09/12/14 11:11:57 4ArsJK350
「評論を評論として」あるいは「文章を文章として」読めるんだったら何も書き込まないででいいんじゃない?
でもそんなん筆者本人以外無理でしょ。
筆者は自分とは別の思考法を持つ人なんだから、絶対文章には筆者にしか素直に理解出来ない表現・話の進め方がある。
だから、例え段落番号を振らなくても、読者は常に頭の中で文章を自分にわかる表現・話の進め方に置き換えながら、
文章そのままではなく組み替えた結果分かったいいたいことを読むことになる。
評論を読むプロの教授たちは何十年もやってるんだからこんなのは無意識で出来るんだろう。
それが出来ないガキのためのものが学校や予備校の授業じゃないの。
(俺らは内野師とも小川師とも違う思考法を持ってるんだから100%真似るのは効率が悪い。
最善は、いつもこれで満点取れる!っていう自分なりの読み方を確立することだろ。
なかなかできそうにないけど。)
だから段落番号がいるかどうかなんて、別にそれ自体が良い悪いの価値なんて持たない、
慣れや個々人の思考法の問題でしかない。
どれだけそいつが頭の中で筆者のいいたいことをまとめられるかの違いでしょ。
そのまとめの補助として、評論のプロより未熟な予備校生が
段落番号振るのは何もおかしなことじゃないと思うんだけどどうだろう。
長ぇ。ごめん。