場にたつこととなった。また国際路線
として当時のソ連路線を全面的に取り入れた。これらは60年代の出来
事であるがその後ソ連の崩壊をへて、今日の両協会はマルクス・レーニ
ン主義の呼称を捨て、基本思想を科学的社会主義としている。ただし佐
藤協会が社会民主主義に接近しているのに対して、坂牛協会には古きマ
ルクス・レーニン主義に先祖帰りする傾向がある。また佐藤協会にも社
民化に賛成できない人々がいる。
協会は、かっては同人組織であったが、60年代の分裂前に協会の党派
化をもくろむ人々により、民主集中制がもちこまれた。分裂後協会は党
にはならないことを明確にしたが、民主集中制の原理は否定していない。
ただしそれはみんなで決めたことは守っていこうという程度の話で日共
のような民主集中制とは、まったく違う。とくに協会規制後はサロン化
し有名無実化した。尚、社青同は実践団体なので民主集中制の組織原理
にたつが派閥、分派活動が昔から盛んな組織であるので民青とは様子が
だいぶ違っている。 以上414(質問6)へのお答え
421:革命的名無しさん
09/05/01 05:20:10
向坂協会のセクト主義傾向は、日共同様民主集中制により内外で実行されていたと思うが…。
とはいえ、当方の一方的で失礼な質問に極めて誠実に解りやすく解説していただき、ありがとうございます。
たぶんいづれかの協会のメンバーの方だと思いますが、今後ともよろしくお願いします。
ということで次の質問。
422:革命的名無しさん
09/05/01 06:02:58
(質問7)
「社会民主主義」の定義と使われ方について。
協会の強力な推進により、旧社会党は「道」を採用、ソ連型社会主義に接近する。しかしながら、議会や労戦で多数派をとらんとする手法は社民にほかならず、外部からは日本型社会民主主義と見なされている。
「社民」とは協会においてどう定義なり評価されてきたのか。
423:革命的名無しさん
09/05/01 15:46:20
オレは当時は森田選挙をなんの矛盾もなくやっていましたよ。組合の支部もまさにそんな雰囲気。
森田さんを民社党に追い込んだのは極左派セクトの連中でしょ。彼はあのときいいことをいっていたが、野次ったはみ出しもいたと記憶してます。
内田なんて無名の人間出して議席もとれなかったわけだから、まあ彼らの負けですよね。
424:革命的名無しさん
09/05/01 19:44:52
>>423
その森田が自民党に行ったことに対する反省は無いのかよ。本当に協会って糞だな
425:革命的名無しさん
09/05/01 21:13:18
まったく矛盾を感じなかったという社会党員や支持者はいなかったはずだよ。
ましてや協会系ならなおさらだ。
426:革命的名無しさん
09/05/01 21:43:15
労農派は戦後自らを社民と位置づけず、他者から社民と呼ばれることも拒絶
していた。それは協会になってからも同じ。60年代以降は、協会では社民
は民社党と同一視されていた。協会は自らをマルクス・レーニン主義者と位
置づけていたのである。その後ソ連型の社会主義が崩壊し、協会自身も分裂
した今日では、佐藤協会は自らを科学的社会主義者の集団としつつも社会民
主主義に接近する立場にたっている。坂牛協会は現在でも社会民主主義を受
けいれていない。(注)この場合の社民とは現代西欧社会民主主義のこと。
427:革命的名無しさん
09/05/01 22:17:44
419さんの言うとおり協会主流の考えは、日共と同じ発想があります。
それは太田派とか民学同とか60年代の構革派にも共通しています。
発祥がイタリア共産党の構造改革論だからです。社共共闘は統一戦線
の具体化であり、社共共闘からこうした発想が出たわけではありません。
たしかに中核の論理や心意気と共通の面もあるかもしれませんが、反合
研の人々を中核と一緒にしたらかわいそうかもしれませんね。運動論が
まったく違いますから。
428:革命的名無しさん
09/05/01 22:40:53
んー、比喩で言ったわけで少し失礼しました。
まあ、「動乱型」といえばあの党派が思い浮かんだわけです。
国労の現場活動家が動労千葉と心情的に近いところにあったんではないか?と思っただけ。
429:革命的名無しさん
09/05/01 22:55:41
蛇足ながら、動労千葉の中野洋委員長は国労の岩井章顧問と親しかったし、岩井顧問は中核派系集会にしばしば招かれていたと思います。
430:革命的名無しさん
09/05/01 23:25:54
岩井さんは別格の人でいろいろな人々と協力・交流をしていましたか
らね。協会本体にはそういう幅の広さはないです。
動乱型といえば協会左派には本当に平和革命なのか疑いがあるのも確
かです。入口-平和革命、出口-暴力革命的なところがありますね。
1948年チェコ革命を参考にしていました。またイラン革命は平和
革命といっていた人もいました。本格的武装蜂起・内乱でなければ平
和革命であるということらしいです。
431:革命的名無しさん
09/05/01 23:46:27
少しばかり厭味な言い方をすれば、
宮顕の友人チャウシェスクは「動乱」で処刑されましたが、
協会の友人のフサークやホーネッカーは「平和的に」退陣、放逐。
向坂師匠がこよなく愛したソ連の、ペレストロイカははじめは平和、末期動乱で消滅しましたが、ゴルビーは今なお健在です。
432:革命的名無しさん
09/05/02 00:29:03
そういう有様を見て佐藤協会は、社民主義に接近しているのかも。
433:革命的名無しさん
09/05/02 00:56:24
ゴルビーが生き残りに成功したのは実際はかなり前からひそかに社会民主主義者だったからかも。
だってペレストロイカとかグラスノスチやらまさに社会民主主義そのもの。
(質問8)
社会主義協会や協会員は、80年代半ば以降のソ連の、ゴルバチョフ書記長指導下の一連の国内改革路線について、当時どのような見解や思いだったか?
434:革命的名無しさん
09/05/02 07:26:11
>>423「社会主義」で内田支持を訴えた協会本体の負けかw
435:革命的名無しさん
09/05/02 10:54:33
元々守旧派、教条派が多かった協会は、ペレストロイカが始まったことに
とまどっていたはず。それが後戻り出来ない情勢にあることを認識した後
は、懸念をもちながらも社会主義再生に向けて期待をしていた。その後東
欧社会主義の崩壊、ソ連内の混乱を受けて、社民指向の北海道はソ連改革
支持、教条派からは反対の意見が出たが注目すべきはソ連東欧が官僚主義
に犯されており、人民主権がなおざりにされているので改革は成功せず、
社会主義は崩壊し、市場経済導入は資本主義復活を招くだろうというある
意味過去新左翼が主張してきたものと似た論調を採用していることである。
またスターリン主義弾劾とトロツキー、ジノビエフ、ブハーリンらの名誉
回復を求める主張もあった。
436:革命的名無しさん
09/05/02 11:58:48
(質問9)
89年の東欧革命以降、政権の座にあった友党がレーニン主義を放棄し社民化したり、解党する事態が起きた。日本共産党は勿論、新左翼さえ、前提としていたソ連圏の崩壊に動揺を隠せななった。
社会主義協会や協会員はこの一連の冷戦集結状況を当時どうとらえ、現在定着した評価を伺いたい。
437:革命的名無しさん
09/05/02 13:05:45
冷戦終結というより社会主義世界体制の崩壊、とりわけソ連の崩壊に衝撃を
受けていた。末端活動家や支持者の間には、だまされた等の不信と失望感が
あった。指導部層からは堰を切ったようにソ連批判が出たが協会がソ連派と
してソ連を賛美し、擁護してきたことへの深刻な総括や自己批判は少なかっ
た。ただソ連東欧がML主義の原則からはずれていったので崩壊したという
見解とそもそもソ連型社会主義そのものに欠陥があったという見解があった。
現在坂牛協会は前者の立場。佐藤協会は後者の立場。
438:革命的名無しさん
09/05/02 13:46:15
(質問10)
社会主義協会及び協会員が標榜してきた「マルクス・レーニン主義」の性格と類型について。
スターリン批判以降のソ連型社会主義の模倣とみるべきか。日本のこえ派など他親ソ派との比較はあるか。
スターリン期のソ連型社会主義への協会の評価について、スターリン批判前後で比較されたい。
439:革命的名無しさん
09/05/02 14:45:12
国際路線は、ソ連共産党路線の引き写しであることは指摘されていた。日本
のこえ等とも違いはほとんどないはず。ただ日本のこえ等は平和共存、核軍
縮、国際緊張緩和等を強調していた。協会はその点について特に異議がない
ものの、むしろ社会主義世界体制、民族解放勢力、資本主義国内労働運動の
三大革命勢力の前進による世界革命過程と位置づけ強調点としていた。日本
のこえ・民学同の民主主義路線に対する階級闘争路線派といってよい。
あえていえば国内路線もソ連派が統一戦線派。国内路線は独自路線が反合研
派(向坂イズムと三池労働運動)といっても差し支えない。
元来山川均はソ連スターリニズムにきびしい評価をしていた。これに対し向
坂逸郎はスターリン崇拝者ではないが否定でもない是々非々のスタンスか。
スターリン批判の衝撃は協会にとって衝撃どころか自分たちの主張の正しさ
を証明するものとして肯定的に受け入れられた。ただスターリニズムに対す
る研究はその後深化せず、特にフルシチョフ失脚後の状況下ではスターリン
再評価すら一部で行われていたが他方でスターリンに否定的な見解もあり、
協会潮流としての固定的見解を出しきれていなかった。
440:革命的名無しさん
09/05/02 16:43:13
(質問10)
統一戦線と共同戦線のちがい、論理と実態ついて
かつて山川均は共同戦線党たる単一大衆政党をマルクス主義者が推進する路線だったが、社会主義協会は日本社会党でこれを踏襲していたか。
統一戦線や共同戦線の相手として考えられた党派やグループは具体的にあったか。当初社会党は三派全学連にも寛容だったと聞く。
441:革命的名無しさん
09/05/02 19:34:32
協会は戦後の社会党を共同戦線党のままで存在させていくつもりはなく、明
確な左派社会主義政党に発展させるつもりだっだ。とりわけ60年代以降は、
マルクス・レーニン主義政党に党を純化させるのが協会の目的と任務になっ
ていった。例、左右社会党合同反対、西尾派追放、70年代の強引な党純化
の為の活動。
共産党や無党派、市民運動の人々を中心に考えられていたはず、ただ全野党
共闘路線ということもあり、公民両党を頭から排除してはいない。また独立
左派系は共産党が嫌がるので労組や市民運動という形で参加を願う形も考慮
していただろう。急進左翼については一時期共闘していたこともあったが、
武闘路線になってからは共闘はむつかしくなった。
協会規制後は党の純化路線自体が誤っていたという議論が福田グループから
出ており、その後も議論となっていた。現在佐藤協会は、共同戦線党論の立
場をとっている。坂牛協会はこれに対して共同戦線党論を否定しているが、
新社会党に対しては、強引な純化活動をせずに柔軟な対応をとっている。
442:革命的名無しさん
09/05/02 19:53:22
協会における対立については、おおよそわかりましたが、その時
社青同はどういう状況だったのでしょうか。
443:革命的名無しさん
09/05/02 21:20:37
(質問11)
上記記述から察するに、佐藤協会メンバーの一部が民主党内で活動しているが、民主党が(反自公連立政権の)共同戦線党と位置付けるゆえか。
社民党についても、佐藤協会メンバーのみならず様々な潮流が参加している現状では共同戦線党的政党と考えているのか。
444:革命的名無しさん
09/05/02 21:38:40
協会と違い、社青同は強硬派の方が多数派だった。71年の社青同再建以来
主導権を握ってきたこの傾向は、党、労組内での激しい闘争で軋轢を起こし
ていた。また職場での活動も思想闘争主義で教条的、観念的な傾向があった。
一人よがりの運動が同盟の孤立化を招き、懸念が広がっていた。
またその反合理化闘争だけ論は、政治闘争を軽視し「生命と権利の闘い」だ
けを繰り返し言うイノケン派とよばれていた。
指導者は、山崎耕一郎委員長、清水由紀郎副委員長など。特に清水思想闘争
主義の影響は重大で早晩路線転換をせねばすまない性質のものだった。
尚、当初社青同主流派(イノケン派)は、反合研派=灰原派と一体と思われて
いたがしだいに清水路線が独自のものであることがわかってきた。
445:革命的名無しさん
09/05/02 22:03:58
社青同反主流派は、協会主流派(統一戦線派)と繋がっていた。主流派
の職場での教条的、画一的運動に反発し、路線転換を求めた。また主
流派の政治闘争の軽視に批判的で政治闘争の強化を求めた。
北海道、新潟、宮崎など 尚、神奈川は中間派とよばれていた。
社青同の全国大会での路線論争のほか、地本、支部段階での論争もあ
った。学生班協でも東洋大学班などを中心にする主流派と中央大学班
を中心とする反主流派の間で激しい論争があった。
446:革命的名無しさん
09/05/02 22:42:17
主な論点 思想闘争主義にもとづく「生命と権利の闘い」は孤立する。
社青同の運動は、幅が狭く特に政治闘争が弱い。
春闘で何十万円の賃上げ要求を出すのは、非科学的で混乱をもたらす。
各職場の実態を踏まえず、画一的に戦術を押し付ける。
情勢を無視して職場で突出した闘いを繰り返し犠牲ばかり出ている。
運動の作風が教条主義的で独善的、大衆闘争路線に欠ける。
学生運動で労働運動の引き写しを行っている。
447:革命的名無しさん
09/05/02 23:16:59
これに対する主流派(イノケン派)は、思想闘争が「生命と権利の闘
い」の核心である。ただ労働者の生命や権利を守るだけなら、物取り
主義であり、日共や民同でも取り組む。
政治闘争は、党、労組、民主団体でやればいい。社青同は反合職場闘
争を闘い、またその為の学習・交流をするところである。
春闘で配慮した要求額をというのは、仲間の要求を抑え込むことである。
などと反論していた。
そして主流派の戦術行使に従わない拠点班に分派闘争を仕掛けたり、批
判的な同盟員に右傾化している!社青同ではない!などとレッテルを貼
り、相変わらず職場での教条主義的観念的な運動を繰り返し、孤立化し
て後退していった。また学生運動でも労働運動の引き写しで混乱と停滞
を招いた。
448:革命的名無しさん
09/05/02 23:59:58
なんだか中核派の安田中央派がやっている動労千葉崇拝運動みたいだな。
協会本体の統制が及ばないところで始末の悪いセクト主義+カルトが醸成していたのだろうか。
449:革命的名無しさん
09/05/03 00:19:38
つーか、社青同はおもてむき社会党と協力関係にある自立した青年政治同盟だから、協会本体からの統制も及ばない治外法権だったんだろうか。
そこらへんいかが?
450:革命的名無しさん
09/05/03 11:51:22
協会-社青同は、日共-民青のような上部組織-下部組織という関係では
なく、社青同は独立した組織であり、協会の指導は思想的、精神的な指導
に限られるから、一旦社青同が協会中央と別の傾向に染まると指導は、難
しくなることになる。そこで「始末の悪いセクト主義+カルトが醸成」さ
れることになり、それに協会主流が気がついても「統制」など不可能にな
るのである。
451:革命的名無しさん
09/05/03 12:22:19
443 (質問11)への回答
民主党への協会-社青同メンバ-の参加は、労組の意向、単産・単組
の事情で決定されたものであり、協会の指導制とは関係ない所で決め
られたものである。その選択を後の佐藤協会の中心になる人々が容認
したというのが真相である。民主党に対して佐藤協会も共同戦線党と
いうように積極的に評価しているわけではない。共同戦線党は、社会
主義政党の範疇に入る政党に限って認定されるものであり、民主党は
含めていないはず。社民党に対しては、佐藤協会として共同戦線党と
認定し積極的に評価している。これに対し坂牛協会は、社民党は西欧
型社会民主主義政党になっており、共同戦線党ではない、と佐藤協会
を批判している。
452:革命的名無しさん
09/05/03 13:54:02
(質問12)
社青同主流の一人歩きや、協会員が民主党で活動する外因性の指摘からは、協会が大衆組織や関連組織にたいしての指導性が、協会の理論集団という性格上、限定的だったと理解していいものか。
社青同主流の路線なり人脈はその後、協会、社青同、労働団体への影響を残しているのか。
453:革命的名無しさん
09/05/03 14:59:47
前衛党-下部組織という関係でない以上、その指導性は、限定的だと言って
よい。特に協会規制後、協会がサロン化するとその指導性は弱まった。協会
の指導性が強かった時は、向坂代表のカリスマ的指導性とその周りを取り巻
く指導部の一枚岩の団結が健在だった頃である。(75年頃まで)
社青同主流は、80年代に分解して今日そのままの路線を引き継いでいる人
は、ほとんどいないはず。ただ政治闘争への消極性や視野の狭さ、官公労+
本工主義、一職場タコツボ闘争などは社青同で引きずっているかもしれない。
社青同主流派の指導部は、現在それぞれ佐藤協会では社民化の先頭に、坂牛
協会では教条的ML主義への先祖帰りをしているが共にかっての路線とは違
っている。
454:革命的名無しさん
09/05/03 16:20:00
80年頃になると協会主流派と反主流派にそれぞれ分岐のきざしが出
てきた。主流派のなかの学者・理論グループがアフガンやポーランド
問題でソ連に批判的なスタンスをとり、反主流派と激しい議論となっ
た。また社会党の「道」見直しに際しての「参加と介入論」や国労の
「民主的規制論」に同調する学者に反合研グループより厳しい批判が
出た。これに対し主流派の佐藤事務局長らは、親ソ派としてソ連批判
に与することは出来ず、また右派主導の「参加と介入」論に深く関与
することには否定的だったので、しだいに主流派の間で佐藤事務局長
と福田事務局次長兼「社会主義」編集長のそれぞれのグループに分岐
が始まりつつあった。
また反主流派のなかでは、協会ではなく社青同において分岐が始まり
つつあった。社青同主流の清水路線による思想闘争主義が社青同に混
乱と孤立化をもたらしていることに憂慮したまなぶの活動家を中心に
した人々が大衆闘争路線の再構築のために主流派内部から結集し始め
たからである。
455:革命的名無しさん
09/05/03 17:10:13
(質問13)
ここまで解説を総合すれば、社青同が協会のような分裂を招かなかったのは、
(1)そもそも協会に指導される正式な関係がうたわれていない。
(2)協会の影響低下で距離感が生まれ、逆に規制の影響を排除できたこと。
(3)職場交流会化することで、論争の火種となる政治闘争を忌避したこと。
456:革命的名無しさん
09/05/03 17:18:49
(4)イノケン主義の影響がなくなったあともその体質が色濃く残った。
(5)協力関係にあった日本社会党が、社民党と新社会党ほかに分岐し、特定の政党との協力関係が消滅した。
だいたい以上と理解して3か差し支えないか。
457:革命的名無しさん
09/05/03 17:22:55
決定的な対立は福田豊教授らの学者・理論グループが出した「現代資
本主義と社会主義像」という本からである。(82年) ソ連批判とプ
ロ独裁否定などユーロコミュニズム、ユーロレフトの立場に立つこの
本に対し、反主流グループは協会テーゼに反する猛然と批判をした。
また佐藤事務局長らも福田グループに批判的立場をとったので福田グ
ループは必死に防戦につとめたが孤立化した。
これによって協会は三つのグループに分かれていることが確認された。
ひとつは、佐藤派 佐藤保事務局長、川口武彦代表代行、篠藤光行、
近江谷左馬之助、山口敏一、坂本秀行、成清泰道など協会・労大や
党、労組の指導部に支持者をもつ実権派。理論的には従来の統一戦線
派の立場を引き継ぐソ連派。三つの見解のなかでは中間派となる。
弱点は社青同など若手活動家をあまり組織していないこと。
458:革命的名無しさん
09/05/03 17:44:52
ふたつめは、福田派 福田豊事務局次長、鎌倉孝夫、田中慎一郎、
御園生等らの学者・理論グループ、「社会主義」編集部、社会党本部
書記局グループ、協会北海道、東北支局、各労組の協会系民同幹部、
党地方組織の専従者グループ、社青同反主流派など理論的にはユーロ
コミュニズム、ユーロレフトの立場にたつ協会右派。
弱点は福田教授の行動が先走りで下部活動家や社青同反主流派にとま
どいを生み、一致して抗戦することが出来ず、社青同反主流派の解体
や協会からの活動家のなし崩し離脱を後々招いて行く。
459:革命的名無しさん
09/05/03 18:08:23
70年頃、中大の友人が入ってました
中大学生班はまだあるのでしょうか?
なくなったとしたら
どのような経過をたどったのでしょうか?
460:革命的名無しさん
09/05/03 18:17:44
三つ目として灰原派、灰原茂雄協会学習部長が指導者。協会学習部
(旧組織部) 社会党千葉県本部協会派。社青同主流派、国労、電通
反合研、地区反合研など向坂イズム、協会テーゼにもっとも忠実な
グループで協会左派。協会外からも教条派、強硬派と思われいる。
弱点は協会・労大、党、労組指導層や各級議員にあまり支持がない
こと。このうち統一戦線派が分裂して出来た佐藤派と福田派が対立
状態で佐藤派と灰原派が連合を組むことになり、福田事務局次長ら
の孤立・協会離脱につながっていく。
尚、この三つのグループの他に社青同主流派内に形成されはじめた
まなぶの活動家を中心とした三池研またはまなぶ派とよばれたグル
ープが大衆闘争路線をかかげて現れるのもこの頃からである。
461:革命的名無しさん
09/05/03 23:04:26
455、456、(質問13)への回答
(1)そのとおりだが、同盟の主導権を社民党-佐藤協会系が握り、新社会党
-坂牛協会側もあえて同盟を分裂させる必要がないからである。
(2)規制の影響とは協会からの規制のこと?それとも協会が受けていた規制
いわゆる「協会規制」の余波のこと?いづれにしても協会両派も社青同指導部
も分裂する必要も意味もないと考えたからでしょう。そんな活発な組織では
なくなっていたから。
(3)結果的にそういう事になったと思う。政党の選択に関心がないんだそう
だから。
(4)視野の狭さや職場唯一主義などの影響はそのとおり。
(5)佐藤協会は社民党と民主党に分かれているから社青同を社民党の支持団
体にするわけには、いかない事情もあると思う。坂牛協会も社青同内に分裂
させるにふさわしい部隊があるわけではないので分裂させる必要もない。
結局、団体として成り立たしていくには、分裂しないで置く方が良いとの利
害の暗黙の一致があったのだろう。
462:革命的名無しさん
09/05/03 23:25:50
459さんへのお答え
中大班はもうないでしょう。というか学生班のほとんどがすでにない
のではないですか。
中大班は社青同主流派がイノケン路線で学生運動も染め上げようとし
ているのに反発して反対派活動をしたけど主流派に敗れたと聞いてい
ます。そうした内部対立と労働運動の引き写しによる混乱と停滞、そ
して社会全体のなかでの学生運動の退潮もあって社青同学生班全体が
衰退し、また協会の内紛-福田グループ離脱の影響もあって姿を消し
ていったと聞いております。正確ではないかもしれませんが。
463:革命的名無しさん
09/05/04 00:06:17
●●組織的人間破壊としてのファシズムと超過利潤による買収●●
取りも直さず超過利潤による買収とこれと交換に行われる不法不当行為は全国的であり、
かつ組織的なのである!誰がこれらの不当不法行為の立案指揮をしているか、との問いには
屹然と韓国ライオンズクラブである、と答えるべきは当然なのである!
闇に潜んで不法不当行為を陽の目を畏れつつ遂行する輩どもには人間性破壊、ファシストと言う
刻印が捺されるは極めて当然である!
この人間性破壊すなわちファシズムはありとあらゆるおよそ人間に関連するものを
すべて破壊し尽くすのである!虚偽偽善虚飾に始まり、暴走族を経過して親殺し子虐待殺人に
行き着く、これらの全経過を支配しているものは韓国ライオンズクラブと超過利潤買収
以外に一体何があると言うのであるのか?
また、これらの仕組みを知っていながら仕返しを恐れて沈黙を守る者は戦前戦中の
極めて過酷で困難な民主主義の為の闘争に想いを馳せる事の能わない何処かに欠陥を持つ
これまたファシズム延命に手を貸す卑怯者である事を付け加えて置こう!!!!
464:革命的名無しさん
09/05/04 09:27:08
(質問14)
協会員(甲)と社青同同盟員(乙)の重複状況または二重加盟について
甲である労働組合活動家や専従者であればだいたい乙であり、また逆も然りか。
甲乙両方の加盟について、一方或いは両方の機関承認または当該者の届出を要するか。
または、性格の異なる組織ゆえ、暗黙の了解になのか。
465:革命的名無しさん
09/05/04 11:28:25
普通労組青年部員なら青年部活動からまなぶの読者にさらに社青同に入れて、
次に社会党員に最後に協会に入会というパターンが多かった。
学生は、自治会やサークル活動で育った人が社青同に加盟する。さらに先進
的学生が入党するが学生活動家中の多数ではないと思う。学生は通常協会に
入会させていないはず、例外はあっただろうが。
若手活動家で同盟員、党員、協会員を兼ねていた人はいた。年令的に青年で
なくなれば、青年同盟を卒業する。その場合は、党員で協会員となる。
また、協会系活動家でも協会に入会せず、党員のみ、党員と同盟員のみ、あ
るいは同盟員のみの人は当然いた。
双方の組織は、別組織なので承認・届けは必要ない。ただ地区の協会の会議
でその地区で社青同加盟者がいれば報告があるのは、不思議なことではない。
ただし承認とか届出ではなく、あくまでも会議での報告である。