10/02/13 13:41:04 l1hFdNia0
野球選手とかだと自分は才能ないと判断して、皆わりとすんなりと諦める。
だが、こと勉強となるとやれば出来るものと思っている。 思わされている。 頑張らなくちゃならないものと思っている。
才能の現れ方は千差万別だ。
ある時期知恵遅れかな、と思われていた子供が大人になって結果的にはすばらしい業績をあげたりする。
また、何事においても、適不適はある。 学問だってそうだ。
ものを考える仕方だって人それぞれだ。
実際の言葉で考えるもの、言葉の雰囲気を連ねて考えるもの。 体の動きを連想して考えるもの。
イメージを連ねて考えるもの。殆ど直感的に結論を出すもの ・・・・。
それを一律のコースで競争させるのは無理が多すぎる。
第一、学校の英語が出来ないと言っていても、米国に行けば、その子よりもっと出来の悪そうな子が当たり前だがぺらぺら喋っている。
学校的英語学習が出来なかっただけだね。
他の学科であっても似たりよったりだろう。 それに対する反省は多分教育界にはあるだろうけど、親などは気を揉むだけだ。
数多くの部門があり、習熟の分野がある。 世界は広い。
かつかつがつがつ、やりきれないね。
やるなら、がっちりやろうよ。 プロになってくれ。
そいで、出来損ないを楽に暮らさせてくれ。 そうなれたのも社会的な蓄積・環境があったからだろう。
野球選手は活躍して、世の多くの馬鹿を楽しませてくれる。
エリートになった者もそうしてくれよ、 馬鹿を楽しませ楽にさせてくれ。
そうしたら、それなりの場所でおとなしく迷惑かからないように生きておるから。
エリートがすっからぴんのマネをするんじゃない。
あ、派遣会社なんてすっからぴんがやってる企業か