08/07/03 14:47:35 bkNc7vs00
【標準問題】
デリー王朝以前の古い北インド王朝は仏教との関係が問われやすい。
次の中で、誤りを含む文はどれか?
1。前3C、マウリア朝3代アショーカ王は仏教に帰依し、輪廻転生の象徴として
彼が好んだ「車輪」の絵はインドの国旗にも採用されている。
2。クシャーナ朝はイラン系の外来王朝で、カニシカ王は大乗仏教とガンダーラ
仏像を広め、これが中国・朝鮮・日本に伝来した。
これに触れた東晋の僧・法顕(ほっけん)は苦難の末、インドを訪れた。
3。4~6C、グプタ朝では純インド系が復活し、アジャンター石窟などの仏教が
盛んになる反面、民衆にヒンドゥー教が確立した。
4。ヴァルダナ朝の時に、ナーランダー仏教学校が創設され、唐の玄奘が来て
ここで5年間勉強して帰った。
5。その後、7C後半より北インドは分裂し、中央アジア系が乱立した。
唐の僧・義浄は、法顕や玄奘にあこがれてインドを目指したが、彼がやって
来たのはその頃であった。
【応用問題】
玄奘が陸路を取ったのに対し、30年後、義浄は海路を取った。
ヒマラヤ超えが難しくなった事情からだ推察されるが、その事情を
簡単に説明し、さらに当時のモンスーン航海についても言及せよ。