09/01/04 14:00:58 vPSUewao0
わかりやすい例
A君 学歴は小学校からレールにしかれた有名大学で
サークル活動に力を入れており勉強は殆どしなかった。
大学卒業後に父親のコネで有名広告代理店に入るも
ノルマの厳しさについていけず半年で退職をする。
その後は父の紹介で職を転々とするも長続きせず、
現在は職探し中であるが、不況の煽りをうけなかなか
希望の職に就くことができず、日々愚痴っている。
B君 住まいは郊外の公団に住んでおり爪に火を灯す思いで
貯めたお金を学費に回し奨学金等と合わせて苦学し
有名大学を卒業。そして念願の有名広告代理店へ入社。
厳しいノルマがあるが、この市況を乗り越えるべく
持ち前のガッツでノルマ達成!必死に頑張っている。
私が思う格差社会は、上記B君がどんなに努力をしたとしても
A君と同じ大学・就職先が実現しない社会を指すものだと思う。
格差の底辺に甘んじる人=努力をしなかった人。
A君がサークル活動や何不自由の無い生活をしていた同じ時間に
B君はバイトに勉強に生活にと涙ぐましい努力があったと思う。
そういうA君とB君を平等に扱う事は逆に差別ではないだろうか?
つまり格差はあってよい!それが努力の差なのであれば!