09/07/03 03:30:18 8whr3nnw0
>>870
正確な推移を示したグラフなどはないけど、様々な記事を見ると
大正時代の学生数が約1万人。第二次大戦直後が2万5千人程度。
ところが戦後、古田重二良という人物が理事になってから
異常なスピードで学部学科新設、付属高校新設が行われ学生数が一気に4倍の10万人に膨れ上がった。
入学定員の何倍もの合格者を出すよう古田が指示していたようで、講堂に学生が入りきれなかったそうだ。
おまけに当時は学費も他の私大と比べて1.5倍~2倍と高く、
日大の収入は昭和33年の30億円から10年後の昭和43年には約300億円にまで伸びた。
この異常な儲け主義のせいで日大闘争が勃発し、
古田は両国の講堂で1万人の学生に取り囲まれて謝罪を行っている。
古田が大学を去ってから定員を大幅に超える合格者を出すようなことは無くなったので、
学生数は結果的にはかなり減った。それでも7万人くらいいるけれどね。