09/11/30 18:33:14
ここで誤解が無いように述べておきたいのだが、
俺や反響文士氏(だと思う)が定義してる「暴力」という言葉は
ありとあらゆる事柄に付きまとうやっかいな『支配力』の事だ。
暴力という事場(誤字では無い)が含む物はそれこそ多様で、
人が行使する力の全てに張り付いてしまう。
例を挙げれば、軍事力や喧嘩で個人が個人に対して振るう拳や罵詈雑言、
武装による恫喝から文化による強制力まで、暴力はそれこそあらゆる関係性に潜む。
又、人の領域を超えた自然災害も純粋暴力(根源暴力)という概念として「暴力の一部」に定義される。
つまり、広義の『暴力』とは世界のあらゆる理不尽の事であり、あらゆる関係性の影の仲介として成り立ち、
かつ物事をその裏側から制御している「場を支配する力」の事。
それが、マルクス思想であるにしろ、また広義のコミュニズムであるにしろ、
国家と政治とそして家族のような小規模な共同体であるにしろ、それを制御している物は何か?を
考察する為には『暴力』という概念を徹底して理解する必要があると思う。
暴力が生み出す弊害を乗り越える為には、先ずは『暴力』についての徹底した考察が必要になる
ただそれを、やみくもに忌避し嫌悪するだけでは「支配する力を道具として使用する事」は不可能だろう。
暴力を忌避するだけでは、自らが生み出してた道具に逆に支配され『疎外』されてしまう倒錯を招くだけ。
(何よりも平等を志向した筈の旧来の社会主義国家が何故、国民を疎外し抑圧したのか、考えて欲しい)