09/03/14 10:56:20
日中間で歴史問題が最大の障害になったのは89年の天安門事件後、江沢民政権が発足してから
だった。それ以前も歴史認識をめぐり、中国側はしばしば日本批判を展開したが、日本側が反省の態度
を示し、短期間に決着していた。
それが江沢民政権下では、反日愛国が全国民的教育運動になり、それが交流や交易に影響を及ぼす
ようになった。
江沢民主席訪日の20年前、訪日したトウ小平(しょうへい)氏は、昭和天皇の「過去に不幸な歴史が
あった」とのお言葉に、「ほんの一時期のこと」と述べて、問題にもせず、友好ムードをつくることに努めた。
歴史問題は72年の国交正常化で解決済みとの立場だった。
歴史問題に関しては毛沢東の有名な言葉がある。64年7月に、佐々木更三氏ら社会党系5団体訪中団
との会見で、次のように話した。
「日本の友人が皇軍の侵略を謝ったので、私はそうではないと言った。もし皇軍が侵略しなかったら、
中国人民が団結し立ち向かうことも、共産党が権力を握ることもなかったのです」
毛沢東は、30年代に蒋介石軍の攻撃で革命根拠地を放棄して長征を行い、30万の軍が2万5000に
減ったこと、日本軍の侵略により蒋介石が抗日で共産党と協力せざるを得なくなったことを話し、「これで
皇軍に感謝しなくてよいと思いますか」と述べている。
トウ小平氏もこれと同じ話を77年10月に訪中した三岡健次郎元陸将らにしている。それは毛沢東が
対日正常化前、反日感情を抑制するために行った教育運動に基づいてもいた。