10/07/04 13:40:47 5yyy5YdS0
>>397
「負け組と見なされている人」というのは、
社会制度の公平性が揺らぎ多様性が失われた結果として、今日顕在化したのです。
昨日今日突然「負け組みと見なされている者」になった訳ではないのです。
「差別され続け格差が固定化・構造化された結果が、今日の負け組と見なされている人」を
生み出したという現実は、ごく作為的なものです。
我々は幸か不幸か日本国に生を受けましたが、学校教育は崩壊しており、
扶養能力どころか、自己の生活の自立さえままならないのです。
建前の形式的な職業選択の自由、つまり禁止されていないという消極的自由は存在します。
しかし、自分にふさわしい「まともな仕事Decennt work」に就く自由、積極的自由はないのです。
自分の能力が活かせない職業に不本意に就かせても期待される成果が得られないのは当然です。
生活のためと割り切った労働は、パフォーマンスが低いのは当然でしょう。
仕事に生き甲斐や希望を持つ人ほど、ポリシーに反する働き方はできないのです。
それは労働ではなく、苦役あるいはロボット化でしかない。
「働いたら負けかな、と思っている。」はそれを如実に示しています。
「ロボット化したら負けかな、と思っている。」のです。
「派遣制度は、差別制度です。」