09/12/03 18:53:22 jLlds2wAP
>>「俺にも『客観的な読み方』ができるかもしれない」
と思わせといて、実際は記述ともなれば予備校間、講師間でも解答が違うという事実にぶちあたる
解答に盛り込むべきポイントは決まってるよ
解答が違うのは組み立て方や表現が違うもしくはポイントを外しているか
>>田村という講師が消えたのは、不可能なのに「客観的に~」と謳って生徒を集めたために、現代文だけでなく英語や社会や数学の講師からも批判されまくったから
今でこそ「客観的に読めれば現代文はできる」などという講師は少ないが、当時は客集めのために真似した講師が続々現れた
田村先生が他教科の講師から批判されたなんて事実はないけど?
入試が客観的なものなのは当たり前で、そうでなければ選抜試験にはなりえないよ
そして主観的な意見などは小論文などで試されるもの
>>それを知ってか知らずか、九大だか北大だかが「真に客観性を持つものは存在しない」なんていう文章を出題し、それ以来そういう講師は数を減らす
東大や記述を課す私大も、設問者が文章の中でランダムにではなくなぜその部分を問うのか、
それを考えて自分の言葉で要求に応えられる学生がほしい、記述を見れば単に文章を読んだだけでなく出題者の意図を汲み取ってくれたかがわかる的なことを言った
出題者の意図を汲み取るには文章と設問を客観的に見ないと不可能だけど?
それに自分の言葉で表現するのと客観的に文章を読み解くのは矛盾しない
>>こういうことは、鉄録会が英語で構文主義に走っていたら東大が構文主義的な学生は落ちるような試験にすると発表したように頻繁に起こっているらしい
甘い言葉に騙されないで、ちゃんと自分の頭で考えるようにしたほうがいいと思う
英語だろうとなんだろうと対象を客観的に見ることができないと自分の頭で
考えることはできないよ
客観的に見れるからこそそれに対して自分なりの考えを抱けるからね