10/01/13 16:11:27 JUJk+7Nb0
>>266
そこは、現代文という科目の本質にせまるような重要な疑問。
で、現代文で、「どういうことか」「なぜか」と聞かれた場合、小説・論説限らず、科学的意味での原因とか本質を尋ねてはいないんだよ。
たずねられてるのは、執筆者視点での「言い換え」。そうおもって、あなたがしっくりこない問題と答えを読み直してみるといい。
そして、
言い換えるときは、辞書的・構文的に決まってくる言い換えがまず一次的にあり、
そのうえで、比喩を言い換えたり、省略されている部分を補完したり、総括的な表現を敷衍したり・・・などの場合に、
文脈的にほかから引用してきて言い換える必要が二次的に出てくる。そして、ほかからの引用を
そのまま表現するんじゃなくて、うまくまとめて表現したり、場合によっては引用部分を的確に表現するために
さらに引用したり・・・となる(どこまでやるかは、記述スペースで決まる)。
センター試験現代文は、回答例が肢として出ているなかで、①辞書的・構文的に決まってくる言い換えをうまく言い換えてるか
②文脈的にほかから的確に引用できているか、の吟味が多くの場合ポイントになる。
たとえば、「要するに」というのは構文的には順接的か逆説的かといえば、順接的だから、想像の内容は、結果と矛盾しないものになる、とか、
たとえば、小説で、心情を聞いてくる場合、直接にはどこにも書いてなかったら、その前提となる事実の
引用が的確にできていないとならないので、、「手紙」が必要だな、とか考えることになる。
そのうえで、全体と整合性のある心情であれば、その心情そのものは
たとえば、「痛ましくおもってる」でも「かわいそうにおもってる」でも、どっちでもいい、ってことも多い。
あと、「ほかからの引用のしかた」に、小説には、論説とはやや異なった小説的な論理・作法があると考えると、納得しやすいわけ。