09/03/28 11:26:01 0gPpmv1h
>>74
いろいろ詳しく知っていますね。
Tでいえば、どの程度を求めていたかによるだろうけど、社長の謝罪がなかったわけではない。
最後の日、実際に社長の話を聞いていると切なくなって、思わず涙が出そうになったのだから。
でも廃業の決定が社員に説明されたのは、結局最終日の夕方になってからだったのは事実。
年末から残業や休日出勤をして、一気に3ヶ月分の製品を作っているときも半信半疑。
まあ、ロボット設備や金型、作り溜めの製品を運び出し始めたので嫌でも気づかされたけど。
その時期は他社も暇だったのだろう、最終的には駐車場が溢れるくらいに押し寄せてきて圧倒されたw
Yの設備関係?の社員がT内に常駐を始めたときも、最初は先を見据えた技術指導だと思っていた。
それが仕事を引き上げる準備に変わり、やがて他社のラインにも広がっていった感じ。
どの時点で再建を諦めたのか、あるいは最初から計画通りだったのかは末端には分からないけど。
廃業日に戻れば、社長が強調したのは『法律に従って』ということのみ。
破産手続きを取るので勝手に資産の処分はできない、債権処理も裁判所の判断に依るとしか言わない。
だから社員の口から出てくるのは給料や解雇予告手当て、退職金の話ばかり。
3代目社長で、会社や社員には様々な思いがあり、子供のころから生活の礎になっていたはず。
その会社を『マツダ関係最初の廃業』にしたのだから、まあ辛い決断だとは想像できる。
でも、いろいろな経緯があったにしても、結局は『逃げた』としか言い様がない。
実際、どの程度社長らしい仕事をしていたのかはよく分からない。
工場内の姿で印象に残っているのは、不良品の選別や不良パレットの修理などの云わば雑用。
そんなものはほかの社員にさせればいいのに、そういう強い態度に出られなかったということか。
少し社長を庇えば、まわりの幹部社員の無能さも相当なもの。
倒産前でも社員数50人超規模はあったのだから、柱になる社員が各所にいてもよさそうなのに。
その役職のついた社員が結果的には退職金等々で最も泣きを見る羽目になったのだけれど。
最後に自戒を込めていえば、ぬるま湯に浸かっているうちに環境に慣れたことがある。
社長を始めとする上司からきつく叱責されるわけでもなく、自分の仕事だけ淡々とこなせばよかった。
高いレベルを求められることもないので、それに順応し、満足していた。
ここやまちBBSに書かれているような古い話は知らない。
でも自分のことと併せて、潰れる会社にはそれなりの要因があるということ。
それを知っていれば別の選択ができたかというと、同類を求め同じことをして、やはり後悔していそうだけど。
長文、失礼しました。