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生年月日 1889年3月7日
早稲田大学政治経済学部卒 西武グループ創業者 第44代衆議院議長 滋賀県大津市名誉市民 柔道六段
大学卒業後しばらくは政治運動をしていた(桂太郎(山羊座)や大隈重信(魚座)の新党結成の応援)
そして生来の逸材として、大隈重信(魚座)や桂太郎(山羊座)、など当時の指導者に識られるようになっていた。
1913年 大隈重信(魚座)に頼まれ、大隈(魚座)が主宰で主筆に永井柳太郎(牡羊座)をすえた政治評論雑誌『新日本』に社長として経営に参画
1923年 東京の国立学園都市の開発で一橋大学の誘致に成功
康次郎の女性関係は派手であり
女中、社員、部下や息子の妻、乗っ取った会社の娘、華族の娘等々
“これは”と思う相手を片っぱしから手中にしていったといわれている
そういう女性との間に生まれ、一族の中に入っていない子供たちの数は把握できていない(少なくとも50人以上と言われている)
康次郎(魚座)の死後、後継ぎ争いにより康次郎(魚座)が創業した西武グループは2グループに分裂
西武百貨店を引き継いだ次男・堤清二(牡羊座)は同社を核として西武流通グループ(後のセゾングループ)を形成
三男・堤義明(双子座)が西武鉄道を中心とする西武鉄道グループを引き継いだ
※1916年に堤康次郎(魚座)は大隈重信(魚座)の元秘書である川崎文とも結婚しているが子供はできなかった