08/12/23 05:23:25 ZKuoBKWJ
>機械的であるにせよ、全員がコーラスで行うパターン・プラクティスの方がいいです。
それはそうでしょうね。しかしながら、それ「だけ」がなされているのはおかしくないですか。それ
こそ「二項対立」にしてしまい、どちらか一方しかあり得ないと限定してしまうことの方が問題
です。私が言っているのは、授業中に口頭であれ筆記であれ、「自作」の要素が皆無である
ことの異常さです。与えられたものを読み、繰り返すだけ。主体的な要素が全く見当たらない。
ここでいう「自作」は、別に難しいことを説明するようなことでなくてもいいのであって、自由会話
は高レベルでしかできないなどというのは思い込みなわけです(会話について、高レベルでしか
できないものだけを想定しているのであれば、むしろそちらの方が問題)。
文法と語彙があれば、ごく限定された初歩的な範囲であっても、その組み合わせでそれ相応
のことが表現できる。そのような言語の生き生きとした部分がどうして強調されないまま6年間
も過ごすのかと疑問に思うのでござる。会話がないのは「実践」を欠いていてだめなのではなくて、
もし会話の要素があればもっと重層的な知識の蓄積が可能であろうという意味で、効率が悪い
学習法であることが問題なのです。